カフェを「サヨナラ」する日/新たに始める日〜『カフェという場のつくり方』〜

きょう、ブログで取り上げた山納洋さんの『カフェという場のつくり方』。
(参考:「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

 

そこに書ききれないくらい、この本は得るものが多い本、でした。

 

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その中で気になったのがカフェに「サヨナラ」する日と、
カフェを新たに始める日についての記述です。



まずはカフェに「サヨナラ」する日について。

 

アメリカの文豪・ヘミングウェイ

 

「老人と海」「武器よさらば」の著者と聴くと、
「ああ!」と気づく人も多いかもしれません。

 

ヘミングウェイは売出し中の若手時代、
カフェでチャンスをつかみました。

 

ですが後年はカフェの「悪徳」に気付き、
カフェに「サヨナラ」しているのです。

 

パリに着いたなかりの頃、ヘミングウェイは先輩の助言を受け入れ、文学界で最も重要な人物たちを探して歩きました。そしてカフェに集っていた作家や編集者たちと出会い、語らう日々を送ります。こうしたカフェでの出会いから、彼は雑誌で作品を発表する機会を得ていきましたが、やがて彼はカフェに集う人々の中に”悪徳と集団の本能”を見て取るようになり、名声を得てからはこうしたカフェ的生活から距離を置くようになっています。(173-174)

 

口悪くいうと、「だから悩みを相談する人がいなくなって自殺したんだ!」という人も居るかもしれませんが・・・。

 

さてここから著者の山納さんは、

カフェという場には、人それぞ卒業するタイミングがるという事実を示しているように思えます(175)

とまとめます。

 

一方、カフェを新たに始める日についても書いています。

 

「カフェをはじめる!」だけでなく、
「カフェで自分の学びを伝える!」
「カフェでイベントをする!」ということもあてはまります。

 

例として、フランスの哲学者マルク・ソーテを例に挙げます。

 

フランスのパリ政治学院哲学教授の職を捨て、
日常生活を哲学で考える「哲学カフェ」を始めた人物です。

 

つまり、ソーテにとってのカフェとは、仕事や立身出世の機会を得る「インプットの場」ではなく、今まで培ってきたものを発信するための「アウトプットの場」だったのです。(176)

そのことを受け、著者はこう綴ります。

 

人生においていろんなことを経験し、自分の果たすべき役割を見極め、その先に社会や人と関わることのできる場所を求めて、カフェを志向するようになる。こういう人はもはや、大きな心の揺れに翻弄されることはないでしょうし、より多くをお客さんに与えることのできる存在になっているでしょう。そしてそういう場が増えることは、地域社会の活性化にも繋がるのではないかと思います。(176)

 

これ、実は怖い指摘です。

「自己肯定」「自己承認」されたいから
「お店を始める」という「シーズ発想」の人に、
カフェは合わない、という残酷な指摘でも在るのです。

 

 

だからこそ、人生の一時期にバランス良くカフェと関わることができる方法も、今の時代に必要なのではないかと思っています。
例えば、3年から5年の間だけ、多額の投資をすることなくカフェを開業することができて、辞めるタイミングが訪れた時には、そのお店を次の人に引き継ぐことができる、そんなシステムがあれば、カフェを通じて自分の可能性を広げられる人がもっと増えるのでは、と思っています。(176-177)

 

そうです。
この本、
カフェ、みんなやろうよ!楽しいよ!」というよりも、
カフェはキツイよ。でもやりたいなら真剣にやると、道が見えてくるよ!」という激励の書なのです。

 

実際、カフェはキツイです。
「その先」に輝きが見えてくるものなのです。

 

 

こちらもどうぞ!

  1. 上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社. (3)
  2. 少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日
  3. 心理的サヨナラ主義の考察。

大平レポート⑳ 「物置化」する地方議会の議会図書室

滋賀県・大津市議会が議会の政策立案能力向上のために、龍谷大学図書館との連携を4月からスタートさせたようです。

この連携により、大津市議会議員(38人)と議会局は3館の蔵書約210万冊を利用できるようになりました。

 

さらに大学の司書にも資料相談ができるということなので、
おそらく市販されている本にはほとんどアクセスできるかと思われます。

 



地方自治法で設置が義務付けられている議会図書室ですが、財政上の問題で図書の購入や司書の配置が難しく、
地方議会の議会図書室は
物置化している
と揶揄されることも多そうです。

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実際、私も帯広市議会の議会図書室を見学に行ったのですが・・・。
古い本が多くて一番新しい本でも『国家の品格』だった気がします。

 

意外に知られていないのですが、公共図書館では無料で便利なサービスを利用することができます。

たとえば、図書館に所蔵がない本を購入してもらうリクエストサービス
連携する図書館から資料を無料で取り寄せてもらえる相互貸借というサービス、
調べ物を手伝ってもらえるレファレンスサービスなど、ほんとに便利です。

あまり知られていませんが…

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これらのサービスを利用すれば、おそらく市場に出回っているほとんどの本は読むことができると思います。

 

今後は、十勝管内の議会図書室がどんな状況になっているのか調べてみたいと思います。

〜〜大平さんのFacebookからの記事です〜

 

こちらもどうぞ!

大平レポート⑲ 投票の時に知っておきたい、良い候補者の見分け方

大平レポート⑰ 「選挙割」とは?

大平レポート⑮ サラリーマンが議員になると、地方が変わる!

