オルタナティブスクール

シュタイナー教育について学ぶ。

最近、子安美知子『シュタイナー教育を考える』を読んでいる。シュタイナー教育の概要が詳しくわかってくる本だ。

外から教えるのでなく、子どもの内側から発露してくるものを大事にする授業。それを実現するために、オイリュトミーやフォルメンを行う。子どもの内なるリズム・発育時間を大切にし、それに沿って少しずつ授業のやり方を変えていく。

ホリスティック教育といわれるものの中でも、一番ホリスティックな教育がシュタイナー教育であるようだ。

 ただ、1点、読み進める中で疑問を感じた。子どもの自然な発育を待ち、それに合わせて授業を行うというシュタイナー教育。これ、ものすごく周到な洗脳教育プログラムでもあるのではないか。
 むろん、シュタイナー教育のプログラムが邪悪な意図を持って作られたものでないことは確かだ。けれど、善なる意思を持って「その子のために」教育プログラムをつくることが構わないとするなら、公教育プログラムに対してもそう言えてしまう。
 シュタイナー教育やフレネ教育、モンテッソーリ教育など、「~~教育法」というものを色々私は学んできた。公教育よりよっぽどましな教育であることは確信している。けれど、これらの「~~教育法」は、子どもに対する押しつけ・洗脳・強制であるように感じられるようになってきた。よい教育プログラムを用意することは、そのプログラムに適応するようにしか、子どもは育つことができないことも意味する。あらゆる「~~教育法」というと呼ばれる存在に、私は「気持ちの悪さ」を感じてしまうのだ。本来、子どもという存在はそれ自体において価値がある存在であると考える。その存在に対し、他者が「よい教育をしよう」と言って何らかの教育プログラムを強制することは権力的作用ではないか。
 『フリースクールとはなにか』という本の中でも、次のようにある。

伝統的な学校教育ではなく別のものを求める、というとき、シュタイナー、モンテッソーリ、フレネその他、はっきりした教育思潮と方法論をもって世界的に広がっている教育もある。それらは、オルタナティブ教育と呼ばれても、フリースクールとは呼ばれない。フリースクールは、オルタナティブスクールのなかの一つであって、学校教育以外であればフリースクールというわけでもない。
 フリースクールが、他のオルタナティブ教育ともっとも違う点は、子どもを主体とすることであり、教育内容を自由につくりだす、ということであろう。○○を○○のために教える、活動させる、というのではなく、子どもの興味、関心、意欲に依拠して作っていくことになる。それは、子ども中心であるがゆえに、教師と生徒の関係を含め、あらゆる側面が変わることになる。(NPO法人東京シューレ編『フリースクールとはなにか』教育資料出版会、2000年、17頁)

 教育プログラムが優れたものであるほど、そのプログラムに子どもを(無理矢理でも)合わせようとする。イリイチの言葉を借りるなら、「制度化」である。「子どもが成長すること」という本来的な目標を忘れ、教育プログラムの遂行のみを目的と取り違えてしまうようになる。フリースクール以外のオルタナティブスクールでは、ともすればそういった価値の転倒(=価値の制度化)が起きてしまう可能性があるのだ。子どもを主体とする教育。それ以外のものに、私は「違和感」「気持ち悪さ」を感じてしまうようだ。

 そういえば宮台真司の『14歳からの社会学』にあったことを思い出す。世界が精密にプログラムされている現状。それに気付いた時、人は離脱しようとするのだ、と映画『マトリックス』などを基に説明をしている。教育に対してもそれは言える。教育プログラムが精密であればあるほど、「俺って、いなくてもいいのかもな。どうせ、誰に対してもこんな教育をするんだろうし」と「自己疎外」が発生する。学校教育における落ちこぼれや不良とされる人々は、「自己疎外」ゆえに教育プログラムを離脱しようとするのだろう。

追記
●ちなみに、70年代西ドイツで起こった「反教育学」という流れは、フリースクール的な教育機関と親和性があるようです。

レストランの比喩。

 何を食べるかを決めるのはレストランの側が「食べてもらいたい」人だろうか。そうではない。何を食べるべきか決めるのは、あくまで客である。
 同様に、「学ぶ」内容を決めるのは学ぶ人である。学校に行っている/いないに関わらず、あくまで「学びたい」ことを学ぶべきだ。

