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早稲田時代〜現実逃避のレッスン〜

早稲田に住んでいた頃、
よく「なにもかも嫌になる」ことがあった。

大体の場合、映画に逃走(早稲田松竹)するか、早稲田大学中央図書館の地下で手塚治虫マンガを読みあさるか、
TSUTAYAを散策するかをしていた。

その衝動が「とてつもない」とき、私は自転車でひたすらどこまでも行こうとした。

しかし。

残念ながら私には根性と体力がなかった。

早稲田から高田馬場を通り、「どこまでも西武線沿線を辿っていく」決意で自転車をこぐ。
大体の場合、下落合で挫折し、折り返していた。

たぶん、面倒くささと、「なにバカなことやってるんだろう」という気づきと、
「けっきょく、何かに取り組まないといけないのだろうなあ」という事実に気づいたからだろう。

 

結果的に、私は下落合駅より以西にいくことはなかった訳である。
現実逃避をやりきるには根性と体力が必要なのだ。

しかし。

url一度でもいいから、「ひたすら遠く」(所沢レベル)まで自転車で走っていたら、
いまの自分は少し違っていたのではないか、と思うことがある。

私立通信制高校のリアル@札幌カフェ、開催!

札幌カフェの実施する「札カフェスクール」。

そこで10月23日(水)「私立通信制高校のリアル@札幌カフェ」という

イベントを盛大に開催しました!

写真 のコピー

平日21:00からという遅いスタートでしたが、

教育に興味のある多数のご参加がありました!

 

「通学型通信制高校では、いろんな生徒が人と関わる力を高めるため、

グループワークやソーシャルスキルトレーニングなどを行っています」

 

「通信制でありながら、毎日通うこともできます」

 

「通信制の制度を元にしているので、卒業要件が緩やかで、

不登校傾向・発達障がいのある生徒でも学びやすい場所となっています」

 

…あまり知られていない「私立通信制高校のリアル」と可能性を

知っていただける場となりました。

 

ご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございます!

 

田原総一朗『ウン・ドン・コンがぼくの生き方』(1997)

「ウン・ドン・コン」を漢字で書くと運・鈍・根。

 

「ものごとに成功するには、運が必要だ。だが、運は待っていて来るものではない。
まず、鈍になる。つまりバカになるということだ。小賢しくて、何とか手を抜き、近回りをしようなどと思っている人間は他人に信用されない。信用がなくては商いはできない。
そして根。根気である。何度も何度も諦めずに粘る。京セラの飯盛会長も”世の中に失敗はない。挑戦を諦めたときに、それを失敗というだけだ”と語っている。鈍に徹し、根に徹すれば、やがて運は開ける。運は開くものだということである」(4)

 

テレビで華々しく活躍しているように見える割に、苦労人な田原総一朗。

大学の「先輩」として、あこがれの対象であった。

 

 

そんな彼の「生き方」論。
意外に実直で、不器用な彼の姿がよく浮かぶ。

 

さすがにワセダな人だなー、と思う。
(泥臭いという意味を込めて)

 

「日本人が要求されてきたのは、忍耐や妥協、神頼みであって決断ではなかった。しかし横並びの妥協は、いまの国際社会では通用しない。
感情に流されないクールな目と、企業なら基本コンセプトの徹底見直し、個人なら「オレは何をしたいのか」考え、こだわり続け、そして状況に対応できる柔軟性というものが必要なんだよね」(95)

「20代にやっておくべきこと・・・。友だちをたくさん作れ、本を乱読しろ、外国語を1か国語以上マスターしろ。いろんなことがいわれるけど、そんなことじゃないんだね。
 無視してもいいんじゃなく、もっと大切なことがあるんだ。それが失敗体験だと僕は思うんです。失敗することで新たなエネルギーが生まれてくる。 つまり、失敗っていうのはマイナスなんじゃない。
 自分の道を切り開く絶好のチャンスにさえなるんだね」(102)

 

本書の裏テーマは「発信型人間」。

 

「自分のやりたいと思うことを会社にさせればいい。自分の着想を会社に押しつけて、会社にやらせることが可能になったわけだね」(56)

 

単にものを書くだけが「発信型人間」ではない。
自分から動き、
自分から企画し、
自分でものごとを成し遂げる。

そんな人物が発信型人間だ。
私もそうありたい。

「僕は、人生は面白探しだと思っているけど、本当の面白さなんて簡単に見つかるものじゃないんだ。だからこそ、本当のきつさを体験して次のステップである面白さを探さなきゃ。自分で手を伸ばして取りに行かなきゃダメなんですよ。
まだ本当の面白さも知らないのに、探す努力もしないでシラけたなんていうのは、10年早いですよ。10年早いって、自分にいってみることね」(173)

「本」の田原総一朗は、意外にも温かい。
会社帰りの電車内で、しみじみ胸にしみた。

 

9k=

情報は「外」からやってくる!