「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

今年2016年の5月から、「育てるコワーキング札幌」の運営に関わっています。

私もメンバーの一員である「一般社団法人Edu」のコワーキング事業部が運営する「育てるコワーキング札幌」。

札幌駅北口徒歩3分、
北海道大学正門横にある
札幌カフェ」を土曜日に借りて運営しています。

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さて、その関係で「カフェ運営」についての本を最近読んでいます。

最近、良かったのが『カフェという場の作り方』。

 

 

ホワイトボードのない職場・大阪府庁〜『私と橋下知事との1100日』』

橋下徹さんが府知事に就任したのは2008年。
そして大阪市長に就任が2011年。
その間、2010年に「大阪維新の会」を設立し、
「日本維新の会」などで一世を風靡。

昨年の2015年に大阪市長を辞めて、
今年辺りから再びバラエティ番組で姿を見るようになりました。

 

これだけ短時間に政界に影響を与えた「タレント議員」はかなりめずらしい存在です。

 

大阪府知事時代、
橋本府知事の「特命機関」として、
「都市魅力化」が発足しました。

 

そこの課長に、民間人から無試験で選ばれたのが中村あつ子さん。

私と橋下知事との1100日』の著者です。

 

サブタイトル「民間出身の女性課長が大阪府庁で経験した「橋下改革」」。

 

一見「暴露本かな?」と思い手に取りました。

 

中身は全く逆。

 

大阪府庁という「堅い」お役所に入っていった女性経営者の奮闘の様子が描かれていました。

 

その中で「大阪府庁は”ケッタクソ社会”なのだ」(63)という指摘があります。

 

 

大阪弁で「けったくそ悪い」といえば「気分が悪い」とか、「いまいまいい」といった意味で、あくまでオフィシャルではなく内々に表現する時の言葉です。「卦体(けたい)」、つまり占いの結果が悪いことに「糞」を付けて悪いことを強調しています。(63)

 

そのケッタクソ社会。

 

たとえば、別の部局と連携して仕事をしなくてはならない時などに、府庁では(とくに男性は)「相手の誰が話をもってきたか、どのように言ってきたか」などに異常にこだわるのです。それで釣り合いの取れないような相手だったり、手順に納得がいかなかったりすると、仕事の内容はさておき、
「ケッタクソ悪い、やめとこか」
となったりするのです。要するに、男の面子が立つかどうか、それが大切なわけで、府民が喜んでくれるかどうかというところに仕事の価値基準があるわけではないのです。(63-64)

 

そこに民間出身の女性課長として入っていった苦労。
大変なものだったと思います。

 

3年間働いたうちの1年目は、それこそ「お役所」のルールに振り回されて終わってしまった、とのこと。

2年目。
周囲と軋轢とストレス。

 

3年目には、少しずつ周囲とも協力し「仲間」として仕事ができるようになってきたそうです。

 

同じメッセージを伝え続ける。

その大事さを知りました。

 

 

この本で印象的だったのは、
著者の中村さんが大阪府庁に入った際、
「あるもの」がないことに衝撃を受けた部分です。

 

 

それは「ホワイトボード」。

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いまどきホワイトボードのない組織も珍しいですが、
大阪府庁には「なかった」そうです。

 

 

それは会議の際、
紙を配りそれに目を落とすだけなので
「ホワイトボードがいらない」のです。

 

著者の中村さんは「ホワイトボード」を予算で買おうとしました。

が、総務の許可が降りませんでした・・・・。

 

仕方なく倉庫に眠っていた古いホワイトボードを引っ張り出してきます。

 

 

ホワイトボードを導入したことで、どんな変化があったのでしょう?

 

 

会議の際、
書類だけだとただ書類を見て終わりになります。

 

ホワイトボードを導入すると・・・

 

時間が効率的に使えるし、論点がはっきりし、頭の整理ができます。それで目線が上向きになり、出席者が顔を向けあうようになりました。
職員が一緒に考えることに意味があるのです。そうすることで前向きな議論ができて会議が活性化します。そんなミーティングを経て「大阪に恋します。」という局の合言葉を誕生させたのは、先にも触れたとおりです。(109)

 

私もファシリテーションをやる側なので、
ホワイトボードの意義はよくわかります。

 

ホワイトボード。
議論を整理する以上に
メンバーの「一体感」すらも出すことが出来る
便利ツールなのです。

 

中村さんは、ホワイトボード導入でアイデア出し・「職員の一体感」を出すなどの「小さな工夫」を積み重ねていきます。

 

課内の全メンバーとの30分ずつの面談の実施もその一つ。

 

「小さな工夫」と「小さな達成感」の積み重ね。
そこからメンバーとしての一体感や大阪府庁という
「ケッタクソ社会」すらも変えていくことができます。

 

そういう点で印象的でした。

パクリ魔・寺山修司伝〜『虚人 寺山修司伝』を読む〜

昭和を代表する作家で劇作家の寺山修司

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高校在学中から「短歌」の世界で注目され、
大学中退後、ラジオドラマを書き、
テレビドラマ、映画脚本、戯曲、競馬評論などを立て続けに書き連ねる。

作詞も行うし、テレビにも出演する。

そして自分の劇団「天井桟敷」を旗揚げ。
映画監督としても、映画史に残る『田園に死す』などを残している。

 

著作も数知れず。

 

 

 

職業を聞かれた際、

「職業は寺山修司です」

そう言ってのけるほど、マルチな才能を発揮した寺山修司。

寺山修司の20代はじめはテレビ黎明期。
まだテレビドラマのほとんどが「生放送」だった時代です。

 

