自己洞察

若さをどう見るか?

最近、年齢や「若さ」について、気になること・感じることが多い。

いくつか羅列してみる。

images

(1)教員と「若さ」

教員は「若い」とわりと人気を得られる。

それを、大学でも聞いたし、大学院でも聞いたし、就職した学校でも聞いた。

だからこそ、「若さ」以外の武器を「若さ」のある間に学んでおかないと、「なんにもできない」教員になってしまう。

しみじみ、実感する。

(2)本の筆者と「若さ」

最近、無意識に、読む本の著者の年齢を気にしている。

『だから日本はズレている』の古市憲寿さんは85年生まれ、『新世代努力論』のイケダハヤトさんは86年生まれ。

『ネットが味方になるWebマーケティングの授業』の伊藤新之介さんは88年生まれ。

88年(早生まれ)の私としては、「年上」の作者は素直に読める。

しかし、年下の作者を素直に読めるかというと、はなはだ疑問がある。

9k=

(3)名作と「若さ」

ある人が言っていたが、歳を取ると「名作」と言われる小説を読めなくなるのには理由があるという。

それは「主人公の年齢を上回ってしまう」ことによる。

ドストエフスキーの『罪と罰』。

主人公ラスコーリニコフは20代。

夏目漱石の『三四郎』。

大学1年生の主人公は23歳(そういう時代です)。

小説を読むとき、「年下の活躍」を見ることになる。

それを楽しく見れるようになるには人生への「達観」が必要なように思う。

大学1年生の夏。

テレビで見た甲子園の大会。

「ああ、みんな年下の活躍なんだ」と気づいた。

(結論)

「若さ」や「年齢」をどうみるか。

そのためには人間的成長が必要なように思う。

JCBギフトカード、その傾向と対策。

知り合いからJCBギフトカードをはじめ、商品券をもらった場合。
どのように使うかに、その人の人間性が現れる。

url

だいたいの場合、「特別な買い物」に使用される傾向が強い。

例)「ブランドのバックを買うから、ギフトカードを使おう」
例2)「ギターを買い換えるときに使おう」

しかし、あらゆる商品券は一種の「負債」である。
もらっても、持っているだけでは1円の価値も発生しない。
使用してはじめて価値が発生する。

似た話は最近のTポイントやPontaカードのポイントにも当てはまる。
ためにためて数百・数千ポイント溜まっていても、使わなければ1円の価値もない。

d49c45ebf96ed46e2ea16e81e6745653f0946ad2.25.2.9.2

結論。

JCBギフトカードこそ、ふだんのスーパーの買い物に使う。
はやく使用し切ることで、その価値が発生する

「贈り物」の「大事」で「貴重」なギフトカードこそ、「普段使い」で「しょうもなく」「ふつうに」使ってしまうほうが、価値的。

人からもらった図書券もギフトカードも、使用しないままタンスに眠ることがある。
現金と違い、預金もできず、ほっておくと使用期限が切れてしまうことがある。

私は、そう思う。

『そんなぼくがすき』考。

(この文章は、タイの卒業旅行中に書いた)

 暑いと、まったくやる気がしない。タオ島の自然は「のんびりやれよ」と言ってくれているようだ。

 何故か昨日から「たま」のいろんな曲が頭の中で再生される。「どうせ歌っても判らないだろう」とタイ人や欧米人の前を通るとき声に出して歌ってもいた。
かなしい夜がすきだから
かなしい朝はきらい
たのしい朝もきらい
そんなぼくがすき
かなしい夜には 腕時計ふたつ買って
右手と左手で 待ちあわせてあそぶ
ネクタイの生えた花壇の前のベンチで待ってるのに
のろまなぼくの左手はひとりお部屋であわててる
 この歌、私の心理描写である。ダメダメな自分。でも「そんなぼくがすき」と自分で言い切る。私もこうして駄文を書き連ねているが、それも「人とぶつかれない」・「深く関われない」という自分だからこそ、書けるものもあるのだと考えている(半分事実で、半分願望)。
 しかし、どこに行っても(タイに行っても)、何をしても、つきまとうのは「私」という自我の問題なのだなあ…。まだ自分と向き合えるだけ、幸せなのかもしれない。
(昨日、私が親と喧嘩したことがないことに気づき、愕然とした。「どうせ、いま怒られてもすぐに東京に戻るし」という親との人間関係の〈あきらめ〉があるようだ)

