映画『キャビン』(原題 Cabin in the Woods)

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時々、突発的に「映画」を観たくなる。

特定の映画を観たいのではない。

「映画」を映画館で、なんでもいいから見たくなる。

 

何かは特に決めず、ただ時間があうものをとっさに選び、観ることがある。

 

今日観た『キャビン』も、そんな映画。

前情報一切なし。

 

ただステラプレイスでちょうどやっていただけの映画。

 

ホラー系はあんまり好きじゃないので始まるまで、ドキドキ。

(ただ、『ソドムの市』を観た後だと、どんな映画でも怖くはなくなるのだ)

結果的には「観てよかった」映画。

 

大学生5人が山小屋に楽しい週末を過ごしに行く。

地下室にあった日記帳を読んだためにゾンビが蘇り、襲われる。

…ありがちなホラー映画。

でも味わいを変えているのは、「太古の神々への生贄の儀式」である点。

全員殺されていれば問題なのだが、

2人が生き残ってしまう。

 

おまけに遠隔操作していた本部にまでこの2人が道を発見してしまい、

生贄を与えられない神々の復活が避けられなくなる…。

 

実は地下室にあったいろんなアイテムは、

ゾンビのような怪物たちを復活させるための道具。

あくまで「生贄」たちが選んだ怪物に殺されることが必要なのだ。

 

そのため本部の地下にはいろんな怪物を詰めたエレベーターの部屋が大量にある。

 

この映画一番のハイライトは、大学生2人が身を守るため

怪物を部屋から脱出させるボタンを押すシーン。

 

「チーン」といってエレベーターが鳴ると、次々怪物が出て来て

本部の人間を殺しまくっていく。

このあっけなさが小気味いい。

フランケンシュタインの怪物のほか、ユニコーンや殺人ピエロなど、

怪物たちのショータイム。

 

オチは社会学者としては考えさせられる。

生贄としておとなしく殺されると、人類は救われる。

抵抗すると、全人類が殺される(神々が人類を滅ぼすから)。

 

この2人の選択をここでは書かないが、

マイケル・サンデル『これから正義の話をしよう』っぽい展開となる。

自分が殺されるか、人類が滅ぶか。

 

結局は自由意志で生贄として命を捧げないといけないのでしょうね。

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