書評

香山リカの言う、『くらべない幸せ』の大事さ。




香山リカ『くらべない幸せ』で、「これでいいんじゃない?」の大事さを知った。

香山リカさんは精神科医&大学教授。
個人的にすごく好きな作家です。

今日紹介するのは『くらべない幸せ』。

 

タイトルからして、昔の私が考えていたことそのものです。
大学院生だった私は、実質的に「うつ」症状。

その自分を「何とかする」ために自分なりに結論を出したのが、次のキャッチフレーズでした。

「他人と比べるな、昨日の自分と比べよ」

自分で考えたフレーズなのですが、割と気に入って使っていました。
比べると、すごく不安になる。
だからこそ、「比べないで、とりあえず頑張ろう」という思いにつなげました。

私の場合、大学院生としての「研究」にプラスして、ベンチャー企業での「インターンシップ」や自分の「イベント」開催などをするようになったのが解決の糸口でした。

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他の人がやっていないようなことをして、「比較することの無意味さ」に気付いたわけです。
あとは「インターンシップ」を通して出会った、「変わった大人」との出会いが価値観を変えてくれたように思います。

普通に就職して、ひたすら働いてだけいる大人と違い、「変わった大人」たちは大手企業を潔くやめたり、よくわからないビジネスをしていたり、NPO活動に夢を見ていたりしていました。

そこから「普通」を外れることへの不安が割と減ったように感じます。

「人と比べるな、昨日の自分と比べよ」の意義

さて、「人と比べるな、昨日の自分と比べよ」というキャッチフレーズ。

これはSNSが広まった初期に感じていた「比べる不安」を、払拭するのに役立つキャッチフレーズでした。

当時、TwitterもFacebookも、ある意味「意識高い系」の言行録の体をなしていました。

「高学歴で社会意識が高く、色んな人と会い、世界を飛び回っている」感が伝わってきたのです。

今は無論、この幻想に気付きました。
SNSが「自己を飾る」メディアであり、「俺ってスゴイ!」を感じるメディアである側面に気付いたからです。

それに、「すごい人だけをTwitterでフォローする」のをやめ、「普通の人」「それなりの人」もフォローすることで、精神的バランスが撮れるようになったのです。

「すごい人」だけをフォローしていると、「すごくない」自分を無意識的に卑下してしまう。
自分が大学院生時代に病んでいたのも、SNSが原因の1つだったんだな〜、と今気付きました。

 

新たな『自由からの逃走』。

サブタイトルの〈「誰か」に振り回されない生き方〉というのは文字通り当てはまります。
「働く女性にとって結婚は、今やそれほどメリットのあるものではないのだ」(99ページ)とあります。

だからこそ、〈結婚=幸せ〉という周囲の感覚と自分の考えを照らし合わせる必要が出てくるのです。

 

にも関わらず、総務省などの調査では結婚願望のある女性は減少していないそうです。

どう考えても”お得”はあまりない結婚から、今の女性たちがなかなか離れられないのはなぜなのか。
それはやはり、結婚が彼女たちにとって、最大の「自分の証」に見えてしまっているからなのだろう。(100ページ)

昔、何かのワークショップでこんなのをやりました。

「あなたが呼ばれたい褒め言葉を書いてください。
それを横の人と交換して、心をこめて相手にその言葉を読んであげてください」

私は「頑張ってるね」「いいね!」「素敵だね」などと羅列しました。

隣の人にそれを読んでもらうと、何故かすごく嬉しい気分になりました。

・・・これ、残念ながら自分の自己承認が低い表れなのかな??って思います。
ともあれ、男性以上に女性は「誰か」との比較で振り回されます。

「何をしてもいいよ」という自由な状態であるのに、
「もっと頑張らないといけない!」
「結婚しないと、誰も認めてくれない!」
周囲からの「思い」を感じてしまい、満たされないのです。

自由なのに、抑圧を感じる。
まさに『自由からの逃走』です。

その点男性はノー天気なので、「こんなに働いている俺、カッコいい!」だけで満たされてしまいます。
「モテない同士、俺たち仲間だよな!」で騒いで酒が飲めるのです。

 

「あきらめ」が肝心?

外国人と結婚する日本人女性の話が出てきます。

普通の「日本人男性」と違い、言語も文化も知識も習慣も違う。
だからこそ、「国が違えば、あきらめもつく」(129ページ)発想になる人もいるようです。

完璧な「彼」なのではなく、「まあ仕方ないか」という「あきらめ」があるから案外結婚が上手くいくのかもしれません。

実際の話、高スペックな「旦那」はほんの一握りしかいません。
大手企業の若手エリート、優しいし働く女性への理解もある。
思いやりがあって、なおかつ仕事も家庭も充実させる努力をする。

・・・そんな男性、羨ましいですね。
私の周り?
そんな人いるかな・・・・。

そんなアリもしない「高スペック」男性ではなく、「あきらめ」が付くレベルの男性なら、意外に幸せになれるかもしれません。

「まあ、仕方ないか。今でもそこそこ幸せだし」

だから、一緒にいて落ち着くし、自分を尊敬してくれる「年下男性」や「外国人男性」と結婚するシングル女性もいるようです。

この場合、「年下だから「比較」しない」(142ページ)とある通り、「比較」しない幸せを獲得できるのかもしれませんね。

 

「子ども」によって、自己承認を得ようとする人々

また、「子ども」の存在によって、満たされる女性も数多くいます。

いろんな習い事や成績で結果を残すと、母としても自己承認されるようです。
香山リカはこうまとめます。

本当は、自分が自分に誇りを持てるか、自分を好きになれるかということと、子どもがいる、いないということは、直接には関係がない。子どものいる女性も、自分に誇りを持ちながら、「これでいいのだ」と自分の選択、生き方を受け入れることがまず必要だ。そして、ちょっとうつむいている人だけでなくて、自信満々に見える人でも「誰もがこれでいいの?」と悩んでいるという前提で、相手の気持を想像してみることが必要なのだ。(153ページ)

この「誰もがこれでいいの?」と悩む状況は、いまの時代特有の悩みでしょう。

社会学では「リキッド・モダニティ」(バウマン)という言葉があります。
リキッド、つまり液状化した近代(モダニティ)ということです。

「こうすれば、幸せになる」というルート、
「こう生きればいい」という指標がなくなった現代社会を示す言葉です。

かつては「いい学校に行き、いい会社に入れば一生安泰」。
「女性はまず結婚し、子育てをすればもう幸せ」という、一応のルートがありました(あるように皆が信じていました)。

それが、いまや「何をすればいいか」全く見えなくなります。
女性の場合、それがさらに強く出ます。

仕事をするか、しないか。
結婚するか、しないか。誰と結婚するか。
子どもを生むか、生まないか。
出産後、仕事に復帰するかしないか。
子育てをどうするか。
キャリアアップをどう考えるか。

・・・無限に考えることがあります。

「何をすればいいか」全く見えない。
だからこそ、どこか満たされない。
「これで、自分はいいんだろうか?」と悩んでしまう。

生きづらい世の中を生きるには、どうしたらいいの?

