教育論

子どもの保護は、絶対の真理か?

『まんが能百景』(渡辺睦子 作画・増田正造 解説、平凡社、2009)を読み終える。能の物語を見開き2ページで分かりやすく漫画で説明してくれる、便利な本。面白く読んだ。

 僧が道を歩いていると、近くにいる人が案内をする。実はその案内人は幽霊で、「弔ってくれ」と言って消える。僧が弔うと幽霊が成仏を喜んで舞う。大体の能が、こういう型に基づいて描かれていた。何事にも、「構造」があるものだ。
 「構造」と言っていいかは分からないが、子どもを人買人(ひとかいびと)にさらわれ、母親が狂乱しつつ探しまわるというシナリオも『まんが能百景色』に多く登場した。
 
 「人の命は地球より重い」という言葉をよくきく。けれど、「生命の重さ」はどの時代でも一定であるわけでない。昔、子どもは勝手にいなくなったり、勝手に死んだり、誰かに殺されたりするものだった。大体、親が子どもの数を正確に覚えていないことも多い。モラリストと評価されるモンテーニュも、自分の子どもの数を覚えていなかったほどである(以上、アリエス『「教育」の誕生』より)。「人買人」に買われたり、さらわれたり。そういうことが日常的にあった(『千と千尋の神隠し』という映画のタイトルにあるように、「神隠し」も頻繁にあった)。でなければ、日本の伝統芸能である「能」に「人買人」の話が出てくるわけがない。
 現在の社会では、「子どもを守る」ことが重視されている。いま私鉄の改札を通るたびに親にメールが送られたり、「ココセコム」や携帯で居場所を親が探せるようにしたり、塾に監視カメラがあったりするなど、種々の技術を活用しつつ子どもを保護する(『学校身体の管理技術』より)。私も保護されて育ったゆえに私が何か言える権利はないかもしれないが、本来子どもはこれほど保護されなければならない存在だったのだろうか? 能を見る限り、そうではなかったことがよくわかる。
 
 本稿で私は何も「子どもを保護するな」と言っているのではない。時代に応じて、何が正しいかは移り変わる。「子どもを保護しない」のが当然の時代もあれば、現在のように「保護しまくる」時代もあるのだ。

東野高校に見学に行く。 

 東野高校(埼玉県・入間市)へYさんと行ってきた。Yさんは3年ほど前にこちらに見学にきたらしい。

 東野高校は1985年に設立された「自由」を重視した学校。制服も校則もない。生徒は喫煙もすれば授業中も外でふざけている。教員もヒッピー的な服装。Yさんによると「バンダナを巻いている人がいた」という。けれど荒れて人気も下がってきたため、制服や校則が制定された。wikiを見る限り、2007年から改革がはじまったらしい。ついでにいうと、今日見た時、教員もきちんとスーツを付けていた。「自由」を重視して蹉跌を踏んだ点では「自由の森学園」と近い。

 自由を重視する教育。それを「学校」体系で行うと挫折することを知る。
 逆に言えば、現在の校則も制服もある東野高校は、現体制内で「自由」に基づく教育を行うとどういう形になるかを示している。
 「自由な教育」なんて、「学校」形態では無理なのだ。本当に実現しようとするなら、画一的・一斉授業の「学校」では不可能で、フリースクールの形態をとるしかない。
 そう思った。

小説 母の弁当箱

 早稲田駅前。ぼくは大学生たちと逆行する形で、夕方にこの駅から地上に出てくる。気楽な大学生たち。背中に背負った大きなバックには、なにが入っているのだろう。全部本だとするなら、ぼくは大学生になった時、ちゃんとやっていけるんだろうか。 
 そんなことを考えながら駅を出て数秒歩き、100円ショップ・キャンドゥの横を曲がったぼくは、大きな「W」の文字を目にする。ぼくの第二の学校・早稲田アカデミーだ。
 「おはよう」 。友人のIがぼくに声をかける。ぼくも「おはよう」と答える。ここの中学生の間では、夕方に出会っても「おはよう」なのだ。中1のときは不思議だったけど、いまでは慣れてしまった。
 授業のあいまに、ぼくは弁当箱を広げる。お母さんがいつも作るヤツじゃない。そばのファミマで買ってくるお弁当だ。チンしてもらうと、おいしそうな香りが湯気と一緒に立ち上ってくる。IとかNたちといつも食べている。話の内容はだいたいポケモン。
 青い早稲田アカデミーの看板の前でサヨナラをいったあと、ぼくはいつも講師室のそばの給湯室にひとり行き、母のお弁当の中身を生ごみ袋に入れて帰る。箱はもう一度きんちゃく袋に入れて、カバンにしまう。
 それがぼくの一日の終わりです。