コーヒーが飲める「異常」性。

 11月8日。早稲田祭が終了した。我がサークルで睡眠時間を削りまくって戦っていた。酒も絶っていた。そんな中、私はコーヒーをやたら飲んでいた。缶コーヒーをひどい日は5缶。あんまり飲まない日でも朝に1本は飲んでいた(ワンダのモーニング・ショットは中毒性がある)。つらくなった時は、喫茶店にいった。「どんなことがあってもコーヒーだけは温かい」という少し前の缶コーヒーのキャッチ・コピーの秀逸性を感じる。

 前回のO先生のゼミでもコーヒーの議論をした。コーヒー豆は中南米や東南アジア、アフリカの一部くらいでしか生産できない。けれども、日本を含めた先進国あちこちに「喫茶店」があり、缶コーヒーが普及している。
 本来、コーヒーは世界中で飲まれるはずがない商品なのだ。一部の地域でしか生産できないからだ。にもかかわらず、世界中で飲まれている。これは文化伝達というよりも、「異常」と見たほうがよいのではないか。
 世界中で同じものが嗜好される。これにはコマーシャリズムの影が見える。
 近年、日本では緑茶の消費量をコーヒーの消費量が上回った。この事実は「コーヒーは万人に愛されている」ということではなく、「人々がコーヒーを好むよう、商業主義がコントロールをしている」と解するべきであろう。
 イリッチは「場所性」を主張する。田舎が都会をまねる必要はないし、都会も田舎をまねる必要はない。それぞれの場所が、それぞれの場所固有の生活・文化を維持していくことが必要なのではないか。イリッチのこの考え方を頭に置いた場合、現在のコーヒー文化のもつ「異常」性が見えてくる気がする。

幕引き

4年間やってきた大学のサークルも、昨日でついに幕となる。早稲田祭企画のあと、終了式→飲み会→高田馬場ロータリーで騒ぐ、という流れを過ごした。このサークル、軽いサークルでは全然なく、話し合いの場で泣き出すものも出てくるほど「熱い」、別の言い方をすれば「恐ろしい」サークルなのである。

何事も、最後までやりきることが必要なのだと実感した。
このサークルで学んだこと。それは「思い」を語ること・「思い」を込めて行動することである。
私は形式的に行動することが多い。サークルのメンバーへの励ましも、企画の準備も、日常の活動も、「やらなきゃいけないから」、型どおりに行っていた。「やっていないじゃないか」と叱られないために。はじめはうまく回っていたが、3年生の途中からつらくなってきた。「やりたくない」という思いが強くなってきた。けれど、「嫌だけれど、やらなきゃな。仕方ない」との意識で行っていた。
 4年生の9月。どうしようもなくなった。全くやる気が起きなくなった。でも、サークルに行かなければ。しんどさが付きまとっていた。
 サークルの話し合いをサボった翌日、尊敬している人からメッセージをもらった。自分に対する期待が感じられた。「もう一度、素直に・謙虚に、やり直すことからはじめよう」と決意した。
 それ以来、叱られたなら素直に聞いて「よし、改善しよう」と努めるようにした。特に意識したのは「絶対に諦めないという執念を持つこと」、それと先ほどの「思いを語る・思いを込めて行動する」ということであった。
 サークルのラスト1ヶ月で、自分の考え方が大きく変わった。
 途中で投げ出さずに済んで、本当によかったと思っている。最後の最後に、私に欠けていた部分を知り、克服のために動くことができたからだ。
 さて。来年このサークルに私はいない。昨日、ロータリーで校歌を歌ったが、そこの一節が非常に胸にしみた。
「集まり散じて/人は変われど/仰ぐは同じき/理想の光/いざ声そろえて/空もとどろに/我らが母校の/名をば讃えん」。
 

誰かへの手紙

 西早稲田のアパートに一人暮らしを始めて、もう4年になる。6畳の空間に、私の身体もすっかり適合してきた。すっかり「自分の城だ」といえるようになってきた。

 最近、クローゼット内のスーツを出そうとしていると、天井部分に隙間があることに気づく。携帯電話ディスプレーの明かりで照らしてみると、なにやら天井を構成するパネルが外れるようであった。

