人生には解決法なんてない。ただ進んでいくエネルギーがあるばかりだ(サン・テグジュペリ)
2012年 10月 の投稿一覧
「食べリンクin大谷地」、開催しました!
本日、第1回「食べリンクin大谷地」、開催しました!
これは日本ノマド・エジュケーション協会と、
若者協力事業所Link Nextとの共催です!
美味しく食事とお菓子をつまみつつ、
子どもと関わる上での醍醐味と
難しさを交換しあいました。
今回、私・藤本研一とLInk Nextの田中耕平さんとの
「前座トーク」を行いました。
こういう形式のトークイベントをするのは初なので、
なかなか勉強になりました。
次回は今回出た「子どもと関わる上で大切なこと」を、
話し合いたいと思います。
以下が次回詳細です。
多数のご参加、お待ちしております☆彡
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第2回 子ども×教育 タベリバ
【日時】2012年11月25日(日)
13:00-15:00
【場所】札幌市厚別区大谷地東3丁目1ー1シンエー大谷地ビル2階「Link Next」
【参加費】500円
【持ち物】お弁当
https://www.facebook.com/events/506653392679295/?context=create
ノマド・ゲーム考
いつでもゲームをする。
それがノマド・ゲーム。
子どもは電車内で、ちょっとした時間を逃さず、DSやPSPを使う。
社会人よりもよっぽど時間を有効活用している。
ぼーっと電車に乗る人は、大人ほど多い。
子どもは本・雑誌を読む。
マンガを見る。
iPodを聴く。
アニメを見る。
ゲームをする。
社会人よりも、電車時間を価値的に活用している。
そんな子どもに学びたい。
修士論文執筆中の方への「餞(はなむけ)」の言葉
教員をやっていると、ふと1年前まで自分が院生であったことを懐かしく思い出します。
1年前、私は「教採活動」をしながらの修士論文執筆でした。
「教採」、つまり教員採用活動です。
ただ、言うほど「教採」には本腰を入れていませんでしたが…。
私が「教採活動」を始めたのは昨年9月。
8月に「もう研究者になるのは無理だ」という「挫折」をしました。
未だに覚えています。
夜22:00に高田馬場のスターバックスで原稿執筆中、
不意に泣けて泣けて仕方がなくなりました。
「こんな研究も満足にできない」挫折感が、急激に内面から湧いてきたのです。
気持ちを切り替えるために中国にも旅行し、
意味なく熱海の友人の家に遊びに行きました(ごめんね、藪ちゃん)。
最終的に切り替えられたのが、私の場合、教採活動でした。
エントリーシートと履歴書を書きまくり、
学部生時代の「教科教育法」の授業を思い出しつつ模擬授業練習をしました。
(公立はちなみにもう採用はやってません。私立だけ勝負、でした)
でも社会科教員なんて、どこも足りています。
(おそらく)学歴で模擬授業まで進めても、その先は全然進めません。
「不採用」通知に涙しました。
埼玉の本庄にある高校に模擬授業に行く際、
乗る列車を間違え、なぜか宇都宮線の栃木駅を通過したときの衝撃もありました。
完全な遅刻。
「また御縁がありましたら」との携帯電話先の声に失望し、
そのまま東武動物公園でゾウを眺め、すごすご早稲田に戻りました。
なかなか散々です。
でも、その時期から、何故か(むやみに)コワーキングスペースのインターンシップも始めました。
やることが「ぶれて」ます。
でも「ぶれて」いたからこそ、得るものも想定外に大きかったです。
修士論文ごときに「やられ」たくない。
教採ごときに「やられ」たくない。
そんな思いでいっぱいでした。
どこかの時点で、修士論文とは良くも悪くも「出せば」受取ってもらえるもの。
そう開き直りました。
単なる「研究」で出来ないことをやる。
私の場合は「実践」でした。
インターンシップは、格好の舞台となりました。
インターンシップでやったのは、まあ言えば掃除とネコの世話(変わったコワーキングスペースです)。
この2つ、やってみると奥が深いこともそのコワーキングスペースで学びました。
あとは来客してくださる方への挨拶です。
ほかにも各種イベントの開催・裏方(修士論文を書いているのに、年越しパーティーのお手伝いもしていました)。
大学院では絶対経験できない知見を得ることが出来ました。
(この知見が、早稲田大学教育学会主催のセミナーの運営にも活かされました)
色々ありましたが、年末にはいまの職場にも内定が決まりました(札幌とは思いませんでしたが)。
並行して、いろんなセミナーにも行きました。
1月の頭には噂に聞いていたTOSSにも参加、「常連」となりました。
教員としての実践の基本を教えて頂きました。