 その昔、フリースクール関係者が『脱学校の社会』を読み合った時代があった(80年代ごろ)。その際「学び(教育)の主体は誰か?」という読み方をしていたそうだ。「学ぶ」内容を決めるのは国家ではなく、学びたい人ではないか、という読み方である。
 国家は教育主体ではない。主体性を持つべきはあくまで「知りたい人」「学びたい人」である。
 
 …こんな話をシューレ大学の朝倉さんに伺った。

〈世界〉とは何か。

 その人にとって見える世界しか、〈世界〉ではない。進学校に通った人間の〈世界〉では、大学に行かない人はアブノーマルなのだ。けれど、中堅高校に通った人の〈世界〉において、大学は「半分くらいの人が行く所」という認識になる。

 私(=進学校に行った人)は勝手に、「いま大卒でも仕事が無くなってきており、大学院に行くことが要請されている」と軽々しく言ってしまう(大大学 傾向と対策)。しかしそれはあくまで「私」の見た〈世界〉であり、日本全体を見た話・地球全体を見た話ではない。
 知識人やマスメディアの人間は「大卒」ばかり。自然と大卒人間の見た〈世界〉観を維持する報道を行う。けれど〈世界〉はもっと本来豊かなものなのだ。アーレントの他者概念の中にも、そのようなものがあった。
 自分の見ている〈世界〉だけが世界ではない。そう考えていくと、異なる他者への理解がおよぶはずだ。自分の〈世界〉がいかに狭いかを知ることが必要だ。それ故にこそ、若者は旅に出るのだろう。自分の知らない〈世界〉と他者を通じて触れ合うことができるからだ。フリースクールに通う子どもたちも、不登校時代に海外放浪旅行や「四国のお遍路」を踏んだ経験を持っている人がしばしばいる(『ボクらの居場所はここにある!』)。それにより、不登校や学校を相対的に見れるようになる。「あ、なんだ不登校でも生きていけるんだ」と気づくのである。
 

DVD『こんばんは』と、「渇きによる学び」考。

 前に映画『学校』を観た。西田敏行が夜間中学校の教員を好演している。生徒たちと生と死について議論しあうラスト・シーンが心に残る映画だ。『こんばんは』を観て、「映画『学校』の世界は、本当に存在するのだなあ」との思いを持った。学び手たちが生き生きと学校で過ごしている。「こんな学校、いいなあ」と素直に思った。『学校』にもあったが、夜間中学校でこそ本当の教育が行われているのかもしれないと感じた。

 このように生き生きとした学びが夜間中学校で行われているのはなぜであろうか。私は、「渇きによる学び」が起きているためであると思う。「渇きによる学び[i]」とは私の造語だ。卒論の中には次のように書いている(概要)。

フリースクールは子どもを無理やり学ばせることはしない。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間が経つかもしれないが、「渇き」が起こる。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。奥地恵子のいう「ヒロベン」(テレビやゲーム、友人との遊びなど、日常生活で〈広い意味での勉強〉)が、やがて「渇きによる学び」を誘発するのである。

 フリースクールでは、子どもが「学びたい」と思うまで待つ。けれど「学校」は無理矢理でも学ばせようとする。そのために生徒はイヤイヤ勉強をする。しまいには「学校」にいくことと「学ぶ」ことをイコールだと錯覚してしまう(イリッチの言った「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と勘違いするようになる「価値の制度化」が起こる)。
 夜間中学校は、「文字を読み書きできるようになりたい」・「日本語を何としても習得したい」という思い、つまり「渇き」を学習者が持っている。また、夜間中学校には自らの自由意思に基づいて通っている。だからこそ、生き生きとした学びが行われるようになるのだろう。もし夜間中学校が「いままで義務教育をうけたことがない人は全員行かないといけない」場所になってしまえば、映像にあったような生き生きとした学びは行われなくなってしまうだろう(夜間中学校が「学校化」されてしまうのだ)。

