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ホリエモンの講演会に行く。

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帯広で、ホリエモンこと堀江貴文氏の講演会があった。

「300名限定」の抽選にあたり、勇んで今日、行ってきた。

これだけ質疑応答の際に普通に会話し、ズケズケ行く人は珍しい。

単に「本に書いてあるから」「テレビで言っているから」ではなく、
自分で考えることの大事さを学んだ。

質疑応答が久々に怖くなる講演会だった。

「過去にとらわれず、未来に怯えず、今を生きろ!」とのメッセージは強く自分に響いた。

先のことは予測できないから、「今」を真剣に生きる。
自分や他人の失敗がどうだっていいじゃん、と思えるためには情報をインプットをやめず、
日々必死に生きていくこと。

自分で試し、自分で考え、自分を信じる。

その大事さも学んだ。

『いまから、君が社長をやりなさい。』

「君が社長をやりなさい」。

普段イメージすることの少ない「社長」の仕事とはなにか?
読むだけで見えてくる本。

ストーリーに無理があるが、経営の教科書としてはGOODだった。

今回は本書の名言集。

「多くの方は数字を元に事業を考えられていないのです。数字の前提が何もなく、
「こんな商品で勝負しようと思っています」
「資格を取って独立しようと思っています」
このような感じでご相談に来られた方は必ず失敗しています」(22)

「「社長は会社にとって最後の判断の砦です。社長が騙されてしまうと、会社がおかしな方向に行くことは間違いありません。社長も人間です。いつも良い報告ばかり聞いていたい。しかし、実際には問題のない現場なんてあり得ません」(99)

「会社の通常のレポートライン以外にも、社長は現場からストレートに上がってくる情報のラインを必ず持つべきです」(101)

「企業には独自の存在意義が必ずあります」(110)

「経営者の仕事は経営資源を使って製品やサービスを生み出し、それを代価としてお金に変えることです」     (122)

「社長は社内の”技術者”の立場ではなく、”顧客”の立場で商品に情熱を持ってほしいということです。つまり、社長の商品チェックは、社内から市場に出る際の最後の砦です」(125)

「社長は意識して、社会のトレンドやキーワードを自ら拾う努力が必要です」(126)

「会社の判断の基準は経営方針やビジョンです。すべての判断はこれがよりどころとなります」(135)

「グレーゾーンの問題が起こったときは、社長が自ら処理しようと悩むより、たとえコストがかかってもその道の専門家に頼るべきです。それが効率的でより性格な方法です」(141)

「経費を減らす目的は、それによって資源を適切に再配分することです。つまり効率の悪い経費を削減して、顧客の満足を満たすのに効果的なところに資源を移すことが目的なのです」(181)

「手元に「月商の1ヶ月以上」の資金を維持する」(211)

「私に言わせれば、忙しい社長は無能な社長です。社長は船にたとえれば船長です。その船長が機関室に行ったり甲板に走ったりして司令塔を不在にするのは職務放棄と同じです。船長は司令塔として、船長が判断しなければならないことが発生したときに確実な判断をすることが求められているのです」(216)

「社長の最大の仕事は会社を残すこと、そして従業員の生活を守ることだ」(249)

札幌で私が得たもの。

いま私は「スーパーとかち」7号の車内にいる。

今晩からは私の「帯広」勤務が始まる。
札幌でやり残したことも多いが、
「新たな場所で、新たな決意で」やっていこうと思う。

札幌生活の「まとめ」として、
札幌で私が得たものを考えていきたい。

1,「教員」としての経験を積んだ。

2年前の私は右も左も分からない「新人」。
そこで2年生の担任をして、なんとか卒業式まで送り届けることができたい。

2,スープカレーの「旨さ」の学習をした。

東京時代、「東京らっきょブラザーズ」という謎な名前のスープカレー屋があった。
(地下鉄早稲田駅そば。まだあるのだろうか)

そこで初めて「スープカレー」というものを食べたのだが、
「何、このルー? スープじゃん!」
「なんでこんな野菜がまるっと入っているの? 一口サイズにすべきじゃん」
「だいいち、これ、ご飯にかけるの? 食べ方が謎!」
…いま考えると、スープカレー好きに叱られそうな第一印象だった。

