教育論

クリステン・コル『コルの「子どもの学校論」』(新評論、2007年)

 デンマークの教育を、草の根から変革した人間、それがコルであった。19世紀に師匠・グルントヴィの教育思想を実践した人物だ。教育論者ではなく、教育者である。ヒラ教員の立場からでも一国の教育変革が可能であることを、コルは教えてくれる。

 本書はコルの残した数少ない書物のひとつ「子どもの学校論」の翻訳である。本書に通底するテーマ、それは「そもそも学校では何を行うべきか?」である。
 19世紀のデンマーク(あるいは現在21世紀の日本でもよい)では「死んだ」知識が重視されていた。読み書き計算(教育学者は気取って3R’sと呼ぶ)の習得が「目的」となっていた。無理やり読み書き計算を教えられることに、本当に意味があるのか? コルは考える。
≪書くことを教えるなら、子どもが「書きたい」と思うまで待つべきではないか? 筆算の仕方を教える前に、〈数とは、一体どんなものなのか〉子どもが分かるよう、身の回りから数について考えられるようにしたほうがいいのではないか? 本来ドラマティックな聖書の物語を、「細かい章にブツ切りにされ、小さな宿題を通して暗記」(153頁)させられるなんて、無意味ではないか?≫などと。
 それゆえ、コルは読み書き計算を無理やりに教え込もうとする現状に「No!」を叫んだ。教育現場における口頭による関わり合いを重視したのだ。コルは人間が語る「生きた言葉」による、対話の重要性を訴えた。清水満は本書の「解説」で次のように語る。

書かれた文字による教育が、すでにその文字を知り、多くの文献を知る識者が上から一方的にそれを教え込む上下の関係であるのに対して、「生きた言葉」による「対話」にはそのような専制的な関係が生じない。また、とりわけ教育の対象となる青少年たちは想像力と感性の豊かさに富んでいる時期であるから、理性的な文字よりも生きた言葉の音調、つまり耳の言葉で想像力を活性化させるにふさわしい存在となる。(200頁)

 コルが偉大であるのは、実践者であった点だ。自分でフリースコーレ(本書の清水満訳では「フリースクール」となるが、日本に存在する「フリースクール」とごっちゃになることを危惧し、ほかの訳者が使った「フリースコーレ」の語を使用した)を建設し、自分で運営をする。そこで育った子どもたちも、のちにフリースコーレを各地に作る。そしていまでは全デンマークに普及したのである。

 最後に、本書から印象深い言葉をいくつか引用しよう。

子どもたちの教育にかかわる者はみな、精神的に強い人間でなければならない。古代ギリシャにおいては、教育にかかわる人間がその国でもっとも精神的に強い人間であった。一方、古代ローマでは教育には奴隷を使ったので、ローマの教育レベルはそれに応じたものにしかならなかった。(139頁)

ただ、心から出たものだけが心に響く。良かれ悪しかれ、特別な訴求力をもつとされるものはすべて心の深いところでつくられ、そこから表出して言葉と行動へ向かわなければならない。表面的な生は、ただ浅薄なものと幻影を生み出すだけである。無知蒙昧な者にとってはそういう生があたかも実在するかのように見えるが、現実には存在しないのである。(141頁)

国家権力は私たちが思っているほど子どもたちを愛していないし、愛することはできない。私たちは子どもたちが好きだし、だからこそ子どもたちを一番よく元気づけることができる。そういう大事な事柄で、私たちは脇に立って傍観者のように見守るだけで満足するつもりはない。私たちは、子どもの教育の全責任を引き受ける。そして、援助を必要とする。私たちは、自分たちでこの援助を調達するので、国家はむしろそこから手を引かねばならない。(175頁)

 本当に最後は訳者の清水満の言葉。

グルントヴィとコルの伝統に連なるものとしては「教育の自由」がある。もともとはグルントヴィがイギリスの大学と市民社会から学んだ市民的自由が基礎になっているが、コルに率いられたフリースクール運動などによって地域の民衆が自分たちで学校をつくることができる自由として認められ、公教育ではない教育を少数者が行う自由という意義をもつようになった。いうなれば、デンマークの教育権は「教育を受ける権利」ではなく、自分たちで自分たちの考える「教育をつくる権利」なのである。(243~244頁)