ビデオテープのような録画装置がバカ高かった頃。

そんな頃からずっとドラマ脚本を書き続けている人なのです。

 

あしたのジョー」のテーマ曲の作詞家、といったら驚く人もいるかもしれません。

「サンドバッグに・・・」のあの曲です。

 

「あしたのジョー」に出てくる、ライバルの力石徹が作品中で死亡した際、
力石徹のお葬式が行なわれました。

その葬儀委員長も寺山修司。

 

ほんと、よく分からない人です。

 

 

死後30年以上たったいま現在にも熱烈なファンのいる寺山修司。

かくいう私もその一人。

 

わざわざ、青森県の何もないど田舎にある
寺山修司記念館」までノコノコ行ってしまうほどです。

 

衝撃を受けたのが、
寺山修司記念館のバス停。

 

「冬期間のバスの営業はありません」

 

自家用車、あるいはレンタカーなりタクシーなりでしか来れない。
それでいて「郷土の偉人」と言い張る青森県。

ほんと、素晴らしいですね!

 

 

さて、今回紹介する『虚人 寺山修司伝』は、
「カッコよくない」寺山修司の姿を赤裸々に書いた本。

 

輝ける天才・寺山修司が、
実は「パクリ魔」だったことを当時の証言を元にまとめている本なのです。

 

帯紙がいいことを書いています。

 

「徒手空拳で青森から上京し、草創期のテレビ界を舞台に、さまざまな人物と交流しながら名声を求めた寺山修司。
彼の作品−−俳句、短歌、ドラマは模倣の連続であった。」

 

・・・あまり知りたくない話ですが、事実です。

 

 

寺山修司作の短歌として、最も有名なのはこちら。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

叙情的で、なおかつ社会風刺すら込められた短歌。

 

私も大好きな短歌です。

 

 

ですが、この短歌も「元ネタ」があります。

 

「一本のマッチをすれば湖は霧」(170)

 

このレベルだと、モデルをもとに創造をした、といえるものです。

 

ですが、『虚人 寺山修司伝』は彼の「剽窃」(パクリ)が筋金入りであることを述べています。

 

高校在学中の「短歌」も友人のパクリの短歌が多い上、
初めて書いたラジオドラマにも剽窃疑い。
これまた初めて書いた戯曲やテレビドラマのシナリオも
「パクリ疑惑」が起きているのです。

 

 

そう、実は寺山修司は「パクリ魔」だったのです!!!

 

ただ、彼が優れているのは「パクった」作品に、
彼自身の世界観をうまく落としこむ所。

 

寺山修司のあらゆる作品には「田舎・青森」と「都会・東京」の相剋と、母と子の葛藤が込められています。

 

コラージュ。断片の集積。コピーのオリジナリティ。この田舎者の国の戦後に何か一番の核を突きつけたのが修司だったのではなかろうか。そう和田(注 和田勉のこと)は思うのだ。(210)

 

ただ、寺山修司がなぜ剽窃までして自分の作品を創りださなければならなかったのでしょう?

 

本書の作者は寺山修司の家庭環境にその理由を求めています。

 

幼くして父を亡くし、母と2人ぐらし。
その母も、仕事のため寺山修司を置いて九州で働きに出る。

ある意味「捨てられた」状態で、縁戚の映画館で生活する。

そんな状態のため、とにかく有名になって「承認」を得たかったのではないか???

 

そのためなら剽窃だろうがなんだろうがやるし、
「短歌」で有名になったら次は「戯曲」「脚本」「小説」と、
次々仕事を行っていく。

 

寺山修司にとって、
短歌も戯曲も小説も評論もなにもかも、
自己を承認「してもらう」ための手段に過ぎなかったようです。

 

これ、相当つらいことですよ!?

 

そこまで頑張らないと、自分が満たされないわけですから・・・。

 

私は、寺山修司がただただ、才能にあふれていた「天才」なのだと考えていました。
本書を読んで、急に身近に感じられました。

 

そんな寺山修司。
末期の病を宣告された後も、「映画監督」や「演劇の演出」にこだわりました。

彼にとって、「末期の病」の宣告は何を意味していたのでしょうか?

 

私は、はじめて「承認」を必要としない仕事に出会った「喜び」があったのではないか、と考えています。

 

「承認」を求めて仕事をしていた寺山修司。

さすがに「このままだと余命は1年ない」と言われた際、
「本当にやりたいことをやる」意識に変わったのではないか。

 

私はそう思っていますし、
そうあってほしいな、と思っています。

 

若者に「家出のすすめ」などでアジ気味の励ましを送っていた寺山修司が、
最後の最後まで自己承認のために仕事をしていたとは「思いたくない」のです。





寺山修司が自分の劇団旗揚げの際、
俳優として依頼したのが美輪明宏(当時、丸山明宏)です。

紅白歌合戦はもちろん、
テレビにも未だに出ています。

 

美輪明宏も生きているし、
寺山修司をラジオドラマの世界に引きずり込んだ
谷川俊太郎もまだ生きています。

 

寺山修司は「若い日本の会」に入っていました。

 

日本が「政治の季節」だった60年代に、
「若手」文化人として声を上げたのが「若い日本の会」。

「若い日本の会」のメンバーはそうそうたるもの。

石原慎太郎や劇団四季の浅利慶太も、
永六輔大江健三郎もそのメンバー。

しかも、まだ生きている人が多いのです。
(もう若くない・・・)

 

それを考えると、
1983年、47歳にして他界した寺山修司が不運に見えてきます。
同年代がまだ活躍しているのを見ると、
若すぎた死!」という思いが抜け切らないのです。

 

だって、今の時代を寺山修司がどう解釈するか、
見てみたいですもん。

 

特に短い警句たる「アフォリズム」に秀でた寺山修司がもしツイッターをしていたら・・・。

とてつもなくグイグイ引き込むツイートをしていたはず。

 

そう考えると、残念で仕方ないのです。

 

2Q==-1☆こちらからお求め頂けます。

こちらもどうぞ!

