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第5回教育パワーランチ、開催しました!

本日3/17(日)、第5回教育パワーランチを開催しました!

学校教員・塾講師の他、職業を超えて多くの方々と、「教育」について語り合えました。

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今回テーマに出たのはキャリア教育。
子どもたちが社会とつながれる場がとても大事なのですが、
自宅においてもそれを行うことができます。

例えば「この携帯電話って、どんな人が作ってると思う?」などを聞いていくこと。
子どもと社会のつながりが広がっていくはずです。

さてさて、次回は第6回。
4/21(日)12:00-14:00、Coworking Cafe 36で開催します!

詳細はこちら

次回のご参加、お待ちしております!

映画『キャビン』(原題 Cabin in the Woods)


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時々、突発的に「映画」を観たくなる。

特定の映画を観たいのではない。

「映画」を映画館で、なんでもいいから見たくなる。

 

何かは特に決めず、ただ時間があうものをとっさに選び、観ることがある。

 

今日観た『キャビン』も、そんな映画。

前情報一切なし。

 

ただステラプレイスでちょうどやっていただけの映画。

 

ホラー系はあんまり好きじゃないので始まるまで、ドキドキ。

(ただ、『ソドムの市』を観た後だと、どんな映画でも怖くはなくなるのだ)

結果的には「観てよかった」映画。

 

大学生5人が山小屋に楽しい週末を過ごしに行く。

地下室にあった日記帳を読んだためにゾンビが蘇り、襲われる。

…ありがちなホラー映画。

でも味わいを変えているのは、「太古の神々への生贄の儀式」である点。

全員殺されていれば問題なのだが、

2人が生き残ってしまう。

 

おまけに遠隔操作していた本部にまでこの2人が道を発見してしまい、

生贄を与えられない神々の復活が避けられなくなる…。

 

実は地下室にあったいろんなアイテムは、

ゾンビのような怪物たちを復活させるための道具。

あくまで「生贄」たちが選んだ怪物に殺されることが必要なのだ。

 

そのため本部の地下にはいろんな怪物を詰めたエレベーターの部屋が大量にある。

 

この映画一番のハイライトは、大学生2人が身を守るため

怪物を部屋から脱出させるボタンを押すシーン。

 

「チーン」といってエレベーターが鳴ると、次々怪物が出て来て

本部の人間を殺しまくっていく。

このあっけなさが小気味いい。

フランケンシュタインの怪物のほか、ユニコーンや殺人ピエロなど、

怪物たちのショータイム。

 

オチは社会学者としては考えさせられる。

生贄としておとなしく殺されると、人類は救われる。

抵抗すると、全人類が殺される(神々が人類を滅ぼすから)。

 

この2人の選択をここでは書かないが、

マイケル・サンデル『これから正義の話をしよう』っぽい展開となる。

自分が殺されるか、人類が滅ぶか。

 

