2012年 5月 の投稿一覧

佐谷恭・中谷健一・藤木穣『つながりの仕事術 「コワーキング」を始めよう』(2012年・洋泉社)

仕事に就く前、私は大学院の学業よりも集中して、
ネコワーキングというコワーキングスペースで
インターンシップを行なっておりました。

挨拶の仕方・
敬語の使い方を始め、
基礎の基礎から教えていただいた場となりました。

(「了解しました」が敬語でないことを
インターンシップではじめて学びました)

いまから思うと、
その空間の中で学んだ「コワーキング」観が、
いまの私の仕事観の原点となっているように思います。

日常的にフリーランスで働いている人と会っており、
フリーランスの醍醐味と大変さを日常的に学ばせていただきました。

また、仕事を自分の会社だけで完結させるのではなく、
いろんな人の知見を元に行なっていくべきであるということを学びました。

参加する人たちが当り前のようにFacebookもTwitterもやっていることが
驚きでした。

なによりも「こんなにモチベーション高く、
社会をよくするために働いている人がいるんだ」という
ことを学ぶ機会となりました。

(ネコワーキングは地域活性化に取り組むNPOの人、
学生・企業が集まります。それが面白い点でした)

仕事をするにあたり、
目の前の仕事を超え、
もっと広い立場から物事を考えてくことの大事さを学ぶ場となりました。

ただ、残念ながらコワーキングスペースでのインターンシップで
学んだことを実践できていない点も多いです。

新人ゆえ、質問の意図を理解できなかったり、
適切な対応をできていなかったりしています。

学んできたことを活かすためにも、
今後ますます職場で努力していきたい、と思います。

全然書評になりませんでしたが、
読んでいてネコワーキングインターンシップ時代を思い起こす
本でした。

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こちらもオススメ!!

私がネコワーキングで学んだこと。

育てるコワーキング札幌(土曜日の札幌カフェ)に、十勝トテッポ工房「ナチュラルチーズケーキ」登場!

【お知らせ】札幌カフェ土曜イベントをみんなで考えよう!

教育キラクガタリ@サッポロ のお知らせ

この度、札幌のBUIE学園前で以下のようなイベントを行おうと思っております。

教育について熱い思いを持っている方、
ぜひご参加くだされば幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・
「日本の教育は、今後どうなっていくのだろう」
「教育を良くするためには、なにが必要なのだろう」

飲み屋でも学校でも、
教育の話は格好のテーマです。

教育については、いろんな考え方があります。

でも、マジメに話す機会って、意外とないんじゃないでしょうか?

今回、教育についてキラクに・マジメに語り合える空間を用意しました。

いろんな人と出会い、
いろんな価値観を聞き、
お酒を飲みながら自由に話す中で、
次代の教育のヒントが見えてくるはずです!

ちなみに申し遅れましたが、私は札幌の
私立通信制高校の教員です。

皆さんから寄せられたコメントをもとに、
まずは私の職場から「改革」を行なっていく予定です。
イベントの中で出た教育のアイデアは、
少なくとも私の学校にはフィードバックされますので、お楽しみに!

…まあ、堅い話は抜きにして、
教育についてキラクに語り合える場にお越しください☆彡

お申込みはこちらからどうぞ!
https://kokucheese.com/event/index/39412/

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【教育キラクガタリ@サッポロ】

【日時】:2012年7月7日(土)20:00-22:00(開場 19:30)

☆日程を変更しました!

【場所】:シェアハウスBUIE学園前B1イベントスペース
(住所 〒062-0903 北海道札幌市豊平区豊平3条8丁目1-28 BUIE学園前B1)
最寄り:地下鉄東豊線 学園前駅

【参加料】:1,000円(税込。入場時にご請求いたします。ワンドリンク無料券+会場利用料です。)

※未成年者の参加の際、飲み物はノンアルコールをご提供します。
未成年者でご参加の場合は入場料のみ500円を頂戴致します。

【イベント概要】:
①フリートークタイム
②ディスカッションのテーマの発表
③無作為にグループを作ってディスカッション
④グループごとに発表
⑤②〜④をもう1セット
⑥フリートークタイム
⑦BUIE説明会&見学会

