教育論

教育政策ネットワーク サイトに感じた違和感。

教育政策ネットワーク、というサイトがある。「教育が変われば、日本が変わる」ということを謳ったページである。その中で、日本の教育改革について一般人の意見をもとめるという項目があった。私もさっさくやってみる。実施後、「この教育改革って、しょせんは学校に行っている子どものみが対象じゃないか」と違和感が残った。そのため、次のコメントをメールした。


私はフリースクールでボランティアを週一の頻度で行っている者です。

貴団体の教育の政策提言なのですが、すべて「学校」での教育のみに片寄っているように感じられてなりません。 日本の教育をよくするならば、学校を変えるだけでよくなることはないはずです。学校が合わないと訴える不登校の子どものための教育政策が必要だと思います。その教育政策は〈再び学校に行けるよう、学校を魅力的にする〉だけでは意味がありません。学校という存在それ自体が合わないと考える子どもは、現に存在しているからです。学校とは違う教育機関をも対象に入れた教育政策の提言が必要であると考えます。 いま、フリースクールに通う子ども達には、通学定期券以外、ほとんど行政からの支援をうけることができません。やろうと思えば、政策提言にあった奨学金制度の拡充をフリースクールに通う子どもも対象に入れることが可能だと思います。そのような「フリースクール等の学校外教育機関に通う子ども達」の利益も考えた教育政策こそが、いまの時代に必要であると考える次第です。 昨日、フリースクールに通う子ども達が中心になって「不登校の子どもの権利宣言」が発表・採択されました(「2009不登校を考える全国合宿」)。その中に、「不登校をしている私たちの生き方の権利」というものがあります。「おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない」と書かれています。不登校の子ども達へのまなざしを忘れない教育政策が必要であると考える次第であります。

追記
山下和也『オートポイエーシスの教育』には次のようにある。「教育による社会変革は絶対に成功しません(…)そもそも、ある社会において教育による育成が期待されるのは、その社会の社会人人格の担い手なのです。元来、教育に求められるのは現状の再生産なのですね。教育自身に、それを定義しなおす力はありません」(212頁)。この文章から考えるなら、「教育が変われば、日本が変わる」というスローガン自体が、いかに怪しい存在であるかがわかる。



「2009不登校を考える 第20回全国大会」と「不登校の子どもの権利宣言」

 昨日、「2009不登校を考える 第20回全国大会」が終了した(8月22日~23日)。この大会は保護者の部門と子どもの部門に分かれて開催された。

 フリネット(フリースクール全国ネットワーク)ボランティアの私は、子どもの部門のほうでスタッフとして関わらせていただいた。子どもの部門は「子ども交流合宿ぱおぱお」という名称で行われた。
 大会のエンディング。「不登校の子どもの権利宣言」という文章が発表・採択された。これは不登校の子ども達が作った、画期的な宣言文である。大会の実行委員長のひとり・K君が中心になり、話し合いに話し合いを重ね、作った宣言だ。前文を引用する。
前文
 私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。
しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。
不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。
 おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。
 多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。
 このあと、13条にわたって様々な権利が主張される。
1、教育の権利
2、学ぶ権利
3、学び・育ちのあり方を選ぶ権利
4、安心して休む権利
5、ありのままに生きる権利
6、差別を受けない権利
7、公的な費用による保障を受ける権利
8、暴力から守られ安心して育つ権利
9、プライバシーの権利
10、対等な人格として認められる権利
11、不登校をしている私たちの生き方の権利
12、他者の権利の尊重
13、子どもの権利を知る権利
 実行委員長の奥地圭子さんは「この提言を聞いていて思わず涙が出てきた、と参加者が何人も語ってくれた」とおっしゃっていた。
なお、参加者の方が「不登校の子どもの権利宣言」へのコメントを書いているブログがありましたので、ご紹介いたします