 レポートで使う資料を探すため、僕は押入れの段ボールをあさっていた。偶然見つけたのが汚らしい原稿用紙。中学生の時に学校の宿題のために提出した文章だ。なぜこんな文章を書き、しかも学校に提出したのか、さっぱりわからない。何かに怒っていたのかもしれない。作文を出した後、担任が悲しそうな顔をしながら「もっと別のテーマで書けないのかな?」と話したことが思い返される。結局、そのときは宿題の再提出をしなかったのだった。
 作文に出てくる大学生が背負っていたバックには、テニスセット一式とジャージが入っていたことを僕は知っている。大学はあんまり勉強しなくてもやっていけることも学んでしまった。けれど、母の弁当を「まずい」と言ってすべて捨てて帰るほど、僕の人間性は悪くはなくなった。 それにしてもひどい子どもだったものだ。

 しかし。
 あの頃の僕よりも、母のほうがもっとひどい人間だった。今でも覚えているが、中三の冬(あ、受験直前だったんだ)、いつもより早起きした僕は台所で母の姿を見てしまったのだ。セブンイレブンのビニール袋から出したコンビニ弁当を、僕の弁当箱に詰め替えている姿。僕はそっと後ろに下がり、ゆっくりと布団の間に戻った。
 いつも「まずい」と捨てていた母の弁当。代わりに食べていたファミマの弁当。けれど、母の弁当も所詮はコンビニ弁当だったのだ。レンジで温めなかったために、まずくなっていた。
 それだけだったのだ。

「学校にまにあわない」の恐怖。

前にも書いたが、私はいまひたすら「たま」というアーティストの音楽を聴き続けている。脱学校論者である私(「素人が、簡単に自分のことを『〜〜論者』と名乗るな」、と言われそうだが、自分で言わないと誰もそう認識してくれないので初めからそのように言う)に、有益なヒントをもたらしてくれる。そのうち、「たま」の音楽を評論することで脱学校論について整理する論文も書けるのでないか、と思う。




 

 「たま」の音楽をi-podに入れて、どこでも聴く。イヤな場所に行くのも、少し気が楽になる。「引き出しの中に広がった/三千世界の彼方まで/翼をゆらゆらバタつかせ/いますぐ着陸態勢に入るよ」(「はこにわ」)という歌を「たま」は歌うが、i-podの中にも「三千世界」が広まっているように感じるのだ。
 さて。今回は「学校にまにあわない」を例に取り上げよう。前半部には幻想的風景が、後半には「学校にまにあわない!」と叫ぶ主人公の恐怖が描かれる。冒頭は、次の詩で始まる。
百万階建ての
ビルディングの建設
階段だけしかない
それだけの為の建物
 「百万階建て」なのに「階段だけ」しかないビル。上に行くことが目的だが、それには有益性が何もない。このビルを学歴と捉えればまさにその通り。
 イリッチは「学校化」ということを述べた。学歴自体には何の意味もないのに、「能力がある」ことにされる。私の周りに「早稲田大学卒」という学歴を持つ人が多くいるが、皆すごく能力があるかというと決してそうではない。でも世間は「早大卒」という学歴には「高能力」という意味があると勘違いをする。
ある日足場踏み外して
そのままの姿勢で堕ちて行く
 学歴ビルの階段を、すべての人が上に登れるわけでない。ほとんどの人は途中で「足場踏み外して/そのままの姿勢で堕ちて行く」のである。学校秀才とされる人も、いつ「足場踏み外して」しまうかもしれないという恐怖を持っている。その恐怖が「頑張らないと!」という思いになり、さらに階段を上って行くことにつながる。そのことにより鬱になり、結局「足場踏み外」すこともあるのだが。
 学校のもつ恐ろしさ/恐怖を示すこの歌。けれど、直後に「脱学校」的希望が描かれている。「足場踏み外」す恐怖のあと、このように歌詞は続く。
でも下には網が張ってあって
僕はうまいことフィニッシュを決めるのさ
満場のお客様が
いっせいに拍手 拍手
 「足場踏み外」しても、あんがい「下には網が張ってあ」るものなのだ。大事なのはその際に「フィニッシュを決める」ことができるか、どうか。学校的価値観から脱落しても(脱落する道を選択しても)、それだけで人生に失敗することにはならない。学歴ビルの階段を上る時は「堕ちていく」ことは恐怖だが、堕ちてみると「下には網が張ってあ」ることに気付けるものだ。脱学校的価値観で生きて行く道を選択することが、「フィニッシュを決める」ことだろう。
 けれど。この歌の作者は「網が張ってあ」るだけで安心をさせてはくれない。「フィニッシュを決め」た後の、続きの歌詞を見よう。
でもひとりだけ
後ろをむいている男がいるぞ
こいつ前にまわってのぞきこんでやれ
あ なんだ僕のお父さんじゃないか
 脱学校的価値観で生きることを決めた私。周りも、けっこう肯定してくれる。「満場のお客様が/いっせいに拍手 拍手」なのだ。けれど、保護者は最後まで肯定してくれないことがある。親と子どもの価値観は、常に一致するわけではない。
 『学校の悲しみ』というエッセイがある。著者ダニエル・ペナックはものすごい「劣等生」だった。母親は子どもの将来に絶望をした。こんなに成績の悪い息子は、ろくな大人にならないのじゃないか。不安、心配。ペナックが教員になり、また作家として新聞に名が出るようになっても、母の不安は無くならなかった。