 映像を観ていて、もう一点感じたことがある。それは〈生活経験や悩んだ体験がないと、詩や小説を本当の意味で読むことができないのではないか〉ということだ。映像内では「雨ニモ負ケズ」をクラスで読むシーンがあった。同じ詩を、私は小学校の高学年で習った記憶がある。その際は「こんな生き方を希望した人がいたのだなあ」という印象を持った。宮沢賢治の詩が全く自分の内面に響いてこなかったのだ。
 けれど、映像では自らの体験を踏まえて学習者が語り合っている。自らの経験を踏まえたうえで、作品を読み取っているのだ。これは通常の「学校」では必ずしも行われていない。小学生のころの私もそうであるが、作品が自分にとって「遠い」のだ。クリステン・コルは『子どもの学校論』のなかで、本来ドラマティックなはずの聖書の物語が、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」させられる状況を批判している。日常生活と乖離した学問を学ぶのが、通常の「学校」になってしまっているのだ。

 詩や小説は、読まれることで初めて意味を持つ。そして読まれるためには、読み手が成熟を遂げていなければならない。よく「夏目漱石の作品は40を超えてからでないと分からない」と聞くが、これも読み手の成熟がないと本当に理解することができないということなのだ。ちょうど「バカの壁」が作品と自分との間にあるのだろう。成熟するということは、種々の経験を経ることでバカの壁に穴をあける作業を意味する。

 このように、詩を読み取れるだけの成熟を「待つ」姿勢を持っているからこそ、夜間中学校では「渇きによる学び」が起きているという側面があるのだろう。

[i] 梅田望夫は『私塾のすすめ』のなかで〈のどが渇いて水を飲むように学ぶ〉ということを書いている。その部分や宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』を参考にして、「渇きによる学び」という言葉を使っている。

高橋勝『学校のパラダイム転換』(川島書店、1997)

人が何かを〈学ぶ〉ということは、その対象を通して、生活世界に新たな意味を付与していく営みである。自己の生活世界をつねに新たに更新していく営み、それが〈学ぶ〉という行為にほかならない。その行為は、ものへのはたらきかけや他者とのかかわり合いなしには成立しない。〈はたらきかけ〉、〈かかわること〉によってしか、私たちは自己の世界を更新してはゆけないのだから。それは、必要や効用といった功利的原理を超えた、根源的な「生の世界」それ自体の自己蘇生の営みなのだ。(15−16頁)

 私たちの〈学び〉とは、それまでの狭い世界を脱出して、より広い世界を切り拓き、再構成していく行為にほかならない。それはきわめて創造的であり、主体的な営みなのである。(18頁)

〈学び〉とは、〈自己〉の解体と再生の営みなのだ。(18頁)

子どもたちが、多様で異質な文化や人々と出会い、交流する場として、学校を考えたい。同年齢ばかりでなく、異年齢の子どもたち、地域の住民、異国籍の人々、多様な文化的世界、そうした多数の他者と交わることによって、子どもは、一人で学ぶ以上のことが学べるのである。「学ぶたのしみ」を肌で実感できる人々が寄り集まり、〈学びのネットワーク〉を織り上げていく場所、それが、これからの学校なのだ。(28頁)

「いい教育を求めてフリースクールにいく」、ことの欺瞞。

いい教育を求めてフリースクールにいく。これは「価値の制度化」である。本来、学校による強制的な「教育」に対するアンチテーゼを示すのがフリースクールの役割であった。このことは忘れてはならないであろう。

「学校」が駄目だから、「学校」的なものとしてフリースクールにいく。これは結局、「学校」というものに取り憑かれた考え方なのだ。

初期のフリースクールはもっとラディカルであった。国に対し、「子どもの権利」を主張して堂々と「NO!」を突きつけていたのだ。

フリースクールは「学校」がわりに行くものではない。「子どもの幸福のため」に「学校」が機能していないからこそ、「上に任せず、自分たちが教育を行うのだ」という草の根運動の結果できたものであるのだ。

