私はCoworking Cafe 36というバーで日曜バーテンをしている。
その経営を考える上での最良の参考書に、今日出会った。
『コミュニティ・カフェと市民育ち』である。
栃木県でコミュニティ・カフェ「ソノヨコ」の立ち上げの裏側を描いた本。
「ソノヨコ」はCoworking Cafe 36同様、日によって担当者が変わる「日替わりシェフ」の店。
曜日によって、店自体の名前が「Balloon」や「蓮家」などと変わる。
これら曜日によって変わる店の総称が「ソノヨコ」となっている。
読んでいて「なるほどなあ」としみじみ共感する。
「〈ソノヨコ〉の営業は、正直、予想以上にうまくいった。(…)ひとつの要素に「みんなが自腹を切っている」ことも見逃せない。
〈ソノヨコ〉に出店している店のメンバーは、バイト感覚でやっていはいない。仮にバイト感覚でやっているとすれば、誰かが時給を支払ってくれるわけではないのだから、こんなことはバカらしくてやっていられないだろう。
しかし、自分が経営者であれば別である。(…)客にそっぽを向かれると自分の腹が痛むので結果として質の維持もできる。また、責任をもって営業できるので、それぞれ創意工夫できるし、モチベーションの維持もできる」(99)
ただ、Coworking Cafe 36の圧倒的な違いがある。
それは「コミュニティ・カフェ」を名乗る「限界」である。
「コミュニティ・カフェ」は、「社会起業家になりたい!」若者が一度は通る発想である。
「キラキラ」ドリームである。
かくいう私も、Coworking Cafe 36に関わる原初的動機に「キラキラ」ドリームがあったことは否定しない。
「いろんな人の居場所を作る」。
なんて素晴らしい夢なんでしょう!
でも、そんなのを「コミュニティ・カフェ」につきものの「非営利」「ボランタリズム」でやる必要、本当は存在しない。
駅前のスターバックスコーヒーを見れば、十分いろんな人の「居場所」になっている。
いろんな人が集まるという意味ではCoworking spaceでもある。
しかもスターバックスコーヒーは「営利」としてきちんと稼いでいる。
「わたし、料理上手なの」レベルの素人が食事を出すレベルを、圧倒的に凌駕している。
「コミュニティ・カフェ」を名乗る限界は、この「キラキラ」社会起業意識が抜け切らないところにある。
「みんなの居場所になっているから、儲けなくてもいい」。
…やればわかるが、この動機だと全くといっていいほど店が続かない。
ボランティアが想像以上に「継続が困難」なのも、
「儲け主義ではない」と名乗るフリースクールが案外メンドクサイ場所であるのも、
ある意味「キラキラ」ドリームに毒されているからかもしれない。
「キラキラ」になると、現実が見えなくなる。
自分の可処分時間を割いている以上、疲労がたまり辛くなる。
その結果、店に対する取り組みが低下し、品質が劣化する。
「キラキラ」の弊害を防ぐには、「あえて営利」を名乗る価値があるのだろうと思う。
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