札幌では休みのたびにLaviなり「すあげ」なりに行くようになり、
スープカレーの「旨さ」を学習した。

3,雪がゴミであることを学習した。

それまでの私は、雪というものは
「降っても翌日には消えてなくなる、はかなき存在」
だと思っていた。

兵庫も東京も、雪というのは「そんなもの」だった。

そのため、「除雪」が必要なほど降り、
「排雪」が無いと生きていけない社会が在ることに驚いたのであった。

4,自分から動くと、どこかで人が「つながる」ことを学習した。

札幌でちょっと動くと、
「あ、あの人知ってますか? ああそうですか、私もよくあの人とイベントするんです」
と、「知っている人」と「目の前の人」がつながる瞬間が幾度と無くあった。

東京時代には考えられなかったことである。

5,シェアハウスはなんだかんだ「楽しい」ことを学習した。

札幌時代、地下鉄学園前駅のシェアハウスに住んでいた。
深夜に帰ってきても、リビングでは飲み会をやっているという「経験」は、
ある意味で生き方を変えてくれた。

半年もいると「長く住んでる人」扱いになり、
2年で退去する時には「めちゃくちゃ長くいる人」という扱いになった。

職場コミュニティ以外に、「ビジネスでもイベントでもないコミュニティ」に入れたことが一番の収穫だった。
シェアハウスの仲間の話を聞き、いろいろ身の振り方を考えることもできた。

・・・あげてみれば、いろいろなものを私は札幌から得たような気がする。
次の帯広では私は何を得ることができるのか。
むしろ「いろいろ獲得してやる!」決意で臨むのが良いだろう。

伊藤進, 2005, 『ほめるな』講談社現代新書。

教育の現場の中では「ほめる」ことが重視される。
はたしてそれが「無条件でいいこと」なのか?

本書の課題はそこにある。

筆者は単に褒めることを「道具的条件づけ」と定義し、それが動物の調教と同じだ、と指摘する。

「道具的条件づけは、動物や人間をコントロールする方法です。強化という手段を使って、相手をこちらの思い通りに行動させようとするテクニックです。相手に自主性をもたせ、将来的に自立させようとするどころか、それとは逆に、指示にしたがって動く受動的な存在をつくり出すものといえます。
したがって、「ほめる教育」は、教育の根本目的に照らすなら、大きな弊害をともなうものだといわざるをえません。子どもたちにとってもっとも大事な自立する力を育てないどころか、指示にしたがってしか行動できないいわゆる「指示待ち人間」をつくり出してしまう可能性が高いのです」(43-44頁)

「「ほめる教育」でつくられる意欲は決して本物の意欲ではなく、つねにほめることによって支えてやらないとだめな意欲なのです」(44頁)

「ほめることによって、価値があるんだと認めてやる。あるいは、価値を付与する。もうおわかりのように、裏返せば、これは、「ほめられなければ価値がないんだ」というのと同じことです。実質的に、そういう価値観に立っているということなのです」(48頁)

「わたしは内発的動機づけのことを、ニックネームで「アモーレ情熱」と呼んでいます。「アモーレ」はイタリア語で「愛」です。つまり、アモーレ情熱は「好きだからそれをするんだという純粋な情熱」です。
一方、「外発的動機づけ」は、活動の結果として得られるなにかを目的とするモティベーションです」(61)「こちらのほうのニックネームは、「ギリチョコ情熱」です」(62頁)

「すこしでもいいところを見つけてほめるという行為は、子どもたちの活動にたいして心理的な報酬としての役割をはたします。そしてそのことから、活動にたいするアモーレ情熱をそこなってしまう危険性をもつのです」(72頁)

「本人がアモーレ情熱にもとづいてやっていることにたいしては、なるべくほめたりしないようにすることです。かりに本心からほめたい気持ちになったとしても、それをぐっと抑えるようにする。大事なアモーレ情熱をはぐくむには、大人があまり介入しないほうがいいのです」(89頁)