ペスタロッチ『シュタンツだより』とフリースクール

 ペスタロッチは貧しい子どもと共同生活をする中で教育を行ったことがある。そのときに書いた文章は『シュタンツだより』として現在にまで残っている。

「最も憐れな最も見放された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱の泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた」(『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』長田新訳・岩波文庫)
 味わい深い言葉だ。
 興味深いのは、シュタンツにおいてペスタロッチがおこなった「教育」は、いわゆる学校教育とはちがう実践であったという点だ。子どもと生活する中で学んでいくというスタイルだ。よくペスタロッチは「近代教育の父」という呼ばれかたをするが、「近代教育」が「学校」を意味する以上、この呼ばれかたは正しくない。むしろ近代教育のアンチテーゼとして出てきた「フリースクールの父」と言ったほうが良いのではないだろうか。学校では全てを「授業」として教える。けれどイリッチは生活の中で教えた。この差は大きい。
 ペスタロッチがシュタンツにいたのは1798年から1799年の間である。52歳から53歳にかけての時期である。ペスタロッチの行った教育を、そのまま実践するのが「近代教育」であったならば、現在のような「学校」教育の弊害も起こらなかったことであろう。残念で仕方ない。
追記
 日本の教育思想家・牧口常三郎も、ペスタロッチ同様の発言を行っていた。ここに引用する。
「皆、等しく生徒である。教育の眼から見て、何の違いがあるだろうか。
 たまたま、垢や塵に汚れていたとしても、燦然たる生命の光輝が、汚れた着物から発するのを、どうして見ようとしないのか」(『牧口常三郎全集』7)
 牧口は学校の教員として、この「垢や塵に汚れて」いるような子どもとも関わり合った。風呂に入れない子どもには学校の風呂を使わせた(しかも牧口自身、児童とともに入浴し、児童の背中を洗ってもいたのである)。この「思いやり」の心が、教育の原点であろう。

フリースクール スタッフ養成講座の合宿。

 先週の土・日・月と、フリースクール全国ネットワーク(通称フリネット)が開催する合宿に参加した。ボランティアのスタッフとして。非常に勉強になった。ふだん、フリネットのボランティアはしんどいため、嫌々やっていることがあった。フリネットへの「不登校」という状態だろうか。この合宿に行き、「しんどいけれども、意味のあることだったのだ」と再認識できた。いいことである。

 講師の話にあった内容から、印象に残った点をいくつか。
 
 インドの子どもが、フリースクールに通う日本の子どもと交流した時の言葉。
「〈学校に行きたくても、貧しくて行けない〉ことと、〈学校に行きたくないのに、無理やり行かされる〉ことは、同じ問題なのだ。子どもの権利から見るなら、どちらも同じことなのだ」
 私たちは、よく「学校に行きたくても行けない子どもがいるのだから、頑張って学校に行こうよ」という。学校に行ける状態であるのに不登校でいることは、「ぜいたく」「わがまま」だと考える。けれど、本当はそうではないのだということが、この話から解った。
 いい合宿であった。

モンテッソーリの教育法。

 本日、カフェスローで「幼児教育から生涯教育へ」というテーマで講演会が行われた。講師はジュディ・オライオンというモンテッソーリ協会公認の教師養成者。講師も通訳も、そして聴衆の大部分が女性。来ている男性も「夫婦」で来ている人ばかり。学生の男一人は目立った。