個への対処と、全体の変革の矛盾。

 不登校という「個」への対応を、フリースクールは行っている。

 けれど、これは時に宮台真司のいう、スクールカウンセラーの矛盾にもつながる。個への対応をすることは、時に全体の変革の妨げとなり、現状は変わらないという矛盾である。
 どういうことかというと、スクールカウンセラーは「鬱っぽいんですけど・・・」という生徒への対応を行う。そのために、うつ気味の状態回復のプログラムを個人に提案したり、じっくり話をきいたりする。それ自体は個の対応として重要なことだ。けれど、スクールカウンセラーは鬱の原因を作った学校や家庭それ自体への対処を行うことは(ほとんど)ない。
 最近はましになったが、教員とスクールカウンセラーの連携が取れていないところもあった。そういう場所では「教師は教える仕事、スクールカウンセラーは治す仕事」と単純に仕事の割り振りが行われ、スクールカウンセラーの声が教員に届かない状況があった。スクールカウンセラーが個にいくら対処しても、学校や家庭自体が変わらないならばいつまでたっても状況は好転しない。
 この矛盾に対し、2つの考え方がある。1つは「個」に接し、対処して「治った」子どもが多くなると、社会システム自体が変化するという考え方だ。つまりスクールカウンセラーによって「治った」子どもが増えてきたら、自然と精神的に悩む子どもが少なくなる、という考え方である。これには批判ができる。病院の存在である。病院で治療しても、その病気やけがの発生が減るということはない。
 もう1つの考え方は、「個」への対処では限界がある分、システム自体を変えるという発想だ。フリースクールの例で言えば、個別のフリースクールの対応のレベルから次の2つの活動に広げていくことが挙げられるだろう。①全国組織であるフリースクール全国ネットワークを結成し、政策提言(既存の学校システムへの変革)や予算請求などを行いやすくし、より広域での活動を行うということ。②東京シューレやきのくに子どもの村学園のように、学校システムそれ自体へ参加し、「現在の学校制度内でもフリースクール的教育実践は可能なのだ」示すこと。この2つである。不登校の子どもという「個」への対応にとどまっていると、目前の子どもしか関わることができない。けれど、システム自体の変革に目を向けていくと、より広範な子どもと関わることができる。
 いま不登校は12万6000人いるといわれている。学校システムや教育システムの変革が必要となってきているようである。個別のフリースクールでの「個」への対応が重要なのは言うまでもないが、より広範な対応を行うため学校/教育システムの変革を①や②の方法で取り組んでいくことがこれからさらに必要になってくると考えられる。
 
 

山本哲士『学校の幻想 教育の幻想』

 この本は恐ろしい本である。特に私のようにイリッチを卒論のテーマに掲げた人間にとっては。

 イリッチに師事した人物だからこそのイリッチ論。他のイリッチ論とはあまりに異なっている。

〈学校化〉が明確にされるとは、つまり「産業的生活様式」が明確になることであって、彼を〈脱学校論者〉として紹介や翻訳をするのは少なくとも本筋をはずれています。イリイチに「脱学校(post-schooling)を求めるのは、「イリイチ思想」の水準では確実に誤りです。(212頁)

 山本はイリッチのdeschoolingを「非学校」と呼ぶ。元々イリッチが言っているのは「非学校」であって、「脱学校」論ではない、ということである。私は強烈な誤解をしていた、ということだろうか。
 『教育思想事典』で森重雄は言っている。

脱学校化とは、冠辞がpostではなくdeであるのだから、厳密には「学校解体」と訳さなければならない。ところが1970年代は、社会学・社会科学において「脱工業化社会」(post industrial society)論が華やかなりし時分であったから、教育会もこれにあやかって「脱」と訳出したものと思われる。(88頁)

 要はブームだったから「脱学校」と訳してしまった。結果、イリッチの真意が伝わりにくくなってしまった、ということだ。翻訳者の責任は意外に大きい(けれど森は続けて「脱学校化という訳出は、学校化からの脱出という点で、はからずも正鵠を射た訳語である」と評価している)。

 卒論を書きつつ、山本の本は真剣に読み、論文の不備を直していきたい。

飛べないテントウムシ

 新聞に「世界初 飛べないテントウムシ」を遺伝子操作でつくり出した、というニュースが載っていた。

 テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。

 よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか? 

 残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
 科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
 教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。

参考:https://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722

内田樹の、「学び」論

いつも私は内田樹「先生」のブログを拝見している。

ときたま、思わぬ発見がある(結構な確率で「これ、何のこと?」と自分の理解度の低さを嘆くが)。

卒論に使える題材が書かれていたので、コピーしておきたい。
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私たちの時代の子どもたちが学ぶ力を失っているのは、彼らの「先駆的に知る力」が破壊され尽くしたからである。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、 どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。

内田樹の研究室より。

追記
 諏訪哲二『間違いだらけの教育論』において、内田樹は批判の対象となっている。内田の言う「学び」は「真理」としての教育を説いているが、「真理」としての教育を発動させるにはまず「啓蒙」の教育を行う必要性があるのだ、と。
 「啓蒙」の教育の後、「文化」の教育、「真理」の教育に段々とすすんでいく。肝心なのは、なまみの人間は「学ぶ」必要性を実感しないということである。この「学び」を発動させるための仕組みが「啓蒙」の教育なのだと諏訪は語っているのである。