  1. 拝啓 寺山修司様
  2. 心理的サヨナラ主義の考察。
  3. 真の教育的関係とは?
  4. イケダハヤト『まだ東京で消耗してるの? 環境を変えるだけで人生はうまくいく』。 (2)

『トランクひとつのモノで暮らす』を読む。〜著者のエリサさん宅を訪れて〜

前の職場で教員として働いていた際、
ときおり私の家にある家具の少なさ・家電の少なさを自慢していました。

 

「僕の家にある電化製品、何があると思う?」

 

よく生徒に質問していたものでした。

 

大体は「テレビ!」「冷蔵庫!」「電子レンジ!」などという答えでした。

 

「残念、全部ありません!」

そんなケムに巻くような返答をよくしていたものでした(懐かしい思い出)。

 

帯広勤務時代のはじめ1年の生活は、本当に家電のない生活をしていました。

 

家にあったのは洗濯機とティファールの湯沸かしポット(下の写真)とPCのみ。

 

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北海道なのでストーブは据え付けです。

誇張ではなく、それだけで生活出来ていました。

 

 

 

むろん、「ほぼ外食」「ほぼコンビニ生活」をしていたからですが・・・。

 

 

何を隠そう、帯広時代、住んでいたのはコンビニのあるマンションの最上階でした。

 

 

コンビニは冷蔵庫でもあり、
電子レンジでもあります。

 

PCさえあれば、インターネットもDVD鑑賞も音楽の再生もできます。

 

「自称ミニマリスト」を言っていた時代です。
ただ、世間的に「料理を自分でやろう」と決意してからは
炊飯器と電子レンジをついに買いました。

 

その2つを買った半年後、
冷蔵庫を知り合いからもらいました。

 

最終的に、自宅にあった家電は
ここに書いたものだけでした。

 

そうそう、もう一つ、使わないけれど「掃除機」がありました。

・・・使わないと言っても、「ほうき」で掃除していたんですからね!(ちょっと強調)。





 

さて、そんな元「自称ミニマリスト」の私にとって、
最近、非常に感銘をうけた本があります。

 

バルーンアーティストでもあり、
ミニマリストのエリサさんの書いた本。

トランクひとつのモノで暮らす』です!

 

 

 

 

自分の人生を見つめなおすため、
海外短期留学に行った際の気付きから生き方を変えていったエリサさん。

 

「トランクひとつでも、全然困らない」。

そこからモノを少しずつ減らしていくようにしたそうです。

 

モノが減っていくと、最初は単純に部屋がきれいになることが気持よく感じられました。さらにモノを厳選しようとすると、今度は自分の心の奥底にある気持ちと向き合う必要が出てきました。その結果、自分が何を大切にして生きたいのかが見えてくるようになりました。大切なモノがわかれば、そうではないモノを持たないという選択ができます。時間も空間もお金も有限だから、大切なモノだけに使ったほうが幸せです。
「トランクひとつのモノで暮らす」のは、目的ではなく幸せに生きるための手段のひとつだったのです。(はじめに)

 

この本、よくある「断捨離」系や「シンプルライフ」系の本とは少し違います。

 

「断捨離」系・「シンプルライフ」系の本には、
「修行」を強いるような内容のものもあります。

 

そうではなく、モノを減らすことで
「自分は何をしたいのか」
「自分は何を目指しているのか」明確になる点が伝わってくるのです。

 

例えば、食器を7つに厳選したというエピソードが出てきます。

さまざまな料理への包容力のある食器7つに厳選したエリサさん。
家事も楽になったほか、いろんな気付きがあったそうです。

「いろいろな料理に合う包容力の高い器があると、少ない数で使い回すことができます」(95)。
「ひとつひとつに温かい思い出があるから、使うたびに幸せな気持ちになるのです」(95)。

 

そう、モノを減らすことに目的があるのではないのです。

 

モノが本当に必要かどうか、じっくり判断する。
そして、「いらない」と思えば感謝して手放す。

 

そうすることで自分の「価値基準」が磨かれていく。
だから、モノに縛られる人生から、
モノを使って人生を楽しむ生き方に変わっていくようです。

 

 





エーリッヒ・フロムというドイツの思想家がいます。
彼はユダヤ人ゆえナチスによって「強制収容所」に送られます。

人々が絶望で死にゆく中で、
「いつか、自分が市民講座でこの強制収容所の様子を講義する」イメージを持ち続けたフロム。

辛い現状も、遠い未来に「どんな風に講義するか」考えることで乗り越えていった人物です。

そんなエーリッヒ・フロムの著書『生きるということ』。

そこには「持つこと」「在ること(あること)」という2つの概念が出てきます。

 

何かモノを「持つこと」、
地位や権力を「持つこと」。

一方、自分らしく生きるという「在ること」。
人生を肯定して楽しみ、自分として「在ること」。

この2つを対比します。

 