フリースクール創設時の苦闘を、忘れるべきではない。

…あんまりまとまってなくて、ごめんなさい。

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである。

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである


 前に親友のOと話していたとき、ふと「脱学校的な学びの究極は、喫茶店スタイルではないか」と気づいた。まさに早稲田駅前のシャノワールで話していたためでもある。
 答えにはならなくとも、近い回答にはなるであろう。
 前に「勉強カフェ」という喫茶店に行った。渋谷にあるそのカフェは「勉強する」という意思を持った人が多く集まる場所だ。自習室で集中して学ぶことも、自分と同じ資格取得を目指す人たちと交流することもできる。これ、イリッチの言うラーニングウェッブの「仲間探し」という機能そのままではないか。
 以前、私は「ラーニングウェッブは現在のブログ空間のことでないか」という雑文を書いた。そこには実は大きな限界があった。ブログでは物理的に会って学ぶということが起きにくい。また、検索によってそのブログを知るために《全く興味がない人》が意図せずに見る、ということも起きにくい。内田樹は〈ひとは「これを学びたい」と思わないことを学ぶことがある〉などと書いているが、本来人は「何を学ぶか」を説明することはできないものなのだ。
 
 喫茶店に、新たな学びの可能性がある。喫茶店のテーブルから周囲を見ると、一人雑誌を読む人・書物と格闘する人・雑談を楽しむ人・目を閉じて瞑想にふける人(単に寝ているだけだが・・・)など、様々な人が眼に入る。「何をしてもいい」「学ばなくてもいい」のが喫茶店なのだ。学校なら「これをしなさい」と言われる。フリースクールは確かに喫茶店に近いが、「ふらっと、全く契約していない人が来る」ことはない。それに来るのは子どもばかりである。
 喫茶店には「アジール」という働きもある。日常に疲れた人々がやってくる「逃れの街」である。よく「子どもの居場所」を自認するフリースクールがあるが、喫茶店は子どもを含めた「現代人の居場所」であるかもしれない。

 脱学校的学びの究極は、喫茶店スタイルかもしれない。
 どうせなら、フリースクール的要素を満載した喫茶店もあってもいいのではないか。
 
 「そんな喫茶店を、自分がやってみたい」という声が、内面から響いてきた。


追記
 喫茶店の名前はどうするか? 色々考えた。そんなとき私の口癖の「フラッと」「サラッと」と言う言葉を思い起こす。
 結果的に「フラット」という名前がいいのではないか、と考える。

追記2
 フリースクール情報のセンターとして、地域の「学び場」「居場所」「フリースクール」「親の会」「フリースペース」をつなぐ存在にしたいとおもう。なかなか、こういった情報は一般から手に入れにくい。
 また、学んでいる子には「学び方のコツ」や各教科の知識を「求められる限りにおいて」、伝える場所にしたい。
 様々な実践ができるよう、体育館のように「ものすごく広い空間」にしたい。

「教育」なんて、要らない。~「渇きによる学び」考~

16年間の「学校」教育。

 気づけば、私も大学生になっていた。早いものでもう4年目である。ここまで、義務教育9年+高校3年+大学4年=16年間も、「学校」で教育を受けてきたことになる。長いものだ。

ところで、「学校」で学んできたものの総量と、「学校」外で学んできたものの総量とでは、どちらが多いだろうか。学校制度は「教育」政策の根幹をなすものである。本来は学校という場において「学ぶ」という作業は行われているはず。しかし私は日本語運用能力も、コミュニケーションの技術も学校の外でほとんどを学んできた記憶がある。学術的知識という、学校が本来担っている部分ですら、大部分は自分で本を読んで学んだことだ。

では、学校という存在は本当に役立っているといえるのか? 学校は何のためにあるのか。

寺子屋をつぶして、「学校」へ。

江戸時代の日本には寺子屋という教育機関があった。人口4000万人の時代に、約2万校存在したとされる。これは江戸幕府や藩が設立したのではない。自然発生的に、民間の有志が作ったものである。