私のこれまでを振り返ってみると、
ほんとうに役立つ情報は自分の「外」からもらってきた気がする。

 

職場でも住んでいる場所でもない「外」の人。
つまり「なんとなくつながっている人」・
「親しくなりかけの人」・「たまにしか会えない人」。

 

久々に会う人から刺激や情報を受け取ることが多いのはどうしてか?





社会学者・グラノベッターは「弱いつながりの強さ」という言い方をする。

 

 

「弱いつながりの強さ」。

 

 

なんのこっちゃ?

 
英語だと分かりやすい。

「弱いつながりの強さ」、つまり
Weak-tie’s strength。

 

「いつも会う」(=強いつながり)のではない

「なんとなく知っている」という「弱いつながり」。
「弱いつながり」のある人から、役立つ情報がやってくるという理論だ。

 

グラノベッターが実証したのは就職に関する情報の研究からだ。

役立つ就職情報は「いつも会う」人でなく、「知り合い」や
「知り合いの知り合い」のような人から多くもたらされる、と述べたのであった。

 

「いつも会う」人は、自分が持っているような情報しか持っていない。

 

「知り合い」や「知り合いの知り合い」は自分の知らない世界からの情報を持っている。

 

本当に有益な情報は「外」の人が持っているのである。
だからこそ、「外」とつながっていく努力が必要なのだろう。

 

こちらもどうぞ!

  1. ノマド・スタディ考。 〜「いつでも・どこでも」学ぶことの陥穽とその対策①〜 (2)
  2. 「教員と『テキスト』」論。 (2)
  3. 心理的サヨナラ主義の考察。 (2)
  4. 赤玉ポートワインと「マッサン」。 (2)

「教員と『テキスト』」論。

最近、知人と読書会を始めました。

 

1回めは岡倉天心『茶の本』を読むという正統派・読書会です。

 

読書会を久しくやっていなかったワタシにとって、「再開」した読書会は、とってもテンションが上がるできごとです。

 

大学院生の時は、それこそ毎週のように何らかの読書会をしていました。

 

ルソーの『人間不平等起源論』も、

ブルデューの『再生産』も、

イリイチの『脱学校の社会』も、

自分の思想的背景はたいてい読書会のディスカッションで出来上がっています(たぶん)。

 

読書会には、当然ながら「テキスト」が必要です。

「テキスト」があるからこそ、話が脱線しても戻ってこれます。

 

…ところが、巷のディスカッションや議論は「テキスト」がないため「戻ってこれない!」ことが多いのです。

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教員の仕事をするようになって、

困ったときにいつでも助けてくれる「テキスト」のありがたさに、「逆説的に」気づきました。

 

なぜ「逆説的」かというと、ワタシの勤務校ではほとんど「テキスト」を使わないからです。

 

「テキスト」のかわりに「レポート」という名のプリントを毎回まいかい用意しています。

 

「レポート」を用意しないと、「ノートが取れない!」生徒がいるからです。

(というより、そもそもノートを用意する必要はない、と学校では説明しています)

 

「これ、分かりません!」の質問に対し、

「教科書を見なさい」と言えることは、いかにラクか。

 

「お前の説明、分からない!」とのツッコミに、

「いやいや、教科書を見ればいいだろ」と返せるアリガタさ。

 

…「テキスト」という名の教科書に頼れないことで、

いかにワタシは苦労していることか。

 

でも、これは世の教員への警鐘(炭鉱のカナリア)でもあるのです。

 

「テキスト」という「絶対的に正しい!」(とされている)ものを

「あえて使わない」選択肢。

 

間違いなく、教員のスキル向上につながります。

 

「教科書を見ろ」は、教員が使えるおそらく最強の「ワザ」でしょう。

ワタシの職場は、教員のもつ最強「ワザ」を自ら封印しているのです。

 

教員的には大変でしょうが、ワタシは「説明力をあげよう」と(ケナゲにも)思うようになりました。

 

「テキスト」を使うと、授業は締ります。

余計な説明も不要となります。

 

でも、それが本当に「授業」なのか。

いまの職場に来てから思うようになっています。

 

世の中には思っている以上に「本を読めない」「文章を読めない」人はいるものです。

これ、大学院を出て、社会人になって初めて気づきました。

 

教科書の文字をたどれない人は、いっぱいいます。

そういう人を相手に「教科書を見なさい」というのは、

はっきり言うと「暴力」でもあります。

 

いまのワタシの授業の進め方。

 

レポートを配って、それに従って授業をして、

「気が向けば教科書も見てみてね」というストーリー。

 

これが「いい」のか「悪い」のか、

判断は皆さんにお任せします。

 

でも、「テキスト」の扱いについては教員として一度は真剣に考えてみる必要がありそうです(たぶん)。

教育パワーナイト、開催!