どんな「成功の証明」を見せても、母の心配がなくなることはなかった。ぼくがどんなに電話をかけても、どんなに手紙を書いても、母に何度会いに行っても、ぼくの本が出版されても、書評を見せても、ポヴォーの番組(石田注 脚注を見ると、フランスの書評テレビ番組であると出ている)に出ても、だめだった。(……)もちろん、母はぼくの成功を喜び、友人たちとそれを話題にし、息子の成功を知ることなく亡くなった父が生きていたらどれほど喜んだことかと言ってはいた。しかし、心の奥のどこかに不安が残っていた。そしてそれは、もともとの劣等生によって生み出された永久に消えることのない不安だった。(6〜7頁)

 親にとって、学校的価値を外れた存在に一度でも子どもがなってしまうと、子どもの将来を悲観してしまう。あるがままの存在として、子どもと向き合うことができなくなってしまう。「後ろをむいて」しまうのだ。
 おまけに皆がみな、「網が張ってあ」る上に堕ちるわけではない。
倒れたラクダの
目玉だけが生きててギョロリと僕を見ている
みないようにみないようにしているのだけど
どうしても見てしまう
 「ラクダ」君は、ビルから堕ちてそのまま地面に叩き付けられてしまったのだろう。学歴ビルから堕ちて、「網」にも乗ることができなかった人間は、「目玉だけが生きててギョロリ」と社会を見つめる。けれど、もの言えぬ「ラクダ」ゆえ、彼ら(彼女ら)の声は社会に響かない。私の周りにもいる。「学校的価値」のもとに生きてきたが、結局そんなものに意味がなかったことに絶望をする人。「就活が決まらないなんて、何のために早稲田に入ったんだ、俺は!」と嘆く人。残念ながら学歴ビルはそこから堕ちて「倒れたラクダ」になる人の存在を見越して設計してあるのだよ。どこかでそのことに気づき、「網」の上に乗り、「フィニッシュを決め」ないと、制度設計者の思うままになってしまう。




 「学校にまにあわない」のラストは、あえて(か分からないが、おそらく)カタカナで書かれている。読みにくいので、原文の下に漢字仮名まじり文でも示す。
ミタナ ボクノ オモイデ
キミハ キョウ カワニ ドブント オチルヨ
ボクハ クサノシゲミデ キョウカショヲ サガシテ
キョウカショガ ミツカラナイ
ガッコウニ マニアワナイ
ノートモ ドッカ イッチャッタ
センセ ニ オコラレル
見たな 僕の 思い出
君は 今日 川に どぶんと 堕ちるよ
僕は 草の茂みで 教科書を 探して
教科書が 見つからない
学校に まにあわない
ノートも どっか いっちゃった
先生に 怒られる…
 学校に行きたくないから、河原で道草。そのままお昼寝でもしたのだろうか。天高く太陽が昇っている。やばい、学校に行かなきゃ! でも、カバンを置いていたら中の荷物が散乱しちゃっている。どうでもいい教材はすぐ見つかった。でも重要科目の教科書がない。ノートも見つからない。行ったところで、「なんで教科書を忘れたんだ」と先生に怒られてしまう。
 「学校にまにあわない」。それは学校に行きたくないのに、無理して行かなければならない子どもの悲しみを描いた歌なのだ。私にも、こんな感覚があった(でも、何故か皆勤賞だった)。学校が持つ「恐ろしさ」を次第に忘れてしまっていたが、「たま」のお陰で思い出してきたのである。
 この、学校への原初的恐怖感が描かれたラストシーン。忘れることの出来ない風景である。
※なお、歌詞は『たま セレクション』の歌詞カードから引用した。歌詞カードには載っていない、ボーカルの石川さんのモノローグがこのラストシーンのあとに延々と続く。こちらも「学校への恐怖」が力強く表現されたものなのだが、別の機会に書くことにしよう。
 たまの歌は少し明るい。ゆえに歌詞のもつ暗さが見えにくくなる。そこに注意すべきだ。明るく楽しい歌の中で、人間のもつ本源的孤独を示していることがある。
参考文献

ダニエル・ペナック著/水林章 訳『学校の悲しみ』みすず書房、2009

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教職大学院の真の狙い?