私なりにアドバイスすると、おそらくは「いまは生きづらい時代」という現状を知ることでしょう。

結婚している人もしていない人も、
子どもを持っている人も持っていない人も、
誰かが特別「満たされている」わけではないのです。

そうではなく、「いま、一応生活もできているし、まあ不幸ではないわな」という諦観(ていかん)をするのも大事ではないか、と思うのです。

現状を見据えたうえで、「別に食えていないわけではないから、自分、これでいいんじゃないの」と認めてあげること。

それが大事なのではないか、と思います。

香山リカも言います。

自分の努力やがんばりですべてが手に入る、もっとすばらしい人生になれるはず、と思うのをちょっとやめて、「まあ、これでいいか」とそこそこで手を打ってみる潔さ、これは大事である。
手を打つことは「妥協」でも「敗北」でもない。(153-154ページ)

 

「私には何かが足りないわけじゃない。今の私で、けっこうだいじょうぶ」と自分を信頼し、「おー、けっこうやるじゃん」と思い上がりに近いくらいの自信をも持つようにすることだ。(182ページ)

・・・私?
早稲田時代の友人の平均所得を大きく下げる存在ではありますが、自分を「これでいいんじゃないかな」と認められています。
幸せですよ。

ミニマリストに学ぶ「幸せ」感

ミニマリストの方々のブログを見ると、割と幸せな人が多いですよね。
ミニマリストになった人は、余計なものを持ちません。
ある意味、自分への満足が高い。
だからこそ、幸せに感じられるのでしょう。

ミニマリストを「目指す」人は、ちょっと不幸な人が多いです。
「ミニマリストにさえなれれば、もっと満たされる」という思いが強いからです。
けっきょく、これもミニマリストと自分を「比べ」てしまっていますね。

それにしても、女性の生きづらさは男性以上ですね。

まだまだ続く「男は仕事ができてナンボ、女は男に愛されてナンボ」という価値観。同じように仕事ができても、評価を受けるのは男性ばかり、という男女不平等な社会。そして、無意識のなかにもひそむ「女って、男にはある何かが欠けているかも」という不安や後ろめたさ。さらには、「がんばるあなたを応援するわ!」と言いながら実はこっそり足を引っ張ろうとする母親。
女性たちは、こんなにたくさんの不自由、圧迫、妨害に囲まれているのだ。
そういう状況に長い間いるうちに、もし男性なら自信満々になってもおかしくないくらい成功していても、まだ「私ってまだ何か足りないかも」と劣等感やあせりを感じてしまう。それも不思議ではないだろう。自分のやっていたことを自信に変えて堂々としていることが、女性には苦手なのだ。(175-176ページ)

だからこそ、フッと肩の力を抜き、
「私は、私で、いいんじゃないの?」と認めてあげることが必要なのですね。

無駄に「こうしなければいけない」と言ってくる外野をうまく対処する工夫をしたら、
あなたはもう「あなた」として満たされるはずです。

今の時代は、実は「自由」なのです。
「ふつう」を外れても、人生は続くし、本当に仲の良い友人はちゃんとついてきてくれます。

香山リカの「くらべない幸せ」3つのヒント

最後に、香山リカが本書のラストに書いている、3つのヒントを見てみましょう(186ページ)。

(1)不安や心配がわいてくるのはあたりまえ、そのとき恐れずくらべず、ゆっくりやりすごせば大丈夫。

(2)人とくらべて刺激のない毎日だからつまらない、というのは間違い。
どんな単調に見える毎日のなかにも、必ず心温まるドラマがある。

(3)幸せと生活のレベルとは、まったく無関係。
たとえ人から見て「かわいそう」と言われる暮らしをしていても、心はお姫さまで過ごすことだって可能。

「大丈夫、大丈夫」と、誰も言ってくれないからこそ、
せめてあなたくらいは自分に言ってあげてくださいね。

そうすると、もっと満たされるはずです。

さらにプラスアルファ。自分を「満たす」には?

人を満たすことでしか、人は自分を満たすことができません。
「私を満たして!」でなく、周りを満たそうとする努力こそ、大事なのかもしれません。
これは宮台真司の『14歳からの社会学』にもありました。
(宮台さんは「承認」という言葉で説明しますが)。

自分は今のままでいい。
そうやって自分を「満たす」ためには周りを「満たす」必要があります。

周りに、「あなたはあなたのままで大丈夫だよ」と伝えることで、あなた自身も満たされるはずです。

本当は「治りたくない」って思ってない?心理的逆転とは

「心理的逆転」についてを、精神科医の長沼睦雄先生の本で学んだ

書評 『敏感すぎる自分を好きになれる本』

帯広時代、仕事でお世話になったお医者さんがいます。

それが長沼睦雄先生です。
帯広郊外にある、北海道立緑ヶ丘病院の精神科医長の先生です。

子どもの精神疾患の専門家という偉い先生でありながら、
とっても気さくな先生です。

多くの患者さんを診ていらっしゃいます。
ただ、患者さんの中に、心理療法をいくら行っても効果の現れない人がいるそうです。

「この治療、効果がないのでは・・・?」

思っていたそうですが、ある日ふと気づいたそうです。

最近ようやく、効果が現れない原因が、心理療法自体にあるのではなく、患者さんたちの意識下にあることに気づいたのです。(116)

それは何でしょうか・・・?