詳しくは省きますが、
フロムはこの「在ること」を重視したのでした。

 

自分という存在は、別に「モノ」が成り立たせているわけではない。
「モノ」を持っているなら、それをどう自分の人生に役立てるか。

そのことを重視するのがフロムです。

 

エリサさんの本を読んでいると、
モノに縛られるのではなく、
モノをどう自分の生き方につなげていくか考えることができます。

 

実際、エリサさんの本業はバルーンアーティスト。

 

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実は、今日、エリサさんのご自宅に伺いました。

 

ご自宅のなかは著作内の写真通り、何もない状態。
シンプルライフを地でいく場所です。

 

そんな場所でも、バルーンアーティストとしての仕事で使う道具が大事に収納されていました。

 

単にモノを減らすことが目的ではなく、
モノを自分の人生にどう役立てるかを深く追求されている様子が伝わってきました。

 

 

ただ、人間生きていると、
どうしてもモノが溜まってしまいます。

 

なかには、モノを手放すのを罪悪視する人もいます。

 

 

フリーマーケットやリサイクルショップ、Amazonなどをつかえば、
「もっと必要な人が使ってくれれば」というカタチで手放すこともできます。

 

今日、エリサさんに伺った名言にも、次のものがありました。

 

 

「モノが増えて、『引き出しが足りないな』というときは、
まずモノを減らす方向で考えています。
こういうのを『アルゴリズムの転換』と呼んでいます」

 

そう、モノが溢れてきたら「収納法を考える」よりも、
「モノを減らす」ことから考える。

大事な発想ですね!

 

 

実は私の妻がエリサさんのファン。

勧められて私も読み、私もファンになりました。

 

お話の中でいろんな気付きも得ましたので、
このブログでまた書いていこうと思います。

 

エリサさん、非常にファンサービスのいい方で、
記念に風船の作品を作っていただきました!

 

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大事に家に飾っています!

 

記念写真も!

 

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いやー、エリサさん、
本日はお忙しい中、お時間作ってくださり、ありがとうございます!!!!

なお、本書は、エリサさんのブログ「魔法使いのシンプルライフ」から派生してきた本です。

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だからこそ、
読みやすく分かりやすく、写真も分かりやすい本に仕上がっているのです。

 

ブロガーとしても活躍されているんです。
「にほんブログ村ランキング」など、シンプルライフ部門のブログで1位を獲得されています!

 

一応ブロガーの私も、見習いたいなあ、、、と思っています。

 

 

 

こちらもどうぞ!:

イキナリ起業すると失敗する理由~起業の前には、イベントをしよう。~

前回は札幌駅北口のコワーキングスペース
育てるコワーキング札幌」の運営について記載しました。

【記事】コワーキングってなあに?〜「やってみたい!」をカタチにする場所〜

今回はそこから派生する話です。

名づけて、「イキナリ起業すると失敗する理由」。

起業を考えている人は読んでみてくださいね!

イキナリ起業すると失敗する理由

私は学生時代、東京にいました。

実は東京にいた頃から、コワーキングとはつながりがありました。

ネコワーキング」というコワーキングスペースでインターンシップをしていたからです。

そのコワーキングスペースでいろんな「大人」と関わりました。

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プログラマーやWebデザイナーとしてバリバリ働いている人。
アイデア勝負で起業した人。
大企業をやめてフリーランスになった人。

いろいろな「大人」がいました。

自分のモデルとなる大人とたくさん出会いました。

当時より、なんとなく「起業したい」気分のあった私。

自然と、自分も「起業する」イメージが具体化してきました。

インターンシップを通して、「どういった分野で起業するか」考えていました。

塾やプロの家庭教師、
講座の開催などがまず思いついたもの。

インターンシップを続ける中で固まってきたのは、
Teacher’s Bar」というバーを経営するというアイデア。

教員及び教員になりたい人向けのバーというアイデアです。

普段、なかなか関わりのない学校教員が、
「安全に」「楽しく」お酒を飲みながら情報交換できる場。

特に教員はなかなかお酒を飲みにいけないし、
お酒を飲んでいると「こんなところで飲むな!」と言われてしまいやすい業種だそうです。
(「酒飲んでる間があるなら、もっと子どものために働け!」的な)

私の狙いは、
教員向けのバーを通して教育情報を集め、
そこから教育イベントを発信していく場にしたいというものでした。

そして教員間のネットワークをもたらす場にするということでした。

このアイデアをネコワーキングのオーナーにお話した所、
次の返答が返ってきました。

「じゃあ、一回イベントでやってみたらいいじゃん」

案の定、ずいぶん軽く言う人でした。

「いや、場所もないのにできないじゃん!」と思いました。

バーの場所を借りるのはお金がかかるし、
集客はどうやったらいいんでしょう。
お酒、まだ私は何も作れないし、料理もできない・・・。

やはり、あと何年かした後、
どこかで修行し、
ワザを磨いてからの起業だなあ・・・。

そう思っていました。

が、ふと気付きました。

オーナーは別に、いますぐ「バーを立ち上げろ」とは言っていません。

今できる範囲での「イベント」を求めていたのです。

だから公民館の1室を借りてもいいし(それだと数百円で借りれます)、
お酒でなくても御茶会でもいい。

いつも営業するバーでなくても、
月1で定期開催すればいい。

意外と、今の時点でできるような内容だったのです。

ちょうど知り合いと「教育キラクガタリ」という、
教育について興味のある人が集まってワイワイするイベントをその後やりました。

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(結果的に、いまの「育てるパワーランチ」にもつながっています)