結局は自由意志で生贄として命を捧げないといけないのでしょうね。

私のノマド・スタディ①〜ミミベンDVDのススメ〜

働き始めてから、本を読んでの学習はかなり減りました。

それまでは(ほぼ)一日中、本を読む形での学習・研究をしていました。

それが大学院に2年いた人間にとっての、ささやかな自慢です。

さて、働き始めると、机で本を読むことが減ります。

でも学ばないと、仕事の質が明らかに下がります。

そのため、電車やトイレなど、「スキマ時間」での学習が必要となります。

この「スキマ時間」での学習という意味での「ノマド・スタディ」、

つまり「いつでも・どこでも」「机を離れて」の学習を私は主に行なっています。

私の学習のうち最大のものは「耳からの勉強」です。

ミミベンです。

やり方は簡単。

まずはTSUTAYAさんなどでDVDを借りてきます。

データをiPhoneに入れます。

あとはイヤホンを差し、会社への行き帰りに聞くだけ、です。

映像は基本的に観ません。

見ているとこけます(札幌の道はツルツルだったりします)。

何の努力もいりません。

ただ聞く。

それだけ。

それなのに、ドラッカーや歴史など、いろんな学習ができています。

講師は一流です。

話も雑談も、うまいです。

「講師」である私にとって、大変重要な学びをもらっています。

知識面だけではなく、「話し方」も学べます。

特に学べるのは「間」の取り方。

聴衆の反応を待つ時間の大事さを学びました。

自己啓発系のDVDも聞きます。

聞いていて参考になるのは、

「アタリマエのことをいかに凄そうに語るか」という手法です。

これは教訓臭くなりがちな教員こそ、学ぶべき手法です。

例えば「あいさつの大事さ」を、普通の教員は

「朝会ったらあいさつをしましょう」という形でしか示しません。

なぜあいさつをするのか、どのようなあいさつがいいのか、

特に示しません。

でも、自己啓発系のDVDで同じ事を伝える場合、

「笑顔であいさつすると、自分も元気が出ます。

あいさつをすると、自分が幸せになります。

だからあいさつをしましょう」

…大体、こんなノリの説明になります。

幸せうんぬんはともかく、「論理的な説明」にはなっています。

「やったほうがいいのかな」という感じを相手に与えられます。

そんなわけで、「アタリマエのことをいかに凄そうに語るか」という手法を、

私はDVDから学び、実践しているわけです。

話をする仕事をしているため、他人の授業の仕方から学ぶことは多いです。

ですが、学校という職場では意外に他人の授業を聞くことは少ないのです(つまんないし)。

TT(ティームティーチング)というのが流行っています。

授業の補助で別の教員が入るというものです。

その際も、個別対応に集中するため意外に授業は聞けません。

だからこそ、DVDでの語りから学ぶことは非常に多くあります。

このDVDによるノマド・スタディ。

一番のメリットは「安い」こと。

本は1冊1,500円なんてザラです。

DVDは1週間借りてたった100円。

私は毎回、100円の投資で多くのリターンを得ています。

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私のノマド・スタディ①〜ミミベンDVDのススメ〜

働き始めてから、本を読んでの学習はかなり減りました。

それまでは(ほぼ)一日中、本を読む形での学習・研究をしていました。

 

それが大学院に2年いた人間にとっての、ささやかな自慢です。

 

さて、働き始めると、机で本を読むことが減ります。

でも学ばないと、仕事の質が明らかに下がります。

そのため、電車やトイレなど、「スキマ時間」での学習が必要となります。

 

この「スキマ時間」での学習という意味での「ノマド・スタディ」、

つまり「いつでも・どこでも」「机を離れて」の学習を私は主に行なっています。

 

 

私の学習のうち最大のものは「耳からの勉強」です。

ミミベンです。

 

やり方は簡単。

まずはTSUTAYAさんなどでDVDを借りてきます。

データをiPhoneに入れます。

あとはイヤホンを差し、会社への行き帰りに聞くだけ、です。

 

映像は基本的に観ません。

見ているとこけます(札幌の道はツルツルだったりします)。

 

何の努力もいりません。

ただ聞く。

それだけ。

 

それなのに、ドラッカーや歴史など、いろんな学習ができています。

 

講師は一流です。

話も雑談も、うまいです。

 

「講師」である私にとって、大変重要な学びをもらっています。

知識面だけではなく、「話し方」も学べます。

 

特に学べるのは「間」の取り方。

聴衆の反応を待つ時間の大事さを学びました。

 

自己啓発系のDVDも聞きます。

聞いていて参考になるのは、

「アタリマエのことをいかに凄そうに語るか」という手法です。

これは教訓臭くなりがちな教員こそ、学ぶべき手法です。

 

例えば「あいさつの大事さ」を、普通の教員は

「朝会ったらあいさつをしましょう」という形でしか示しません。

なぜあいさつをするのか、どのようなあいさつがいいのか、

特に示しません。

 

でも、自己啓発系のDVDで同じ事を伝える場合、

「笑顔であいさつすると、自分も元気が出ます。

あいさつをすると、自分が幸せになります。

だからあいさつをしましょう」

…大体、こんなノリの説明になります。

 