本日9/15(日)、札幌カフェにて「教育パワーナイト」を開催しました!

場所も違うため、ちょっと気分転換!

写真

今日はくじをひいてのグループごとのテーマトークの時間もあり、
いろんな話題でもりあがりました!

教育に関係する仕事をしている人もそうでない人も、
「教育」をしみじみ考える機会となりました!

次回は10/20(日)、12:00-14:00で開催の予定です!

お楽しみに!

堀江貴文・茂木健一郎『嫌われ者の流儀』小学館

大学時代からずーっと読んでいる思想家に山本哲士がいる。

イバン・イリイチをきっかけに大学院に行ってしまった私にとって、山本哲士は紛れも無く「アジテーター」である。

そんな山本哲士のいう「社会イズム」(SOCIALism)は、社会人になるまでほんとうの意味で理解ができていなかった概念だった。

社会に出て「何か」をしようとすると、必ず反発がある。
「世間」が許さない。
日本ではこの「世間」を「社会」という。

みんながみんな「社会」「人様」「世間」を気にして、やるべきことをやらない(やれない)。
気にするからこそ、「何もしない」。

 

そして日本は何も変わらない。
日本(あるいは世界)はいま「社会」が個人を抑圧する「社会イズム」に陥っている。

山本哲士の主張である。

そんな「社会イズム」を改めて実感したのが『嫌われ者の流儀』だ。

堀江貴文(ホリエモン)と茂木健一郎という現代の「嫌われ者」2人による貴重な対談。(堀江貴文の収監前の対談もある)

いまの世の中、ホリエモンくらい叩かれた「若手」も珍しいのではないだろうか。

それは「世間」を敵に回してでも、自分のやるべきことを全力でやりきった姿の現れでも、ある。

いかにして、「世間」のとらわれ(=社会イズム)から逃れるか?
そのためにはどうすればいいのか?

結局は「強い個」(=ノマド)にならざるを得ない、のだろうなあ。

ロン・クラーク『親と教師にとって、すごく大切なこと』

ウォルト・ディズニー主催「全米最優秀教師賞」を取ったロン・クラークの本。

現場教員にとって役立つ知見の多い書である。

「ここぞという学習の好機がやってきたときには、決められた計画を無視したり、授業をほうりだしたりすることを恐れてはならない」(77)

「規律のために利用できる一時しのぎの方法はいろいろあるが、長期的な結果を生む最高の方法は、先生をがっかりさせたくないと生徒たちに思わせることだ」(81)

「すぐれた教師の最高の特質は、いつも自分の授業から何かを学びとれるということだ」(95)

「子育てにおける苦闘の半分は、子どもに自信をもつよう教えることにある」(157)

「整理整頓をするというのは、まったく単純で常識的なことであることのように思えるが、子どもたちの多くには異質な考えなのだ」(199)

 

私は、あんまり教員による「教師論」は好きではない。

あんまり役に立たないし、自己満足の内容が多いからだ。

しかし、たまに読みたくなる。

自分の行動が正しいのかどうか、客観的基準のないのが教員業だからである(そしてこれはすべての営業職の宿命でもある)。

教室では、常に「単独者」として教員は生徒と向き合う。
営業の際、「単独者」として顧客と向かうのと似ている。

ダメな人は参考物がないから永遠に学びがない。
だからこそ、似た立場の人物の著作が「鏡」として必要になる。

ノマド高杉晋作。

高杉晋作(1839-1867)。

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彼はたった一人で長州藩に「倒幕」の風を起こした。

一人で革命をやり遂げた。

そしてあっさりと幕引きをした。

 

長州藩の危機には必ず呼ばれ、やり遂げた。

 

「放れ牛」たる本領発揮である。

 

そんな彼はノマドの本質を教えてくれる。

自分のやるべきことは何か?

この「選択と集中」を常にやり、

暇な時には遊びほうけても、「時機」が来たら使命をやり遂げる。

 

ノマドは「自由」。

ゆえに責任がつきまとう。

 

放れ牛だからこそできること。

それを考え続ける姿勢を教えてくれる。

 

 

 

教育パワーランチ、「個別学習塾はる」での初開催!

本日8/25(日)、12:00-14:00、
教育パワーランチを開催しました!

個別学習塾はるでの初開催となりました。

この塾は、河西良介さんのやっている塾です。

子どもだけではなく、大人も学ぶという一環で実施しました。

写真 のコピー 6今回は河西さんの塾開設に当たってのお話や
チャレンジすることの大事さなど、
「教育を良くしたい」という思いの伝わる場となりました。

さて、次回の教育パワーランチは好評の夜版「パワーナイト」として開催します!

9/15(日)19:00-21:00、会場は札幌カフェの予定です。

次回もアツく盛り上がりましょう!