つまり、「治りたい」と口では言っているものの、彼らの心のなかには、「治りたくなんかない」「治る必要はない」「治ってはいけないんだ」といった否定の心、「どうせダメだよね」という諦めの心、「このままでいい、変わりたくない」などの変化への抵抗、「悩みたくない」「考えたくない」という葛藤の回避などが渦巻いており、それらが治ることを拒否していたのです。このように、言葉とは裏腹のことを意識下で考えている状態を、「心理的逆転」といいます。(116-117)

これ、精神科以外にも当てはまるようです。

何かはじめるとき「うまくいかないんじゃないか」と思うことってありますよね。

思い切って起業した!という時あとも、
「どうせ成功しないんじゃないか」
「うまくいかないんじゃないか」
思ってしまいがちです。

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変わるにはどうすればいい?

変わるにはどうすればいいんでしょうか?

そのためには、覚悟を決めることだ、と長沼先生はいいます。

今さら変わってどうなるのか、変わろうとして失敗に終わったら、もっとつらい目に遭うかもしれない、なにより「変わろう」と決意してうまくいかなかったら、もう立ち直れない・・・・。変わるための一歩を踏み出すことへの不安が、「変わりたくない」と意識下で強く思わせるのです。(118)

そのため、まず大事なことは「自分と正面から向き合い、そのうえで生きづらさを捨てると覚悟を決めること」(118)。

まずは「決めること」なんですね。

絶対、これをやり遂げると「決める」。
起業して、売上を上げ、成功すると「決める」。

すべてはそこから始まるようです。

 

私も身につまされます。
起業すると、不安なことばかりだからです。

それこそ「うまくいかないんじゃないか」という不安ばかりです。

だからこそ。

「絶対、成功させるんだ!」と決めることがすべての始まりなのですね。

 

おまけ 「敏感すぎる人」のためのHSPチェックリスト

この本、「HSP」とよばれる過度に「敏感すぎる」人への温かいアドバイスの本です。
下の質問に思い当たる方、読まれてみてはいかがでしょうか。

「HSPチェックリスト」
次の質問に、少しでもあてはまるのなら「はい」と、あてはまらないか、あまりあてはまらないときは「いいえ」と答えてください。

自分をとりまく環境の微妙な変化によく気づくほうだ
他人の気分に左右される
痛みにとても敏感である
忙しい日々が続くと、ベッドや暗い部屋などプライバシーが得られ、刺激から逃れられる場所にひきこもりたくなる
カフェインに敏感に反応する
明るい光や強い匂い、ざらざらした布地、サイレンの音などに圧倒されやすい
豊かな想像力を持ち、空想にふけりやすい
騒音に悩まされやすい
美術や音楽に深く心を動かされる
とても良心的である
すぐにびっくりする(仰天する)
短期間にたくさんのことをしなければならない時、混乱してしまう
人が何かで不快な思いをしている時、どうすれば快適になるかすぐに気づく(たとえば伝統の明るさを調節したり、席を替えるなど)
一度にたくさんのことを頼まれるのがイヤだ
ミスをしたり、物を忘れたりしないようにいつも気をつける
暴力的な映画やテレビ番組は見ないようにしている
あまりにもたくさんのことが自分のまわりで起こっていると、不快になり神経が高ぶる
空腹になると、集中できないとか気分が悪くなるといった強い反応が起こる
生活に変化があると混乱する
デリケートな香りや味、音、音楽などを好む
動揺するような状況を避けることを、普段の生活で最優先している
仕事をする時、競争させられたり、観察されていると、緊張し、いつもの実力を発揮できなくなる
子供のころ、親や教師は自分のことを「敏感だ」とか「内気だ」と思っていた

12個以上に「はい」と答えたあなたは、おそらくHSPです。
ただ、たとえ「はい」が1つしかなくても、それが非常に強い傾向にあれば、HSPである可能性があります。(32-35)

 

興味のある方、ぜひ『敏感すぎる自分を好きになれる本』を手にとって見るといかがでしょうか。

こちらからお求め頂けます。



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1日2回、考える時間を持とう。〜松浦弥太郎『考え方のコツ』〜

コンテンツ

(1)1日2回、2時間の考える時間を持とう。
(2)じゃあ、どうやって考えるの?

 

(1)1日2回、2時間の考える時間を持とう。

 

 

「考える」のって、けっこう大変です。

バタバタした生活の中。

そんな中でも、考えるべきことはたくさんあります。
「企画はどうすればよくなるか」
「業績不振をどう改善するか」

 

片手間では、「思いつく」ことはできても、
「本当にこれが有意義か」
「他に方法はないか」
検証することはできません。

 

そんな中、松浦弥太郎の『考え方のコツ』はすごく参考になります。

 

言わずと知れた良質雑誌『暮らしのコツ』編集長。
古書店経営者でもあり、作家でもある。

今の時代にネットに頼らない仕事術を堂々と提唱し、
そして結果を出している。

 

すごい人なんです。
この『考え方のコツ』は『松浦弥太郎の仕事術』の続編。
「仕事」からさらに「考え方」にまで深く論考しています。

 

なかなか、得るものの多い本です。
シンプルライフを目指している人に親和性が高いのではないでしょうか。

 

なんといっても、次の一文がカッコいいんです。

「なんでも知っている人ではなく、なんでも考える人になる」(15)

では、どうやれば「なんでも考える人」になれるのでしょう???

 

本書は、まず次のことを提唱します。

それが、「一日二回「思考の時間」を確保する」(16)こと。

 

僕はできる限り一日二回、思考の時間をスケジュールに組み込んでいます。
まずは午前中の一時間を確保します。なぜ午前中がいいかと言えば、心も頭もリフレッシュされているためです。(19)

思考は必ず一時間で切ること。本当に真剣に考えたなら、集中力が続くのは一時間が限度です。(・・・)一時間の先に浮かんできた絶妙のアイデアは、たいてい勘違いです。(・・・)
午後のもう一時間は、午前中に積み残した考えのうち、必要なことをさらに考えるための時間です。無理に考え続ける必要もないので、必要がなければ考えない日もある予備の時間です。(21)

 

 

この「思考の時間をスケジュールに組み込」むって、
「すごい」ことなんです。

 

だって、自分なら真っ先に「削る」ところですから・・・。

考えるのは「家でもできるし、帰りの電車でもできる!」と思ってしまいがちなんです。

 

・・・それにしても、「一時間の先に浮かんできた絶妙のアイデアは、たいてい勘違いです」って、
この断言がすごい!!!