そして1月第2週に修士論文を提出。
開放感と同時に「ああ、1つ山を超えたな」感でいっぱいになりました。
さて、昨年の9月のはじめごろに私と会った方はご存知と思いますが、
そのころ私は「欝」でした。
大学院の将来の見えなさに憂鬱になっていました。
いろいろ試して気づいたのは、
「自分は不幸だ」と思う隙がないほど、「何か」に取り組むことでした。
自分のことを考えないでいい場合、軽い鬱症状は軽減するように思います。
私の場合、その「何か」が「教採」であり、「インターンシップ」であり、「セミナー」でした。
要は「修士論文」だけをやらなかったことで、
私は「修士論文」を書き上げることが出来たわけです。
諦めて「教採」だけでも、多分、ダメでした。
インターンシップやセミナーまわりもしていたからこそ、
「教採」も決まったのだと思います。
「修士論文」だけに追われていると、やがて修士論文も書けなくなります。
やるべきことが多いと、その合間に「修士論文」を書きたくなります。
不思議ですが、そういうものです。
逆に私の場合、「コワーキングスペース」という「協働の学び」「共同の仕事」を誘発する環境に
インターンシップをしていたことが、修士論文の「オチ」をつけるのに非常に役立ちました。
私の修士論文のタイトルは「通信制大学学生会の持つ機能に関する一考察」です。
サブタイトルは「学生会の学習支援機能とシャドウ・ワーク機能」。
この修士論文はイリイチのシャドウ・ワーク概念を通信制の学習や「共同」の学びに応用した「世界初」の論文です(たぶん)。
共同の学びをすればするほど、逆に学校という「制度」側に絡め取られてしまう、という可能性を示唆した論文です。
この「オチ」は、確か11月、インターンシップ先のコワーキングスペースで夜21:00頃、
掃除をしていた際に思いついたものです。
やはり修士論文だけをやっていると、こういう発想は出なかったんだなあ、と思います(成功しているかは不問に付します)。
「これだけやる」と決めると、人間、案外うまく行かない。
でも、「あれもこれも」やると、案外両方できてしまうものです。
結果的に、「これだけやる」視点では見えない物もみえるものです。
この考え方が、いまの私の原点となっています。
ですから、「修士論文」に苦しんでいる皆さん。
別のこともやってみましょう。
セミナーにも行きましょう。
専門分野ではない勉強会を開きましょう。
博士課程に行かないのならば、修士2年目は「学生」が出来る最後のチャンスです。
どうせなら、「修士論文」も「学生」も、満喫したくありませんか?
私は欲を出して色々やり、結果的に「楽しい」修士2年目後半を送ることが出来ました。
禁欲主義は、よくないです。
それが私の餞の言葉でございます。
「ひとつより、ふたつ。
やるなら思いを込める」。
これで道は拓けるはずです。
新渡戸稲造『武士道と修養』実業之日本社 2012。
「事をなす者、多数の中の有力なものが人の長となり、王となるということになる」(40)
「僕の考えでは、「勝つ」というときは比較的で相手の存在を必要とし、それを打ち倒すことを意味する。一方、「克つ」は絶対的で敵の有無を問わない。むしろ敵の有無は二の次で、自分に敵対する者があればそれを破るが、敵対する者がいなければ、その力を自己の発展、己を磨くことに転用する」(41)
「僕は札幌農学校で教えていたころ、学生が気にさわるようなことをしても決して怒るまいと決心した。そこで教室に入るとき、扉のノブをつかみ、
「生徒は大切である。たとえ無礼なことがあったり気に入らないことがあっても、必ず親切に導かなければならない」と自分に言い聞かせ、なるべく怒らないよう心がけた」(51)
「小さなことに注意を払い、何度も繰り返し反省することで、他日、同じことが起こったときに迷うことがない。日々、己に克つことで、大きなことに身を捧げることができるのだ。英雄豪傑はいざ知らず、凡人は細事を細事とせずに修養するのがよいと思う」(53)
「現在していることが小さなことであっても、大きな理想の一部を実行しているのだ、というところまで考えがいかなければならない」(76)
「社会から外れても、あるいは社会からつまはじきされても、人間として僕は僕だ、というくらいのところまでいけたら、しめたものだと思う。達磨のように蹴とばされても転ばず、人を怨まず天を恨まず、毀誉褒貶など気にかけず、職業はどうあろうと、一個の人間として天を楽しみ地を楽しんで世を渡るなら、実に満足で愉快な人生ではなかろうか。そこまで行くくらいな考えでやったなら、小さな不平などなくなってしまうはずである」(80)
この本を読んで、お茶を習いたくなった。
日本通信教育学会の第60回研究協議会で、発表致します!