 よくこんな意見を聞く。「昔と違い、教員よりも親の学歴の方が高学歴になった。そのため、親が教員をバカにし、モンスターペアレントとなるのだ」など。この文脈でなくとも、保護者が教員より高学歴になったために学校の権威が下がった、と言われることが多い。

 でも、この言い方って、親を思いっきりバカにした言い方じゃないか? 保護者というのは教員の学歴を調べてまで自らの優位性を示そうとするのだろうか。そもそも、教員の学歴を親が知る機会はそんなにあるものなのだろうか。そんなことはあんまりないだろう。
 「教員よりも親の学歴の方が高くなった」ことを問題視する意見に、私は作為性を感じる。本来的な問題でないのに、「大問題だ!」と騒ごうとしているかのようだ。ではこのような意見が出されるのは、一体何故か。
 思うに、教職大学院の普及を文科省がはかりたいためであろうと思う。なぜ、そうやりたいか? 私は文科省が教員の分断をはかろうとしているためであると考える。
 教職大学院出の教員の待遇を極端に良くする。すると、教員集団の中で同質性が失われる。ただでさえ力の落ちた教員組合の力がさらに低下する。教職大学院を出た教員は待遇を良くしてくれる国家に対し、忠誠心を持つようになる。簡単に国家のエージェントとして動く教員を文科省は入手することができるのだ。
 
 「教員は高学歴であるべきだ」。言うのは簡単だ。けれど、この意見自体が国家に益するものである可能性を私たちは疑うべきであろう。
…。今回は(今回も?)、けっこう質の悪い評論になりました。ごめんなさい。
 
 

「たま」の曲を聴く。

 最近、ふいに「たま」の歌を聴きたくなった。「さよなら人類」で有名な、あの「たま」である。名前は知らなくても、「今日 人類が初めて/木星についたよ/ピテカントロプスになる日も/近づいたんだよ」という歌詞は聞いたことがあるのではないだろうか。
 私の専門の「脱学校論」的に聴ける歌を、「たま」は数多く歌っている。

 「かなしいずぼん」の中で、石川(パーカッション)のモノローグがある。〈もう学校へなんか行かなくてもいいのに、それでも学校へ目指し走り続ける元・少年〉。老いさばらえてしまっても、それでも「学校に行かなきゃ」という強迫観念にかられてしまう場所。学校というものは、それだけ深く人びとの内面に傷をつける場所ではないのだろうか。
 「とおい昔のぼくらは子どもたち」。この感覚を忘れないようにしたいと思った。「教育」学者を目指すのであるならば。学校の〈気持ち悪さ〉を忘れてしまったら、もう脱学校論の研究は出来なくなってしまう。それを防ぐために、子ども時代の感覚に立ち戻ることの出来る音楽が必要になってくるのだ。