 

よく「思索の時間を持つこと」が言われます。
でも、「思索の時間」「思考の時間」を
「スケジュールに入れておく人」って、ほとんどいないのでは???

 

その点でも、役立つ本です。



(2)じゃあ、どうやって考えるの?

 

では、どうやって考えればいいのでしょうか?

大体、こういう本の場合、「考える大事さ」は書かれています。
でも、「どうやって考えればいいか」という「方法論」は書かれていません。

 

その点、『考え方のコツ』は「方法論」がキチッと書かれています。

 

 

そのポイントは・・・

 

思考するには、手を使って書けばいい。(34)

 

え?

まだ「方法論的には弱いんじゃないの?」って?

その方法論を詳しく見ていきます。

 

それはこういうこと。

「考えのかけら」をひたすら紙に書き出し、頭の中をビジュアル化する。(35)

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具体的な方法です(本書31~35ページより)。

① 大きな白い紙を用意する。A3やB4くらい。それを机の上に置く。

② じっと見つめる。
「何も書かれていない白い紙と対峙するとは、情報を遮断するためのウオーミングアップ。知識やさまざまな情報から解放され、ゼロの状態で考えるために、リセットするということです」(32)

③ 「目下懸案となっている企画、新しい仕事のアイデア、まだぼんやりとしているけれど何か自分の中で気になっていることについて、白い紙を見ながら頭の中で考え始めます」(32)

④ すると、「いろいろな考えのかけらが、ぽつりぽつり、とりとめもなく浮かんでくると思います」(32)。それを「単語でも、雰囲気でも、浮かんできた断片を、とにかく白い紙に書いていきましょう」(33)

⑤ こういう「考えのかけら」をどんどん書いていきます。

⑥ 「「考えのかけら」をひたすら白い紙に書いていくと、だんだん自分の頭の中の景色が視覚化されていきます」(33)

⑦ すると、「考えのかけら」自体がつながったり、関係性がみえたりします。

⑧ そうやってまとめていくなかで、さらに深く考えたいところが見えてきます。

 

こうやって考えていくと、頭もスッキリするし、アイデアも溢れてきます。

 

ちなみに私自身、イベント企画のアイデアを考えるときは似たような方法をとっています。

なお、私は「マインドマップ」で書くことが多いですが、
松浦さんのようにやることもあります。

 

ここで気をつけること。

「紙に書くって面倒くさい。はじめからPCに打てばいいじゃん」という誘惑と戦うこと!!!

 

以前、私も書きましたが、「PCはアイデアを殺す道具」でもあるんです。

紙に手で書く。
とにかく、頭にあることを手で文字化する。

そうすることで、それらの「考えのかけら」が有機的につながり、今まで思いつかなかった考えに集結するのです。

 

さあ、私も「考える時間」をちゃんと作らないとな。

私自身は松浦さんのような紙を使っての思考をもとにブログを書いています。

ブログを書くのも、ある意味「考える時間」になっているようです。

 


こちらもどうぞ!

  1. 上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社. (2)
  2. 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』? (2)
  3. 見田宗介『現代社会の理論−情報化・消費化社会の現在と未来−』(岩波新書) (2)
  4. 見田宗介『現代社会の理論』読書会を終えて・・・ (2)

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単なる「反省」に、意味は無い。〜ファシリテーション技法「KPT法」とは?〜

(1)苦手な「反省」会

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私は以前から、団体の「反省会」が苦手でした。

振り返れば小学校の頃からです。

何を「反省」しないといけないの?
「反省しろ!」ったって、どうやったら反省になるの?

その度に必要以上にシュンとなってしまう・・・。

「反省」会という言い方が良くないんでしょう。

「反省会」で「よかったこと」を言い合うこともあるのですから。

私は反省会でなく「振り返り」という方が好きです。

フィードバックの場」でもいいです。
(ちょっとカッコつけ感があるけど)

そう。

単に「反省」のみを求めると、
やたら萎縮する人がいます。

ここで、考えてみましょう。
反省会をやる目的は何か?

それは、今日のことを「振り返り」、
次に「いかす」ことです。

(2)そんな「反省会」をよくするために

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単なる「反省」だけでなく、
次につなげる。

それには「KPT法」(ケプト法)を使うと良いでしょう。

こちらもどうぞ!

  1. 佐々木常夫, 2010, 『働く君に贈る25の言葉』WAVE出版.①(2)
  2. 問題解決型学習(PBL)とは、何か? (2)
  3. おおたとしまさ『ルポ塾歴社会 日本のエリート教育を牛耳る「鉄緑会」と「サピックス」の正体』② (2)
  4. 「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜 (2)


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書評『君はいつでもはじめられる〜自分を活かすために「働く」ということ〜』

「何かやりたい!」
「起業したい!」
「でも、何からやっていいか分からない!」

そんな時、役に立つのは本か人。

 

の場合は励まし系の本。
の場合はコワーキングスペースなどが該当します。
(参考:イキナリ起業すると失敗する理由~起業の前には、イベントをしよう。~

 

「やってみたい!」ことがあっても、
やり方が分からない。

そうこうする間に、
「まあ、いいや」。
なにもしないまま時間が過ぎていく。

 

今日ご紹介する片岡勝さんの『君はいつでもはじめられる』は、
「なんでも良いから、何かやりたい!」人に役立つ本です。



 

 

「何か、やりたい!」人は2つのパターンに別れます。

(A)本を読まずにまず「動く!」人と、
(B)やたら勉強する人。

 

(A)本を読まずにまず「動く!」人は、
まさに本書の著者・片岡さんに近いタイプ。

「なんでも良いからやる!」という人です。

このタイプの人は、「我流」にこだわる傾向があります。
アドバイスを聞きたがらない人もいます。

だからこそ、「あえて」本書のようなものを読むと
活動の方向性が広まります。

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(B)の「やたら勉強する人」は、
意外にたくさんいます。

「あの資格を取らないと、独立できない・・・」
「7つの習慣も読んで、ドラッカーも読んで・・・」
「まだ自分には早い」

本当にたくさんいます。

ですが、そんな人にはあえて本を捨てて
「何かする」機会が必要です。

 

そんな人は「この本」を一度読むと良いでしょう。

書評はこちらをご覧ください。

 

