2010年 1月 の投稿一覧
通信教育に、人はなぜ「だまされた!」と思ってしまうのか。
いま山手線の車内ではユーキャンのが流されている。それを見るたびに私は苦い記憶を思い出す。かくいう私は通信教育に何度も挫折しているからだ。「記憶術」やら「行政書士」など、いろいろやったが、最後までやり遂げたのは小学生の時の「電子工作」くらい。何故、私は通信教育に挫折してしまうのか。こうも何度も何度も挫折するということは、私が悪いのではなく通信教育の構造上の問題があるのではないだろうか(責任逃れとは呼ばないでほしい)
言い換えよう。なぜ人は通信教育で「だまされた!」あるいは「挫折した」と思ってしまうのだろうか。
それは学ぶのには、「お金」以外に時間というストックも必要だからだ。「私」という存在は、時間によってどんどん変化していく(レヴィナスは「時間とは私が他人になるプロセス」だといった)。通信教育を始める前の自分と、始めたあとの自分は別の存在なのだ(学習して変化したのではなく、ただ時間の経過が自分を他者にする)。通信教材の頁を開くとき、「なぜこんなものを学びたいと思ったのだろう」と思うことがある。段々開くのがイヤになる。それが高価であればあるほど、見たくもなくなる。
クーリングオフ期間に決断できることは少ない。いずれも、「あ、ムリかも」から始まって、いずれは「無理だ」とあきらめることになる。おまけに、1回やったからといってその学習が習慣化されなければ、「気づいたとき」「レポートを出すとき」しか教材をやらなくなる(そのうち、レポート期限なのにやらなくなってしまう)。
学校の場合であれば、肉体的に学びの場所に「行く」という行為によって、学びの「構え」を成立させることができる。そのため、学びの場所(学校やサークル等)に行く間に、モチベーションを自分で定めることができる。けれど通信教育は自宅の中で行う。いままでの何らかの生活時間を縮減する中でしか学びを行うことができない(だから、通信教育を経験した人の回想には「喫茶店で会社の帰りに勉強しました」というコメントが登場するのだろう)。モチベーションを上げるのも難しくなってしまう。
結論。通信教育は始めから失敗するように出来ているのだ。教材会社が悪いのではなく、通信教育という「学び」のあり方自体が持つ性格が人を挫折させるのだ。もしあなたが通信教育で挫折していたとしても、それはあなたが悪いのではない。「そういうもの」なのだ。
通信教育というサービスが、にもかかわらず卒業生を送り出している。これはその人たちの努力の賜物であろう。
学校と違い、通信教育で学ぶ際「こんなはずじゃなかった!」という思いを共有する人がいないのはツラいことだ。グチを言える他人がいれば、「まあ、そんなものかな」と過ごしていける。通信教育は基本的には一人のみでおこなう。強き意志をもった主体でないと、「遊んで」しまう。通信制大学の卒業率の低さ(場所によっては1割もいかない)は、レポート課題の困難さよりむしろ、制度的な学びを一人で行うことの難しさを示している。巨大な学校制度に対し、同僚もなくたったひとりで立ち向かうのはなかなかに過酷なことなのだ。
おまけに、やらなくなる結果が多くなると自分を卑下し、自暴自棄になる。社会人で、「今日から通信制の大学で学びはじめたんだ」と宣言している人はうまくいかなくなると、自分が惨めになる。〈制度的な学び〉はグチれる〈他者〉がいないと、うまくいかない(ことが多い)。
世にこれだけ通信教育が流行っているということは、それだけたくさんの挫折者がいるということだ。
冒頭にも書いたが、私もいろんな通信教育で学び、そして挫折してきた。苦さを経験してきた反面、通信教育の「良さ」もよくわかる。それは、「あんな自分になりたい」という欲望を一時的に満たすことができるということだ。
通信教育はまさにドラえもんのポケットなのだ。「あんな自分になりたい」思いを一時的に満足させてくれるが、相当努力しないと夢は実現せず、自らが変化しない。のび太は漫画『ドラえもん』のなかではほぼ無成長モデルで描かれていることを考えてほしい。のび太は一時的にドラえもんの出す道具によって全能観を得るが、そのあとは再び「ひどい目」にあっている(要は挫折しているのだ)。通信教育の良さは、ドラえもんの道具を貸してもらったときののび太のような「全能観」(夢が叶ったような気がする思い)を味わえる点だ。悪い点は道具を出してもらったあとののび太のように「挫折」を味わうてんである。