この寺子屋では「子どものため」の教育が行われていた。社会で生きるのに必要な「読み・書き・そろばん」の技術を習得する場所であった。必要がなくなればいつでも卒業できた。学習内容も、子どもとその親の要望によって変わった。大工の子どもには「大工往来」という、大工になるのに必要な知識を詰め込んだ教科書が使われた。商人の子にも、やはりそれに応じた教材が使われていた。現存するだけでも、寺子屋で使われた教科書は1万種類を超えている。寺子屋では子どもの要望に対応した教育が行われていたのである。おまけに、寺子屋は必要ないと判断すれば、「行かない」ことすら選択できたのである。

先ほど、「学校は何のためにあるのか」という疑問を述べた。教育学的に見ると、「学校」の使命は単純明快。それは「国民」の形成である。

江戸時代が終わったとき、日本にいわゆる「日本人」はいなかった。何故か? 全国各地がいくつもの国に分かれていたからである。当時日本は大小多くの藩にわかれており、それが国としての役割を果たしていた。そして薩摩の国・長州の国など、それぞれの国を大名が治め、その大名を江戸幕府が統括していたのだ(故郷を聞く際、「クニはどこだ?」と言うのはその名残である)。薩摩の国に住む人は、自分のことを「日本人」と捉えず「薩摩の国に住む者だ」と認識していた。

それぞれの国どうしは話す言葉もちがっており、方言は相互に理解不能なほど複雑なものだった。参勤交代で江戸に来た大名たちも、お互いの意思疎通には筆談を使っていたといわれている。

要するに、明治時代に入るまで日本には「日本人」はいなかったのである。これでは明治政府は困ってしまう。「日本」という抽象的概念の元に国をまとめなければ、国内が混乱してしまう。前近代であった江戸時代、たくさんの国に分かれていたことはすでに述べた。国自体がバラバラであったわけだ。国内がバラバラであれば、その混乱に乗じて外国が日本を攻めてくる可能性がある。すでに同時代のアジアでは欧米諸国によるアジア侵略が始まりつつあった。「日本も欧米に侵略されるかもしれない」。こんな危機感が政府の中にあった。そのため、「日本人」という認識を人々にもたせ、国民の精神の統一を図ろうとしたのである。

そこで明治政府は2つのものを利用した。それは「学校」と天皇である。

全国各地に昔からあった寺子屋を廃止し、「学校」をつくる。「学校」では方言ではない標準語で授業をした。「日本人」という意識を持たせるため、日本史や日本の地理の学習をさせた。同時にトドメとして、天皇を用いた。〈日本国民は天皇の赤子である〉という教育を行い、精神的な意味での「日本人」意識を持たせたのである。

つまり、「学校」なんてものは本来、私たち個々の人間のために作られたのではなかったのだ。国家のために働く「日本人」を育成するためだけに、「学校」がつくられた。その証拠に、「学校」をつくるとき、明治政府はわざわざ寺子屋をつぶしてしまった。

「子どものため」に作られた寺子屋を壊すところから始まった、明治の「学校」教育。現在もまだ、明治の制度を引きずっている。

ここら辺で、一度「本当に《学校》教育は必要なのであろうか」と、探ってみることも必要なのではないだろうか。

強制的・制度的な勉強は有効か? Hさんの事例より。

 

私の友人に、Hさんがいる。現在20歳の彼は小学1年のときに不登校になり、13歳くらいからフリースクールに通うようになったそうである。なお、フリースクールというものは日本では「不登校の子のための学び舎」という意味が一般的だ。無理に子どもを勉強させるのではなく、自由に過ごすことのできる場所。いつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。来ないという選択肢もある。カリキュラムは一応決まってはいるが、基本的には子どもがやりたいと思うことを自由に行えるところだ。以前私が「東京シューレ」というフリースクールに見学に行った際、6歳の子どもと16歳の子どもが一緒にテレビゲームに興じていた。キャッチボールをしている子どもも、『名探偵コナン』を読んでいる子どももいた。

Hさんは「東京シューレ」に、8年間通った。今年の春にシューレを辞め、会社で働きはじめた。彼は18歳まで、文字を読むことができても、ひらがなを書くことができなかったとそうだ。いまでは習得し、書けるようになった。会社でも普通に文字を書いて働いている。