幸せうんぬんはともかく、「論理的な説明」にはなっています。

「やったほうがいいのかな」という感じを相手に与えられます。

 

そんなわけで、「アタリマエのことをいかに凄そうに語るか」という手法を、

私はDVDから学び、実践しているわけです。

 

 

話をする仕事をしているため、他人の授業の仕方から学ぶことは多いです。

ですが、学校という職場では意外に他人の授業を聞くことは少ないのです(つまんないし)。

TT(ティームティーチング)というのが流行っています。

授業の補助で別の教員が入るというものです。

その際も、個別対応に集中するため意外に授業は聞けません。

だからこそ、DVDでの語りから学ぶことは非常に多くあります。

 

このDVDによるノマド・スタディ。

一番のメリットは「安い」こと。

本は1冊1,500円なんてザラです。

DVDは1週間借りてたった100円。

 

私は毎回、100円の投資で多くのリターンを得ています。

ドラッカー『マネジメント』挫折者に贈る、「挫折しない」ドラッカー入門書『経営者の条件』

ドラッカーと言えば『マネジメント』、という風潮がある。

でも、『マネジメント』は本当はものすごく膨大な本。

日本人がイメージする『マネジメント』は「エッセンシャル版」、つまり「要約版」である。

だから、意味がわかりにくかったり、説明が不足(=端折る)気味。

「ドラッカーって、難しいよね」といわれるのは、みんな『マネジメント』から始めてしまうためらしい。

かくいう私も、この罠にかかっていた。

ドラッカーの本当の入門はここで取り上げる『経営者の条件』である。

専門家に聞いたのだから、間違いない。

『経営者の条件』ではあるが、これはリーダーシップや組織運営のイロハが書かれており、たいへんためになる。

特に私が感銘をうけたのは次の一文。

「「どのような貢献ができるか」を自問するということは、自らの職務の可能性を追求するということである」(72)

仕事の本質は「貢献」にある。

ドラッカーはそう言う。

「自分はこの組織の中で、どんな貢献ができるか」

「自分がこのお客さんに、どんな貢献ができるか」

そのためには、「「期待されている成果は何か」を自問することからスタートしなければならない」(30)。

つまり、自問し続けていくことで、仕事の水準があがり、無駄な努力がなくなっていくのである。

エグゼクティブに必要なのは、この「貢献」をメンバーたちが出来るように促していくことだ。

そのためにエグゼクティブは「判断の基準」を次々と示し、方針を決めていく必要がある。

「エグゼクティブに必要なものは、本当に重要なもの、つまり貢献と成果に向けて働くことを可能にしてくれるものの判断の基準である」(16)

これによって成果を上げることこそ、エグゼクティブの本質である。

ドラッカーは、成果をあげるためのコツをいくつも紹介してくれる。

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「成果をあげるためには、時間をかなり大きなまとまりとして使わなければならない。小さなまとまりでは、いかに合計の時間が多くとも不十分である」(39)

「重要なことに取り組めるようになるためには、ほかの人間にできることは、ほかの人間にやってもらうしか方法はない」(50)

「成果をあげるエグゼクティブは、実際に必要な時間以上に、時間の余裕を見る」(139)

「成果をあげるエグゼクティブは、原則や方針によって一般的な状況を解決していく。そのため彼は、ほとんどの問題を単なるケースの1つとして、すなわち単なる原則の適用の問題として解決していくことができる」(176)

「自ら出かけていって、自らの目で行動の現場を見ることを当然のこととしないかぎり、ますます現実から遊離することになる」(194)

「半分の行動はない。半分の行動こそ、常に変わることなく間違いであり、必要最低限の条件、すなわち境界条件を満足させえない行動である」(217)

エグゼクティブの役割は「成果をあげる」こと。

これができるようになるために、『経営者の条件』はある。

…職場ではヒラのヒラ教員である私にとって、今後の生き方を考えるいい資料となる本となった。

「ノマエジュ」発足1年記念! ノマエジュブログ・アンソロジー!