 興味を持った私は、引き出しからLED式の懐中電灯を取り出し、パネルをどけ、天井裏を見てみた。埃や昆虫の死骸の間に、1枚の茶封筒がある。

 埃を吹き払いつつ茶封筒の中を見ると、この部屋のかつての住人が書いたのであろうか、数葉の便箋が入っていた。再び封筒に目をやると、9年前の干支がついた「お年玉つき年賀はがき」の景品切手が貼られている。宛名は書かれていない。

 以下は便箋の全文である。



前略

 俺はこの手紙を出すのかもしれないし、出さないのかもしれない。まあ、届いたならば気休めに読んでもらいたい。君とは長い付き合いだし。

 俺は最近ずっと、「人間とは分かり合えるものなのだろうか」ということを考え続けている。サークル内での話し合いや人間関係が面倒くさすぎるのだ。何故かまわりと理解しあえない。

 知ってると思うけれど、自分は人間関係を構築するのが得意ではない。周りが笑っていて、自分だけが笑っていないとき、どうしようもなくつらい思いがする。

 他者は常に謎として現れる。どんなに理解したと思っても、他者は謎なままだ。「理解した」といっても程度の問題。

 こんなことを書くと、「あなたは不幸な人ですね」といわれるであろう。けれど、それが私の実感だ。 

 前に無性につらいときがあってね。誰かが自分に言った一言が、心の中で何度も響き続けるんだ。歩いていても、自転車に乗っていても、耳の奥で何度も再生されている。自分が今までやってきたことは、全部ムダだったのかな、って思えてきたのよ。

 急いで家に帰り、思わず流しにあった包丁を手に取ったんだ。そしてその包丁の刃先を左手首に押し当て、手前に引いた。包丁、全然研いでなかったからね、ほら、手に輪ゴムを巻いておくと白い後が残るじゃない? あんな感じに手首に白い筋が残ったんだわ。血も何も出ない代わりにね。じっと見ているとその線はゆっくりと消えていった。それを見ているとね、なんと言うのかな、ものすごく泣き叫びたくなったんだわ。ひざを抱えるようにして、そのままカーペットに横になったよ。泣き叫ぶなんて、どれくらいぶりだろうね。しばらく泣き続けていた。

 こんな日に限って、人と会う約束があったんだ。少し落ち着いた後は椅子に座り、ボーっとしていた。涙も乾いた頃、待ち合わせ場所である早稲田駅に向かう。最悪の状態でも、人と話すのっていいもんだね、自分の実存的な寂しさが、人と話している間は忘れてしまえたよ。

 最近、けっこうバイトやなんかを多く入れている。暇な状態でいるのが怖いんだ。忙しくしている間は、自分のことを考えないですむ。それに、何かやっていると少なくとも世の中の役に立っているような気がしてくる。

 今日ツタヤに行ってきて、さだまさしのCDを借りてきた。さだまさしって、けっこういい歌を歌ってるんだよ。思わず何度も聞いてしまったのは「普通の人々」という歌。多分、知らないだろうけどね。

「退屈と言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆く程 暇もない毎日」

 この歌詞、非常に刺さってくるんだわ。暇がありすぎると、自分の孤独や不幸さと向き合ってしまう。多くの人、つまり「普通の人々」は忙しさを武器にこれらと向き合わないようにしているんじゃないか、と思う。でも、さだはこの歌の中で、こういう「普通の人々」の行動では本質的な解決にはならないことを伝えようとしているんだ。

 いま、「孤独死」が増えているって、知っている? マンションとかで一人で誰にも看取られずに死ぬこと。お年寄りだけが対象だと思っていたけど、そうじゃないみたいだね。ものの本によると、孤独死しているのは45から60くらいの男性が多いみたい。奥さんに離婚された後、生きている気力がなくなり、そんなタイミングで病いにかかってしまう。それくらい、「孤独」ってこわいことみたいだね。

 だから仕事で寂しさを紛らわしていることって、なにかの機会で孤独死してしまう可能性があるよね。

 先日、大学1年生のときの友人と会ったよ。俺の酒の量が増えているといっていた。「昔はビールでも赤くなっていたのに、ウイスキーのロックを普通に飲んでいる」とね。そういえば寂しさに任せて、家でけっこう飲むようになっていたな。なんとかしないと、自分も孤独死することになりそうなんだ。アル中で死ぬ人もいるしね。

