教育論

塾という教育の場(トポス)

 一之瀬学『誰も教えてくれない[学習塾]の始め方・儲け方』(ぱる出版、2007)読了。 

 塾経営の難しさを知る。
 そこにあった一文。

この経営者は、そのノウハウが時代に合わず、通用しなくなったからこそ、生徒が減り続けているという現実には気づいていない。錆付いた過去の栄光にしがみつき、それを手放そうとしないからこそ、経営がうまくいかなくなっているのに、である。これは塾だけでなく、どの業種でも成功した個人事業者が最も陥りやすい自己過信の弊害である。(208頁)

 現実に対応し続けることの大切さを思う。
 塾は、学校のサブとして捉えられる。だから塾で成績があがっても、表立ってあまり感謝されない。塾はいつでも「成績を上げるためのツール」としてしか捉えられないのだ。塾特有の寂しさを感じる。けれど、一之瀬は次のように語る。
子供たちとの接点は、ほんのわずかであっても、その一瞬にすべてを注いでいく。しかも学校とは違って、明日にはその子は辞めてしまうかも知れない。だからこそ、今という瞬間を絶対にムダにはできあに。それが塾の現場だ。
 たとえ一瞬でも、たとえお礼の言葉をかけてもらえなくても、人生のほんのわずかな時間的空間を共有できたことに感謝したい。いつか、一人ひとりの心に蒔いた種が、小さな花を咲かせることを願って。(197頁)
 一期一会の出会いを大切にし、生徒と相互行為(社会学的な言い方です)を結べた一瞬の輝きを大切にする。塾経営者が大事にする視点だろう。塾という教育の場(トポス)で現実に教育を行い続ける筆者の熱い志が感じられる。ぜひお会いしてお話をしたい人だ。
 この本からは塾業界での成功の仕方と言うよりも、「プロフェッショナル論」を教えられた。
 

山本哲士批判

 山本哲士の本を読んでいると、生きるのが辛くなる。彼の本を読んでいると、つねに権力関係を自覚してしまうからだ。

 例えば、会社の上司に「最近、どう?」と聞かれたとする。山本ならば、これも権力関係であると答えるだろう。「この行為は、現在の状況を聞く立場に自分があるという権力関係を自覚させる。部下に〈自分の行動を上司に報告する義務があるのだ〉と感じさせ、自分で自分を縛るように内部権力を持たせているのだ」という説明の仕方をするであろう。
 しかし、たいていの上司はそんなに大げさなことを考えず、ただスキンシップをとろうとしているだけなのだ。
 教育論の「教師―生徒の権力関係」の話でも、こういう図式が成立することがある。「教師がそこまで考えてないだろうな」という指摘をしている。
 小浜逸郎『学校の現象学のために』を読んで、そう感じた。

「子どもに合わせた教育」論。  

 子どもは人格の完成者ではない。ゆえに「子どもに合わせた教育」を文字通り実践してしまう事は、「合成の誤謬」となってしまう。個人にとって利益のあること/楽しいことの組合せが結果的にその人を不幸にすることがある。

 広田照之『思考のフロンティア 教育』(岩波書店、2004)には、その事例が出ている。教育を自由に選択でき、民族/興味/関心によって違う学校に行く。学校では楽しく/快適に過ごすことができる。

しかしながら、その結果は冷酷である。教育の成果はいずれ労働市場で厳しい判定を受ける。ごく一部のエリート向けの学校へ行った者を除いて、多くの子供たちは、大人になったときに自分に開かれている職業の選択肢が、さほどよくないものばかりであることを思い知らされることになる。もっと魅力的な選択肢は、別の学校や別のカリキュラムを選んだ誰かにすでに専有されてしまっているからである。(…)つまり、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」というシステムになりかねないわけである。(80頁)

 新自由主義的な教育選択制度というものが、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」をもたらしかねないことを自覚する必要があるだろう。
*注 このビジョンだが、仮に不登校経験→フリースクールを経験した人たちが特殊な社会を作り出し、そこで生きていくという事も出来るのではないか。フリースクールである東京シューレの出身者などが中心になって、シューレ大学という「学び場」を作った。これをさらに発展させ、不登校経験者のみが入れる社会(コミュニティ)を形成し、そこで生活できるとすればどうだろうか。そのとき、「卒業したらほとんどが大変な人生」の図式を打開できるのではないか。