通信教育に、人はなぜ「だまされた!」と思ってしまうのか。

いま山手線の車内ではユーキャンのが流されている。それを見るたびに私は苦い記憶を思い出す。かくいう私は通信教育に何度も挫折しているからだ。「記憶術」やら「行政書士」など、いろいろやったが、最後までやり遂げたのは小学生の時の「電子工作」くらい。何故、私は通信教育に挫折してしまうのか。こうも何度も何度も挫折するということは、私が悪いのではなく通信教育の構造上の問題があるのではないだろうか(責任逃れとは呼ばないでほしい)
言い換えよう。なぜ人は通信教育で「だまされた!」あるいは「挫折した」と思ってしまうのだろうか。
 それは学ぶのには、「お金」以外に時間というストックも必要だからだ。「私」という存在は、時間によってどんどん変化していく(レヴィナスは「時間とは私が他人になるプロセス」だといった)。通信教育を始める前の自分と、始めたあとの自分は別の存在なのだ(学習して変化したのではなく、ただ時間の経過が自分を他者にする)。通信教材の頁を開くとき、「なぜこんなものを学びたいと思ったのだろう」と思うことがある。段々開くのがイヤになる。それが高価であればあるほど、見たくもなくなる。
クーリングオフ期間に決断できることは少ない。いずれも、「あ、ムリかも」から始まって、いずれは「無理だ」とあきらめることになる。おまけに、1回やったからといってその学習が習慣化されなければ、「気づいたとき」「レポートを出すとき」しか教材をやらなくなる(そのうち、レポート期限なのにやらなくなってしまう)。
学校の場合であれば、肉体的に学びの場所に「行く」という行為によって、学びの「構え」を成立させることができる。そのため、学びの場所(学校やサークル等)に行く間に、モチベーションを自分で定めることができる。けれど通信教育は自宅の中で行う。いままでの何らかの生活時間を縮減する中でしか学びを行うことができない(だから、通信教育を経験した人の回想には「喫茶店で会社の帰りに勉強しました」というコメントが登場するのだろう)。モチベーションを上げるのも難しくなってしまう。
結論。通信教育は始めから失敗するように出来ているのだ。教材会社が悪いのではなく、通信教育という「学び」のあり方自体が持つ性格が人を挫折させるのだ。もしあなたが通信教育で挫折していたとしても、それはあなたが悪いのではない。「そういうもの」なのだ。
 通信教育というサービスが、にもかかわらず卒業生を送り出している。これはその人たちの努力の賜物であろう。
学校と違い、通信教育で学ぶ際「こんなはずじゃなかった!」という思いを共有する人がいないのはツラいことだ。グチを言える他人がいれば、「まあ、そんなものかな」と過ごしていける。通信教育は基本的には一人のみでおこなう。強き意志をもった主体でないと、「遊んで」しまう。通信制大学の卒業率の低さ(場所によっては1割もいかない)は、レポート課題の困難さよりむしろ、制度的な学びを一人で行うことの難しさを示している。巨大な学校制度に対し、同僚もなくたったひとりで立ち向かうのはなかなかに過酷なことなのだ。
おまけに、やらなくなる結果が多くなると自分を卑下し、自暴自棄になる。社会人で、「今日から通信制の大学で学びはじめたんだ」と宣言している人はうまくいかなくなると、自分が惨めになる。〈制度的な学び〉はグチれる〈他者〉がいないと、うまくいかない(ことが多い)。
世にこれだけ通信教育が流行っているということは、それだけたくさんの挫折者がいるということだ。
 冒頭にも書いたが、私もいろんな通信教育で学び、そして挫折してきた。苦さを経験してきた反面、通信教育の「良さ」もよくわかる。それは、「あんな自分になりたい」という欲望を一時的に満たすことができるということだ。
 通信教育はまさにドラえもんのポケットなのだ。「あんな自分になりたい」思いを一時的に満足させてくれるが、相当努力しないと夢は実現せず、自らが変化しない。のび太は漫画『ドラえもん』のなかではほぼ無成長モデルで描かれていることを考えてほしい。のび太は一時的にドラえもんの出す道具によって全能観を得るが、そのあとは再び「ひどい目」にあっている(要は挫折しているのだ)。通信教育の良さは、ドラえもんの道具を貸してもらったときののび太のような「全能観」(夢が叶ったような気がする思い)を味わえる点だ。悪い点は道具を出してもらったあとののび太のように「挫折」を味わうてんである。
 一人で学べる力がなければ、結局は制度的な通信教育もうまくいかないのだ。そのためには、自分が心の底から「これを学びたい!」「学ばないと、仕事で困る」という切実な思いがなければならない。私はこういった切実な思いをもつ学びのことを「渇きによる学び」と命名しているが、この「渇きによる学び」がなければ通信教育は結局成立しないのだ。

フリースクールに似た学校にサポート校というものがある。通信制高校の課題を学校のなかで行うというシステムをとっている場所のことだ。本文でも書いた「グチをいえる同僚」を存在させるために、一定の価値があるような気がする。
本文では、①通信制の大学や高校と、②仕事に直結する資格の通信教育、③趣味の通信教育を立て分けなかった。そのため荒い議論になったことは否めない。

イヴァン・イリイチ『生きる思想』より、「静けさはみんなのもの」を読む。

 「コンピューターに管理された社会」。イリッチの本講演はこんなテーマのフォーラムにおいて行われた。冒頭においてイリッチは「人間の真似をする機械が、人びとの生活のあらゆる側面を侵害しつつあること、そして、そうした機械が、機械のように行動することを人びとに強いること」(40頁)と述べ、それまでのフォーラムの議論をまとめている。「機械のことばをつかって『コミュニケート』することを強いられる」(同)ようになるという言い方で、人間の機械化を批判する。