事務局長の藤本研一です。

おかげ様で、日本ノマド・エジュケーション協会も4月10日で設立1周年を迎えます。

私・藤本の札幌進出を期に始めたノマエジュの活動。

5月のバードウォッチング・イベントに始まり、

コーチングや「人からの見られ方」に関する講座、

各種就活イベントや交流会の開催、

若者協力事業所Link Nextさんとの共同イベントの開催、

Coworking Cafe 36のバーテンダー参入などなど、

活動の幅が1年でかなーり広くなりました。

 

これも、皆さまのご声援とご支援のおかげでございます。

この「ノマエジュ」発足1年を記念して、本ブログの内容の再編成を行います。

テーマ別・興味別アンソロジーとして、ノマエジュブログを構成したものを近日公開いたします。

今後とも、変わらぬご支援、よろしくお願い致します。

 

平成25年3月7日

 

事務局長 藤本研一

仕事ごっこで日が暮れて。

ときどき「いま、自分は何をしているのだろう」と思ってしまう。

何をしているのか、わからなくなる。

6年間続いた「学生(院生)」の惰性は、まだ続く。

そう、自分が「大人」社会でインターンシップをしているに過ぎない気がするのだ。

いわば「仕事ごっこ」。

まじめぶる「まね」、

仕事をする「まね」、

教員の「モノマネ」。

ただ、社会学をやっている以上、自分が気づくのは

「模倣」ということと「仕事」の関係性だ。

人間は突如として社会という「既に始まっているゲーム」に無理やり参加させられる。

そしてルールを参加する中で無理やり身につけさせられる。

「仕事ごっこ」はいわば社会人1年目の人間の本質である。

「仕事ごっこ」のなかで人は「既に始まっている」会社ゲームに巻き込まれるのだ。

自分はまだまだ「会社ゲーム」には新規参入組なんだな、と思う。

でも、仕事ごっこも数年たてば、それが「現実」になる。

「ごっこ」が終焉し、「現実」がようやく始まる。

私もはやく「そっち側」に行きたいと思う。

 

人からの「見られ方」を良くする講座、開催しました!

本日3/3(日)、「人からの「見られ方」を良くする講座」、
エルプラザ3F OA研修室にて開催しました!

今回は雪のため少人数の参加でしたが、
その分講師と深く話すことのできる講座となりました!

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「ネクタイの色で印象が大きく変わりますね」
「笑顔は顔の筋肉を鍛えることで、よりよいものにすることができます」

実践的なアドバイスの飛び交う講座となりました!

あえてコミュニティ・カフェ批判〜応援の意味も込めて〜


私はCoworking Cafe 36というバーで日曜バーテンをしている。

 

その経営を考える上での最良の参考書に、今日出会った。

 

コミュニティ・カフェと市民育ち』である。

 

栃木県でコミュニティ・カフェ「ソノヨコ」の立ち上げの裏側を描いた本。

 

「ソノヨコ」はCoworking Cafe 36同様、日によって担当者が変わる「日替わりシェフ」の店。

曜日によって、店自体の名前が「Balloon」や「蓮家」などと変わる。

これら曜日によって変わる店の総称が「ソノヨコ」となっている。

 

読んでいて「なるほどなあ」としみじみ共感する。

 

「〈ソノヨコ〉の営業は、正直、予想以上にうまくいった。(…)ひとつの要素に「みんなが自腹を切っている」ことも見逃せない。

〈ソノヨコ〉に出店している店のメンバーは、バイト感覚でやっていはいない。仮にバイト感覚でやっているとすれば、誰かが時給を支払ってくれるわけではないのだから、こんなことはバカらしくてやっていられないだろう。

しかし、自分が経営者であれば別である。(…)客にそっぽを向かれると自分の腹が痛むので結果として質の維持もできる。また、責任をもって営業できるので、それぞれ創意工夫できるし、モチベーションの維持もできる」(99)

 

ただ、Coworking Cafe 36の圧倒的な違いがある。

それは「コミュニティ・カフェ」を名乗る「限界」である。

 

「コミュニティ・カフェ」は、「社会起業家になりたい!」若者が一度は通る発想である。

「キラキラ」ドリームである。

かくいう私も、Coworking Cafe 36に関わる原初的動機に「キラキラ」ドリームがあったことは否定しない。

 

「いろんな人の居場所を作る」。

なんて素晴らしい夢なんでしょう!