 むろん、「楽しく」て、「将来役立つ」教育プログラム(あるいはカリキュラム)を作ればよい岳の話だ。けっして両立不可能ではないのだから(森下伸也『社会学がわかる事典』には「学級崩壊をふせぐには、授業に子供が集中できるよう、不必要な身体の拘束を解き、勉強をゲームとして楽しめるような工夫をしてやることが必要である。すべての勉強はもともと遊びから生まれたのだから、それはかならず可能なはずだ」〈174頁〉と、書かれている)。
 しかし、実際にそんな教育プログラムを作るのは難しい。誰にとっても楽しく、将来役立つ単一の学習プログラムを作る事は不可能だ。それは脳科学の発展が教えてくれる。耳から聞いている限り理解できない子どもと、文字では理解できない子ども両方に適合する教育プログラムは存在しないのだ。
 ひとつの方向性としては、個別プログラムによる個別学習があげられる。特別支援学級にそのヒントが求められる。教育実習で私は中学校の特別支援学級の生徒の授業にも参加をしたが、生徒1人と教員とが対面で授業をしていた。ひらがなの読み書き・簡単な英文法についてを個別のカリキュラムで授業していた。このような個別プログラムの設計が、「楽しく」「将来役立つ」学びを実現するのかもしれない。
 前に私の後輩のT君が、〈一人ひとりにあわせた個別教材による通信教育事業〉というアイデアを語ってくれたが、これも一つのモデルとなるだろう。
 しかし、仮に個別学習で教育が可能となったとき、「学校」はもはや必要なのだろうか? そんな疑問が浮かんでくる。社会に「子ども集団」の関わりの場が少ないうちは、その人間関係力・コミュニケーション力をつけるためだけに「学校」があってもよい。無論、「そこにいづらい」子のためのフリースクール的居場所(自宅も含めて)を用意していく意識を持った上で、という話だが。

親の視線

 友人のNと話す。テーマは「なぜ現在の子ども社会には〈空気を読む〉ことが重視されるのか」。

 思想家モンテーニュ。16世紀に生きた彼は、自分に子どもが何人いるか、分からなかったという(アリエス『〈教育〉の誕生』)。その時代、親にとって子どもは「勝手に生まれ、勝手に育ち、勝手にいなくなるもの」であった。
 その後、「教育」が必要とされるにつれ、子どもへの親の視線は強まった。子どもの人数も減り、ついには一人っ子が珍しくなくなった。するとどうなるか? 昔は親の視線は複数の子どもに分散されていた(あるいは親の視線がほとんどなかった)。それが数人、あるいは一人の子どもに集中する。子どもにとって、それは息の詰まる状態。学校でも家でも塾でも、常に親の視線を感じることになる。フーコーも言っているように、「見る―見られる」という関係は権力なのである(生−権力)。
 親の視線を感じる子どもは、つねに「いい子」でいようとする。親に認めてもらうために。この姿勢は、学校でも塾でも子ども社会の中でも内面化される。その内面化された姿の現れが、「空気を読む」という事になったのではないか。
 現在の子どもの生きづらさは、子どもへの親の視線の強化が原因の一つであるように思われる。

アニメの「金持ち」キャラクターと、彼らの学校の関係

 富裕層や指導層の話を書いていると、思い出すのはアニメの「金持ち」キャラクターである。『ちびまる子ちゃん』の「花輪くん」、『ドラえもん』の「スネ夫」等など。何故彼らが公立学校に行っているのか、という点が不思議だ。近くに国立小学校や私立小があれば親は行かせているのではないか。あるいは昭和の匂いのするアニメだから、公立小学校に通っているのではないか。
 『花より男子』の世界はお金持ちばかりの学校。幼稚園から大学までの一貫教育が行われている。ここが舞台になるということは、平成に入ってから連載された漫画であったためだろうか。
 昭和期の漫画では公立での富裕層の「共存」が描かれ、平成期では私立・公立に分かれての物語となるのであろうか。