片岡さんの『君はいつでもはじめられる』でも、こういう指摘があります。

 

完璧思考の人はいつまでもその位置にいたままだ。ある起業家は僕に「目指せ60点」と言われ、何だかすべてが楽しくなったという。「赤点でなければいい。続けよう」と前に進めるようになって、次第にやっていることも充実していったという。(122)

 

あえて不完全でも良いから始める。

重要な指摘ですね。

 

さて。

片岡さんの『君はいつでもはじめられる』。

私にとっても、得るものの多い本でした。

読みやすく、すぐ読み終えることができます。

 

慶応大学卒業後、大手銀行に勤務。
そこに「なにか違う」と思い起業し、
全国で市民活動やNPO・ボランティア活動等を支援している人です。

 

何かやりたいときに読むと、元気が出る本。

この後は抜粋を載せておきます。

 

気軽にはじめてみればいい。自分のゴールに向かって小さくても一歩踏み出せば、不安は解消してしまうし、きっと自分への可能性が見えてくる。そうすれば、もう君の目の前には自由な階段が広がっているのと同じだ。そこには面白いことがたくさん待ち受けているにちがいない。(19)

 

要するに、一流の人間は自分で考え出して、自分の仕事をつくり、自分で食っていく。二流は専門職。自分の専門性で勝負する。その人がいてもいなくても成り立ってしまう大企業で働くのは三流なのだ。(48)

 

まずはじめたことをしゃべりまくる。熱く語るとまず、仲間が共感し、口コミで広がる。そのうちマスコミが取材に来る。そこでも熱く語る。そして、マスコミに出るとちゃんとしたビジネスだと世間も思いはじめて、そのビジネスは僕の口先から離れて一人歩きしていく。(32)





面白いことをやると人が動く。生産も消費もそれが動機づけになっている。
そのためには自分が面白がらないとはじまらない。これが本当にいいのか、面白いんだろうかと悩んでいるうちに面白いものもどんどん変わっていく。それでは面白さに乗り遅れる。面白いことに直感的に乗っかっていこう。
今の時代は変革期。やりたい放題やるヤツがチャンスをつかむのだ。(94)

 

僕の場合、サラリーマンを辞めた後、最低限の生活を実験した。新聞、つき合い、車も全部捨てた。新聞を見ないから考える。車がないから歩く。するといろいろなものが目につく。景色がまったく違った。小さな花が咲いている、風が吹いていることも気づかなかったサラリーマン時代の自分に気づいた。気づかないというのはビジネスにとっては致命傷だ。(97)

 

僕は24時間以上迷わないことにしている。時間をかけたからって、上手くいくことなんてない。放置せずその場で決めてしまうことが肝心。(114)

 

 

・・・さあ、早速動こう!

今日は北18条で作文教室ゆうの授業日だし。

 

「この店、わかっている!」と言われたい!〜ストーリーとメッセージ〜

Martという雑誌を知っていますか?

「もっと生活遊んじゃおう!」をテーマに
発行されている雑誌です。

 

 

 

2004年に創刊され、発行部数を伸ばし続け、広告収入も順調。業界では独り勝ちと言われる雑誌である。
「Mart」が近年注目されているのは、ヒット商品をいくつも生み出してきたからだ。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』119)

 

「食べるラー油(食べラー)」も、「Mart」発のブームだそう。
なるほど、なるほど。

 

この雑誌の愛読者を「Mart族」と言うそうです。

この「Mart族」のメンバーには、あるキーワードがあります。

 

「Mart族」と呼ばれる「Mart」の読者の方々は、会話のなかで「わかってる」という言葉を頻繁に使うそうだ。読者コミュニティのメンバーとお茶会などを開くと、奥さん同士で「あのさ、あの店」「そうそう、あの店ね」と盛り上がり、次いで「あの店はわかってりよね」「あのブランド、ちょっとわかってないでしょう?」という言葉が出てくる。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』119-120)

 

「わかってる」ってなんでしょう?

 

お気に入りのカフェやお店は内装からレイアウト、
インテリア、もちろん商品に至るまで
「自分たちの気分をわかってくれていると感じ」(同 120)られるように作られています。

 

「この店、わかってるじゃない」
「あの人は、わかる人だ」

 

そういうお店にリピーターは集まるのです。

 

現代の消費者は飢えている。
そして「わかってる」と感じる相手を切望しているのである。(小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』121)

 

その理由は「それだけ「わかってる」と思える相手が少ないから」(同 121)。



 

これ、私も教員の経験のなかで学んだことです。

 

生徒から人気が集まるのは「わかってくれる先生」です。

 

 

「あいつ、うざいけどウチラのこと、わかってくれるよね」
「先生だけだよ、わかってくれるの」

 

生徒たち、とくにヤンチャ系の生徒たちがこういうセリフを言うのを数限りなく聞きました。

 

私の前務めていた学校には、
一定数「前の高校が合わなくて(あるいは辞めてしまって)転校してきた」生徒がいました。

 

それだけ「わかってくれる」相手、「わかってくれる」学校を求めている証拠でもあります。

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「わかる」こと、「わかってるね」と思ってもらえること。

 

ビジネスにかぎらず、
人間関係でもそうです。

 

ただ、問題になるのは、
お客自身(あるいは生徒自身)が
「どういう状態であれば、【わかってる!】と感じるか、知っていない」という点です。

 

・・・ややこしい言い方になりました。

 

 

 

言い方を変えましょう。

 

よく言われる例を出します。

 

iPodを例に出します。

 

もうiPodブームは過ぎ去ってしまいましたが、
「何千曲も聴ける音楽再生機」の衝撃は大きなものでした。

しかし、iPodが出来る前に、
「自分の持ってるCDすべても持ち運べたら良いのに」と考える人は(ほぼ)いなかったはず。

 

iPodができて初めて、
「そうそう、こういう音楽プレーヤーを待ってんだ!」
「こういう使い方をしたかった!」という
人たちが現れたのです。
「iPodを欲しい!」という、需要が創発されたのです。

 

iPodによって、はじめて「持っているCD全部の曲を持ち歩く」というライフスタイルが作られました。

 

そうなってはじめて、

「iPodを作ったアップルは、やっぱり【わかっている】」
「スティーブ・ジョブズ、【わかってる】じゃない」

・・・なんていう人たちが現れたのです。

 