  
 いままで全く幼児教育には関心がなかったが、今日の講演会で認識を新たにした。それは質疑応答時に私が次のように質問したことと関連している。
「本日のテーマは〈幼児教育から生涯教育へ〉ということでしたが、全体的に幼児教育と学校教育の話ばかりで、生涯教育についてのお話があまりなかったように感じます。もしよろしければ、モンテッソーリ教育における生涯教育はどのようなものになるか、お話いただけますか」
 講師のオライオン氏はこう答えた。
「大人になった時、土台がしっかりしていたならば誰にいわれなくとも自分で自分を育てることができます。そうした〈根〉の部分が確立していると、制度的な生涯教育は不必要になるのです。人生の最初の24年間に、〈根〉を確立できなかったならば60歳くらいになる時に困ることがあるかもしれません」
 この話は非常に示唆的だった。生涯教育というと、どうしても何か「機関」や「制度」が必要だと感じてしまうが、そうではないのだ。それまでにきちんと育つことができれば、特に生涯教育というものを用意しなくても、個人が勝手に学び、勝手に成長していくのだ。
 制度的な生涯教育を否定するのが、モンテッソーリ式の生涯教育なのだ。
 
 モンテッソーリ教育の特徴は「命」に沿った教育を行う点である。モンテッソーリ式の幼稚園では2歳半から子どもたちの相互の助け合いが起こるように集団での生活を行う。子どもの「命」の発達段階に応じて、子どもが自分で学べるような教具や環境を提供する。小学校段階からグループでの探求活動を行い、研究旅行の行き先や計画すら子どもたちで行えるようにする。「子どもだから、これは無理だろう」と決めつけていないのだ。そこを見て、子どもを決してバカにしてはならないのだ、と感じた。そのため、モンテッソーリ教育は〈子どもという人間性を軽視してはならない〉ということを伝えているように思える。
 前に私は「イリッチは〈人間の復権〉を形をかえて伝えようとしたのではないか」、と書いた。《例えば消費者という言葉。ただ消費だけを行う者という意味だ。人間を消費者と生産者に分けるのではない。本来、人間は生産も消費もどちらも行ってきた存在である。それを「生産者」「消費者」に分けることは人間を軽視することだ》と。私たちは「子ども」というものも、軽視してきたのではないだろうか。
 そんな風に感じた。

フィリップ・ブラウンほか『教育社会学』(九州大学出版会)より。

われわれの基本的な考えは、次のとおりである。平等な社会は、経済と政治の改革を通じて造り出すべきものであり、教育の主たる役割は、そのようにして造り出された社会を維持することにある。(53頁)

 この一文、印象的であった。教育に過度の期待をするのは間違いである。山本哲司はいう。〈教育を通じて社会をよくしよう、とかそういう人間はいなくなるほうがいい〉などと。別に教育を受ける人たちは社会をよくするために生まれてきたのではない。「生まれる」ために、「生きる」ために生まれてきたのだ。そんな主体を何かの目的(社会をよくする、など)に使役するのはお門違いである。

自立の支援か、依存の奨励か。

 宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』を読了する。

自民党が「再配分=既得権益温存」などという看板で再生可能ですか。百パーセントあり得ない。再生するとすれば、「再配分=既得権益剥し」は当然としたうえで、再配分が「自立の支援」なのか「依存の奨励」なのかを厳しく吟味する以外にあり得ない。(83頁、宮台の発言)

 これ、教育(特にイリッチ思想)にも適合できる。
 教育することが「自立の支援」でなくサーヴィスの依存者(つまり「依存の奨励」)になる結果になってはいないか? そうなってしまうなら、そんな「教育なんていらない」ということになる。

上野圭一・辻信一『スローメディスン』(大月書店)

 前の日曜日、高田馬場で『スローメディスン』の出版記念シンポジウムが行われた。出版記念のシンポジウムに行くのは、初めてである。作者2人の話の中に、著作の裏話が現れる。本を作る過程が見えて、なかなか面白かった。

 スローメディスンとは、要は「オルタナティブ医療」(代替医療)ということ。あるいは「ホリスティック医療」ということである。西洋医学だけでなく、針やお灸・漢方などの東洋医学も復興すべきだ、また気功・スピリチュアル的治療も認めていこう、という内容である。

 オルタナティブという言葉を聞くと、私の血が騒ぐ。私の専門のオルタナティブ教育を思い起こすためである。話を聞けば聴くほど、私の専門分野との共通点が浮かび上がってきた。