 さだの「普通の人々」は、次の歌詞で締めくくられてるんだ。

「何も気にする事なんかない なのに何か不安で

 No Message

 寂しいと言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆くほど 孤独でもない

 生きる為の方法は 駅の数程あるんだから

 生きる為の方法は 人の数だけあるんだから」

 さだの音楽を聴いていて、自分の「生きる為の方法」を探すしかない、と思うんだよね。なかなか、難しいことだけれど。

 ちょっと前の話だけど、イベントのビラをもらった際、「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」というフレーズが載っていた。俺の実感と非常にあっているような気がした。 

 中世や前期近代と違い、僕らが生きている近代成熟期、いわゆるポストモダンの時代は「こうすれば生きていける」「こうやれば幸せになれる」という図式が完全になくなっている。何をやってもいい、だけれどもそれで自分が幸せかは別問題。それでいて、まだ社会には前期近代の考え方が残っていて、「そんな生き方、許されると思っているのか」といわれることもかなり多い。「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」ことが、まだまだ難しい。でも、将来的にはそういう生き方をするほうが幸せになれる気がする。

 元の話に戻るけれど、どうせ人間は分かり合えない。それは否定しようのない事実だと思うんだ。けれど、そこで諦めるんじゃなくて、それを乗り越える方法が必要なんだろうね。その方法、俺にはあんまりよくわからないけど。

 いまカーテンを空け、空を見上げてる。隣のアパートの上方には相変わらずの、青い空。秋の澄んだ空に小さな雲が浮かんでいるのを見ると、どことなく壮大な思いがしてくる。

 人間なんて小さな存在だ。話して分かり合えるとか、分かり合えないとか、どうでもいいことのように思えてきた。別に分かり合えなくても、人間どうし、共生することは可能なのではないかと思った。

 こんな駄文を最後まで読んでくれて嬉しいよ。ありがとう。特に伝えたいメッセージがあったわけでもないのに、ごめんね。

                           加山

 平成14112




 手紙の全文をノートパソコンで打ち込むのは面倒であったが、ようやく終わった。加山さんは几帳面な小さな文字で、便箋を埋めていた。私には趣旨の理解できないところもあったが(私はさだをほとんど聴かない)、なぜかしら打っているうちに涙が出てきた。

 加山さんという人は、なぜこんな手紙を書いたのだろうか。封筒に宛名を書かなかったところを見ると、本当は誰かに出すためではなく、自分自身のために書いたのではないだろうか。

 書くことは、しばしば人を救済する。自分自身が自分自身の状況を踏まえた文章を書くことで、問題が解決することがある。ゲーテは自殺しそうなくらい、恋愛で思い悩んだ。小説の主人公に自殺させることで、ゲーテ自身は生き残ることができたのだ。きっと加山さんは自分だけのために、自分が自分のことを整理するためだけにこの手紙を書いたのだ。

 レヴィナスは<時間とは、自分が他者になるプロセス>だといった。過去の自分はいまの自分とは違う。時間が経てば経つほど、自分は他人に近づいていく。物を書くという行為は、未来の自分という「他者」に宛てて書く手紙である。

 映画『ライムライト』において、チャップリンは語る。「時間は最高の芸術家だ。いつも完璧な結論を書く」。小学生のとき観た時はわからなかった言葉だが、いまならば意味がよく理解できる。

 早まった行動をするくらいなら(加山さんは手首を切ろうとしている)、「解決は将来に任せた」と判断留保をするという行動が必要なのではないだろうか。

 大家さんに、自分の前にアパートの201号室を使っていた人のことを尋ねてみた。必ず月末に家賃を納めていて、家にいることが多かった人のようだ。なにやら人間関係で苦しんでいたらしい加山さんは、ずいぶんと真面目な人であったのだ。余談だが、この部屋に入りたての頃、日本経済新聞の集金の人がやってきて危うくお金を払わされそうになったことを思い出す。

 自分に手に入る加山さんの情報はこれが全部だ。アパートの隣の人も、自分が201に入ってから2度代わった。もう誰もアパートのあたりで加山さんを知る人はいない。自分もあと数年後、きっとそうなる。大家さんにも隣の人にも、それほど話をしていない。

 誰も自分の存在を知らなくなった後、将来「ここが自分のアパートだ」と指差したとしても、誰がそれを証明できるのであろう。「私」の絶対性は時の経過とともに薄れていく。いまからそれが怖い。