 たしかに、現在の学校教育では「情報」の時間にパソコンの使いかたを扱っている。私も、小学校で「パソコンを使う際は、パソコンの動きを待つようにしましょう」と教わった記憶がある。あれは子どもという小さな主体者を、機械に従属させる存在に変えることを意図した授業であったのかもしれない。

 イリッチが人間の機械化を批判するのは、人びとが「自分自身を統治できなくな」(41頁)り、「管理されることを必要とする」(同)ためである。何故そうなるのだろうか。私は人間の主体性が機械によって浸食され、サービスや機械がないと何もできなくなる為であると思う。自分で行っていたものを外部(サービスや機械)に頼るようになると、自分で何も出来なくなるのだ。私はイリッチが各種論文(本書『生きる思想』や『脱学校の社会』)を書いたのは〈人間性の回復〉を訴えるためであると考えているが、機械の存在が人間性を奪っていくということをイリッチは伝えたいのであろう。

 論を進めるにあたり、イリッチは「コモンズ」と「資源」という二項対立を示す。下に両者を整理して書いてみる。

コモンズ[みんなが共有するもの]commons

「人びとの生活のための活動subsistence activitiesがそのなかに根づいている」(43頁)

「いりあい(入会)」という日本語に近い。

「人びとの家の戸口を超え出たところにあり、人びとの私有財産ではありませんでした」(44頁)

皆が利用できる雑木林など。

資源resouces

「現代人が生きていくために依存しているさまざまな商品を経済的に生産するのに使われる」(43頁)

「警察によって守られることを必要とします。そして、いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)

イングランドの牧草地など。

 「資源」のところに「依存している」という言葉が出てきたところに注目したい。イリッチは依存自体には批判的でない。それはイリッチ思想のキー概念であるコンヴィヴィアル(convivial)を、「相互依存」と示す訳者がいることからも分かる。問題なのは何に対する依存か、ということである。他者に対する依存であれば(助け合いということ)問題ないが、依存の対象がサービスや制度・機械であるならば問題になる。「資源」を批判するのは「商品」(ここにはサービスも入る)に依存してしまう結果となるからであろう。

 産業革命が起きた時(近代の初め)のイギリスでは「囲い込み運動」が行われた。入会地に柵を作り、資本家が自らのものとして扱う。それにより、入会地は「商品としての羊の群れを育てるための資源に様変わりした」(46頁)。この流れは、私有財産制度と登記制度により加速されたことだろう。日本でも近代の初め、「入会地」に所有者がついた[1]。国有地など公の所有[2]になったところもあるが、それにより自由にその場所を使用することが出来なくなった。「コモンズ」の消滅である。「コモンズ」にいた人びとは「土地を追われ、賃労働に追いやられ」、「絶対的に貧困化した」(46頁)のである。イリッチは近代の初めにおきたこの一連の出来事を批判し、もう一度中世の「コモンズ」の復興を呼びかけているのである。

 では、具体的にイリッチは復興した「コモンズ」像をどのように想像していたのだろうか。イリッチはメキシコ・シティの旧市街の話をする。「道端にすわって野菜や炭を売っている人びとがいるかと思えば、路上に椅子を並べてコーヒーやテキーラを飲ませている人びとがいました」(47頁)などと続く。「それでも歩行者は、ひとところから他のところへ移動するためにその道路を利用することができました」(同)。現在のイタリアの広場にあるバールをイメージすると良いだろう。ちなみに、バールとは喫茶店やバーのようなものである。島村菜津の『バール、コーヒー、イタリア人』(光文社新書)によると、次のようにある。

イタリアには、広場という空間がある。そして、この広場に寄生するようにしてあるのが、バールだ。多いところには何軒もある。バールのない広場は珍しいといえるほど、この二つは分けがたく、どうやって権利を手にしたものか、公共の場である広場に堂々とテーブルを並べている。(島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人』2007年、光文社新書、8頁)

 路上や広場に、様々な人やモノが入り乱れるような状態。それがイリッチの「コモンズ」の現代的イメージなのだ。

 なお、日本の「コモンズ」は「入会地」だけではなく、「路地」でもあった。日本では子ども社会の間にも存在したようで、それが教育学的には大きな意義があるように思える。鶴見俊輔の文章から示しておく。