 オルタナティブ医療もオルタナティブ教育も、メインストリームに対するものとして立ち現れてきた。オルタナティブ医療の方は西洋医学、オルタナティブ教育の方は「学校」教育。西洋医学も「学校」教育も、「それ以外は駄目」という圧力のもとに「それ以外のもの」を否定してきた。例えば針灸、例えばフリースクール。「切り捨て」をしてきたわけである。

 けれど、原点に帰らなければならない。医療は人の治療をすることが目的だ。その目的を達成するためなら、西洋医療以外を使ってもいいではないか。同様に、真に子どものためになるのなら学校以外で教育を行ってもいいではないか。

 

 シンポジウムの質疑応答の際、疑問を感じた点がある。代替医療を押し進めたとき、例えば「手かざしで病を治します、その費用は100万円です」ということを主張するカルト宗教への対応である。講師2人の意見は、そこで割れた。

 辻信一は「手かざし、つまり気功で病を治す人々はいる。だからそういう人々を排除することがあってはならない」と語った。一理ある。本当に手かざしで治療できる人が現にいるからだ。問題はそんな能力がないにも関わらず「手かざしで治す」と言い張るカルトをどうするか、という点だ。けれど辻はその可能性を言及していなかった。辻に違和感を感じる。

 上野圭一は「宗教的行為と治療行為は分けなければならない」と語る。そして、純粋な治療行為に対しては「代替医療」と認めていくべきだと主張した。宗教的な部分については代替医療と認めない方が良いと指摘する。その際、治療行為の費用が他と比較して正当な金額かを考えていく必要があると語った。「同業者団体が自然発生的に作られ、その内部規定が出来ていく必要がありますね」とまとめていた。つまり、「このような治療(手かざし等)には、これくらいの金額にしましょう」という内部規定だ。この上野の説明には納得できた。

 

 辻・上野両氏の話を聴いていて、次のようなケースを思いついた。成功率10%の手術(つまり西洋医療)に100万を出す人は、成功率10%の「手かざし療法」(オルタナティブ医療)に100万を出すかどうか。成功率ではどちらも同じだ。けれど、手かざしに100万を出すのは「インチキではないか」との疑惑がどうしても残る。何故、私はこう感じてしまうのか、よく理由が分からない。

 辻と上野の見解の相違は、オルタナティブ教育を考える際にも有効である。いま、「学校」教育以外のオルタナティブ教育を、「学校」同様に認めていく方向に政策が変わったとする。その結果、ヤマギシ会やオウムが作ったような胡散臭い教育機関も認めていく方向になったとする。戸塚ヨットスクールも当然「学校」同様に認められるだろう。そうなることは本当に良いことなのか? 「何でもあり」という状況が現れることは、本当に子どもの教育に役立つのだろうか。

 教育機関が「何でもあり」になるとき、上野が語る「同業者団体」の存在価値が高まってくるように思える。子どもや保護者が教育機関を選択する際の指標とすることができるからだ。上野のいう「同業者団体」として、いまフリースクールは「フリースクール全国ネットワーク」という組織をもっている(厳密には、他に「日本フリースクール協会」と「日本オルタナティブスクール協会」がある)。この組織に入るには「子ども中心の学び」を行っているか否かなど、細かな点のチェックが行われている。教育機関を自由に選択できるようになったとき、同業者団体の存在が、選択に安心感を与えるであろう。同業者団体に必ず所属しなければならない、ということはない(それはイリッチでいう「価値の制度化」にあたる)。選択する人がいる限り、同業者とは全く違う教育理念を持つ教育機関はいくらでもあっていい(一部の人に有効という観点から、私は戸塚ヨットスクールにも一定の評価を与えている)。

 

追記

「職業的な医者への依存の構造が、私たち一人ひとりの心のなかにできあがってしまった。子どもが熱を出したら、自分で手を打つことなしに近くの病院に駆けこむ。昭和30年代までは、病院出産と自宅出産が半々だったのが、それを境いにだんだん病院化してくる」(111頁、上野の発言)とあった。