私、実はまだ(自称)研究者でもあります。
私立通信制高校の「参与観察者」でもあるわけです。
2012年11月17日(土)、
桜美林大学四谷キャンパス地下ホールで実施されます、
日本通信教育学会第60回研究協議会。
13:30-14:50に、「特別研究発表」として、
わたくし藤本研一が発表させていただけることとなりました。
題して「私立通信制高校のエスノグラフィー」。
指定討論者には、私が修士論文にも引用し、
実践者・研究者として尊敬している方にお引受けいただいております。
この方の御著作の経歴欄を見て、初めて存在を知ったのが
日本通信教育学会であります。
そのため、今回発表できるのはすごく意義深いことですし、
何よりも非常に嬉しいことです。
曲がりなりにも修士論文を書き上げてよかったなあ、
と思う点であります。
通信教育に興味のある方、ぜひ参加費4000円をお支払いの上、
当研究協議会に起こしいただければ幸いです。
人生は「具体的に」でうまくいく!⑨
「未決BOX」を作ると、仕事ははかどる。
仕事をやる際に大切なのは、
「やるべき仕事」を明確にすることです。
「やるべき仕事」が資料に埋没すると、
捜すという手間がかかります。
推理小説において、推理という仕事の前に
資料の捜索が行われます。
シャーロック・ホームズは捜査のために何日も同じ場所を探しまわります。
シャーロック・ホームズでさえ、モノを捜すには時間がかかるのです。
であれば、仕事の際の探し物にも、たくさんの時間がかかっているはずです。
「やるべき仕事」に関するものは、すべて同じ場所に。
野口悠紀雄のいう「ポケット1つ原則」です。
捜す場所を1つにまとめると、結果的に捜す時間が減ります。
よく映画にでてくる「未決箱」は、「やるべき仕事」をおいておくのに便利な場所です。
「やるべき仕事」すべてを入れると、机が広くなります。
広くなると、やるべき仕事に集中できます。
頭がスッキリして、仕事がはかどります。
同じ理由で、私はデスクマットには何も入れず、緑シートにしています。
なぜか? 人間は集中を分散できないからです。
ただでさえ私は集中が分散しがちです。
だからこそ、緑シートのみにしていると、見るべきものが仕事だけになります。
「あれもこれもやらないといけない」状態に、人間は耐えられません。
未決BOXに仕事を入れて、上から順にやっていく。
すると気づけば仕事はおわります。
「具体的に」生きるために…未決BOXに仕事を突っ込んでおく。
人生は「具体的に」でうまくいく!⑧
乱雑さを排すと、仕事がはかどる。
部屋はほっておくと、必ず汚くなります。
これはなぜでしょう?
これは宇宙を作る法則が働いているからです。
それが「エントロピー増大の法則」。
エントロピーとは、要は「乱雑さ」。
きれいなものは必ず崩れていく。
世の中そういうものです。
それをまとめたのがこの法則です。
ほっておくと、必ず乱雑さが上がるのです。
モノでいっぱいの机を見た後、私は
「エントロピーがかなり高いな」と思います。
世の中、ほっておくと、必ず乱雑になる。
これを防ぐのが「掃除」「整理」の力、です。
掃除や整理は、小学校でも学ぶものです。
人によっては幼稚園でも学んでいます。
掃除や整理というのは、エントロピー増大の法則に抗する
人間の「叡智」です。
ほっておくと必ず汚くなる部屋・机に対し、
人間の側の主体が行う「抵抗」なのです。
部屋を掃除するとすっきりするのは、
宇宙を支配する「エントロピー増大の法則」に対し、
人間の努力が打ち勝ったからなのです。
いわば世界と戦う行為が掃除なのです。
仕事の際、「掃除」「整理」が大切だ、とよく言われます。
本当に大切なのは宇宙を支配する法則と戦い、「勝った」と言う事実を
たくさん残していくことです。
掃除をすると気持ちがいい。
それはエントロピー増大の法則に「勝利した」からです。
「勝利した」からこそ、仕事も達成感を持って行えます。
エントロピー増大の法則に打ち勝ち、すっきりするからこそ、
やるべき仕事が明確化するのです。
仕事の前に、まずは机の整理。
そうやってエントロピー増大の法則に打ち勝ってから、
具体的に仕事を進めていきましょう。
「具体的に」生きるために…掃除をやってエントロピー増大の法則に打ち勝とう。
☆エントロピー増大の法則が宇宙を支配する、というのは
ビックバンの後宇宙が広がっているということも、
山が川の浸食作用で崩れていくということも、
太陽がいつか爆発するということも、
すべてにかかわっている法則だからで
日本の人口統計を見てみよう。
日本の人口。
ざっと1億2000万人。
でも、案外日本の人口は少なかったのです。
鎌倉幕府成立時(1192) 696万人。
室町幕府成立時(1334) 818万人。
このころ、いまの東京都よりも人口が少なかったのですね。
江戸幕府成立(1603) 1227万人。
日露戦争(1904) 4780万人。
人口ピーク2004年1億2779万人。
そして将来予測。
2100年の人口 4800万人。
少なくなるようですが、日露戦争の頃と変わらないと思うと
「大したことない」と思ってしまいますね。