小説 母の弁当箱

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 早稲田駅前。ぼくは大学生たちと逆行する形で、夕方にこの駅から地上に出てくる。気楽な大学生たち。背中に背負った大きなバックには、なにが入っているのだろう。全部本だとするなら、ぼくは大学生になった時、ちゃんとやっていけるんだろうか。 
 そんなことを考えながら駅を出て数秒歩き、100円ショップ・キャンドゥの横を曲がったぼくは、大きな「W」の文字を目にする。ぼくの第二の学校・早稲田アカデミーだ。
 「おはよう」 。友人のIがぼくに声をかける。ぼくも「おはよう」と答える。ここの中学生の間では、夕方に出会っても「おはよう」なのだ。中1のときは不思議だったけど、いまでは慣れてしまった。
 授業のあいまに、ぼくは弁当箱を広げる。お母さんがいつも作るヤツじゃない。そばのファミマで買ってくるお弁当だ。チンしてもらうと、おいしそうな香りが湯気と一緒に立ち上ってくる。IとかNたちといつも食べている。話の内容はだいたいポケモン。
 青い早稲田アカデミーの看板の前でサヨナラをいったあと、ぼくはいつも講師室のそばの給湯室にひとり行き、母のお弁当の中身を生ごみ袋に入れて帰る。箱はもう一度きんちゃく袋に入れて、カバンにしまう。
 それがぼくの一日の終わりです。

 レポートで使う資料を探すため、僕は押入れの段ボールをあさっていた。偶然見つけたのが汚らしい原稿用紙。中学生の時に学校の宿題のために提出した文章だ。なぜこんな文章を書き、しかも学校に提出したのか、さっぱりわからない。何かに怒っていたのかもしれない。作文を出した後、担任が悲しそうな顔をしながら「もっと別のテーマで書けないのかな?」と話したことが思い返される。結局、そのときは宿題の再提出をしなかったのだった。
 作文に出てくる大学生が背負っていたバックには、テニスセット一式とジャージが入っていたことを僕は知っている。大学はあんまり勉強しなくてもやっていけることも学んでしまった。けれど、母の弁当を「まずい」と言ってすべて捨てて帰るほど、僕の人間性は悪くはなくなった。 それにしてもひどい子どもだったものだ。

 しかし。
 あの頃の僕よりも、母のほうがもっとひどい人間だった。今でも覚えているが、中三の冬(あ、受験直前だったんだ)、いつもより早起きした僕は台所で母の姿を見てしまったのだ。セブンイレブンのビニール袋から出したコンビニ弁当を、僕の弁当箱に詰め替えている姿。僕はそっと後ろに下がり、ゆっくりと布団の間に戻った。
 いつも「まずい」と捨てていた母の弁当。代わりに食べていたファミマの弁当。けれど、母の弁当も所詮はコンビニ弁当だったのだ。レンジで温めなかったために、まずくなっていた。
 それだけだったのだ。

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