Hさんの話を居酒屋で聞いていて、自分の「教育」に対する思い込みが晴れていくように思えた。今まで私は「文字の読み書きくらいは、無理やりでも子どもに学ばせなければならない」と考えていた。そうしなければ、個人の不利益になるからだ。けれどHさんの話を聞いて以来、「無理やりでも学ばせる」ということの必要性を疑うようになる。話を聞いていて、思わず焼き鳥の串を落としていた。

 現状の教育制度ではHさんのような存在が「あってはならない」ものだと考えられている。文字の読み書きが出来ないと、人は不幸になる。だから、無理やりでも教えなければならない。普通はこう考えられている。けれど、本当にそうだろうか。彼は「ひらがなを長い間書けなかったけど、そんなに困らなかったよ」と語っていた。「無理やりでも学ばせないといけない」と教育関係者は躍起になっているが、案外Hさんの言うようなものかもしれない。

 パウロ・フレイレというブラジルの教育運動家がいる。フレイレは学校廃止を主張した人物だ。その理由として「何年もの長期にわたって厖大な公費を投じてなされる公教育による教育的な結果は、ほんの六週間程度の成人識字教育によって充分はたしうる」(山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』174175頁)からであると説明した。いつ文字を学ぶかということも、本人の自由で決めていいのではないか、とHさんの話から思うようになった。

 冒頭に、寺子屋の話を書いた。寺子屋は文字の読み書きと、そろばんの技術を学ぶところであるが、「行かない」という選択肢もあった。「学びたくない」と思えば、学ばずにいることもできた。その点が明治期以降の「学校」との違いだ。「学校」は《日本人としての一体性を持たせないといけない》という強迫観念に駆られているため、「無理やりでも学ばせよう」とする。Hさんはそんな学校のあり方に愛想を尽かしたわけだ。代わりにフリースクールで自分の興味に基づいて過ごすうちに、自主的判断から平仮名を学ぶようになった。

「渇き」による学びの重要性

 こんな文章がある。

 喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
 水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
 乾きこそ、モチベーションの源泉です。
 他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
 生きていれば、必ず渇くときがあります。
 他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(
宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』幻冬社、2009年、67頁)

 フリースクール[1]では、子どもを無理に学ばせようとはしない。

フリースクールは「子ども中心の教育」が行われているところだ。子どもはいつ来てもいいし、いつ帰ってもいい。休むのも自由であれば、何をするのも自由である。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間はかかるかもしれないが、宋の文章でいう「渇き」が起こるのだろう。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。

 日本初のフリースクールを設立した奥地圭子の著書に、『不登校という生き方』がある。この本の中に「進学先を選択する」という項目がある。フリースクールに通う子どもたちのうち、高校・大学への進学を希望する子どもについて書いているところである。奥地は「志望した人のかなりが高校や大学に受かっています。そしてどうやらついていけるようです。もちろん、受験をすると決めたら、少しは、または熱心に本人が勉強しています。しかし、学校に行っていた子と比べ、圧倒的に勉強量の差はある。それでも合格するし、ついていける」(『不登校という生き方』127頁)と述べている。その理由は何であろうか。

 これは、「ヒロベン」(広い勉強のこと)をしているからです。何をしていても広い意味で勉強になっています。テレビ、本、マンガ、新聞、ゲームなどでも、知識、認識は広がっています。そういった土台があり、必要な時に勉強をやれば身につくのだと思います。予備校に行く、学習塾に行く、家庭教師に来てもらうなどの方法を取った人もいるし、一人で勉強して合格した人もいます。

 ポイントは、本当に進学したいのかどうか、ということでしょう。入りたい目的がはっきりしていることも重要です。やりたいことには、自然にエネルギーが出るからうまくいきます。実際、わが家でも、東京シューレでも、それほど長い期間ではないですが、猛烈に勉強に取り組む姿をみました。感心したのですが、何のことはない、それまでのいっぱい休息し、遊び、充電している子が不登校には多いですから、いざ、本気でやろうという時には、すごいエネルギーが出るわけです。(『不登校という生き方』127128頁)