お客さんはカンタンに
「このお店、わかってるね〜」といいます。
そうするため重要なこと。
それは、お店自身が「どういうストーリーをお客に提供するか」「どんなメッセージを伝えるか」明確にすることです。

 

さっきからちょくちょく引用していた本が
小阪裕司『「心の時代」にモノを売る方法』です。

 

 

「モノ」が売れない現代。
本書では、新たなマーケティング手法を提唱します。

 

それが「ワクワク系マーケティング」。

 

「モノ」をただ売ることだけを考えていても、「モノ」は売れません。

 

「モノ」を手に入れることによる「ワクワク」感や
お店自体の「ワクワク」感によって、
お客は動くということを提案しています。

 

この「ワクワク」の土台には、嬉しい」という思いがあるそうです。

 

買いたいものに出合ったことによるワクワク感。親切にしてもらって「ああ、よかった、大切にされている」と感じること。「いい雰囲気の店だなあ」という気分の良さ。そういったものすべてが「嬉しい」に含まれる。
そうしたあらゆるものが「嬉しい」を生む。
であるならば、この「嬉しい」をたくさん作ることが、これからのビジネスの目的になるのではないだろうか。(124)

 

 

ここで、最初に書いた「わかってる」という感じを思い出してください。

 

「わかってる」がキーワードになるのは、
純粋に「わかってくれている」と嬉しいと感じるから。

 

目指すべきは、「嬉しい」という感情をお客に提供することだったのです!

 

「嬉しい」を感じる時「心の豊かさと毎日の精神的充足感」(124)が得られます。

ビジネスは、「便利さ」をもたらす挑戦から、「嬉しい」を生み出す冒険になったのである。(124)

 

この「嬉しい!」という感覚。

 

あらゆるビジネスに当てはまります。

 

普通のお店はもちろん、
塾・学校もあてはまります。

 

小阪さんの本書『「心の時代」にモノを売る方法』には
ある新聞販売店が取り上げられます。

 

この新聞販売店、ひと味違います。

 

新聞を提供するという行為を
「リゾートホテルのルームサービスのような、優雅な朝」(180)を提供する行為に読み替えました。

 

以前、このブログで書いた「定義すること」に近い話です。

 

自分たちの仕事は「〜〜だ」という定義を、
新たにし直すということです。

 

「リゾートホテルのルームサービスのような、優雅な朝」に必要な物は、何か?

 

それを「焼き立てパンの配達」と考えました。

 

単にパンの配達をするのなら、
ただの「宅配パン屋」です。
「リゾートホテル」なのだから、
パンを届けるのに高級感のある箱を用意したり、
パンをビニールではなくしゃれた紙につつむようにしたり、
メッセージを明確に伝える工夫をしました。

 

ある意味、効率を度外視しています。

でも、その結果、新聞が売れない時代にも関わらず、
この新聞販売店のお客さんが増えているのだそうです。

 

きっと、この販売店から毎朝
新聞とパンを受け取るお客さんは

「この販売店、わかってる!」

そう感じているはずです。

 

 

「モノ」が売れない時代だからこそ、
お客の「嬉しい!」を提供できる
「メッセージ」なり「ストーリー」なりを考えていく。

とっても大事なことですね。

 

 

 

カフェを「サヨナラ」する日/新たに始める日〜『カフェという場のつくり方』〜

きょう、ブログで取り上げた山納洋さんの『カフェという場のつくり方』。
(参考:「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

 

そこに書ききれないくらい、この本は得るものが多い本、でした。

 

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その中で気になったのがカフェに「サヨナラ」する日と、
カフェを新たに始める日についての記述です。



まずはカフェに「サヨナラ」する日について。

 

アメリカの文豪・ヘミングウェイ

 

「老人と海」「武器よさらば」の著者と聴くと、
「ああ!」と気づく人も多いかもしれません。

 

ヘミングウェイは売出し中の若手時代、
カフェでチャンスをつかみました。

 

ですが後年はカフェの「悪徳」に気付き、
カフェに「サヨナラ」しているのです。

 

パリに着いたなかりの頃、ヘミングウェイは先輩の助言を受け入れ、文学界で最も重要な人物たちを探して歩きました。そしてカフェに集っていた作家や編集者たちと出会い、語らう日々を送ります。こうしたカフェでの出会いから、彼は雑誌で作品を発表する機会を得ていきましたが、やがて彼はカフェに集う人々の中に”悪徳と集団の本能”を見て取るようになり、名声を得てからはこうしたカフェ的生活から距離を置くようになっています。(173-174)

 

口悪くいうと、「だから悩みを相談する人がいなくなって自殺したんだ!」という人も居るかもしれませんが・・・。

 

さてここから著者の山納さんは、

カフェという場には、人それぞ卒業するタイミングがるという事実を示しているように思えます(175)

とまとめます。

 

一方、カフェを新たに始める日についても書いています。

 

「カフェをはじめる!」だけでなく、
「カフェで自分の学びを伝える!」
「カフェでイベントをする!」ということもあてはまります。

 

例として、フランスの哲学者マルク・ソーテを例に挙げます。

 

フランスのパリ政治学院哲学教授の職を捨て、
日常生活を哲学で考える「哲学カフェ」を始めた人物です。

 

つまり、ソーテにとってのカフェとは、仕事や立身出世の機会を得る「インプットの場」ではなく、今まで培ってきたものを発信するための「アウトプットの場」だったのです。(176)

そのことを受け、著者はこう綴ります。

 

人生においていろんなことを経験し、自分の果たすべき役割を見極め、その先に社会や人と関わることのできる場所を求めて、カフェを志向するようになる。こういう人はもはや、大きな心の揺れに翻弄されることはないでしょうし、より多くをお客さんに与えることのできる存在になっているでしょう。そしてそういう場が増えることは、地域社会の活性化にも繋がるのではないかと思います。(176)

 

これ、実は怖い指摘です。

「自己肯定」「自己承認」されたいから
「お店を始める」という「シーズ発想」の人に、
カフェは合わない、という残酷な指摘でも在るのです。

 

 

だからこそ、人生の一時期にバランス良くカフェと関わることができる方法も、今の時代に必要なのではないかと思っています。
例えば、3年から5年の間だけ、多額の投資をすることなくカフェを開業することができて、辞めるタイミングが訪れた時には、そのお店を次の人に引き継ぐことができる、そんなシステムがあれば、カフェを通じて自分の可能性を広げられる人がもっと増えるのでは、と思っています。(176-177)

 

そうです。
この本、
カフェ、みんなやろうよ!楽しいよ!」というよりも、
カフェはキツイよ。でもやりたいなら真剣にやると、道が見えてくるよ!」という激励の書なのです。

 

実際、カフェはキツイです。
「その先」に輝きが見えてくるものなのです。

 

 

こちらもどうぞ!