 人間関係に否定的な加山さんと私とは、かなり価値観が一致している。けれど一つだけ異なる点がある。私は対話による救済を信じているが、加山さんはその道を否定し、自己自らの力だけでの救済を願っているのである。「他人に頼ったら負けだ」との思いが感じられる。

 思うのであるが、加山さんはこの手紙を「君」といっている人に出すべきだったのだ。自己の状況を誰かに伝えた時点で、何らかの解決の糸口が見つかったはずなのだ。それを自分だけで解決しようとしたのが、加山さんの(言いすぎかもしれないが)失敗といえるだろう。

 「どうせ誰もわかってくれない」。そうやって、他者を軽視し、他者へ伝えることを諦めた時点で、加山さんは苦しむ運命にあったのだ。

 以上が私の推理ではあるが、この手紙の主である加山さんと一度会って話をしてみたいと思っている。会ったからどうなるわけでもないが、ひょっとすると加山さんの救いになるかもしれないと思うのである。

 自分が加山さんの状況に陥ったら、どうするであろうか。「君」へ手紙を書き、それを屋根裏に隠すだろうか。書き終えてしまうと、こんな手紙、手元においておくのがつらくなる。茶封筒の色が視野に入るたびに、嫌な記憶が呼び戻される。それに、部屋においておくと誰かが勝手に見てしまうかもしれない。やはり保存するなら屋根裏になってしまう。

 それでも自分なら、「君」に可能性を託して手紙を送るだろう。

不幸と愚行権

 生まれたことを「生の躍動」とみるか、「しかたなく、勝手にこの世に放り出される」とみるか。人生観は違ってくるだろう。
 後者の立場には2つがある。「無意味かも知れぬ生を楽しく生きる」というポジティブ思考もあれば、「生は無意味」で止めるネガティブ思考もある。
 残念ながら私は「しかたなく」派で「そこそこ楽しく過ごそう」という考え方なのだ。
 「不幸」といえば、そんなテーマで昨夜後輩のTと語り合った。「愚行権」はどこまで認められるか、というのがテーマである。
 他人に危害を加えない限り、たとえ愚かといわれるようなことをしても、それは個人の自由という考え。それが愚行権。他者に「ほっといてくれ!」という自由権に付随する考え方だ。あえて不幸になるという選択をすることも、「個人の自由」になるのかどうか。
 Tは「それが次の世代にも影響をもたらすなら、愚行権の範囲内とはいえなくなる」ということを主張。私は「その判断は恣意的なものになりやすい」ということを述べる。続けて「正しい/正しくないという区別は現代において行うことができない。人から不幸といわれるような生き方をするのも個人の自由だ」と語った。
 Tとの結論として<アダルトチルドレンなどは次の世代にも影響するから、「アダルトチルドレンのままで生きる」ということを愚行権の範囲内に入れることはできず、何らかの形で治療が必要だろう>と纏まった。けれど「治療」を行うとき、行政権力が個人の自由を半ば侵害する形で介入してくることになる。行政側が「この人は治療が必要だ」という判断を決めるようになると、無意味な人権侵害が増えることになるのではないか、という問題点も出てきた。
 ともあれ、個人の生き方に他者はなるべく口出しをしないほうがいいというのは事実であろう。個人の選択により「不幸な生き方」「面倒な生き方」「つらい生き方」をするのも、認めていくべきであろう。あくまで「本人が望むなら」という留保がつくのではあるが。
さだまさしの「普通の人々」という曲を思い出す。
退屈と言える程 幸せじゃないけれど
不幸だと嘆く程 暇もない毎日
(・・・)
寂しいと言える程 幸せじゃないけれど
不幸だと嘆く程 孤独でもない
生きる為の方法(やりかた)は 駅の数程あるんだから
生きる為の方法(やりかた)は 人の数だけあるんだから
 「生きる為の方法」は人それぞれ。それがリベラリズムの考え方である。

幸せになれないのも芸のうち。

 古来より芸術は「ハッピーな人」によって担われてきたわけではない。むしろ逆である。「アヴァンギャルド」とはいい言葉であるが、周囲より「変人」・「風変わり」・「可哀想」と思われてきた側面が強い。今でさえ、アヴァンギャルドつまり前衛芸術家は「アンタたち、そんな変な絵を描いてて何が楽しいの?」という視点に絶えず晒されている。一昔前のアングラ演劇も、全く差別されない芸術だった、といえば嘘になる。
 現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。

 ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
 幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
 ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
 ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
 
 ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
 
 幸せになれないのも芸のうち。
 組織に馴染めないのも一種の才能。

 私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。

 しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。

決意と持続の関係性。

 サークルで、なかなか青っぽい話をした。いま早稲田にいる意味は何か? 自分は将来、どのように生きていくことが正しいのか? なにを今決意して、社会に出るべきか?