モースというアメリカ人の動物学者が明治の初めに日本に来て驚いたんですね。東京には「路地」というのがあって、路地で年齢の違う子供たちが一緒に遊んでいる。で、年長の子供が責任を持って、一種の共同体をつくっていると。彼はボストン近郊の出身で、そういう光景はボストンあたりにはないわけです。モースはそれにびっくりして、そのことを『日本その日その日』という本に書くのですが、これは大変重大なところを見ているんですよ。(鶴見俊輔・重松清『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社、2010年、8081頁、鶴見の発言から)

 かつて、路上は「コモンズ」であったのだが、近代化のため「通りはもはや人びとのものでは」なくなり、「いまや自動車やバスやタクシーや市街電車やトラックのための通路」(48頁)となってしまった。効率化/スピード化の結果(スローでなくなった)なのであるが、本来の路上にあった豊かな文化性がいっぺんに失われてしまう。その結果、「場所性」も失われどこに行っても同じような町並みになってしまった。いま山手線のどの駅で降りても、駅前にはたいていマクドナルドが位置している(現在の日本では個性的な「食堂」が消え、かわりに「吉野家」や「大戸屋」に置換されているように最近私は感じている)。

 では「コモンズ」を復興するにはどうすればいいのか。イリッチは「資源」が「警察によって守られることを必要と」(54頁)する、と指摘する。「いったんそうやって守られるようになったら、資源がコモンズに戻ることは、日増しに難しくなります」(54頁)と本講演を締めくくっている。早稲田大学の側にある戸山公園でサッカーをするには、たしか公園側からの許可が必要だったと思うが、そういった許可制度の廃止をすることが最初の一歩となるのだろうか。

※本項目の冒頭にイリッチが《「コンピューターに管理された社会」という都留[重人]さんが提案されておられるテーマは、一つの警鐘のように響きます》(40頁)と語っている。この都留重人とはハーバード大学で名誉学位も受けた経済学者である。思想家・鶴見俊輔の師匠でもある。

 本文でも引用した『ぼくはこう生きている君はどうか』(鶴見俊輔・重松清)にはこうある。

私にとって生涯の師というのは都留重人しかいないんですよ。(…)日本のインテリはそのときどきに合わせて、権力の動きに合わせて変わっていくわけですよ。だけど都留さんは死ぬまで権力に同調して自分の考えを変えることはなかった。終生、私にとって必要な指針となったんです。都留さんは経済学者なんだけれど、何か個別的な問題に取り組んでいるときに、その問題よりもっと応用範囲が広いことを思いつく。それが哲学なんだ―と。そういう都留さんのプラグマティズムを私は引き継いでいるんですよ》(147148頁)。

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「静けさはみんなのもの」

掲載:『生きる思想』pp39-54

形態:「朝日シンポジウム『科学と人間―コンピューターに管理された社会』」での講演。

講演の実施日:1982321

講演の場所:東京


[1] 「日本」の一部となった朝鮮半島でも、同様のことが行われた。所有者の分からない土地は朝鮮統監府が接収した。山川出版の『日本史B』教科書には「これによって多くの朝鮮農民が土地をうばわれて困窮し、一部の人びとは職を求めて日本に移住するようになった」(274頁)と書かれている。日本に在日と呼ばれる人びとがいる理由の一つになったのである。

[2] わが故郷・兵庫県多可町の柳山寺(りゅうさんじ)地区では、年に一度公の財産の「松茸山」の使用者を決める話し合いが行われている(と、父に聞いた)。競りを行い、勝った人がその山からとれる松茸を一年間手に入れる権利が与えられる。おそらく、公の財産になる前は各人が勝手に松茸を採取し、勝手に食していたのであろう。10年ほど前に父が500円で購入した山からは、ついに1本も松茸をとることができなかった。代わりに怪しげな紫色の椎茸(みたいなキノコ)を採ってきて、父が食べていた。

いま一度、「渇きによる学び」考。

 以前、「渇きによる学び」についてを、卒論を要約する形でまとめたことがある。

 少しそれについて考察する中で、「渇きによる学び」には2つの種類があることに気付いた。それは、①生存上必要な「学び」と、②趣味としての「学び」である。

 ①は説明しやすい。「仕事に必要だから」「進路に必要だから」などと外在的理由で行う学びである。のどが渇いて、水を飲まないと死んでしまう。そういった意味の「渇きによる学び」である。
 ②は「楽しいから」「興味があるから」行う学びである。のどが渇いたときに、おいしいものを飲みたいと考えてミックスジュースを喫茶店で頼む。いわば「おいしさ」を求めるタイプの「渇きによる学び」である。

 ①と②は正反対のようだが、つながりがある。将来医者になりたい。そのために医学の本を読むのは「趣味」としての学び(②)であるが、受験して医学部に入るための学びは「生存上必要な学び」(①)となる。