でも、そんなのを「コミュニティ・カフェ」につきものの「非営利」「ボランタリズム」でやる必要、本当は存在しない。

 

駅前のスターバックスコーヒーを見れば、十分いろんな人の「居場所」になっている。

いろんな人が集まるという意味ではCoworking spaceでもある。

しかもスターバックスコーヒーは「営利」としてきちんと稼いでいる。

「わたし、料理上手なの」レベルの素人が食事を出すレベルを、圧倒的に凌駕している。

 

「コミュニティ・カフェ」を名乗る限界は、この「キラキラ」社会起業意識が抜け切らないところにある。

「みんなの居場所になっているから、儲けなくてもいい」。

…やればわかるが、この動機だと全くといっていいほど店が続かない。

 

ボランティアが想像以上に「継続が困難」なのも、
「儲け主義ではない」と名乗るフリースクールが案外メンドクサイ場所であるのも、
ある意味「キラキラ」ドリームに毒されているからかもしれない。

 

「キラキラ」になると、現実が見えなくなる。

自分の可処分時間を割いている以上、疲労がたまり辛くなる。

その結果、店に対する取り組みが低下し、品質が劣化する。

 

「キラキラ」の弊害を防ぐには、「あえて営利」を名乗る価値があるのだろうと思う。

 
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「一人ひとりの声に耳を傾けます」批判〜よりよいカウンセリングのために〜

「先生が親身になって話を聞いてくれた!」

「一人ひとりの声に耳を傾けます!」

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教育現場では、あるいは人と人とが関わる現場では、

カウンセリング・マインドが求められます。

 

しかし「聞きすぎる」ことの弊害も知る必要がある、と私は考えます。

 

社会学では「ライフヒストリー」を重視する一派があります。

一人ひとりの「語り」を重視し、その意味的世界を研究するというジャンルです。

 

しかし、「構築主義」の発想に立つならば、このことは「語らせる」ことを強要するということにもなります。

人の語りは、語るたびに新たな事実が作られます。

「高校時代さあ…」と語ることって、多いですね。

高校時代のことを話す時、その場にほんとうにいなかった人がいることになり、

その話をしていなかった人が話していることになるのです。

 

困ったことに、「語ってしまう」ことで、ニセの過去を「本当のこと」と思ってしまうのです。

 

話をカウンセリングに戻します。

 

自分を「不幸だ」と感じている人に「そのまま」語らせることは、

自分を「やっぱり不幸なんだ」と再確認させる役にしか立たないのです。

 

カウンセリングは無論、大事なこと。

でも、みんなあることを無視しています。

 

それは、プロのカウンセラーが「時間を決め、金をとって」カウンセリングをしているという点です。

 

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「教員はカウンセリング・マインドが必要」といったり、
「カウンセリングの発想が大事」という時、
「無料」「無制限」のカウンセリングが求められます。

 

私はけっこう生徒や人の話を聞くのは好きだけど、
「私ってこんなに不幸なの」話を聴き続けることの問題点も感じているのです。

 

「私って、こんなことがあって、こうだから、とても不幸なの」

 

聞けば聞くほど、相手自身が「私は不幸なの」意識を高める事となってしまいます。

その問題点に自覚的であるべきです。

 




では何が大事なんでしょう?

 

おそらくは「真剣に聞く」前半と、
「考え方を変える」後半のセットが必要なんだろうと思います。

 

前半は、それこそ「カウンセリング・マインド」。

これまでのカウンセリングについての話はこの「前半」しか述べないものが多かったです。

(まあ、前半もやっていない人が多いからなんだけど)。

 

大事なのは「真剣に聞く」前半の後、相手の「考え方を変える」プロセスを後半に設置すること。

その方法は、最近勉強中の「魔法の質問」だったりするのかもしれないなあ、と考えています。