一人で学べる力がなければ、結局は制度的な通信教育もうまくいかないのだ。そのためには、自分が心の底から「これを学びたい!」「学ばないと、仕事で困る」という切実な思いがなければならない。私はこういった切実な思いをもつ学びのことを「渇きによる学び」と命名しているが、この「渇きによる学び」がなければ通信教育は結局成立しないのだ。
フリースクールに似た学校にサポート校というものがある。通信制高校の課題を学校のなかで行うというシステムをとっている場所のことだ。本文でも書いた「グチをいえる同僚」を存在させるために、一定の価値があるような気がする。
本文では、①通信制の大学や高校と、②仕事に直結する資格の通信教育、③趣味の通信教育を立て分けなかった。そのため荒い議論になったことは否めない。
戯曲・眼鏡(めがね)
イヴァン・イリイチ『生きる思想』より、「静けさはみんなのもの」を読む。
「コンピューターに管理された社会」。イリッチの本講演はこんなテーマのフォーラムにおいて行われた。冒頭においてイリッチは「人間の真似をする機械が、人びとの生活のあらゆる側面を侵害しつつあること、そして、そうした機械が、機械のように行動することを人びとに強いること」(40頁)と述べ、それまでのフォーラムの議論をまとめている。「機械のことばをつかって『コミュニケート』することを強いられる」(同)ようになるという言い方で、人間の機械化を批判する。
たしかに、現在の学校教育では「情報」の時間にパソコンの使いかたを扱っている。私も、小学校で「パソコンを使う際は、パソコンの動きを待つようにしましょう」と教わった記憶がある。あれは子どもという小さな主体者を、機械に従属させる存在に変えることを意図した授業であったのかもしれない。
イリッチが人間の機械化を批判するのは、人びとが「自分自身を統治できなくな」(41頁)り、「管理されることを必要とする」(同)ためである。何故そうなるのだろうか。私は人間の主体性が機械によって浸食され、サービスや機械がないと何もできなくなる為であると思う。自分で行っていたものを外部(サービスや機械)に頼るようになると、自分で何も出来なくなるのだ。私はイリッチが各種論文(本書『生きる思想』や『脱学校の社会』)を書いたのは〈人間性の回復〉を訴えるためであると考えているが、機械の存在が人間性を奪っていくということをイリッチは伝えたいのであろう。
論を進めるにあたり、イリッチは「コモンズ」と「資源」という二項対立を示す。下に両者を整理して書いてみる。
コモンズ[みんなが共有するもの]commons:
「人びとの生活のための活動subsistence activitiesがそのなかに根づいている」(43頁)
「いりあい(入会)」という日本語に近い。
「人びとの家の戸口を超え出たところにあり、人びとの私有財産ではありませんでした」(44頁)
皆が利用できる雑木林など。
資源resouces:
「現代人が生きていくために依存しているさまざまな商品を経済的に生産するのに使われる」(43頁)
「警察によって守られることを必要とします。そして、いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)
イングランドの牧草地など。
「資源」のところに「依存している」という言葉が出てきたところに注目したい。イリッチは依存自体には批判的でない。それはイリッチ思想のキー概念であるコンヴィヴィアル(convivial)を、「相互依存」と示す訳者がいることからも分かる。問題なのは何に対する依存か、ということである。他者に対する依存であれば(助け合いということ)問題ないが、依存の対象がサービスや制度・機械であるならば問題になる。「資源」を批判するのは「商品」(ここにはサービスも入る)に依存してしまう結果となるからであろう。
産業革命が起きた時(近代の初め)のイギリスでは「囲い込み運動」が行われた。入会地に柵を作り、資本家が自らのものとして扱う。それにより、入会地は「商品としての羊の群れを育てるための資源に様変わりした」(46頁)。この流れは、私有財産制度と登記制度により加速されたことだろう。日本でも近代の初め、「入会地」に所有者がついた[1]。国有地など公の所有[2]になったところもあるが、それにより自由にその場所を使用することが出来なくなった。「コモンズ」の消滅である。「コモンズ」にいた人びとは「土地を追われ、賃労働に追いやられ」、「絶対的に貧困化した」(46頁)のである。イリッチは近代の初めにおきたこの一連の出来事を批判し、もう一度中世の「コモンズ」の復興を呼びかけているのである。
