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この4月から作文の塾を開設する私にとって、本書『ルポ塾歴社会』は参考になる1冊でした。
ハッキリ言うと、北海道では「サピックス」(SAPIX)も「鉄緑会」もほとんど縁がありません。
(サピックスは「北大増進会」内にSAPIXメソッドコアマスターというコースがあったり、代々木ゼミナールと合同で「Y SAPIX」を運営していますが・・・)
『学力危機北海道』ではありませんが、北海道は全国的にみて「低学力」が問題とされています。
札幌はともかく、私が先月まで居た北海道帯広市はまだまだ「受験競争が激しい」とは言いがたい雰囲気の場所です。
受験熱、特に中学受験熱なんて首都圏と関西のみのもの・・・。
本書『ルポ塾歴社会』を読んでも「ああ、そんなことがあるのね」という「関係ない感」をもってしまいます。
そのため、サピックスや鉄緑会についての話よりも「第4章 塾歴社会の光と闇」が一番勉強になりました。
某有名進学校の校長はこう言う。「私たちが高校生だったころは、高3になると、東大に合格した先輩の家に行って、勉強方法を教えてもらい、先輩が使っていた問題集をダンボールごとごっそり譲り受けて受験勉強をしたものです。それが学校の伝統でもありました。しかしいつしか塾が台頭し、いつまでにどの問題をやればいいのかをすべて指示してくれるようになってしまった」
そうなれば、プロの力を借りたほうが有利になるのは当たり前である。それを突き進めた先に、塾歴社会」があった。(141)
かつて、受験勉強の際は次の自問自答をしながら勉強をすすめるものでした。
「自分はどこを目指すか、自分はどの教材を使い、自分はどんな計画のもと受験勉強をするか」
いま、これを自分で考えることを放棄する受験生が多い気がしています。
自分で考えないからこそ、塾・予備校を「ペースメーカー」として使うことになります。
例)「数学は高3の夏までに全分野一通り終わらせられるよう、カリキュラムを組んでいます」
そうなると、自分で考えることは「ペースを乱すこと」になります。
下手に自分で考えて「別にいま数学をやんなくてもいいんじゃないか」とすることは「危険」(=不合格)な発想になるのです。
これこそ、思想家イバン・イリイチが語った「制度化」です。
自分で考え、自分で勉強する力がなくなり、
「塾/予備校」という「制度」がいうことを無目的に信じ、行動するようになるのです。
当然、自分で考えて受験勉強を進めると「うまくいかない」「一生懸命やったけど、志望校に落ちた」という結果もありえます。
【サピックス→鉄緑会ルート】の若者を描いた『ルポ塾歴社会』では、保護者の声として、息子が「第1志望合格を逃したことを、今でも自分の判断ミスだったと悔やんでいる」(78)との記述があります。
受験生自体が「自分の失敗だ」と捉え、「じゃあ、次はこうしよう」とはせず、単に「判断ミス」として親が「悔やむ」構造もあるのです。
また、サピックスも鉄緑会も、超スピードで進みます。
「ふつうの子」ならついていくのに一杯いっぱい。
その結果、学校の勉強も塾の勉強も中途半端という生徒も出てしまいます。
どこかで、「じゃあ、サピックスを辞めて、自分はあの塾でまた頑張る」「別のやり方を試してみる」をすればいいのですが、それをできず、やり続けてしまう。
ある意味ですごく素直です。
言われたことを純粋にただやる。
「地頭」のいい受験生なら「まあ、適当に手を抜くけど一応やっておくか」と相対化できます。
そうでない「ふつうの」受験生なら、それこそ学校の授業中に塾の宿題を必死にやるという「イタイ」ことをしてしまいます。
かつての「自分で考える」主体性を求められていた受験勉強に、
塾による「制度化」がはじまっているのです。