いろんな「学校化」。

いろんな「学校化schooling」論。

まず山本哲士から。

学習や教育が学校に独占され、学校を通じて学習・教育が生産され価値あるものとなる「産業的生産様式」の典型。「学校」という形態とは区別されるべき、生産様式が「学校化」であり、学校の視えない働きとなっている。教育が制度化されて学校化が構成される。学校化に対抗するものが「非学校化deschooling」で、聖なる学校から教育を世俗化することを意味する。(『学校の幻想 教育の幻想』ちくま学芸文庫、17頁)

 山本はイリッチの脱学校化を「非学校化」と呼んでいる点に注意したい。

次は、『新教育事典』(勉誠出版、2002)の「学校化する社会」(楠本恭之)から。

イリイチが問題とする「学校化」とは、こうした「学校」への、子どもをはじめとして、社会までもの、いわゆる「囲い込み」を意味する。彼は、『脱学校の社会』のなかで、「学校は教育に利用できる資金、人および善意を専有するだけでなく、学校以外の他の社会制度に対しては教育の仕事に手を出すことを思いとどまらせてしまう。労働、余暇活動、政治活動、都市生活、そして家庭生活までもが教育の手段となることをやめ、それらに必要な習慣や知識を教えることを学校に任せてしまう」ことを問題とするのである。(187頁)

 前半に注目。宮台真司のいう「学校化」は、〈学校的価値が社会に吹き出す〉ことであった。イリッチの定義は反対に、学校への「囲い込み」を意味している。まあ、結果的にはよく似たことを言ってるような気もするが…。

 続ける。

イリイチの『脱学校の社会』という指摘は、こうした意識のもとに、社会の「脱」学校化を進め、自発的な「学びのための網の目」を、社会のいたるところに張りめぐらすことを考えたものであった。彼が意図したのは、単なる「学校廃止論」ではなく、人間と環境との間に新たに教育的関係をつくりだすことであった。したがって、われわれが「学校化する社会」において留意しなければならないのは、「ポスト『脱学校の社会』」として、あらためてイリイチを見直すことである。(189頁)

 
 最後は『教育思想事典』(教育思想研究会編)の「学校化」(森重雄)から。

ちなみに、イリイチ自身はのちに、学校化概念は、(中略)学校や教育による人間精神の去勢の指摘にもとづく人間精神の全面的疲弊・汚染に対する警告であったと述べている。(88頁)

真の教育は学校というレイアウトではけっして行うことができず、イリイチのいう、脱学校型の「学習のためのネットワーク」のもとにはじめて可能になる、と考えられていた。この学習のためのネットワークとは、ある知識を必要とする人とその知識を提供できる人をアドホックに結合することであり、それはコンピュータ・ネットワークにもとづくデータベース構築というテクノインフラによって可能となる。ここでは固定的な教師―生徒関係は生まれないし、出来合いの知識パッケージを必要な知識であると思いこまされることもない(石田注 要はこれは「価値の制度化」ということ)。これによって真の意味での教育が可能になるとイリイチは考え、これが真の教育を可能にする脱学校化の具体的な姿であるとして提唱したのである。(89頁)

 ずーっと打ち込みをしていると、手が疲れるし、眠くなる。
 先輩のOさんによれば、学者とは論文の「職人」であるという。
 ひょっとすると、テニス選手が素振りをするように、大工さんが鉋を磨くように、学者が空き時間に資料をキーボードで打つのも、一種の「職人ステータス」といえるのかもしれない。
 キーボードを叩くことを、「学問してる!」と誤解すること。学問的価値の制度化、といえるかもね。

余談
●通信教育の大学では夏場、「スクーリング」が行われる。直訳すると、「学校化」。いままでは家で学んでいたために学校へ取り込まれなくて済んだものを「学校化」させるイベント。うーん、恐ろしい。

ジョン・ホルトを探れ!

 卒論を書き始める。このブログに書いた内容を継ぎはぎするだけで、もう2万字になった。あと1万2000字。8月中に終りそうな気がしてきた。

 まとめるにあたって、イリッチ以外の脱学校論者を知る必要が出てきた。
 というわけで、今日はジョン・ホルトについてを書いておきたい。

 タネ本は金子茂・三笠乙彦編『教育名著の愉しみ』(時事通信社、1991)の「子ども その権利と責任」(佐藤郡衛、222頁〜)より。

1970年代にはイリイッチやライマーらの強い影響を受け脱学校論に深い共感を示すようになり、脱学校論という視点から次々に論文を発表していく。(223頁)

ホルトは他の脱学校論者と異なり、学校の存続を認めており、子どもが学校へ行くにせよ、行かないにせよ、その選択を子ども自身がすることを提唱している。彼の主張の根底には、子ども中心の思想が流れている。(222頁)

