きょう、ブログで取り上げた山納洋さんの『カフェという場のつくり方』。
(参考:「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜)
そこに書ききれないくらい、この本は得るものが多い本、でした。
その中で気になったのがカフェに「サヨナラ」する日と、
カフェを新たに始める日についての記述です。
まずはカフェに「サヨナラ」する日について。
アメリカの文豪・ヘミングウェイ。
「老人と海」「武器よさらば」の著者と聴くと、
「ああ!」と気づく人も多いかもしれません。
ヘミングウェイは売出し中の若手時代、
カフェでチャンスをつかみました。
ですが後年はカフェの「悪徳」に気付き、
カフェに「サヨナラ」しているのです。
パリに着いたなかりの頃、ヘミングウェイは先輩の助言を受け入れ、文学界で最も重要な人物たちを探して歩きました。そしてカフェに集っていた作家や編集者たちと出会い、語らう日々を送ります。こうしたカフェでの出会いから、彼は雑誌で作品を発表する機会を得ていきましたが、やがて彼はカフェに集う人々の中に”悪徳と集団の本能”を見て取るようになり、名声を得てからはこうしたカフェ的生活から距離を置くようになっています。(173-174)
口悪くいうと、「だから悩みを相談する人がいなくなって自殺したんだ!」という人も居るかもしれませんが・・・。
さてここから著者の山納さんは、
カフェという場には、人それぞ卒業するタイミングがるという事実を示しているように思えます(175)
とまとめます。
一方、カフェを新たに始める日についても書いています。
「カフェをはじめる!」だけでなく、
「カフェで自分の学びを伝える!」
「カフェでイベントをする!」ということもあてはまります。
例として、フランスの哲学者マルク・ソーテを例に挙げます。
フランスのパリ政治学院哲学教授の職を捨て、
日常生活を哲学で考える「哲学カフェ」を始めた人物です。
つまり、ソーテにとってのカフェとは、仕事や立身出世の機会を得る「インプットの場」ではなく、今まで培ってきたものを発信するための「アウトプットの場」だったのです。(176)
そのことを受け、著者はこう綴ります。
人生においていろんなことを経験し、自分の果たすべき役割を見極め、その先に社会や人と関わることのできる場所を求めて、カフェを志向するようになる。こういう人はもはや、大きな心の揺れに翻弄されることはないでしょうし、より多くをお客さんに与えることのできる存在になっているでしょう。そしてそういう場が増えることは、地域社会の活性化にも繋がるのではないかと思います。(176)
これ、実は怖い指摘です。
「自己肯定」「自己承認」されたいから
「お店を始める」という「シーズ発想」の人に、
カフェは合わない、という残酷な指摘でも在るのです。
だからこそ、人生の一時期にバランス良くカフェと関わることができる方法も、今の時代に必要なのではないかと思っています。
例えば、3年から5年の間だけ、多額の投資をすることなくカフェを開業することができて、辞めるタイミングが訪れた時には、そのお店を次の人に引き継ぐことができる、そんなシステムがあれば、カフェを通じて自分の可能性を広げられる人がもっと増えるのでは、と思っています。(176-177)
そうです。
この本、
「カフェ、みんなやろうよ!楽しいよ!」というよりも、
「カフェはキツイよ。でもやりたいなら真剣にやると、道が見えてくるよ!」という激励の書なのです。
実際、カフェはキツイです。
「その先」に輝きが見えてくるものなのです。
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