本書で重視するのは、単なる「ほめる」教育ではなく、「ほめる」も「叱る」もする「インタラクティブ型支援」を提唱するところである。
要は「コミュニケーション」、だ。

ほめる関係性は「教員-生徒」の一方通行の関係性となる。
いわゆる「預金型教育」(フレイレ)に近い。
教員が一方的に指導・教授をし、生徒がそれを受け取る。
それに対し「よくできました」「すばらしい」という評価をするだけの関係。

フレイレは「預金型教育」から「対話型教育」への転換を主張している。
これは本書で言う「インタラクティブ型支援」と言えるであろう。

「教員-生徒」の双方向型の教育へ。

佐藤学, 1999, 『教育改革をデザインする』(岩波書店)

佐藤学といえば、言わずと知れた「学びの共同体」の提唱者。
本書はその「学びの共同体」が「手っ取り早くわかってしまう」本である。

宮台真司から社会学の世界に入った私にとって、〈折り合いの付かない他者とも一緒に学ばなければならない「学びの共同体」なんて、絶対いやだ〉と思っていた。

「学びの共同体」を、「学(まなぶ)の共同体」と揶揄していた時期もある(当然、「佐藤学」の下の名前を意味する)。

しかし。

『学びをつむぐ』の著者・金子先生との出会いがイメージを変えた。


金子先生は埼玉の公立高校で「地歴」「公民」を教えている。
方法は「学びの共同体」を用いる。

金子先生は授業の際、机を「コ」の字型に移動させ、教卓を横にずらすところからはじめている。

「コ」の字にするのは〈生徒同士の声を聴き合うため〉、教卓を横にずらすのは〈教員の権力性を排するため〉。

(…教卓を横にズラすことについては、私も教員になって以来、マネさせてもらっている。教卓を挟まずに生徒と話すと、なんというか「臨場感」が増す気がするのだ。教卓」の分だけ、生徒と距離がある気がするのである。)

金子先生がこんなことをするのは、教員-生徒間、生徒同士が「聴き合う」関係を結ぶためだ。
つまり、学びを「個人が教材と向かう」営みでなく、「他者の声を聴き合い、考える」営みと捉えることからはじまっているのである。

この「聴き合う」関係こそ、「学びの共同体」の目指す姿である。

(余談だが、金子先生の授業を見たことで、〈こんな自然体で授業ってできるんだ〉と気付き、〈自分も、授業ができるかも〉と考えるようになった。それが大学院生だった私を「教員」の道に引き入れることになった)

はてさて。

本文に移ろう。
本書は日本の教育の問題とその特殊性をついた前半と、「ではどうするか」を述べる後半にわかれる。

斜に構える人物の多い教育社会学の文献と違い、佐藤学の本からは「教育とはなにか」を一生懸命考えよう、という姿勢が感じられる。
大学院生時代はその一生懸命さが「幼さ(ナイーブさ)」であるように感じられたが、教員をやると「この人はやっぱ、日本の教育をよくすることに必死なんだな」と感嘆の思いで読むようになった。

佐藤は日本の教育の根本問題について、次のように述べる。

〈「民主主義」と「公共性」の危機こそ、今日の日本の社会が陥っている最大の危機であり、教育危機を生み出している中核的な問題と考えるからである。〉(ⅷ)

「民主主義」とは、要は「聴き合う」関係が日本の教育に少ないことにつながる。
「公共性」は公教育の専門職性が足りない、ということの指摘につながる。

〈子どもたちに求められているものは「ゆとり」ではなく、教育内容のレベル・ダウンでもなく、学びの意味の復権と学びの快楽であり、勉強から学びへの転換である〉(16)

うん、「学びの意味の復権と学びの快楽」。
授業でやってみたいもんだ
(なかなかできていない…反省)。

佐藤学の「学びの共同体」は社会民主主義的な側面を持つ。

〈学校が学校としての機能を再生するためには、「教養の伝承(リテラシー)」と「民主主義(デモクラシー)」と「共同体(コミュニティ)」の三つのキャノン(規範)が復権されなければならない〉(68)

〈社会民主主義の教育改革は、多様な人々が互いの差異を尊重し合って共生する民主主義の社会を展望し、これまで国家が管理してきた教育の公共圏を地域を基盤とする共同体のセクターへと移譲し、学びのネットワークを基礎として学校の三つのキャノンを復権する改革へと向かっている。「学びの共同体」づくりとしての教育改革の展開である〉(69)