では、具体的にイリッチは復興した「コモンズ」像をどのように想像していたのだろうか。イリッチはメキシコ・シティの旧市街の話をする。「道端にすわって野菜や炭を売っている人びとがいるかと思えば、路上に椅子を並べてコーヒーやテキーラを飲ませている人びとがいました」(47頁)などと続く。「それでも歩行者は、ひとところから他のところへ移動するためにその道路を利用することができました」(同)。現在のイタリアの広場にあるバールをイメージすると良いだろう。ちなみに、バールとは喫茶店やバーのようなものである。島村菜津の『バール、コーヒー、イタリア人』(光文社新書)によると、次のようにある。
イタリアには、広場という空間がある。そして、この広場に寄生するようにしてあるのが、バールだ。多いところには何軒もある。バールのない広場は珍しいといえるほど、この二つは分けがたく、どうやって権利を手にしたものか、公共の場である広場に堂々とテーブルを並べている。(島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人』2007年、光文社新書、8頁)
路上や広場に、様々な人やモノが入り乱れるような状態。それがイリッチの「コモンズ」の現代的イメージなのだ。
なお、日本の「コモンズ」は「入会地」だけではなく、「路地」でもあった。日本では子ども社会の間にも存在したようで、それが教育学的には大きな意義があるように思える。鶴見俊輔の文章から示しておく。
モースというアメリカ人の動物学者が明治の初めに日本に来て驚いたんですね。東京には「路地」というのがあって、路地で年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいる。で、年長の子供が責任を持って、一種の共同体をつくっていると。彼はボストン近郊の出身で、そういう光景はボストンあたりにはないわけです。モースはそれにびっくりして、そのことを『日本その日その日』という本に書くのですが、これは大変重大なところを見ているんですよ。(鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社、2010年、80〜81頁、鶴見の発言から)
かつて、路上は「コモンズ」であったのだが、近代化のため「通りはもはや人びとのものでは」なくなり、「いまや自動車やバスやタクシーや市街電車やトラックのための通路」(48頁)となってしまった。効率化/スピード化の結果(スローでなくなった)なのであるが、本来の路上にあった豊かな文化性がいっぺんに失われてしまう。その結果、「場所性」も失われどこに行っても同じような町並みになってしまった。いま山手線のどの駅で降りても、駅前にはたいていマクドナルドが位置している(現在の日本では個性的な「食堂」が消え、かわりに「吉野家」や「大戸屋」に置換されているように最近私は感じている)。
では「コモンズ」を復興するにはどうすればいいのか。イリッチは「資源」が「警察によって守られることを必要と」(54頁)する、と指摘する。「いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)と本講演を締めくくっている。早稲田大学の側にある戸山公園でサッカーをするには、たしか公園側からの許可が必要だったと思うが、そういった許可制度の廃止をすることが最初の一歩となるのだろうか。
※本項目の冒頭にイリッチが《「コンピューターに管理された社会」という都留[重人]さんが提案されておられるテーマは、一つの警鐘のように響きます》(40頁)と語っている。この都留重人とはハーバード大学で名誉学位も受けた経済学者である。思想家・鶴見俊輔の師匠でもある。
本文でも引用した『ぼくはこう生きている君はどうか』(鶴見俊輔・重松清)にはこうある。
私にとって生涯の師というのは都留重人しかいないんですよ。(…)日本のインテリはそのときどきに合わせて、権力の動きに合わせて変わっていくわけですよ。だけど都留さんは死ぬまで権力に同調して自分の考えを変えることはなかった。終生、私にとって必要な指針となったんです。都留さんは経済学者なんだけれど、何か個別的な問題に取り組んでいるときに、その問題よりもっと応用範囲が広いことを思いつく。それが哲学なんだ―と。そういう都留さんのプラグマティズムを私は引き継いでいるんですよ》(147〜148頁)。
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「静けさはみんなのもの」
掲載:『生きる思想』pp39-54
形態:「朝日シンポジウム『科学と人間―コンピューターに管理された社会』」での講演。
講演の実施日:1982年3月21日
講演の場所:東京
