男子トイレの洋式便所が繋がる場所。片方に腰掛けているとき、後ろのトイレで小をする音が。その瞬間、自分の便座からウォッシュレットが起動する…後ろの音と連動して。
偶然、経験した。
男子トイレの洋式便所が繋がる場所。片方に腰掛けているとき、後ろのトイレで小をする音が。その瞬間、自分の便座からウォッシュレットが起動する…後ろの音と連動して。
偶然、経験した。
日本では年間100万人以上死者がでる。
『悪い奴ほどよく眠る』。
冒頭は的確に状況をつかんだ記者も、ラストの大きな悪には気付けなかった。
悪はそれほどまでに強いものである。斬れる記者になりたい。
『悪い奴ほどよく眠る』を観て、電話等での敬語作法が少し身についた。上流とされる身のこなしが、目で見てよくわかる。
映画で敬語も身につくのだ。
携帯は、ひたすらに個人的なもの。「ドコモ動画」を、家族皆ではおそらく見ない。
かつて家の真ん中に1台あった携帯が、各部屋1台になった。携帯の形で、いまは持ち歩かれるようになった。
消費が個人指向になって来ている証明である。
Macベーカリーのパン。ホカホカの状態で出てくるのは出来立てだからではない。レンジで温めているのである。7秒くらい。
予備校に行くか、いなか。
現代の無手勝流になるかいなかである。
何があろうと、夕焼けの綺麗さは変わらない。
黒澤の『悪い奴ほどよく眠る』。
悪は、徹して斬らなければならないのでないか、と感じる。
この脱力感のあるラスト。この映画は凄い。
睡眠薬を配合するシーン。チャップリンの『殺人狂時代』を思う。まあ、ちょうど似た状況である。
下っ端は消される。簡単に。真の悪は、家族すら欺き、家族すら利用する。そんな岩淵も、ひとつの汚職の相手。官僚機構は崩れない。だからこそ、『悪い奴ほどよく眠る』のである。
パゾリーニの遺作『ソドムの市』。人間の暴力性の輝く映画。観ていてこれほどの気持ち悪さをあじわえる映画を、他にしらない。吐き気のする映画とは新カテゴリーである。
寄り目の大統領、大司教、最高裁長官、伯爵。権力者4人が、国中から集めた若い男女18名を相手に、狂乱の宴を繰り広げる。
原作はマルキ・ド・サド。『ソドムの120日』。
解説によれば、快楽主義・消費主義に生きる私たちは、4人の権力者にしたがわざるを得ない若者と同じであるらしい。快楽の強制が、『ソドムの市』のテーマだ。それにしても、異常な快楽なのだが。
観ると後悔する映画である。でも観れば世界観が変わる映画である。
いろいろ賛否両論あるようだが、私はいい映画であると思う。
…これを書いているのはカレーの名店・メーヤウ。無性に吐き気がしてくるのである。