▼起業の前に「イベント」の開催が必要な理由

 

学生だった当時は気付きませんでしたが、
起業をする上で一番適切なアドバイスが「イベントをする」ということでした。

「イベント」をすると、
とりあえず起業した姿を自分でイメージできます。

イメージできると、「あ、起業にはこれが必要だ!」
「この力がいる!」と学べます。

例を挙げると・・・

・チラシの作り方
・集客の仕方
・お金の管理
・領収書の用意
・告知文
・イベントの進行
・企画立案

これ、すべて一度でもイベントをすると学べる力です。

そして、起業する上で必要不可欠な力です。

周囲にも「起業を準備している人」と宣言できます。
周りに言う以上、起業に向けて努力していくことができます。

なにより大切なのは、イベントで
潜在顧客を見つけることが出来る点です。

これ、本当に大事です。

私が何も分からず「Teacher’s Bar」をそのまま開業してしまっていたら、
お客も何も集まらなかったでしょう。

企業に必要な経営スキルも運営スキルも無いままだったはずです。

そして失敗し、廃業していたはずです。

起業。

私も4年ごしですることになりました。

そのキッカケが、
まさに「イベント」開催でした。

いまの作文教室ゆうも、
「作文で未来は変わる!作文講座」というイベントのなかで
具体的な姿を考えていきました。

起業したいなら、イベントをしよう!

すごく大切な点です。

だからこそ、イベントの支援ができる「育てるコワーキング札幌」は、起業したい人の大きな支えになるはずです。

お問い合わせはこちらから!

コワーキングってなあに?〜「やってみたい!」をカタチにする場所〜

▼育てるコワーキング札幌、運営開始!

 

ちょうど、この5月から「育てるコワーキング札幌」の運営に関わっています。

これは札幌カフェの土曜日の部分を「育てるコワーキング札幌」として運営するというものです。

さっそく5/7の初回、運営しました。

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多くの人でにぎわい、私自身もなかなか楽しかったです。

育てるコワーキングは、みなさんの「やってみたい!」をカタチにする場所です。

例えば、「イベントをしたい!」という人が気軽にイベントが出来る場所。

「こういうアイデアがあるんだけど・・・」という方がアドバイスを受けて、それを実際に「やってしまえる」場所。

「お料理をみんなに食べてもらいたい!」人が、
お店を借りてレストランを1日だけやってみることの出来る場所。

そんな場所として、札幌駅北口から新たな文化を発信していこうと思っています。




▼コワーキングってなあに?

 

さて、さきほどから「コワーキング」という言葉を何の気なしに使っていました。

「コワーキング」とは何か、改めて見ていきましょう。
「コワーキング」を英語で書くと「Coworking」。

「共に」「一緒に」を意味する「Co」に、
「働く」という「work」のくっついた言葉です。

直訳すると「一緒に働く」。

フリーランスの人も会社で働いている人も、
主婦の人も学生も、
気軽に来て「ゆるやか」につながりながら「一緒に働く」場。

それがコワーキングです。

コワーキング自体のブームは4年くらい前にきました。

北海道でも、あちこちでコワーキングができました。

が・・・。

気づけばもうほとんど残っていません。

でも、「コワーキング」スペースが担っていた部分が
不要になったわけではありません。

「コワーキング」スペースが担っていた仕事。
それは「スタートアップ」「起業支援」です。

言い換えれば、「やってみたい!」をカタチにするということです。

さっき言った「育てるコワーキング札幌」の目指すものと一緒ですね!

ここで「起業支援」というと、
「別に会社を起こしたいわけじゃないしな〜」
「なんか大げさ」というふうに感じてしまいます。

そうではなく、
「やってみたい!」ことを応援し、
「やってみたい!」をカタチにするところに
コワーキングの使命があるはずです。

育てるコワーキング札幌も、
ちょっと自分で作った雑貨を売ってみたいな〜
好きなアーティストについて語るイベントをしたいな〜」という人の「やってみたい!」をカタチにするお手伝いをしていきます。

また、「起業したい!」人も応援していきます。

「打ち合わせのあと、ちょっと仕事して帰りたい」方、
「家だとダラけるので、しっかり仕事したい」方の「やってみたい!」も応援していきたいと思っています。

ぜひみなさん、「育てるコワーキング札幌」を今後もよろしくお願いします!

今週土曜も11:00-22:00、運営中です!

 

【場所】札幌市北区北8条西5丁目2−3
(JR札幌駅北口徒歩5分。北海道大学正門横。
【時間】11:00-22:00 毎週土曜日開催!

【お問い合わせ】こちらからお願いします。

詳細は育てるコワーキング札幌まで!