[1] 「日本」の一部となった朝鮮半島でも、同様のことが行われた。所有者の分からない土地は朝鮮統監府が接収した。山川出版の『日本史B』教科書には「これによって多くの朝鮮農民が土地をうばわれて困窮し、一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった」(274頁)と書かれている。日本に在日と呼ばれる人びとがいる理由の一つになったのである。
[2] わが故郷・兵庫県多可町の柳山寺(りゅうさんじ)地区では、年に一度公の財産の「松茸山」の使用者を決める話し合いが行われている(と、父に聞いた)。競りを行い、勝った人がその山からとれる松茸を一年間手に入れる権利が与えられる。おそらく、公の財産になる前は各人が勝手に松茸を採取し、勝手に食していたのであろう。10年ほど前に父が500円で購入した山からは、ついに1本も松茸をとることができなかった。代わりに怪しげな紫色の椎茸(みたいなキノコ)を採ってきて、父が食べていた。
いま一度、「渇きによる学び」考。
以前、「渇きによる学び」についてを、卒論を要約する形でまとめたことがある。
少しそれについて考察する中で、「渇きによる学び」には2つの種類があることに気付いた。それは、①生存上必要な「学び」と、②趣味としての「学び」である。
①は説明しやすい。「仕事に必要だから」「進路に必要だから」などと外在的理由で行う学びである。のどが渇いて、水を飲まないと死んでしまう。そういった意味の「渇きによる学び」である。
②は「楽しいから」「興味があるから」行う学びである。のどが渇いたときに、おいしいものを飲みたいと考えてミックスジュースを喫茶店で頼む。いわば「おいしさ」を求めるタイプの「渇きによる学び」である。
①と②は正反対のようだが、つながりがある。将来医者になりたい。そのために医学の本を読むのは「趣味」としての学び(②)であるが、受験して医学部に入るための学びは「生存上必要な学び」(①)となる。
私はいま、竹田青嗣『現代思想の冒険』を読んでいる。これは自分の専門である教育社会学を学ぶために必要だからである。『教育社会学』という入門書に出てくる「構造主義」や「ポストモダン」などという言葉を再び学びなおす必要が出てきた。こういう「渇きによる学び」は①にあたるだろう。
さっさと①の学びを済ませ、②の学びであるフリースクールやイリッチに関する本を読む段階に移っていきたいものだ。
DVD『こんばんは』と、「渇きによる学び」考。
前に映画『学校』を観た。西田敏行が夜間中学校の教員を好演している。生徒たちと生と死について議論しあうラスト・シーンが心に残る映画だ。『こんばんは』を観て、「映画『学校』の世界は、本当に存在するのだなあ」との思いを持った。学び手たちが生き生きと学校で過ごしている。「こんな学校、いいなあ」と素直に思った。『学校』にもあったが、夜間中学校でこそ本当の教育が行われているのかもしれないと感じた。
このように生き生きとした学びが夜間中学校で行われているのはなぜであろうか。私は、「渇きによる学び」が起きているためであると思う。「渇きによる学び[i]」とは私の造語だ。卒論の中には次のように書いている(概要)。
フリースクールは子どもを無理やり学ばせることはしない。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間が経つかもしれないが、「渇き」が起こる。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。奥地恵子のいう「ヒロベン」(テレビやゲーム、友人との遊びなど、日常生活で〈広い意味での勉強〉)が、やがて「渇きによる学び」を誘発するのである。
フリースクールでは、子どもが「学びたい」と思うまで待つ。けれど「学校」は無理矢理でも学ばせようとする。そのために生徒はイヤイヤ勉強をする。しまいには「学校」にいくことと「学ぶ」ことをイコールだと錯覚してしまう(イリッチの言った「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と勘違いするようになる「価値の制度化」が起こる)。
夜間中学校は、「文字を読み書きできるようになりたい」・「日本語を何としても習得したい」という思い、つまり「渇き」を学習者が持っている。また、夜間中学校には自らの自由意思に基づいて通っている。だからこそ、生き生きとした学びが行われるようになるのだろう。もし夜間中学校が「いままで義務教育をうけたことがない人は全員行かないといけない」場所になってしまえば、映像にあったような生き生きとした学びは行われなくなってしまうだろう(夜間中学校が「学校化」されてしまうのだ)。