【主催】:日本ノマド・エジュケーション協会 https://nomad-edu.net

シェアハウス内で授業をしました

私はいまシェアハウスに住んでます。

ここはなかなかいろんなイベントを日常的に行える、
たいへん面白い空間です。

昨日、ふとした思いつきから
「高校でやっている授業を
高校生以外にやると面白いのではないか」
…との思いつきから、
シェアハウス内で社会科の「授業」をやりました。

名付けて、「ジンギスカンからみる北海道の歴史」です!
(別名を「羊をめぐる冒険」としました。分かる人にはわかります)

けっこう、高校生だけを相手に授業していると、
「緊張感」 がなくなってきます。

それはいかに授業が拙くても、
高校生は何も言わないからです。

「相手は教員だから、言っても仕方ない」諦めの思いもありますし、
「別に授業なんてどうでもいいし」という思いもあるでしょう。

どちらにしても、授業の力をあげるには高校生以外の人に
授業をするのが肝要なはずです。

反応はけっこう上々。
「むかし習っていたけど、忘れていた北海道の歴史を学べました」
などなど、ありがたいお言葉を頂戴しました!

「この説明は高校生には難しすぎるのではないでしょうか」など、
たいへん示唆に富む意見ももらえました。

人前で授業を見てもらうことは、
授業の力を上げる上で大切ですね。

あとはいろんな人とつながっていくことも出来ますし。

高校の授業も、きちんとやると社会人をも納得させられるものになる。
そんな知見を学びました。

ともあれ、日曜の夜に時間を割いて下さった
参加者の皆様、ありがとうございました!

ちなみに、参加者の方々と
社会科の授業の後、延々夜中まで
「日本」「近代」「国家」の話で盛り上がりました。
大学院時代に戻ったようで、 個人的にすごく楽しかったです。

【イベント報告】さっぽろ鳥見の会

本日、当初から予定していたとおり、
「さっぽろ鳥見の会」を実施いたしました。

札幌市の円山公園でバードウォッチングをやるイベント。
朝9:00の肌寒い中、集って下さった方々とともに
シジュウカラやゴジュウカラ、コゲラの姿 を見つめました。

ちなみに本州と違い、北海道の小鳥たちは
けっこう近くから観察することが出来ます。

鳥だけではなく、
新緑の森の中を歩くのはいい気分転換になりました。

特に鳥を探しているなか、
野生のシマリスに遭遇したのは、主催者の私自身、感激でした!

講師を努めて下さった佐川さんも
「きょうはいい機会になりました」とのコメントをして下さいました。

「バードウォッチングは、
ゆっくり周りの風景を見ながら
楽しんでやることが大切です」(佐川さん)

少人数で講師と多くコミュニケーションをしながらの
イベントとなりました。

好評だったため、今後の定期開催をぜひやっていきたい、
と考えております。

今回来れなかった方も、ぜひ!

掃除をする意味

掃除をすることの意味について、ここでは考えてみたいと思います。

私はけっこう掃除が好きです。それは掃除はすごく簡単に「達成感」を得られるためです。
「やる」と決め、決められたスペースの掃除に全力をかける。そうするとあっという間に終了します。
掃除は面倒ではありますが、自分が掃除した場所は紛れもなく自分が「仕事」をした場所です。自分の「仕事」が世の中の役立っていることに気づけます。
掃除をすると、自分が気持ちよくなります。居心地がよくなります。自分が気持ちよくなると、周りの人にも気持ちよさが広まります。
掃除をすることで、気づけることも多くあります。

大事なのは漫然と掃除をしないことです。「イヤイヤ」やるよりも、「楽しそうに」掃除をすると、本当に楽しくなってきます。

ちなみに、学校教育の中で「掃除」を行なっているのは、
旧共産圏と仏教文化圏のみだそうです。日本は後者の枠組みに入ります。
掃除における 「修行」を重視するのは、仏教文化が生きているからなのですね。

ヒルティ名言集①

「最上の教育を受けた者でも、それに続いて自己教育をしなければ、ちゃんとした人間にはならない。反対に、最もよくない教育を受けても、そのあと自己教育によって、改善されるものである。どんな教育にもせよ、そのあと自己教育をつづける意欲を疲らせたり鈍らせたりするようなものは、すべて悪い教育である」(ヒルティ『幸福論』第二部 岩波文庫 299頁)

