演劇

戯曲・眼鏡(めがね)

(引き出しやタンスなどがおかれた室内。A、眼鏡をかけて、何かを探している)
(B、上手より登場)
B:お、何か探し物?
A:うん、ちょっと見つからなくて。
B:手伝うよ。
A:ありがとう。
B:何探してるの?
A:めがね。
B:(けげんそうに)めがね?
…え、めがね?
A:そう、メガネ探してるのよ。
B:え、本当に?
(独り言のようにつぶやく)そうか、もう一つ別のメガネを探してるのか。近眼用と老眼用を使い分けてる人もいるしね。
A:何か言った?
B:いや、別に。(手を動かす)見つからないなあ。
A:そうだね。あの本棚かな?
(A、下手より退場。しばらくしてC、上手より登場)
C:や、久しぶり!
B:ああ、君か。
C:何してんの?
B:うん、Aの手伝いで探し物。メガネを探してるんだ。
C:ふーん、メガネ?
(A、下手から登場)
A:あ、C、来てたの。
C:えっ!(Bに)本当にメガネ探してるんだよね?
B:そうだよ。
C:(しばし沈黙。独り言のように)あ、そうか。別のやつだよね。
A・B:何か言った?
C:いや、別に。
A:見つからないな。
B:枕元においたんじゃない?
A:そうね。ベッド見てくるね。
B:俺も行くよ。
(A・B、下手より退場。しばらくしてD、上手より登場)
D:お、Aのところにきたら君がいるとは。最近、どうなの?
C:バイトがキツくてね。君は?
D:よく聞いてくれたね。いいバイト見つけたのよ。
C:(手を動かしつつ、視線を外して)嬉しそうだね。
D:うん、この話は長くなるよ。
C:じゃ、いいや。
D:おい! …ところで何してんの?
C:Aがメガネ探してんのよ。
D:そうなの。Aはどこにいるの?
C:Bも来ているから、Bと一緒に寝室にいるよ。
D:え、あの二人、そんな関係?
C:ちがうちがう。メガネ探してるの。
D:ああ、そうなんだ。
C:がっかりするなよ。
(A・B、下手より登場)
C:あった?
A:無かったよ。
(D、驚いてAを見る)
D:おい、C、Aの奴、本当にメガネ探してるのか?
C:そうだよ。
D:(独り言で)ああ、別のやつね。そういやアイツ、赤フレームのも持ってたよな。
A・B・C:なんか言った?
D:いや、独り言だよ。俺も手伝うよ。
(ナレーター、上手より登場)
ナレーター:1時間後。
(ナレーター、上手より退場)
C:もう、疲れた!(足を投げ出す)
B:お前がへばるなよ。俺もくたくただ。
D:ああ、本当にしんどいな。
A:こんなに探してもないんだから、もうメガネは諦めるよ。
B:…そんな悲しいこと言うなよ。
C:もう少し探すと見つかるよ。
D:でも、少し休もうぜ。俺がお茶でも入れるよ。
(D、上手より退場)
B:どこで最後にメガネを置いたか、覚えてない?
A:うーん、それが全然覚えてなくて…。
(D、湯のみ4つをお盆に乗せて上手より登場)
D:お茶入れさせてもらったよ。はい、A。
A:どうも。
(飲もうとして、メガネがくもる)
あ! メガネ付けてた!
B・C・D:いまさら言うな!
fin.

水族館劇場『谷間の百合』

 わが早稲田大学の演劇博物館前広場において、水族館劇場という劇団の公演が行われた。『谷間の百合』というタイトルだ(同行したわが親友は「百合」が読めなかった)。「伝説のストリッパーの芝居を上演します」という説明から密かな「期待」があったが、案の定その「期待」は現実のものとなった(何を意味するかはここでは書かない)。

 野外公演。ちょうど、天候は雨が降ったり・やんだり。ビニールシートに座っていた私と親友は、頭にタオルをかぶるなどして対応した。どんよりとした天気は本演劇のもつ暗いイメージと非常にマッチしていた。天候という偶然の産物が、演劇という時に偶然性をも利用する芸術と、うまくおりあっていたといえるだろう。ヒロインの「これからの一条さゆり」の、今後の人生への暗い展望が、心情描写として描かれていた。

 ストーリーとしては、ストリッパーとして働く「これからの一条さゆり」のもとに、将来の一条さゆり(「あれからの一条さゆり」)が会いにくる。いまは売れっ子の踊り子・一条さゆりであるが、その内全く売れなくなり、酒に溺れ、釜ヶ崎の住人となってしまうほど落ちぶれてしまう。「あれからの一条さゆり」は「あんな町へ行ったらあかん」と、忠告に来たのだ。
 「これから」と「あれから」の一条さゆりは互いに苦しい身の内を語り合った後、抱きしめあうところで幕となる(野外なので、本当の「幕」はないけれど)。

 「人間は阿呆でさびしんぼうや」というセリフに、非常に惹かれるものがあった。続けて「夜になると人が恋しくなり、酒を飲む。寂しさが分からなくなるくらいまで飲む。金がなくなると、体を売る」。私も夜になると、無性に寂しい思いになり、酒を飲んでしまう。「あれからの一条さゆり」の寂しさが、無性に伝わってきて泣きたい思いがした。

 調べてみた所、この「一条さゆり」は実在の人物であるようだ。60~70年代に一世を風靡したストリッパー・ポルノ女優。晩年は釜ヶ崎で寂しくこの世を去ったと聞く。

 野外公演も、ぎゅうぎゅう詰めで観る演劇も初めてなので、非常に印象深かった。学生演劇くらいしか今まで観ていなかったが、プロの演劇は違うと実感した。早稲田での公演でありながら、観客は中高年ばかり。早稲田生は数えるほどしかいないようである。