『福翁自伝』は福沢諭吉が「口語で」書いた貴重な資料。
福沢の思想形成を知るために必要不可欠な本である。
だからこそ、慶應義塾関係者や福沢研究者が必ず通る本。
平成26年4月12日、個別学習塾はるにて、その『福翁自伝』の読書会を行った。
かれこれ、「日本の思想を再検討する」目的でやっている読書会シリーズの8回目にあたっている。
ディスカッションの結果として得られた知見は、以下のとおり。
1)福沢諭吉が修行時代を積んだ「適塾」は、今で言う大学院の機能を果たしたのではないか。
原書の輪読会は現在、大学院の課程で行うこともある。
「適塾」を大衆教育のイメージで見るのではなく、エリート教育の「まとめ」として見る方が適切な味方ではないか。
2)福沢が理想とした日本像は明確なものではなく、一人ひとりが「近代人」となることを目指すことを主眼としている。
しかし、福沢の時代、「近代の限界」も何も言われていない頃であり、ある意味で「おいしい」近代(「明るい」近代・「明るい」明治)を一人で味わい尽くした人物ではないか。
3)福沢はあくまで「学者」であり、第三者的立場から自由に物を言うことを生き様としてきた。
4)江戸幕府にも攘夷論者にも、明治新政府にも「我関せず」という姿勢を貫いている。しかし、「学者」として裏から政治活動に関わったり、言論機関の新聞や雑誌、大学創設と経営に携わっている。
5)ネットワーク構築や行動力に優れており、『福翁自伝』にはその武勇伝がたくさん書かれている。
結論的に、福沢の生き方は「学者」の憧れの姿、といえるだろう。
研究でも評価される他、翻訳・著作で食べていくことができ(「議論」も、福沢の翻訳語である)、学校経営も順調で、自分のメディアも持っている。
私もなれるもんならなってみたい生き方である。
そしてこの福沢の生き方は「ノマド」の生き方でもある。
・・・まあ、私を落とした大学の創始者だから、感情的には好きではないんだけど。