 私はいま、竹田青嗣『現代思想の冒険』を読んでいる。これは自分の専門である教育社会学を学ぶために必要だからである。『教育社会学』という入門書に出てくる「構造主義」や「ポストモダン」などという言葉を再び学びなおす必要が出てきた。こういう「渇きによる学び」は①にあたるだろう。
 さっさと①の学びを済ませ、②の学びであるフリースクールやイリッチに関する本を読む段階に移っていきたいものだ。

DVD『こんばんは』と、「渇きによる学び」考。

 前に映画『学校』を観た。西田敏行が夜間中学校の教員を好演している。生徒たちと生と死について議論しあうラスト・シーンが心に残る映画だ。『こんばんは』を観て、「映画『学校』の世界は、本当に存在するのだなあ」との思いを持った。学び手たちが生き生きと学校で過ごしている。「こんな学校、いいなあ」と素直に思った。『学校』にもあったが、夜間中学校でこそ本当の教育が行われているのかもしれないと感じた。

 このように生き生きとした学びが夜間中学校で行われているのはなぜであろうか。私は、「渇きによる学び」が起きているためであると思う。「渇きによる学び[i]」とは私の造語だ。卒論の中には次のように書いている(概要)。

フリースクールは子どもを無理やり学ばせることはしない。のんびり・ゆっくり過ごすことの推奨すら行う。子どもが「学びたい」と思うまで「待つ」姿勢を貫いているのだ。だからこそ、時間が経つかもしれないが、「渇き」が起こる。渇きをいやすために水を飲むとき、馬は脇目をせずに一心不乱に飲み続ける。「渇き」が起きた時の学びもそれと同じであろう。奥地恵子のいう「ヒロベン」(テレビやゲーム、友人との遊びなど、日常生活で〈広い意味での勉強〉)が、やがて「渇きによる学び」を誘発するのである。

 フリースクールでは、子どもが「学びたい」と思うまで待つ。けれど「学校」は無理矢理でも学ばせようとする。そのために生徒はイヤイヤ勉強をする。しまいには「学校」にいくことと「学ぶ」ことをイコールだと錯覚してしまう(イリッチの言った「学習のほとんどは教えられたことの結果だ」と勘違いするようになる「価値の制度化」が起こる)。
 夜間中学校は、「文字を読み書きできるようになりたい」・「日本語を何としても習得したい」という思い、つまり「渇き」を学習者が持っている。また、夜間中学校には自らの自由意思に基づいて通っている。だからこそ、生き生きとした学びが行われるようになるのだろう。もし夜間中学校が「いままで義務教育をうけたことがない人は全員行かないといけない」場所になってしまえば、映像にあったような生き生きとした学びは行われなくなってしまうだろう(夜間中学校が「学校化」されてしまうのだ)。

 映像を観ていて、もう一点感じたことがある。それは〈生活経験や悩んだ体験がないと、詩や小説を本当の意味で読むことができないのではないか〉ということだ。映像内では「雨ニモ負ケズ」をクラスで読むシーンがあった。同じ詩を、私は小学校の高学年で習った記憶がある。その際は「こんな生き方を希望した人がいたのだなあ」という印象を持った。宮沢賢治の詩が全く自分の内面に響いてこなかったのだ。
 けれど、映像では自らの体験を踏まえて学習者が語り合っている。自らの経験を踏まえたうえで、作品を読み取っているのだ。これは通常の「学校」では必ずしも行われていない。小学生のころの私もそうであるが、作品が自分にとって「遠い」のだ。クリステン・コルは『子どもの学校論』のなかで、本来ドラマティックなはずの聖書の物語が、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」させられる状況を批判している。日常生活と乖離した学問を学ぶのが、通常の「学校」になってしまっているのだ。

 詩や小説は、読まれることで初めて意味を持つ。そして読まれるためには、読み手が成熟を遂げていなければならない。よく「夏目漱石の作品は40を超えてからでないと分からない」と聞くが、これも読み手の成熟がないと本当に理解することができないということなのだ。ちょうど「バカの壁」が作品と自分との間にあるのだろう。成熟するということは、種々の経験を経ることでバカの壁に穴をあける作業を意味する。

 このように、詩を読み取れるだけの成熟を「待つ」姿勢を持っているからこそ、夜間中学校では「渇きによる学び」が起きているという側面があるのだろう。

[i] 梅田望夫は『私塾のすすめ』のなかで〈のどが渇いて水を飲むように学ぶ〉ということを書いている。その部分や宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』を参考にして、「渇きによる学び」という言葉を使っている。