 この文を読んでいて、イリッチの『脱病院化社会』という本を思い出した。未読なので、読んでみたい。そう思うのである。

追記2

 オルタナティブ教育も、ただ「フリースクール性」を担保するよりも、「何でもあり」で「自分が自分で学ぶ」「自分を教育する」自発性の視点を失ってはいけない、ということだろうか。こういったフリースクールの「フリースクール性」についての考察を行っていくことが必要である。

 

追記3

 上野・辻の話を聞き、代替医療やオルタナティブ教育の「基準を立てる」というよりも、代替医療やオルタナティブ教育全般を認めていき、それぞれが自発的に同業者団体をつくっていくことが必要である、ということを学んだ。

劇団てあとろ50’『last gasp』

 シンクロニシティーという言葉がある。同時性という意味だ。今日『last gasp』という演劇を観て、それを感じている。

 最近、サークルの先輩と飲んだ。その際、家族論について話をした。なんでも、家族論的には家族は外部の「サービス」で代行できるらしい。ベビーシッター、家政婦さん、究極的には教師や塾講師…。家事業も、教育もすべてに外部の「サービス」が存在する。ではサービスで代行できる現在において、「家族」の「家族性」、つまり「家族」たる由縁はどこにあるのか? そんな疑問を持っていた。
 てあとろ50’sの演劇のテーマは、私が疑問に思っていた点と同じだった(ような気がする)。主人公・神谷和人(かみたに・わひと)の妹・仁香(じんか)は昔すごした家族5人(父・母・兄・弟)との生活を夢見ている。「5人」にこだわり、細かな所に妥協しない。家を出て行った母から「家に戻ってもいい?」との電話があっても、黙って切ってしまう。結局、引きこもりの兄・和人とともに2人で生活をしている。父も弟である三治郎も出て行ったままだ。
 そんな折、弟・三治郎が「結婚するんだ」と山崎蘭をつれてくる。そのやり取りの中で妹はgaspをする。gaspとは、はっと息をのむこと(すべて『ジーニアス英和』の受け売り)らしい。そして泣き叫び、しばらく入院をすることに。不思議と、妹のgaspが新たな家族構築につながっていく。母・弟・義理の妹という4人の生活に。兄は入院中にどこかへ出てしまったが、《やがて戻ってくるだろう》と観客に匂わせるラストであった。
 「家族を演じる」意志のない人は、家族のメンバーになることはできない。そう感じた。「家族を演じる」意志のない人を無理に家族に引き込もうとしても、ストレスが溜まるだけである。家族を演じる意志のない人は抜け、意志のある人・意志が戻ってきた人が再び家族になる。家族の物語は一つではない。それぞれの物語を持つ各人が、「演じる」意志のある間だけ、かろうじて家族になれるのだ。
 シンクロニシティーを感じたのは、家族論を演劇でやっていたことによる。偶然だが私のカバンには『子どもと出会い 別れるまで 〜希望の家族学〜』(石川憲彦)が入っていた。この本では、「思い」や「感情」をぶつけるとき、はじめて家族の再生があることを描いている。人々がgaspをし、「思い」や「感情」を伝える努力をする際、新たな家族を構築することにつながるのだ。
 余談だが、演劇の舞台上、ほぼ全ての間、人間二人が座っていた。和人と仁香の家の猫2匹の役だ。人間たちのやりとりを、この2匹は絶えず見つめている。実はこの家は兄と妹の2人家族でなく、ペットも入れた4人家族であったような気がしてならない。敬愛するO先生が「ペットも家族」と言っていたし…。