 「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
 
 一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
 まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。

 決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
 
 決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
 挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
 学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。

 ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。

 重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
 「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。

 無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
 先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。

「学校化」された私。

 何故だろうか。

 どんなに努力をしても、どんなに「考え方を変えよう」と意識しても、自分の学歴主義を打ち消すことができない。

 今日も、本屋で『東大式 絶対情報学』との本を無意識で購入していた。「東大」という言葉に、まだ体が反応してしまう。

 早稲田大学生は、「東大を諦めた」組が多い。「負け組」認識をもっている側面もある。だから無意識のうちに、「東大」の名に反応してしまう。

 フリースクールやオルタナティブスクールに心惹かれながらも、「東大」というブランド・学歴信仰から逃れられていないのが私である。

 社会学者・宮台真司の「学校化」定義。《家や地域までもが学校的価値で一元化されることを私は「学校化」と呼びます》(『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』281頁)。私の頭の中も、「学校化」されてしまっている。

 卒業論文を書く段になって、自分がいかに「学校化」された存在であるか、実感するようになった。
 
 中学では、私は「優等生」であった。優等生特有の「優等生シンドローム」も発症していた。教員の質問に、真っ先に答える能力。言われたことを、疑わずに実行する力。
 高校に入って、状況が変わる。周りは自分以上の優等生ばかり。中学と同じやり方では太刀打ちできない。私は、中学のとき以上に「優等生」になろうと決意した。
 わが母校では勉強ができること以上に、高校の創立の精神を求めていることが重要視されていた。今の時代、珍しい学校である。校歌を歌い、「真の学園生とはどのような生徒か」真剣に語り合う。無理をしてでも、学問と「精神面」を鍛えようと決意した。「俺はすごいんだ!」と言いたくて、生徒会にも入った。翌年には生徒会長に。けれど、母校では生徒会長の権限は行事の実行委員会よりも小さく、意気消沈。「何のために生徒会はあるのだッ!」と、埃っぽい生徒会室で泣き叫んだ日々もあった。 
 生徒会での自己実現を諦め、受験勉強で「俺は勝った!」と言おうと思い立つ。ちょうどその頃、クラスから見放される事件が起こり、ますます受験に専念した。休み時間は耳栓を付けた。昼食は一人で菓子パンをかじった。他者と折り合わないために。けれど、受験は第五志望にしか受からなかった。
 結局、私は「優等生」になることが出来なかった。中学以来の「優等生気質」はありながら、「優等生」にはなれない。悔しさと、惨めさ。高校の卒業文集に映った顔写真。私だけが笑っていない。
 結果的に悟ったのは、人と比べてもどうにもならないということ。けれど、「人と比べる」ことを私の身体に刻み込んだのは、学校ではなかったか。学校のシステム自体が、人と比べることを要求している。私はそのシステムに、すっかり「学校化」されてしまった。今もこの傾向は残っている。「東大」という言葉への、無意識的反応がそれである。

 ひょっとすると、私がフリースクールや脱学校論に関心を持つのも、「学校化」の成せる技ではないだろうか? つまり、東大に行けなかったという私のルサンチマン(恨み)が、学歴主義に反するフリースクールに心惹かれるきっかけとなっているのではないか、と思うのである。

 ただ、自分がいかに「学校化」された存在であるか、気づけたことだけでも、大学に行った意味があったように思う。早稲田の教育学部に行かなければ(もっといえば、脱学校論についてをK先生の授業で聴かなければ)、このことを自己認識することはなかったであろう。
 人生は、誠に奇妙なことである。第一志望に行くことだけが、幸福なのではない。私にとって、早稲田の教育学部は第五志望。夏に諦めた東大を入れるなら、実に第六志望となる。

 …自称「三流エリート」、石田一のモノローグでした。
 

*宮台真司『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』朝日文庫、2002年。