映像を観ていて、もう一点感じたことがある。それは〈生活経験や悩んだ体験がないと、詩や小説を本当の意味で読むことができないのではないか〉ということだ。映像内では「雨ニモ負ケズ」をクラスで読むシーンがあった。同じ詩を、私は小学校の高学年で習った記憶がある。その際は「こんな生き方を希望した人がいたのだなあ」という印象を持った。宮沢賢治の詩が全く自分の内面に響いてこなかったのだ。
けれど、映像では自らの体験を踏まえて学習者が語り合っている。自らの経験を踏まえたうえで、作品を読み取っているのだ。これは通常の「学校」では必ずしも行われていない。小学生のころの私もそうであるが、作品が自分にとって「遠い」のだ。クリステン・コルは『子どもの学校論』のなかで、本来ドラマティックなはずの聖書の物語が、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」させられる状況を批判している。日常生活と乖離した学問を学ぶのが、通常の「学校」になってしまっているのだ。
詩や小説は、読まれることで初めて意味を持つ。そして読まれるためには、読み手が成熟を遂げていなければならない。よく「夏目漱石の作品は40を超えてからでないと分からない」と聞くが、これも読み手の成熟がないと本当に理解することができないということなのだ。ちょうど「バカの壁」が作品と自分との間にあるのだろう。成熟するということは、種々の経験を経ることでバカの壁に穴をあける作業を意味する。
このように、詩を読み取れるだけの成熟を「待つ」姿勢を持っているからこそ、夜間中学校では「渇きによる学び」が起きているという側面があるのだろう。
[i] 梅田望夫は『私塾のすすめ』のなかで〈のどが渇いて水を飲むように学ぶ〉ということを書いている。その部分や宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』を参考にして、「渇きによる学び」という言葉を使っている。
クリステン・コル『コルの「子どもの学校論」』(新評論、2007年)
デンマークの教育を、草の根から変革した人間、それがコルであった。19世紀に師匠・グルントヴィの教育思想を実践した人物だ。教育論者ではなく、教育者である。ヒラ教員の立場からでも一国の教育変革が可能であることを、コルは教えてくれる。
本書はコルの残した数少ない書物のひとつ「子どもの学校論」の翻訳である。本書に通底するテーマ、それは「そもそも学校では何を行うべきか?」である。
19世紀のデンマーク(あるいは現在21世紀の日本でもよい)では「死んだ」知識が重視されていた。読み書き計算(教育学者は気取って3R’sと呼ぶ)の習得が「目的」となっていた。無理やり読み書き計算を教えられることに、本当に意味があるのか? コルは考える。
≪書くことを教えるなら、子どもが「書きたい」と思うまで待つべきではないか? 筆算の仕方を教える前に、〈数とは、一体どんなものなのか〉子どもが分かるよう、身の回りから数について考えられるようにしたほうがいいのではないか? 本来ドラマティックな聖書の物語を、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」(153頁)させられるなんて、無意味ではないか?≫などと。
それゆえ、コルは読み書き計算を無理やりに教え込もうとする現状に「No!」を叫んだ。教育現場における口頭による関わり合いを重視したのだ。コルは人間が語る「生きた言葉」による、対話の重要性を訴えた。清水満は本書の「解説」で次のように語る。
書かれた文字による教育が、すでにその文字を知り、多くの文献を知る識者が上から一方的にそれを教え込む上下の関係であるのに対して、「生きた言葉」による「対話」にはそのような専制的な関係が生じない。また、とりわけ教育の対象となる青少年たちは想像力と感性の豊かさに富んでいる時期であるから、理性的な文字よりも生きた言葉の音調、つまり耳の言葉で想像力を活性化させるにふさわしい存在となる。(200頁)
コルが偉大であるのは、実践者であった点だ。自分でフリースコーレ(本書の清水満訳では「フリースクール」となるが、日本に存在する「フリースクール」とごっちゃになることを危惧し、ほかの訳者が使った「フリースコーレ」の語を使用した)を建設し、自分で運営をする。そこで育った子どもたちも、のちにフリースコーレを各地に作る。そしていまでは全デンマークに普及したのである。
最後に、本書から印象深い言葉をいくつか引用しよう。