では改革の具体例に移ろう。

〈教室の改革においてもっとも重要な課題は「一斉授業か個人学習か」にあるのではなく、中間領域の小グループの「協同学習」にある〉(101)

「無理やり」を意味する「勉強」から、自分の興味・関心を広げ、主体的な営みである「学び」へ転換することを、佐藤は重視する。

〈教室のコミュニケーションの基本は聴き合う関係である。学びは一般に主体的で能動的な行為として語られがちだが、むしろ心と身体を開いて他者の声を「聴く」という受動的な感覚に根ざした「受動的能動性」として性格づけられる行為である。教室でいくら「はい」「はい」と手があがって活発な意見が出ようとも、その子どもたちが教師や他の子どもの言葉に耳をすまし合う関わりを築いていなければ、自らを変容させるような学びを体験することはないだろう〉(109)

〈「依存」できる子どもは「自立」でき、「自立」できる子どもは「依存」できるのである。今問題なのは「依存」も「自立」もできない子ども、すなわち人と関わることが苦手な子どもが増えていることにある〉(108) 〈ボランティア活動や文化・スポーツ活動を通して市民社会に参加する機会が、子どもや若者に豊富に準備される必要がある。大人の意味ある活動に参加したとき、子どもと若者は大きく成長することができる〉(171-172)

まさに「参加(participation)による学習」である(「正統的周辺参加」だ)。
子どもが他者と関わり「社会」とつながることを重視した教育活動である。

それこそが「学びの共同体」の最終的な理想像であろう。
…まったく「どうでもいい」ことだが、この本のラストはとてもグッとくる。

〈一人でもできることはたくさんある。私自身の経験をふりかえっても、これまで二〇年間、毎週二校から三校の学校を訪問して学校を内側から改革する実践に協力してきたが、学校を訪問するときはいつも一人であった。どんな組織にもどんな人にも依存しない一人の歩みだった。その一人の一歩一歩がいくつもの出会いを生み出し、改革のネットワークを形成してきた。いや、私を含む一人ひとりが一人でもできることをつなぎ合わせたからこそ、出会いの連鎖が生まれ改革のネットワークが形成されたのである〉(194)

まさしく「ノマド」な姿である。

わがノマド・エジュケーション協会も、こうありたいもんだ。
〈今、教育に求められているのは、一人ひとりが当事者として遂行する小さな挑戦の積み重ねである〉(199)

荷物を減らし、 身軽になって、 もっと自由に外を見よう。

歳を取るにしたがって、旅の荷物が減ってきた。

先日、札幌から網走までバス旅行にいった。
夕方17:10に中央バスターミナル(大通)につき、小樽行きのバスに乗る予定だった。

しかし、ふと時刻表をみると17:30発の網走行のバスがあることを知る。

流氷を見たかったので突発的に予定変更、17:30のバスに乗った。
網走到着、23:45。

「PC、ノート、財布、iPad mini、携帯電話、本」だけで突発的にバス6時間旅行に行けるようになったのだ。

昔は違った。
高校の頃、寮から実家への帰省には「ボストンバッグ2個」を担いで深夜バスに乗ったものであった。
大量の参考書・本・服を持参して帰るのだが、「けっきょく半分以上は使わない」「家にある服を着ればいい」ことにきづくようになった。

歳を取ると、スポーツもそんなにしないから汗もかかない。
だからこそ、下着もそんなにいらない。
それに気づいて、荷物はさらに減った。

究極、「金」さえあればいい。
(いい場所にしか行かないなら、クレジットカードのみでもいける)

私はまだ「手ぶら」旅行には怖くていけないが、「いつかやってみたい」憧れがある。
どうせホテルに泊まるのなら、理論上「財布と手帳(or PC)」のみで行けるはずだ。
手帳をiPad miniで代用するなら、すべてジャケットに収められる。
私につきものの「本」も、iPadで代用可能である。