 宮台真司の描く自伝的エッセイの中にも、こんな話がある。高校三年生までは遊んでいた生徒の方が受験の直前になると、ずっとコツコツ勉強していた生徒の成績を抜くという話だ(『日本の難点』)。皆さんのまわりでも、そのような例があったのではないだろうか。

重要なのは学ぶ気がないとき(「渇き」がないとき)は無理して学ばせないことである。だからこそ真に水を欲した際(学ぶ気力が湧いてきたとき)、「すごいエネルギーが出る」ことになるのであろう。

さきほどのHさんにしても、「無理やりでも学ばせる」という「学校」のあり方を嫌い、不登校になっていた。Hさんが18歳になってから平仮名を勉強したということも、「渇きによる学び」が発動したからこそ成功したのだろう。それ以前のマンガやゲームといった「ヒロベン」が、「渇きによる学び」が起きた際、有効に機能し始めるのである。

 強制的に「学ばせよう」とすることに、それほど意義はないのではないか。それこそ、「無理やりにでも学ばせよう」というのが「学校」の「教育」なら、そんな「教育」なんて無くなってもいいのではないか。「渇きによる学び」さえあれば、「教育」なんてなくてもいいのではないか。

 最近の私は、こんな風に思うのである。

参考文献

イリッチ『脱学校の社会』

奥地圭子『不登校という生き方』

宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』

ダニエル・グリーンバーグ『「超」学校』

林隆造『教育なんていらない』

宮台真司『日本の難点』

山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』

山本哲士『教育の政治 子どもの国家』


[1] 日本における「フリースクール」は、主として「不登校の子がいくところ」という認識である。けれど、本来的には「子ども中心の教育」が行われているところ、という意義がフリースクールにはある。強制的に学習させる「学校」ではなく、「自由」に過ごすところであるからこそ「フリースクール」なのである。「フリースクール」の実際例として、1985年に奥地圭子が作った「東京シューレ」やアメリカの「サドベリーバレースクール」などがあげられる。

吉本隆明・山本哲士『教育 学校 思想』より。

山本の言う、「教育」の4つの機能。確かライマーも言っていたような気がする。

もともと教育は学校以外の場所で実際に多様におこなわれていたんじゃないか。その場合の教育は、いわゆる文化の伝達であったり、知識の伝達であったり、父親、母親の生活や知恵の伝達とかさまざまな形があったとおもうんです。そこへ教育という文字どおり諸個人の潜在的な能力をひきだす機能と、教化(教え込む)という機能と、社会的に人間を選択、選抜していく機能と、もう一つは子どもの世話をするという、四つの機能、この機能は近代的な組みたてをこうむった機能なのですが、それを学校が集中化して、中央集権的な学校の制度をつくり出していったといえるわけです。(7頁 山本の発言)
 どうでもいいが、この本の編集者は句点(、)だけでなくナカグロ(・)も活用したほうがよいと思う。読みづらくて仕方ない。詳しくは『日本語の作文技術』(本多勝一)を参照。
続いて、吉本の発言。
人間が獲得している現在のもっとも高い水準まで知識を獲得していかせようという衝動、学校というものの衝動の在り方として、詰め込んでいったと仮定すれば、イリイチがストップをかけている標識があると、山本さんの本を読んでぼくは理解したんです。知識を詰め込む教育自体がやっていることが、どんどん詰め込んでいったら、その生徒の五〇%以上がそれにくっついていけなくなったときには、それはやめなければいけないといっていると受けとったんです。そこらのところが感心したところなんですね。(64頁 吉本の発言)
 ベネッセの第4回学習基本調査・速報(実施2006年)によれば、高校生の「数学」内容を「ほとんどわかっている」「70%くらいわかっている」と答える生徒は3割程度。細かく言えば、1990年の第1回調査から一貫して30%台である(微増はしているが)。詳細はhttps://benesse.jp/berd/center/open/report/gakukihon4/sokuho/soku_2_01.htmlを参照。
 もっとも、この調査では「そもそも、各教科が『わかる』とはどのレベルの話か」は見えてこない。数学でいえば数研出版の青チャート(『基礎からの数学』)の例題が解けるレベルなのか、それとも公式を暗記する程度のレベルなのか。「そもそも論」になるが、ベネッセの調査も吉本隆明の発言も、「各教科が『わかる』とはどういうことか」との確認が必要になるであろう。
再び、吉本。

