マレビトとしての転入生(フィールドワークとしての通信制高校)

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私の勤務校は、ありがたいことにイジメが少ない社会となっている。

その理由には「転入生」の存在がある。

 

私の担任する学年は、ほぼ毎月転入生が増えている。

これは社会集団の流動性・異質性をあげるのに役立っている。

 

例えば過度にくっつきすぎた集団に転入生がやってくることで、刺激が与えられる。

特に不登校などを経験した生徒は「ベタベタ」というほどくっついてしまうケースが有る(男女限らず)。

その「ベタベタ」に、「ちょっとツライな」「きついな」というタイミングで転入生という名のマレビトはやってくる。

 

 

転入生が来ると、みな一定期間「よそ行き」の顔になる。

ある意味、人間関係の中和材となっている。

転入生というマレビトの出現は、新たな人間関係の網の目構築に人を向かわせる。

 

 

マレビトは、しかし危うい状態に置かれる。

私の勤務校でも、「あいつら」として転入生が語られるケースを何度も見てきた。

「同質性」「凝集性」の高い集団へ「違和」を与える存在こそ、マレビトである。

 

転入生はチヤホヤされる(=歓待)反面、「自分たちのクラス」に入れられるかどうか、駆け引きがある。

うまく「俺たち」という関係性に入ることが出来れば万々歳、できなければ「前の学校」コミュニティに生き甲斐を感じるしかない。





はっきり言って「転入生」という立ち位置は非常にヴァルネラブルである。

しかしそこを経験することで、マレビト(=転入生)としての人間的成熟もあるのであろう。

 

転入とは圧倒的アウェイに立たされた側の立場である。

転入生としてうまく立ちまわる力を身につけるのは、「アウェイに負けない」心理を学ぶことにほかならない。

 

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