『君たちはどう生きるか』に描かれたハヴィトゥスの研究

 吉野源三郎が描いた『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982)。解説の丸山真男は「まさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(310頁)と述べる。舞台としては旧制中学で過ごすコペル君とその「おじさん」(「おじさん」と言っても、帝大の法学部出の、20代の若者)のやり取りを描いた小説だ。
 小説自体、非常に面白い。コペル君が友人を助けたり、友人を裏切ったりと多様な経験をして少しずつ成長する様子が読者に伝わってくるからだ。

 面白さの半面、コペル君の過ごす世界のハヴィトゥス(心の習慣。その人が無意識に行う思考形態)や文化水準の高さが気になった。戦前の旧制中学に通うのは、せいぜい13%。費用も高く、高所得者しか通うことができなかった(野口英世などを除いて)。後述する「貧しき友」である浦川君でさえ、油揚げばかりの弁当を食べてはいても、実家は一応家業があり、従業員も雇っている。
 そのため、生徒たち(コペル君とその友人たち)の認識も相当に文化水準の高いものであった。

同級の生徒は、たいてい、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供たちでした。その中にまじると、浦川君の育ちは、どうしても争えませんでした。浦川君のように、洗濯屋に出さずにうちで選択したカラーをしていたり、古手拭を半分に切ってハンケチにしている者は、ほかには一人もありませんでした。
 神宮球場の話が出ても、浦川君の知っているのは外野席ばかりで、内野席のことは話が出来ません。活動写真(注 映画のこと)だって、浦川君は場末の活動写真館しか知りませんが、同級のみんながゆくところは、市内で一流の映画館ばかりです。銀座などへは、浦川君は二年に一遍もゆくか、ゆかないか、ほとんど何も知っていませんし、まして、避暑地やスキー場や温泉場の話となると、浦川君は、てんで一言だって口をきくことが出来ません。さびしく仲間はずれになっているより仕方がありませんでした。(37~38頁)

水谷君の部屋は、新館と呼ばれている、別棟の中にありました。それは、水谷君のお父さんが、水谷君兄弟のために、新たに建増した、明るい鉄筋コンクリートの建物で、ガラス張りの部屋にでもいるように、どの部屋にも十分に日光がはいるように出来ています。そして、どの部屋からも、眼の下に、ひろびろと品川湾が見おろせるのです。―水谷君のお父さんというのは、実業界で一方の勢力を代表するほどの人でした。方々の大会社や銀行の取締役とか、監査役とか、頭取とか、主な肩書を数えるだけでも、十本の指では足りません。お父さんは、その財力で、水谷君兄弟を、出来るだけ幸福にしてやりたいと考えていました。(146頁)

北見君のうちでは、お父さんが怒ってしまいました。北見君のお父さんは、予備の陸軍大佐でしたが、話を聞くと、北見君を学校からさげてしまうと言い出しました。(…)もし学校がこのまま上級生をほっておくのなら、息子を学校に預けておくわけにはいかないから、さげてしまう。北見君のお父さんは、そういって、学校にどなりこみました。(264頁)

 こういう話を読むと、気持ちが悪くなってくる。うちはどうしようもない下流階級なのだなあ…、という気がしてくるからだ。
 さて、 『君たちはどう生きるか』の世界は、中学に行くのが一握りのエリート、という舞台である。戦後は「大衆教育社会」となる。大学全入時代に入り、「希望すれば大学に行ける」世界が広がった。
 一握りが大学などの高等教育に行く時代、高等教育を受ける側にはある種の責任感があったのではないか。ノーブリスオブリージ的な。皆が大学に行く時代になっても、社会の指導層のエリートはまぎれもなく存在している。先の引用のように、「有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供」は必ずいる。彼らは大衆教育社会になるほうが気楽である。外から見て、自分の出自がばれないようになってきたのだから(昔は旧制中学の制服はエリートの証であった)。大衆教育社会は、戦前の旧制中学に通えるような階層の人間にとっても気楽な社会なのである。

 
 