 

 

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  2. 私がネコワーキングで学んだこと。

  3. 「やってみたい!」をカタチにしよう。〜私がイベントを乱発するようになった理由〜

田中優『地宝論』子どもの未来社。

ここしばらく、日本の「地方」について考えるようになりました。

 

イケダハヤトさんの『まだ東京で消耗してるの?』ではありませんが、
東京以外の「地方」で活動していく可能性について普段考えるようになったからです。

 

 

札幌で各種活動をしていきたい私にとっても、
「地方」をどうとらえるか、必要な支店となっています。

 

田中優さんの『地宝論』(ちほうろん)はそんな中で読んだ本。

タイトルこそ「地方」を名乗っている本ですが、
読んでみるとどうも「反原発」「市民バンク」といった
「反政府」「反経済界」が強い本。
「地方」色ってあんまりないような・・・。

 

 

いまいち「これ本当なの?」という点も多い本ですが、
エネルギー政策について「こんな視点があるんだ!と気付ける本です。

 

 

世界の紛争地と資源の場所を照らし合わせてみると、話ははっきりします。世界の紛争地は、ほぼ5つの地域で起きています。「石油が取れるか、天然ガスが取れるか、パイプラインが通っているか、鉱物資源が豊かか、水が豊かか」の5つです。「宗教紛争」や「民族紛争」というのは、後から取ってつけた理由ですね。実際には、エネルギーや資源をめぐる金儲けのために戦争が起こっているのです。だから戦争を避けたいのであれば、エネルギーを自然エネルギーに切り替えていくことが最も大きなカギになります。(150-151)

 

この本で一番グッと来たのは次の所。

「怖い」内容の部分です。

 

福島の篤農家の方の悲しい話がありました。その人は無農薬・有機栽培でキャベツを育てていたそうです。安全なキャベツを作り、近くの小学校の子ども達に食べさせたくて、毎回届けるのを楽しみにしていたそうです。しかしその畑が放射能によって汚染されてしまった。見た目に変化はなく、見事に育ったキャベツは出荷停止になりました。「もう終わりだ」とつぶやいていたのち、彼は自宅で首を吊って自殺してしまったのです。(4)

 

こういう話を聞くと、
無性に切なくなります。

 

だからこそ、
原発について真剣な議論が必要なんだな、と思います。

 

 

なおこの本。

もとはある新聞社から出版する予定だったそうです。

 

ですが、編集の段で原発関連(再処理工場など)の部分を「削って欲しい」という要望が出ます。

「他の出版社から出していただくように著者の方に相談をしてほしい」(188)と言われ、結局別の出版社から出すことになったとのこと。

 

本当に、そんなことってあるんだな。
出版を控えるほどの内容でもないと思うんだけど・・・。

 

こちらもオススメ!

  1. 鎌田浩毅, 2008, 『ブリッジマンの技術』講談社現代新書. (2)
  2. 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』? (2)
  3. 見田宗介『現代社会の理論−情報化・消費化社会の現在と未来−』(岩波新書) (2)
  4. 非認知能力が、人生を決める!(中室牧子『「学力」の経済学』②) (2)

「困らせない」戦略と、「困らせる」戦略〜教育でどう使うの???〜

なんどか書いていますが、私は私立の通信制高校で
札幌校に2年、帯広校(北海道の道東。札幌から200キロくらい東)に2年いました。

同じ学校ではあるのですが、
札幌と帯広で、「やり方」が違っていました。

 

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どちらも、学習障がい(LD)や発達障がいなどを持っている生徒がいました。

ですが、その生徒に対する、
教員の「戦略」の違いを感じたのです。

 

 

フリーに「なってしまった」今、振り返っています。

 

 

札幌校時代、主要な戦略はこちらでした。

 

(1)「困らせない」戦略

 

 

札幌校勤務時代、生徒と関わる上での主要な戦略は
「困らせない」戦略でした。

 

「困らせない」ってどういうこと?

それは、生徒が「困らない」ように、
教員の力でなるべく「配慮」をするやり方です。

 

たとえば。

 

「ノートを書けない!」
そういう生徒がいます。

 

だからこそ、そういう生徒のため、
懇切丁寧に「プリント」を授業の際配布します。

 

人によってはテストも、その子が「理解しやすい」順序に配置し直します。

 

徹底的に、その子が「困らない」ようにする。
そのため、その子に個別対応するし、
保護者にも「文句」を言われないようにする。

 

 

教員として「すばらしい」努力です。

私も札幌校時代は、
この戦略を「大事」にしていました。

 

・・・実は、帯広校に行ってから違う戦略に気づきました。

 




 

 

(2)「困らせる」戦略

 

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生徒と関わる上でのこの「困らせる」戦略。
おそらく、大部分の方にとっては、「????」な戦略のはずです。

「教員として、あるまじき!」という方すら居るかもしれません。

 

そんな破壊力抜群の「困らせる」戦略について、ご説明します。

 

 

この「困らせる」戦略は、さきほどの「困らせない」戦略のです。

 

 

生徒本人、
特に発達障がいなどを持っている生徒が「困る」「困ってしまう」「戸惑う」まで、ある意味で「見守る」方略です。

 

 

ある意味では、
発達障がいのある生徒が、本当に、

どうしたらいいの!!!!????

と「戸惑う」まで放置する方略です。

 

ある意味、無慈悲です。

「何もしていない!」と怒られる可能性すらあります。

 

 

ですが、単なる「放置」「放任」と違うのはそれからです。

 

 

自分一人、いまの状態では「うまく行かない」。

その状況に「困り」、「どうやったらいいんだろう???」と考え始める。

 

その状態まで待ち、
その上で「じゃあ、こうやればいいんじゃない?」とアドバイスをする。

 

 

それが「困らせる」戦略です。

 

たとえば、中学時代に支援級(特別支援学級)で
手厚い配慮を受けてきた高校生が入学してきます。

 

 

それまで、たとえば行事の前は

「あなたは学校祭、これとこれをしてください。
そのために〜〜月ーー日に〜〜〜に行ってこれをしてください。
当日は〜〜時に来て、〜〜〜をしましょう。」

 

きめ細かく指示されていました。

 

