過去を乗り越え、日本はいかに進むか。
2007年 12月 の投稿一覧
アマルティア・セン
「貧困の克服」
発展とは人間の様々な自由拡大のプロセスだ。
恋愛の歌
実際に恋愛をしてみないと、恋愛の唄の真意は読み取れない。
体験学習と同じ。
ふと思った。
親の存在
教育において、親の存在は確かに大きいしかし、絶対的ではない。
結局は子ども自身がどのように自己成長したいか、ということだ。
金剛堂
金剛堂ではイヤホンしてると、コーヒーが貰えないことに気付く。
江川紹子
学校を変えよう!
子どもの目線に立つのはいかに難しいか。
アラン
「定義集」
楽観主義の大切さ
コミュニケーションとしての教育
役立つ・役立たないを越え、
コミュニケーションとしての教育
という発想が必要かもしれない。
コミュニケーションは、多湖あきら氏のいう「雑談力」を鍛えることになる。そして文明の発展が低迷化してくるであろう近未来でも、会話は大切である(オートメ化はギリシアの奴隷と貴族のように人々を有閑にする)。
社会で役立つ・役立たないを越えて、コミュニケーションとしての教育・交わりとしての教育
を指向していくべきではないか。
アラン
毎日書く。書きたくなくても書く。
僕がアランから学んだこと。
学校で教えない会話法
学校では、真実の大事さを教える。しかしある程度の嘘が、会話において必要となる。すべて説明すると長いとき、真実をいうと相手がイヤな顔をするときなど。
ほとんどの人は学校外で矯正されるが、私はそうではなく、いまさらながら他の多くの人達が幼少の頃に発見したことを発見している。
人が大人になるには、非常に多くの物事の発見が必要なのだ、と思う。学校がそれを教える場であればいいのであるが。かえって嘘を教えているような気がするのである。