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R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。

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R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。

「権威の絆は、強さと弱さのイメージから造られている。つまり、権力の情動的表現なのである。孤独は、他の人々から切り離されていること、つまり絆の喪失の知覚なのである。友愛は、同類のイメージに基礎を置いている。同一の国民として、同性として、同じ政治的立場として「われわれ」という感覚によって引き出される情動なのである」(2)
「自由は幸福ではない。それは分裂の経験であり、暴君と奴隷がどの人間にも宿っているという最終的な承認である。この事実を承認して初めて決闘者以上のものになれるという希望は常に抱けるのである。自由は私があなたに与える承認が私自身からある何かを差し引かない時に、最終的に存在するのだ」(178)
「感情移入は他人の生活へのなにほどかの探求を要求するのに対し、共感はもっと控え目で、必然的に理解しようとする試みを伴わない関心の表現である。感情移入の想像は、二つの自分自身であるドッペルゲンガーの創造とも異なる。そうではないく、他の誰かの身体や環境のうちに想像される自分自身なのである」(197)
「われわれが18世紀から継承した民主主義のあらゆる観念は、権威は目に見え、読むことのできるものであるという概念に基づいている」「この共通の努力から、市民はある権力を指導者に委任するとともに、指導者がどれくらいその委任に値するかを裁定するという結果が生じる」(234)
「権威とはそれ自体本質的に想像力のしわざである。それはものではない。他人の強さの中にあり、もののように見える堅固な保障の探求である。この探求を達成できると信じるのはまさに幻想であり、しかも危険な幻想である。暴君だけがその要求を満たす。しかし、この探求を全く行うべきでないと信じることも危険である。その時、いずれであれ、絶対視が起きるからである」(273)
訳者あとがきより。
「権威者は畏怖を引き起すだけでは不十分である。養育なき権威こそ否定されるべきなのである」(279)
☆アレントも『過去と未来の間』において教育に権威が必要である点を述べる。フーコーやアルチュセールの権力論には「呼びかけ」に答えることで主体subjectが形成される、とあるがそれを「養育」と見ることもできるのではないか。

R.セネット(1980):今防人訳『権威への反逆』岩波現代選書、1987。