尾崎豊にいまさらハマる。

 脱学校論(非学校論)が私の専門。卒論はイリイチの『脱学校の社会』で書いた。最近は脱学校論の理論を音楽の面で表現しているものはないか、と探している。論文やエッセイでは読むのに時間がかかる。けれど音楽ならばすぐに理解が出来る(しかも情動的に)。脱学校的考え方を人々の間に流布させる方法として、現存する音楽を活用する形が最も適しているのではないか。

 そんな考えのもと、脱学校論的発想を表現している音楽として「たま」の曲に出会った。彼らの音楽については今までもこのブログで書いてきた。次は誰の曲にしようか。
 カラオケで先輩が「15の夜」を歌うのを聞いたのが、私と尾崎豊との出会いである。聞いたとき、「ああ、ここまで学校への嫌悪感を表した曲があるのか」と感銘を受けた。その記憶を思い出し、尾崎豊の曲をもとに考えていく事にした。
 尾崎は「たま」以上に多くの人々に聞かれてきた。それはよくいわれるように「青春の叫び」を表現した音楽だったから、という理由だけではないように思える。むしろ「学校的なるもの」への人々の不満を、尾崎が代弁したからと言えるのではないだろうか。
 今日読んだ橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、2007)には、「1970−80年代の自由論」の象徴として、尾崎豊の一連の作品が紹介されている。

尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)

 実際、この時代は校内暴力を押さえるための管理教育が多くなった時である。教育学の世界では、80年代が校内暴力→管理教育、90年代がいじめ・学級崩壊が騒がれる時代であったとよく説明されている。つまり、尾崎は学校が最も生徒に対し権力を持った時代(管理教育の時代)に生きていたからこそ、はっきりと「学校的なるもの」への気持ち悪さ/嫌悪感を表現できたのではないだろうか。
 今後、しばらく尾崎の歌を脱学校論的に考察していく。
 
追記
●『自由に生きるとはどういうことか』には、次のような気の利いた話が書かれていた。

(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)

 橋本は「〈学校的なるもの〉(=管理教育)」と書いているが、私は〈学校的なるもの〉を「管理教育」ではなく、「学校化」されたものであると認識したい。

教育における「悪」(ワル)の重要性

 『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会、2009)という本を読んでいる。そこに「悪―悪の体験と自己変容」という章がある。ここでいう悪とは〈通常、悪が論じられているように「善」や「正義」の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような思考の体験を指す〉(164頁)。筆者の矢野智司は「悪」を「冒険」や「死」・「性愛」・「快楽」などとして認識している。これらは子どもが親に隠れて触れるものであり、予め教育プログラムに規定できないものだ。偶然性というものがつきまとう。

 前にわたしは「教育のための社会」とは?という文章を書いた。そこの結論を、次のように私はまとめた。

「教育のための社会」を、「教育的でないもの、反・教育的なものを排除した社会」という認識の仕方は誤りである。「異質・異様な他者」を排斥することにつながるからだ。
 ということは、「教育のための社会」とは逆説的ながら、反・教育的なものを包摂した社会ということができる。教育のための社会とは、「いい教育のために~~しなければならない」という言葉が存在しない社会、つまり「異質・異様な他者」や反・教育的なものすら受け入れる社会であるといえるかもしれない。

 ここに書いた「反・教育的なもの」とはまさに「悪」のことだろう。「悪」が「悪」である由縁は教育プログラムに設定できないところにある。子どもの冒険は、子どもが勝手におこなうから冒険なのであり、親が「冒険してきなさい」といって行わせることができないものなのだ。
 教育における「悪」の存在の重要性とは、教育者が被教育者(=子ども)の全てを担うことができない認識をするということと同義である。いくら親といえども、子どものすべてを知ることは出来ない。他人なのだから。まして教員が子どもの全てを認識することはさらに不可能だ。であるならば、教育者は被教育者の全てを見ることを諦める必要がある。「悪」の存在の重要性は、教育者がある種の「全てを知ることへの〈あきらめ〉」を知らしめてくれるところにあるのではないか。

「途上国に学校を作る」ことは本当に善なのか?