 お、出ました「子ども中心」との言葉。良さげな学者ではないか。

ホルトの子ども観はきわめて明確である。子どもを一人の人間として大人と変わらないように認めてやること、大人よりもあらゆる面で劣っているという見方を改めることである。(223頁)

子どもは大人からすべて与えられたり、押し付けられたりして、自ら決定できる範囲がきわめて少ない。このため、子どもが自分の行動に対して、自ら選択できる範囲を広げてやることが必要である。つまり、大人のいっさいの「管理」を拒否し、自由の回復をはかることをめざしているのである。(225頁)

子どもに対する「教育」から子ども自身による「学習」へと、言葉を変えれば「管理」から「自由」の教育へという発想の転換をはかろうとするものである。(224頁)

 神戸フリースクールの設立者が面白いことを言っていた。
「ボクは普通の学校の子って、ブロイワーやと思うんやね。そやけどフリースクールの子は地鶏や」。
 ブロイワーは与えられたエサだけを食べる。他に興味も何もない。というか、よそ見をしないことが求められる。
 地鶏は自分の力でエサを探す。与えられるエサだけでなく、土を掘って虫やミミズも食す。どちらがたくましく育つか、言うまでもない。

決意と持続の関係性。

 サークルで、なかなか青っぽい話をした。いま早稲田にいる意味は何か? 自分は将来、どのように生きていくことが正しいのか? なにを今決意して、社会に出るべきか?

 「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
 
 一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
 まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。

 決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
 
 決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
 挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
 学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。

 ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。

 重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
 「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。

 無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
 先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。

ゴーギャン展に思うこと。

 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。

 何の問いかけであろうか。これは、ゴーギャンの最高傑作とされる絵画の題名である。ゴーギャン自身も「私は、この作品がこれまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同等のものも、決して描くことはできまいと信じている」と述べている。
 友人のOに薦められて、竹橋の東京国立近代美術館のゴーギャン展を昨日見てきた。ぐるぐる館内をめぐった後、冒頭に書いた「我々は・・・」の前で私はノートを広げた。目の前に広がる光景を見つつ、心に浮かぶことを書き綴っていったのだ。
 じーっと見るなかで、生命の持つダイナミズムを感じた。生命はつねに動き続け、静止することがない。生命の「動」についてを実感していった。画中の少女はそのうちリンゴをかじり終えるだろうし、水浴している女性はやがて水浴をやめる。今日赤ん坊であっても、そのうち死を目前にした老人となる。生命は「変化」「動」の連続である。本絵画全体のあいまいさは、人間生命のアナログ(連続)性を示してもいるようだ。
 「美」もやがてうつり変わる。生命の「動」、連続性。それを前に、座り込んで佇むのも必要だが、その時間もやがて移りゆく。
 熱帯にいても文明圏にいても、生老病死からは逃れられない。ゆえに、そのことに絶望するよりは、「変化こそ生命」と見るほうがよいだろう。
 私のまわりで本作を見ている人々は、次々と場所を移動し、次の作品へと移っていく。とどまり続けるものは誰もいない。この「動」こそが生命である。
 ゴーギャンは生命の「動」を、絵画という「静」の技法で示そうとした。そこに無理があるといえばそうだが、いまにも語り出しそうな人物たちの姿を見ていると、やはり「動」がこの絵にあふれているように思う。
 
 変化こそが生命だ。「万物は流転する」のである。ただ、その「流転」もエヴァ(旧約聖書の人物。イヴともいう)が禁断の木の実を取ることから始まった。それがなければ、人間は「静」の世界、無変化の世界しか生きれなかったであろう。
 そういえば、ゴーギャンが来たときのタヒチも、「文明化」の波が始まっていたという。その生々流転する「動」のきっかけは、すべてエヴァの行動からはじまった。本モチーフには、生老病死という「動」の苦しみがもたらす人間の宿命と、それゆえの「ひとときの輝き」「現在の肯定」という二面性が描かれているようだ。
 株仲買人として成功した後に絵を描き始め、35歳で画家になる。収入が著しく減り、妻に逃げられ、絵を描くことだけが彼の生きがいとなる。フランスから出て、南太平洋のタヒチへ。彼の生涯自体、変化の連続。本作は、貧困・健康状態悪化・娘の死という、ゴーギャンのどん底時代に描かれた。
 万物は流転する。変化こそ生命。なら自分も、いまとはちがう何かになれるはずだ。変化を楽しむことが人生を楽しみ、充実させることとなる。
 「変化する主体」としての人間観は、ルーマン以来の教育学のテーマだ。
 オートポイエーシス(自己塑成)という人間像を私は思い出す。勝手に変化するとの動的生命を、私は大事にしたい。よもや教育がこの生命の「動」のダイナミズムを殺してはいないか、と。