なんどか書いていますが、私は私立の通信制高校で
札幌校に2年、帯広校(北海道の道東。札幌から200キロくらい東)に2年いました。
同じ学校ではあるのですが、
札幌と帯広で、「やり方」が違っていました。
どちらも、学習障がい(LD)や発達障がいなどを持っている生徒がいました。
ですが、その生徒に対する、
教員の「戦略」の違いを感じたのです。
フリーに「なってしまった」今、振り返っています。
札幌校時代、主要な戦略はこちらでした。
(1)「困らせない」戦略
札幌校勤務時代、生徒と関わる上での主要な戦略は
「困らせない」戦略でした。
「困らせない」ってどういうこと?
それは、生徒が「困らない」ように、
教員の力でなるべく「配慮」をするやり方です。
たとえば。
「ノートを書けない!」
そういう生徒がいます。
だからこそ、そういう生徒のため、
懇切丁寧に「プリント」を授業の際配布します。
人によってはテストも、その子が「理解しやすい」順序に配置し直します。
徹底的に、その子が「困らない」ようにする。
そのため、その子に個別対応するし、
保護者にも「文句」を言われないようにする。
教員として「すばらしい」努力です。
私も札幌校時代は、
この戦略を「大事」にしていました。
・・・実は、帯広校に行ってから違う戦略に気づきました。
(2)「困らせる」戦略
生徒と関わる上でのこの「困らせる」戦略。
おそらく、大部分の方にとっては、「????」な戦略のはずです。
「教員として、あるまじき!」という方すら居るかもしれません。
そんな破壊力抜群の「困らせる」戦略について、ご説明します。
この「困らせる」戦略は、さきほどの「困らせない」戦略の逆です。
生徒本人、
特に発達障がいなどを持っている生徒が「困る」「困ってしまう」「戸惑う」まで、ある意味で「見守る」方略です。
ある意味では、
発達障がいのある生徒が、本当に、
どうしたらいいの!!!!????
と「戸惑う」まで放置する方略です。
ある意味、無慈悲です。
「何もしていない!」と怒られる可能性すらあります。
ですが、単なる「放置」「放任」と違うのはそれからです。
自分一人、いまの状態では「うまく行かない」。
その状況に「困り」、「どうやったらいいんだろう???」と考え始める。
その状態まで待ち、
その上で「じゃあ、こうやればいいんじゃない?」とアドバイスをする。
それが「困らせる」戦略です。
たとえば、中学時代に支援級(特別支援学級)で
手厚い配慮を受けてきた高校生が入学してきます。
それまで、たとえば行事の前は
「あなたは学校祭、これとこれをしてください。
そのために〜〜月ーー日に〜〜〜に行ってこれをしてください。
当日は〜〜時に来て、〜〜〜をしましょう。」
きめ細かく指示されていました。
帯広校では、
「何も」してくれません。
「なんで何もしてくれないの???」
そんな生徒からの「恨み言」もよく聞きました。
たしかに、「紙」で全員に同じ連絡をするだけで、
その人のための「特別な配慮」に近いものはあまり行っていませんでした。
生徒・保護者からの「恨み言」。
よく聞きました。
ただ、「それが帯広校のやり方」というのを言っていくと、
だんだん自分で考えるようになってきました。
事前に自分で「質問する」ようになるのです。
以前は、
「なんで事前に全部連絡してくれないの???おかしいじゃん!」
そう言っていた生徒も、半年もすると、
「来週は学校祭ですね。
何時にどこにいき、なにをするといいでしょうか?」
と、自分で考えて動くようになります。
札幌校と帯広校両方で教員として働いた私として、
結果的に言うと、
「困らせる」戦略の方が価値的だと感じています。
なぜでしょう?
明らかに「恨み言」を聞くのに???