ぼくはたいへん感動して(注 山本の本を)読んだんですが、明日の社会のため、国家のために子どもをどうするのかとか、どうしたら子どもはよくなるのかといったことを主張する教師、教育者などはいなくなったほうがいいんだ。そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだといわれていますね。そこでいわれている山本さんの主張は、おしつめていきますと、学校というのは消滅すべきものだ、あるいは、教育ということ自体が消滅すべきものだということが含まれているようにおもえたんです。(76頁 吉本の発言)

「明日の社会」や「国家」のために、教育をいじろうとする。その取り組みは、子ども個人への身勝手な要望といえるのではないか。
最後に山本。

たとえばイリイチによる学校化批判の攻撃をうけたあと、学校を制度的に変えようという三つの流れがあるといわれます。一つは、学校化をそのままにして再編・改革しようというリスクーリング(reschooling)、第二は、以前からあるフリースクーリング(free-schooling)。学校化の枠の外で、子どもを自由に育くむ場をつくってあげようという自由学校などです。そして第三は、学校をなくそうとしうディスクーリング(deschooling)です。(185頁 山本の発言)

貨幣説

 私は高校途中から、学校の持つ気持ち悪さを感じるようになった。そして、それを突き詰めていきたいと思うようになった。無意識的に大学の教育学部を受験したのも、そのためであろう。もともと私は法学部に行く予定で、教育学部には全く行く気がなかったのだから。
 私は学校に気持ち悪さを感じているが、周りに聞いてみると「学校を楽しいと思っている人もいる」事実に気づいた。この人たちは学校の「気持ち悪さ」「不愉快さ」を貨幣として扱っているのではないだろうか。
 「学校が楽しい」という人も、どこかで学校的あり方に気持ちの悪さを感じているはずだ。けれど、「友人と遊ぶためには、しかたない」と考えているのではないか。学校のもつ楽しさを享受するためには、「気持ちの悪さ」の代償も味わわないといけない。
 私はよくラーメン屋に行く。人気店は何十分と並んで待たないといけない。外は暑いし、腹も減る。でも、その「不愉快さ」を支払うことで、ラーメンの味を楽しめるのだ。「学校が楽しい」という人も、このラーメン屋と同じではないだろうか。

 吉本隆明は山本哲士との対談『教育 学校 思想』(日本エディタースクール出版部)において、次のように語っている。

小学校でも、学校は何が面白かったかといえば、そのなかでクラスメイトと遊ぶ遊び時間が面白かった。友達と遊ぶとか、いたずらするとかいうこと。授業時間はいつだって、きつい、かた苦しい、重苦しいという感じがあって、授業時間以外の休み時間とか、昼休みとか、放課後とかいうことで、友達と遊ぶ。学校で遊び切れないときは、それを家へもって帰って、近所までもち越して遊ぶ、それがぼくの学校のイメージなんです。(5頁)

 社会学者の上野千鶴子は、〈学校化社会は,誰も幸せにしない制度といえます〉(『サヨナラ、学校化社会』)と語る。学校が「楽しい」といっている人間も、結局は何らかの形で「気持ち悪さ」を感じているのではないか。それでは、学校は一体何のために存在していると言えるのであろうか?
 イリッチが数ある文献で訴えていたのは、文明が「制度」に頼ったものになっていく危険性であった。この「制度」は「専門家依存」ということでもある。「学校」も一つの制度であると相対化していく視点が必要であろう。

 1980年代に、数学者・森毅はこんなエッセイを書いていた。それは塾が自らの独自性を訴え、塾が学校と子どもを奪いあうようになる社会が必要だ、という内容のものである。のちに「不登校新聞」のインタビューに出ることになる森は、当時フリースクールの存在を知らなかったからこそ「塾」と書いていたのであろう。ここでいう「塾」を「フリースクール」として見るならば、時代が段々と森の訴えに近づいているように思える。
 教育という存在が、「学校」という制度に押し込まれたあり方を、変えていく必要があると思える。