【数学コラム】「記憶」のはなし。

みなさんはこれまで、いろんなことを覚えたり、学んだりしてこられたことと思います。この「ものを覚える」ことについて、近年研究がかなり進むようになってきました。

一つ、私が「面白いなあ」と思うものに、次のものがありました。人間の頭の中にある知識には、「宣言的(せんげんてき)知識(ちしき)」と「手続(てつづ)き的知識(ちしき)」の2つがある、ということです。

質問なのですが、自転車の乗り方を人にどうやったらうまく伝えられるでしょうか? おそらく「サドルに乗って、足を動かして…」くらいしか言えないはずです。はじめて自転車に乗る人は、この説明だけでは運転できません。自転車に乗れるのだから、人に乗り方を説明できるかというとそうではないのです。でも、きちんとした説明をできなかったとしても、現実には自転車に乗れてしまっているのです。

このように「なぜか知らないけど出来る」ような知識の事を「手続き的知識」といいます。流れの中で体が勝手に動くような知識の事です。一方、「1192年に鎌倉幕府ができた」などと説明できてしまう知識の事を「宣言的知識」といいます。「これは~~です!」と宣言できる知識の事なのですね。

今日やったのは、数学の計算に関する公式です。今日の段階だと「この公式をこう使うと…」という「宣言的知識」の段階です。ですが、公式を使った計算を何度となくやっていると、やがて何も考えなくても解けるようになります。「手続き的知識」に変わったわけです。

数学の勉強をしていると、「パッとみただけで解き方がわかる」ようになるときがよくあります。地道に何度も同じ計算を続けると、自分が何も考えなくてもできるようになる、という喜びに出会えるようになるのです。大切なのは反復練習です。野球の素振りと同じことです。

日々の地味な反復練習こそ、自分を成長させるきっかけとなります。これが数学で学べることの一つなのではないでしょうか? 自分でやることこそ、いちばん力になります。

非日常性による教育論。

もしノマド・エジュケーションを一言で表すとするならば、

 

教育の中に「非日常」を入れること

 

と表現できる。

 

教育が「日常」になると、すべてはつまらなくなる。

毎日行く学校、代わり映えのしないクラスメイト、

イラつく教員。

 

学校が「重荷」になるほぼ全ては、

教育的関係が「日常」となることにある。

 

しかし、よく考えれば、

誰かが教員となり、

誰かが生徒となり、

誰かとクラスメイトとして巡りあう事自体、

「奇跡的」なことである。

 

人と人との出会いは奇跡なのだ。

偶然性以外の何ものでもない。

 

これは「よい」人間関係のみならず、

「つらい」人間関係でも、

「しんどい」人間関係でも当てはまる。

 

誰かと「教員」「生徒」として巡りあうのは、

偶然性なのだ。

 

だからこそ、この偶然性を

「幸運」として感じられるようにしたい。

 

日常化しない教育は、

つねに「奇跡」「偶然」の色合いを帯びる。

 

偶然の出会いが一生を変えることがある。

 

例えば私も、たまたま見学に行ったフリースクールや、

見学に行ったベンチャー企業でスタッフやインターンとして

働く経験があった。

 

それがあるからこそ、いま通信制高校で教員をやっている。

 

このきっかけとなった「出会い」へ、

感謝を常に思っていたい。

 

教育的関係は自明ではない。

意図せざる結果もたらされる、

偶然の産物なのである。

 

だからこそ私は、

教育的関係を「日常」に堕せず、

常に「非日常」の中で築いていきたいと考えている。

 

学ぶのは一人でもできる。

一人のほうが学びやすい。

しかし、人生を変える「出会い」は

一人では起きることは絶対にない。

 

私は「一人」での学びを重視する。

だからこそ、人生を変える「出会い」を

積極的に作って行く。

これこそ私の使命であり、

ノマド・エジュケーションの狙いでもあるのだ。

イリイチ名言集②

私は修得した技能の開放的かつ探求的使用を奨励するような環境の整備を「自由教育」(liberal education)と呼ぶことにする。学校はこの自由教育に関してはさらに効率が悪いのである。その主な理由は学校が義務制であり、学校教育のための学校教育となることである。(…)ちょうど技能を教授することがカリキュラムの束縛から解放されなければならないように、自由教育は学校に通う義務から解放されなければならない。

(『脱学校の社会』)

イリイチ名言集①

学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えること(teaching)はある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。

ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである。(『脱学校の社会』pp.32-33)