帯広校では、
「何も」してくれません。

 

「なんで何もしてくれないの???」

 

そんな生徒からの「恨み言」もよく聞きました。

たしかに、「紙」で全員に同じ連絡をするだけで、
その人のための「特別な配慮」に近いものはあまり行っていませんでした。

 

生徒・保護者からの「恨み言」。
よく聞きました。

 

ただ、「それが帯広校のやり方」というのを言っていくと、
だんだん自分で考えるようになってきました。

 

事前に自分で「質問する」ようになるのです。

 

 

以前は、

「なんで事前に全部連絡してくれないの???おかしいじゃん!」

 

そう言っていた生徒も、半年もすると、

 

「来週は学校祭ですね。
何時にどこにいき、なにをするといいでしょうか?」

と、自分で考えて動くようになります。

 

 

札幌校と帯広校両方で教員として働いた私として、
結果的に言うと、
「困らせる」戦略の方が価値的だと感じています。

 

なぜでしょう?

 

 

明らかに「恨み言」を聞くのに???

 

 

 

答えを言います。

 

 

人間、ほんとうの意味で「困ら」ないと、
自分の行動を振り返らないのです。

 

 

 

自分のこれまでの生き方では、通用しない環境に出会う。

それが、「手厚い」中学校に比べて、
何も自分のために特別に配慮してくれない」高校との違いです。

 

はじめは「恨み言」を親も交えて言っていますが、
いくら言っても動いてくれない学校を見ると、

 

「じゃあ、自分がなんとかしないヤバイ」

そう気付きます。

 

だから自分から聞くようになります。

 

学校側に「なんで〜〜してくれないんですか!」というのをやめ、

「〜〜があるので、どうやったらいいか教えて下さい」と聞くようになります。

 

これ、ある意味で「進化」です。

いままで、「周りが特別に配慮するのが当然」と思っていた人が、
「自分は何を周りに求めないとうまくいかないか」考えるようになるのです。

 

いままで「周りが悪い!」と言っていた人が、
「周りに動いてもらうにはどうしたらいいか」と考えるようになったのです。

 

そうなると、周りへの感謝が生まれます。

自分が困るからこそ、
「どういうサポートをしてもらうと、自分にとっていいのか」考えるようになります。

 




いまはある意味での発達障がいを持っている生徒を対象に話していますが、
あらゆることに通用することだと思います。

 

 

新入社員が困らないよう、できるだけ配慮をしようとすると、
疲れ果ててしまいます。

 

そうではなく、「あえて」新入社員が困るようにすると、
「自分は何をすべきか」考えるようになります。

 

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ここで考えるべきことがあります。

 

「困らせない」戦略には、そもそも無理があるのです。

当然、「ノーマライゼーション」などが大事なのはわかっています。

 

ですが、あまりに「特別扱い」「配慮」をし過ぎると、
それが当たり前になり、
「なんでこうやってくれないの!」という逆ギレすら招く危険があるのです。

 

 

実は札幌校時代の「困らせない」戦略。
教員側にも「無理」がありました。

 

一人ひとりのことを気にかけ、
「この子のためには、このプリント!」
「この子には、特別にこの宿題!」

一生懸命、考えている教員がいました。

 

一見、すごくいい教員です。

 

おそらく、教育委員会でもPTAでも表彰ものでしょう。

 

恐ろしいのは、この「善の行為」が、
逆の結果となることがあるのです。

 

例1)
一生懸命な教員以外の教員が「配慮」してくれない場合、
「なんで配慮してくれないの!おかしいじゃない!」と逆ギレする。

卒業して就職しても、
まわりが「配慮」してくれないので、
「周りが悪い!やめる!」とすぐ仕事をやめてしまう。

 

例2)
一生懸命な教員が、
まわりの「配慮」しない教員に対し、

 

「私は一生懸命やっているのに、なんで周りの教員は何もしないの!」
「おかしいし、間違っている!」

 

と他の教員にキレる。

 

 

この2つの例、分かりますでしょうか???

 

 

生徒のために、
「困らせない」ようにする努力が、
結果的に本人にも、
そして「努力」する教員にも悪い結果を招くことがあるのです。

 

 

高校くらいになってきたなら、
「社会に出る」ことを考えさせるべきです。

 

 

「社会」は、
新入社員のために「配慮」なんてしてくれないのが「前提」です。

 

その現状、
みんな知っているはずです。

 

でも、学校で「配慮」しすぎ、
「困らせない」環境にいると
社会に出て困ってしまいます。

 

 

むしろ学校がすべきなのは、
本人を「困らせる」努力をし、
「だから私は何をしたらいいか」と
学校側に「質問する」「相談する」関係づくりなのではないでしょうか。

 

そうなると、生徒は自然と話しを聞きます。

 

人間、
壁や困難にぶつかり、
「困る」ことがないと自分のやり方を変えないものです。

 

よく言われますが、
のどが渇いていない人に水を飲ませることはできません。

人間はのどが渇く、つまり「困らない」かぎり、
自分の行動を変えようとはしません。

 

のどが渇く、つまり「困った」場合、
周りの言葉に耳を従えるようになります。

 

常識的に考えると、
学校は「のどが渇く」状態に持って行き、
「このままではどうしたりいいか分からない!」
「どうしたらいいですか?」と質問する状態に持って行くべき。

 

 

ですが学校は「困らせない」戦略に終始することがあります。

 

あえて「困らせる」戦略。

考えてみるべきではないでしょうか???

 

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