答えを言います。
人間、ほんとうの意味で「困ら」ないと、
自分の行動を振り返らないのです。
自分のこれまでの生き方では、通用しない環境に出会う。
それが、「手厚い」中学校に比べて、
「何も自分のために特別に配慮してくれない」高校との違いです。
はじめは「恨み言」を親も交えて言っていますが、
いくら言っても動いてくれない学校を見ると、
「じゃあ、自分がなんとかしないヤバイ」
そう気付きます。
だから自分から聞くようになります。
学校側に「なんで〜〜してくれないんですか!」というのをやめ、
「〜〜があるので、どうやったらいいか教えて下さい」と聞くようになります。
これ、ある意味で「進化」です。
いままで、「周りが特別に配慮するのが当然」と思っていた人が、
「自分は何を周りに求めないとうまくいかないか」考えるようになるのです。
いままで「周りが悪い!」と言っていた人が、
「周りに動いてもらうにはどうしたらいいか」と考えるようになったのです。
そうなると、周りへの感謝が生まれます。
自分が困るからこそ、
「どういうサポートをしてもらうと、自分にとっていいのか」考えるようになります。
いまはある意味での発達障がいを持っている生徒を対象に話していますが、
あらゆることに通用することだと思います。
新入社員が困らないよう、できるだけ配慮をしようとすると、
疲れ果ててしまいます。
そうではなく、「あえて」新入社員が困るようにすると、
「自分は何をすべきか」考えるようになります。
ここで考えるべきことがあります。
「困らせない」戦略には、そもそも無理があるのです。
当然、「ノーマライゼーション」などが大事なのはわかっています。
ですが、あまりに「特別扱い」「配慮」をし過ぎると、
それが当たり前になり、
「なんでこうやってくれないの!」という逆ギレすら招く危険があるのです。
実は札幌校時代の「困らせない」戦略。
教員側にも「無理」がありました。
一人ひとりのことを気にかけ、
「この子のためには、このプリント!」
「この子には、特別にこの宿題!」
一生懸命、考えている教員がいました。
一見、すごくいい教員です。
おそらく、教育委員会でもPTAでも表彰ものでしょう。
恐ろしいのは、この「善の行為」が、
逆の結果となることがあるのです。
例1)
一生懸命な教員以外の教員が「配慮」してくれない場合、
「なんで配慮してくれないの!おかしいじゃない!」と逆ギレする。
卒業して就職しても、
まわりが「配慮」してくれないので、
「周りが悪い!やめる!」とすぐ仕事をやめてしまう。
例2)
一生懸命な教員が、
まわりの「配慮」しない教員に対し、
「私は一生懸命やっているのに、なんで周りの教員は何もしないの!」
「おかしいし、間違っている!」
と他の教員にキレる。
この2つの例、分かりますでしょうか???
生徒のために、
「困らせない」ようにする努力が、
結果的に本人にも、
そして「努力」する教員にも悪い結果を招くことがあるのです。
高校くらいになってきたなら、
「社会に出る」ことを考えさせるべきです。
「社会」は、
新入社員のために「配慮」なんてしてくれないのが「前提」です。
その現状、
みんな知っているはずです。
でも、学校で「配慮」しすぎ、
「困らせない」環境にいると
社会に出て困ってしまいます。
むしろ学校がすべきなのは、
本人を「困らせる」努力をし、
「だから私は何をしたらいいか」と
学校側に「質問する」「相談する」関係づくりなのではないでしょうか。
そうなると、生徒は自然と話しを聞きます。
人間、
壁や困難にぶつかり、
「困る」ことがないと自分のやり方を変えないものです。
よく言われますが、
のどが渇いていない人に水を飲ませることはできません。
人間はのどが渇く、つまり「困らない」かぎり、
自分の行動を変えようとはしません。
のどが渇く、つまり「困った」場合、
周りの言葉に耳を従えるようになります。
常識的に考えると、
学校は「のどが渇く」状態に持って行き、
「このままではどうしたりいいか分からない!」
「どうしたらいいですか?」と質問する状態に持って行くべき。
ですが学校は「困らせない」戦略に終始することがあります。
あえて「困らせる」戦略。
考えてみるべきではないでしょうか???
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