フルートを始める。

 本日15時。無事、卒業論文を学部事務所に提出することができた。ようやく私も「学士様」。いまはものすごく多い学歴なので、明治期のような輝かしさはないが。

 
 何かが終るとき、新たな決意をしなければ「落ちて」しまうのが私である。一念発起して、楽器の街・大久保に行ってきた。笛を始めるためである。
 昔から、何か一つでもいいから楽器が出来るようになりたいと考えていた。なかなか始めるチャンスがない。なんだかんだ大学4年生になってしまった。卒論の終った今、新たに始めるのに最適な時期だ。
 中古の楽器屋で2万円でフルートを購入。新品を買うと6万円はかかる。「楽器」という文化は恐ろしい。
 内田樹の言葉だったか忘れたが、「人間は異物ともコミュニケーションが出来る」というものがある。「なんだかよくわからないもの」、つまり「異物」であっても人間は意思疎通が可能となるのだ、という文章である。
 今日、フルートを口に当ててみたがびっくりするほど音が何も出ない。「不良品か?」と焦るくらいである。私にとって、このフルートは完全な「異物」だ。さっぱり音を出すことができない。you tubeでは、あんなに美しい音を奏でる人がいるのに…。
 おそらく、演奏家にとっても始めのうち、フルートは「異物」であったのだろう。それを日々接し、少しずつ「異物」との関わり方を練習するうちに、自らの身体同様にフルートを活用できるようになったのだ。
 今日、フルートという「異物」に関わり、久しぶりにコミュニケーションが取れないことのもどかしさを経験した。「異物」に出会うとき、人は謙虚になるものだ。少しずつこのフルートとコミュニケート出来るようになりたいと考えている。

「制度」としての「学校」の不可思議さ

 もとから、私の教育学的主張は学校外の学び舎をさらに普及させることである。例えばフリースクール、例えば「子どもの居場所」。それ故、私はフリースクール全国ネットワークというNPO団体のボランティアを週1でやらせていただいている。

 私が教育実習で行った八千代中学校はド田舎の中学校。ヘルメット・タスキをつけ、生徒は自転車で通学する。逸脱する者はあまりいない。生徒をしばる教員の圧力の強い所であった。

 こういうことがあった。男子生徒更衣室から制汗スプレーがみつかり、担任が生徒に「こんなものを持ってきてはいけないだろう」と叱っていた。そのシーンを私は少し離れた所から黙ってみていたのだが、非常に不思議な気持ちになった。その教員の話を聞いていても、「どうして制汗スプレーを持ってきてはいけないのか」という理由の説明にはなっていない。理不尽な叱り方である。おそらく、その教員の側にしてみれば本当に「こんなものを持ってきてはいけない」のであろう。中学生だった頃には存在しないものだったのだから。けれど時代は日々進む。現在、高校や大学で運動をする人たちの間で制汗スプレーをしないことの方が「お前、それはないだろう」と言われることが多い。自分の体臭を気にしないことは《非礼》であると伝わってしまうのだ。

 まさに社会学でいう「権力」関係が働いていたことに気づく。「隠れたカリキュラム」として、中学生は教員権力に従うということを内面化されていくのだ。

 教育実習、気づけば終っていた。「学校」や「教師」という存在が生徒を支配する関係が存在していることに改めて気づき、「ああ、やはり学校外の学び舎がさらに普及することが必要なんだな」という考えに至った。八千代中学校の「不登校」・「教室外登校」の生徒数は、6名(総生徒数208名)である。およそ3%の生徒は「学校があわない」ということを無言のうちに示している。

 「学校」や「教師」が大好きな生徒がいるのと同様に、それらが大嫌いな生徒がいるのは当然である。その子に対し、無理やりでも「学校へ来い」と言い続けるのは酷であろう。学校が「学校」である限り、どれだけ努力をしようとも「学校」を好きになれない生徒は必ずいる。ならば学校外の学び舎(フリースクールなど)をさらに普及させることが必要だ[1]

 しかし、「学校」の持つ「気持ち悪さ」を教育実習のなかで幾つも感じながらも、生徒と触れ合うことはものすごく楽しかった。S君という生徒と、放課後の無人の図書室で日本の歴史のロマンを語り合ったことは未だに鮮明に頭に残っている。

 「学校」という制度のなかで、いかに生徒と人間的つながりを築けるか。これが大切なのではないだろうか。


[1] もう一つの考え方として、ボーイスカウトなどの「ノンフォーマル教育」活動を押し進め、学校外にも子どもが育つ場所を提供するというものがある。私の実習校でも、ボーイスカウトや地域のサッカークラブに参加している生徒が一定数いた。