  1. 上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社. (3)
  2. 少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日
  3. 心理的サヨナラ主義の考察。

「シーズ発想」と「ニーズ発想」って?〜「やってみたい!」を考える〜

今年2016年の5月から、「育てるコワーキング札幌」の運営に関わっています。

私もメンバーの一員である「一般社団法人Edu」のコワーキング事業部が運営する「育てるコワーキング札幌」。

札幌駅北口徒歩3分、
北海道大学正門横にある
札幌カフェ」を土曜日に借りて運営しています。

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さて、その関係で「カフェ運営」についての本を最近読んでいます。

最近、良かったのが『カフェという場の作り方』。

 

 

ホワイトボードのない職場・大阪府庁〜『私と橋下知事との1100日』』

橋下徹さんが府知事に就任したのは2008年。
そして大阪市長に就任が2011年。
その間、2010年に「大阪維新の会」を設立し、
「日本維新の会」などで一世を風靡。

昨年の2015年に大阪市長を辞めて、
今年辺りから再びバラエティ番組で姿を見るようになりました。

 

これだけ短時間に政界に影響を与えた「タレント議員」はかなりめずらしい存在です。

 

大阪府知事時代、
橋本府知事の「特命機関」として、
「都市魅力化」が発足しました。

 

そこの課長に、民間人から無試験で選ばれたのが中村あつ子さん。

私と橋下知事との1100日』の著者です。

 

サブタイトル「民間出身の女性課長が大阪府庁で経験した「橋下改革」」。

 

一見「暴露本かな?」と思い手に取りました。

 

中身は全く逆。

 

大阪府庁という「堅い」お役所に入っていった女性経営者の奮闘の様子が描かれていました。

 

その中で「大阪府庁は”ケッタクソ社会”なのだ」(63)という指摘があります。

 

 

大阪弁で「けったくそ悪い」といえば「気分が悪い」とか、「いまいまいい」といった意味で、あくまでオフィシャルではなく内々に表現する時の言葉です。「卦体(けたい)」、つまり占いの結果が悪いことに「糞」を付けて悪いことを強調しています。(63)

 

そのケッタクソ社会。

 

たとえば、別の部局と連携して仕事をしなくてはならない時などに、府庁では(とくに男性は)「相手の誰が話をもってきたか、どのように言ってきたか」などに異常にこだわるのです。それで釣り合いの取れないような相手だったり、手順に納得がいかなかったりすると、仕事の内容はさておき、
「ケッタクソ悪い、やめとこか」
となったりするのです。要するに、男の面子が立つかどうか、それが大切なわけで、府民が喜んでくれるかどうかというところに仕事の価値基準があるわけではないのです。(63-64)

 

そこに民間出身の女性課長として入っていった苦労。
大変なものだったと思います。

 

3年間働いたうちの1年目は、それこそ「お役所」のルールに振り回されて終わってしまった、とのこと。

2年目。
周囲と軋轢とストレス。

 

3年目には、少しずつ周囲とも協力し「仲間」として仕事ができるようになってきたそうです。

 

同じメッセージを伝え続ける。

その大事さを知りました。

 

 

この本で印象的だったのは、
著者の中村さんが大阪府庁に入った際、
「あるもの」がないことに衝撃を受けた部分です。

 

 

それは「ホワイトボード」。

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いまどきホワイトボードのない組織も珍しいですが、
大阪府庁には「なかった」そうです。

 

 

それは会議の際、
紙を配りそれに目を落とすだけなので
「ホワイトボードがいらない」のです。

 

著者の中村さんは「ホワイトボード」を予算で買おうとしました。

が、総務の許可が降りませんでした・・・・。

 

仕方なく倉庫に眠っていた古いホワイトボードを引っ張り出してきます。

 

 

ホワイトボードを導入したことで、どんな変化があったのでしょう?

 

 

会議の際、
書類だけだとただ書類を見て終わりになります。

 

ホワイトボードを導入すると・・・

 

時間が効率的に使えるし、論点がはっきりし、頭の整理ができます。それで目線が上向きになり、出席者が顔を向けあうようになりました。
職員が一緒に考えることに意味があるのです。そうすることで前向きな議論ができて会議が活性化します。そんなミーティングを経て「大阪に恋します。」という局の合言葉を誕生させたのは、先にも触れたとおりです。(109)

 

私もファシリテーションをやる側なので、
ホワイトボードの意義はよくわかります。

 

ホワイトボード。
議論を整理する以上に
メンバーの「一体感」すらも出すことが出来る
便利ツールなのです。

 

中村さんは、ホワイトボード導入でアイデア出し・「職員の一体感」を出すなどの「小さな工夫」を積み重ねていきます。

 

課内の全メンバーとの30分ずつの面談の実施もその一つ。

 

「小さな工夫」と「小さな達成感」の積み重ね。
そこからメンバーとしての一体感や大阪府庁という
「ケッタクソ社会」すらも変えていくことができます。

 

そういう点で印象的でした。

パクリ魔・寺山修司伝〜『虚人 寺山修司伝』を読む〜

昭和を代表する作家で劇作家の寺山修司

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高校在学中から「短歌」の世界で注目され、
大学中退後、ラジオドラマを書き、
テレビドラマ、映画脚本、戯曲、競馬評論などを立て続けに書き連ねる。

作詞も行うし、テレビにも出演する。

そして自分の劇団「天井桟敷」を旗揚げ。
映画監督としても、映画史に残る『田園に死す』などを残している。

 

著作も数知れず。

 

 

 

職業を聞かれた際、

「職業は寺山修司です」

そう言ってのけるほど、マルチな才能を発揮した寺山修司。

寺山修司の20代はじめはテレビ黎明期。
まだテレビドラマのほとんどが「生放送」だった時代です。

 