 よく「途上国に学校を作ろう」というプロジェクトを耳にする。テレビでも、芸能人が学校作りに携わることがある(島田紳助など)。不思議なのは、どの時も「学校を作るのは善だ」という認識に皆がとらわれていることである。

 皆さんの学校経験を振り返ってほしい。学校は本当に素晴らしい所であったか? 私にとってはそうではなかった。自分で出来る内容を、「授業を聴かないで学んでは駄目だ」という無言の圧力ある場所。無理やり、クラスメイトと仲のよいフリをしないといけない場所。途上国に学校を作るとき、子どもの中に今までなかった「学校の持つ気持ち悪さ/苦痛」を与えてしまう可能性も考慮する必要がある。
 個人の内面だけでなく、文化自体も「学校」により消滅していく。例えばアイヌの文化。文字を持たない彼らの文化は、それ故に独自の輝きがあった。文字を学習する場所(つまり、学校)を無文字文化圏に作るとき、文化それ自体の特殊性も消え失せてしまうのではないか。
 フレイレは「学校」によって何年もかけて文字を習得させることを批判した。そんな非効率的なことをしなくても、必要ならば6週間程度の研修だけで識字教育は充分可能である。ゆえに子どもの時に無理して学校で教育を行わなくてもよいのではないか? これがフレイレの問題意識であった。
 したがって途上国支援の文脈で「学校を作ろう」という発想を、私は胡散臭く感じてしまう。日本ユネスコ協会の世界寺子屋運動も、ボランティアレベルでの学校建設運動も、「学校を作ることは善だ」との発想から抜け出ていない。「学校を作ること」の弊害も議論した上で発想しなければ、途上国の自由な子どもを「学校化」させるだけに終ってしまう。

中学校 公民科教科書に感じる違和感。

 中学生のとき、公民の教科書に違和感を持っていた。現代の日本や世界の諸問題がたくさん羅列された内容。「未来は君たちにかかっている」というようなメッセージが伝わってくる。これに辟易していた。だって、環境破壊も南北問題も僕が何かしたから起きたんじゃないんだもん。先行世代の責任ではないか、と。

 さすがに今ではこのような幼稚な発想はしないようになっている(はずだ)。けれど、教科書の記述に未だに違和感がある。特に感じるのは、少子高齢化がテーマになっている箇所だ。

日本では現在、出生率の低下と平均寿命ののびによって、少子高齢社会に突入しています。(…)少子高齢化は、社会保障のあり方にも影響をおよぼしています。少子高齢化が進むと、社会保険の給付額は増大するのに、働き手が減るので収入の総額はむしろ減ってしまうでしょう。とりわけ深刻なのが公的年金です。(…)給付を現役世代の支払った保険料でまかなう方式では、現役世代に重い負担がかかります。(平成18年発行『新編新しい社会 公民』東京書籍、129頁)

 日本がお年寄りばかりになっている、との話の後に続く年金制度の説明。これを教育の場で扱う時、「自分たち大人のために、社会制度を守ってほしい」という身勝手な欲望を子どもに伝えることにはならないだろうか。別に現代の制度(特に年金制度)はベストなものでない。ひょっとすると最悪の制度かもしれない。「そもそも、この制度は必要なのか」を議論する必要すらあるかもしれない。けれどこのような話し合いもなしに、「みんなはこの制度を支えていくんだよ」と語りかけるのが教科書(または教師)だ。なんだか詐欺のような話である。
 
 前に読んだ吉本隆明と山本哲士の対談を思い出す。

ぼくはたいへん感動して(注 山本の本を)読んだんですが、明日の社会のため、国家のために子どもをどうするのかとか、どうしたら子どもはよくなるのかといったことを主張する教師、教育者などはいなくなったほうがいいんだ。そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだといわれていますね。(『教育 学校 思想』76頁 吉本の発言)

 私も、「そういう連中がなくなることがきわめて重要なんだ」と思うのである。
追記
●ちなみに、教育社会学において教育の意味合いは非常に単純明快。「選別」と「社会化」である。本文で、「年金制度を君たちが支えていくんだよ」とのメッセージが教科書に込められていることを述べた。当人に気づかれないよう、巧妙に「社会化」を行えるよう、公教育では教育プログラムが組まれている。自分が、さも自由意志に基づいて判断を行ったように錯覚させることができれば、「社会化」プログラムは大成功なのだ。年金制度について誰も疑問を持たないまま授業を終らせることができたら、「社会化」完了なのである。