子どもたちの教育にかかわる者はみな、精神的に強い人間でなければならない。古代ギリシャにおいては、教育にかかわる人間がその国でもっとも精神的に強い人間であった。一方、古代ローマでは教育には奴隷を使ったので、ローマの教育レベルはそれに応じたものにしかならなかった。(139頁)
ただ、心から出たものだけが心に響く。良かれ悪しかれ、特別な訴求力をもつとされるものはすべて心の深いところでつくられ、そこから表出して言葉と行動へ向かわなければならない。表面的な生は、ただ浅薄なものと幻影を生み出すだけである。無知蒙昧な者にとってはそういう生があたかも実在するかのように見えるが、現実には存在しないのである。(141頁)
国家権力は私たちが思っているほど子どもたちを愛していないし、愛することはできない。私たちは子どもたちが好きだし、だからこそ子どもたちを一番よく元気づけることができる。そういう大事な事柄で、私たちは脇に立って傍観者のように見守るだけで満足するつもりはない。私たちは、子どもの教育の全責任を引き受ける。そして、援助を必要とする。私たちは、自分たちでこの援助を調達するので、国家はむしろそこから手を引かねばならない。(175頁)
本当に最後は訳者の清水満の言葉。
グルントヴィとコルの伝統に連なるものとしては「教育の自由」がある。もともとはグルントヴィがイギリスの大学と市民社会から学んだ市民的自由が基礎になっているが、コルに率いられたフリースクール運動などによって地域の民衆が自分たちで学校をつくることができる自由として認められ、公教育ではない教育を少数者が行う自由という意義をもつようになった。いうなれば、デンマークの教育権は「教育を受ける権利」ではなく、自分たちで自分たちの考える「教育をつくる権利」なのである。(243~244頁)
映画『板尾創路の脱獄王』
一定の期間ごとに、「芸能人が映画を撮る」話が出てくる。昨年は松本人志の『しんぼる』を観に行った記憶がある。今回観た映画も、芸人・板尾創路(いたおいつじ)が撮ったものだ。
映画中、主人公・鈴木雅之を演じる板尾は一切しゃべらない。囚人である彼は何度も何度も脱獄を行い、そのたび刑務官からリンチを受ける。その際も何も口に出さない。孤高の生き方を感じさせる。 刑務官をじっと見据え、抵抗の思いを示す。マンデラやキング牧師を思い出すシーンだ。
本作を観て、私は国家の持つ暴力性を感じた。脱獄をするたびに、「国家の威信を傷つけた」として懲役の年数が上がっていく。最終的には脱獄不可能・入ると二度と出てこれない「監獄島」に送られることになる。つまり終身刑になるのだ。
終身刑を言い渡されてしまう鈴木は、そもそもどんな犯罪を犯したのか。映画では彼の調書をアップするシーンがある。そこに書かれていたのは「無銭飲食」。軽犯罪で逮捕されたにも関わらず、国家は鈴木を終身刑にしてしまう。それほど、「国家への冒涜」は重大犯罪なのだろう。とてつもない暴力性だ。おまけに脱獄のたびに鈴木は非人間的な監獄に入れられていく。
そういえば昨日、早稲田の小野講堂で行われた「犬死に大国、ニッポン」というシンポジウムに参加した。ハンセン病療養所入所者協議会の事務局長・神美知宏(こう・みちひろ)氏の語ったハンセン病当事者の話が印象的だった。
らい予防法という悪法により、ハンセン病患者を強制的に療養所に入所させる。その際、戸籍は抹消され、入れば二度と出ることはない。「入所者の義務」と称して、入所者に治療の手伝いや死者の火葬まで行わせる。
板尾の映画に出てきた「監獄島」も、そんなところであった。収容者は戸籍を抹消された上で、社会から抹殺される。死んでも、出てくることはできない。ハンセン病療養所そのままではないか。
『板尾創路の脱獄王』は、社会派の映画であったことに改めて気付いた。
子どもに生きる人?
日本児童教育専門学校(高田馬場)の張り紙。
子どもに生きる、とは何なのか? 子どものまま暮らすことか、子どものために人生を捧げる人のことか?
思うに、私は保育園や幼稚園の先生に「わたしの人生はあなたたち子どものためにあるのよ」と言われるとプレッシャーを感じてしまう。「そんなことして頂かなくても…」と感じる。
人生の意味は人に奉仕することにある。そういう人がけっこういる。けれど私はあくまで自分の人生を大事にした上でいうべき言葉だと思う。そうでないと捧げられる側がプレッシャーなのである。
ペスタロッチ『シュタンツだより』とフリースクール
ペスタロッチは貧しい子どもと共同生活をする中で教育を行ったことがある。そのときに書いた文章は『シュタンツだより』として現在にまで残っている。