それに私はあこがれを感じる。

荷物を減らし、
身軽になって、
もっと自由に
外を見よう。

港は「外」に開かれている。

ずっと前、フランスの社会学者・ジンメルの書いた「取っ手」論を読んだことがある。
「取っ手」は新たな世界への扉(=「彼岸」)とこちらがわ(=「此岸」)とをつなぐ働きをしている、と。

…それがどうした!というレベルの話ではあるが、
言わんとすることはよく分かる。
要は「取っ手」こそ、「外」を内包した「内」、つまり他者を混ぜ込んだ自己の象徴である、ということだ。

今回、帰省で故郷・兵庫に戻った。
兵庫は「港」として使われた神戸によって発展した場所である。

港は「外」に開かれている。
異質な「他者」の存在を受け入れている。

その点で港は半分「外部」でもあり、半分「他者」でもある。

「外部」「他者」を自己のうちに混ぜ込んでしまうのが、「港」を持つ街の強みであろう。
港自体が「開放系」として機能しているのである。

「取っ手」に触れることで新たな世界が広がる。
都市における「取っ手」は港であった。

なぜこういったことを書くのか。
それは正月休み明け特有のメランコリーを解消する、という目的のためである。

人間、どういう時にメランコリックになるのかといえば、
自身の眼差しが「自己」、すなわち「内」に向いている時であろう。

自己に眼差しが向かう時、そこに「他者」や「外部」は存在しない。
その苦痛を「なんとかする」には「取っ手」や「港」同様、
自己のうちに「他者」や「外部」を受け容れようとする努力が必要となる。

港は「外」に開かれている。
その姿勢を、メランコリックになりがちな時期にこそ学んでいきたい。
それこそ自己の問題解決の「取っ手」となるであろう。

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実際、自分はかねてより「行き詰まり」や「生きづらさ」を感じる度、
「港」に向かい、海を見つめてきた。

小樽・函館・苫小牧・神戸・仙台・富山・神戸・上海と、「無意識」に向かった「港」は数多い。
「港」は「外」に開かれているゆえに、異質な「他者」をも受け容れようとする。
その姿を目にすることで、自己の視点を外部に向けさせてくれるのである。

野村克也『リーダー論ーー覚悟を持って道を示せ』

「発展するチームに欠かせない条件のひとつとして私が考えていることがある。
「未来想像力」ーーとでも言うべきものがそれである。
未来想像力とは何か。将来、その力の有無、優劣がチームを長らえさせ、発展させるか、それとも崩壊させるかを決める大きなカギとなると私は考えている。
なぜなら、チームは生き物であるからだ。時代が変わり、人も替わっていく。そのことをつねに考慮しながら、その時代に合ったチーム像を描きながらチームを作っていかなければ、勝ち続けることは難しい。場当たり的なやり方では、安定して力を発揮し続けるのは困難なのだ」(221)

年末年始のネガティブ川柳。

クリスマス
することなくて
賀状書く

 

宝くじ
買おうか迷って
当たらない

 

お年玉
払わぬ方法
考える

 

図書館で
年末年始を
過ごしたい

 

クリスマス
残って残業
一人きり

 

初雪を
見てもテンション
上がらない

 

お年玉
払いたくなく
帰省せず

 

 

飛行機が
全て埋まって
一安心

 

気がつけば
年が越えてる
NHK

平安貴族はデジタル恋愛?

平安時代と聞くと、
「都で貴族がまったりと恋に浮かれながら国を治める」

…そんなイメージがある。

平安時代貴族(男性)は、ちょっとウワサの美人に対し、
果敢に和歌を送り、想いを歌った。

相手からの返信を心待ちに待った。

相手にその気を感じると、
深夜「夜這い」をかけて、
相手と結ばれる。

3日連続で通うと「婚姻」、
そうでなければ単なる恋人。

 

 

・・・、あれ、これって、ものすごく現代的じゃん!

 

ちょっとウワサの相手にメールやSNSでメッセージを送り、
相手からの返信を心待ちに待つ。

相手にその気を感じれば、
とにかく会って、相手とアバンチュールを楽しむ。

3日連続で会えば「恋人」、
そうでなければ単なる友人(あるいはセフレ)。

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考えてみると、平安貴族は1000年も流行を先取りした
「今風」のプレイボーイである。