ビデオテープのような録画装置がバカ高かった頃。

そんな頃からずっとドラマ脚本を書き続けている人なのです。

 

あしたのジョー」のテーマ曲の作詞家、といったら驚く人もいるかもしれません。

「サンドバッグに・・・」のあの曲です。

 

「あしたのジョー」に出てくる、ライバルの力石徹が作品中で死亡した際、
力石徹のお葬式が行なわれました。

その葬儀委員長も寺山修司。

 

ほんと、よく分からない人です。

 

 

死後30年以上たったいま現在にも熱烈なファンのいる寺山修司。

かくいう私もその一人。

 

わざわざ、青森県の何もないど田舎にある
寺山修司記念館」までノコノコ行ってしまうほどです。

 

衝撃を受けたのが、
寺山修司記念館のバス停。

 

「冬期間のバスの営業はありません」

 

自家用車、あるいはレンタカーなりタクシーなりでしか来れない。
それでいて「郷土の偉人」と言い張る青森県。

ほんと、素晴らしいですね!

 

 

さて、今回紹介する『虚人 寺山修司伝』は、
「カッコよくない」寺山修司の姿を赤裸々に書いた本。

 

輝ける天才・寺山修司が、
実は「パクリ魔」だったことを当時の証言を元にまとめている本なのです。

 

帯紙がいいことを書いています。

 

「徒手空拳で青森から上京し、草創期のテレビ界を舞台に、さまざまな人物と交流しながら名声を求めた寺山修司。
彼の作品−−俳句、短歌、ドラマは模倣の連続であった。」

 

・・・あまり知りたくない話ですが、事実です。

 

 

寺山修司作の短歌として、最も有名なのはこちら。

 

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

 

叙情的で、なおかつ社会風刺すら込められた短歌。

 

私も大好きな短歌です。

 

 

ですが、この短歌も「元ネタ」があります。

 

「一本のマッチをすれば湖は霧」(170)

 

このレベルだと、モデルをもとに創造をした、といえるものです。

 

ですが、『虚人 寺山修司伝』は彼の「剽窃」(パクリ)が筋金入りであることを述べています。

 

高校在学中の「短歌」も友人のパクリの短歌が多い上、
初めて書いたラジオドラマにも剽窃疑い。
これまた初めて書いた戯曲やテレビドラマのシナリオも
「パクリ疑惑」が起きているのです。

 

 

そう、実は寺山修司は「パクリ魔」だったのです!!!

 

ただ、彼が優れているのは「パクった」作品に、
彼自身の世界観をうまく落としこむ所。

 

寺山修司のあらゆる作品には「田舎・青森」と「都会・東京」の相剋と、母と子の葛藤が込められています。

 

コラージュ。断片の集積。コピーのオリジナリティ。この田舎者の国の戦後に何か一番の核を突きつけたのが修司だったのではなかろうか。そう和田(注 和田勉のこと)は思うのだ。(210)

 

ただ、寺山修司がなぜ剽窃までして自分の作品を創りださなければならなかったのでしょう?

 

本書の作者は寺山修司の家庭環境にその理由を求めています。

 

幼くして父を亡くし、母と2人ぐらし。
その母も、仕事のため寺山修司を置いて九州で働きに出る。

ある意味「捨てられた」状態で、縁戚の映画館で生活する。

そんな状態のため、とにかく有名になって「承認」を得たかったのではないか???

 

そのためなら剽窃だろうがなんだろうがやるし、
「短歌」で有名になったら次は「戯曲」「脚本」「小説」と、
次々仕事を行っていく。

 

寺山修司にとって、
短歌も戯曲も小説も評論もなにもかも、
自己を承認「してもらう」ための手段に過ぎなかったようです。

 

これ、相当つらいことですよ!?

 

そこまで頑張らないと、自分が満たされないわけですから・・・。

 

私は、寺山修司がただただ、才能にあふれていた「天才」なのだと考えていました。
本書を読んで、急に身近に感じられました。

 

そんな寺山修司。
末期の病を宣告された後も、「映画監督」や「演劇の演出」にこだわりました。

彼にとって、「末期の病」の宣告は何を意味していたのでしょうか?

 

私は、はじめて「承認」を必要としない仕事に出会った「喜び」があったのではないか、と考えています。

 

「承認」を求めて仕事をしていた寺山修司。

さすがに「このままだと余命は1年ない」と言われた際、
「本当にやりたいことをやる」意識に変わったのではないか。

 

私はそう思っていますし、
そうあってほしいな、と思っています。

 

若者に「家出のすすめ」などでアジ気味の励ましを送っていた寺山修司が、
最後の最後まで自己承認のために仕事をしていたとは「思いたくない」のです。





寺山修司が自分の劇団旗揚げの際、
俳優として依頼したのが美輪明宏(当時、丸山明宏)です。

紅白歌合戦はもちろん、
テレビにも未だに出ています。

 

美輪明宏も生きているし、
寺山修司をラジオドラマの世界に引きずり込んだ
谷川俊太郎もまだ生きています。

 

寺山修司は「若い日本の会」に入っていました。

 

日本が「政治の季節」だった60年代に、
「若手」文化人として声を上げたのが「若い日本の会」。

「若い日本の会」のメンバーはそうそうたるもの。

石原慎太郎や劇団四季の浅利慶太も、
永六輔大江健三郎もそのメンバー。

しかも、まだ生きている人が多いのです。
(もう若くない・・・)

 

それを考えると、
1983年、47歳にして他界した寺山修司が不運に見えてきます。
同年代がまだ活躍しているのを見ると、
若すぎた死!」という思いが抜け切らないのです。

 

だって、今の時代を寺山修司がどう解釈するか、
見てみたいですもん。

 

特に短い警句たる「アフォリズム」に秀でた寺山修司がもしツイッターをしていたら・・・。

とてつもなくグイグイ引き込むツイートをしていたはず。

 

そう考えると、残念で仕方ないのです。

 

2Q==-1☆こちらからお求め頂けます。

こちらもどうぞ!

  1. 拝啓 寺山修司様
  2. 心理的サヨナラ主義の考察。
  3. 真の教育的関係とは?
  4. イケダハヤト『まだ東京で消耗してるの? 環境を変えるだけで人生はうまくいく』。 (2)