札幌で社会人になって気づいたこと。

今年は社会人1年目。
いろんなことに気づきました。

1,何かと忘年会が連続すること。

2,「承知しました」と言えず「了解しました」としか言えない人があまりに多いこと。

3,残業時間が何時からかわからないということ。

4,賞与と給与は違うということ。

5,源泉徴収で恐ろしく持っていかれること。

6,日本学生支援機構の奨学金は返済を一切待ってくれないこと。

7,札幌人は雪に「感動」しないこと。

8,Facebookに職場関係者から友達申請が来た時、いろいろ困ること。

9,仕事と鬱病はかなり関係性が深いこと。

10,学生と違い、社会人のほうが気軽にイベントを企画できること。

今年ももう終わります。

今年1年は私の中では「壮大なおまけ」でした。
昨年の8月までは博士課程進学を考えていたため、
まさか2012年に高校教員をやっているとは思わなかったためです。

通信制高校のフィールドワークを行えた意味でも、
実りの多い1年でした。

台湾ナイト、開催です!

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本日、Coworking Cafe 36では「台湾ナイト」を開催中!

Coworking Cafe 36の「上」に住む、
台湾出身者と台湾留学経験者に、腕をふるってもらいます!

「胡麻油風味の鶏素麺」¥500-が人気です!

今夜23:00までですので、
ぜひお越しください☆彡

【イベント】気軽に!コーチング講座

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いま、巷で話題の「コーチング」。

相手を伸ばすこの技法を、今日は楽しく気軽に学ぶイベント、開催しました!

会場はCoworking Cafe 36

コーチングの理念にかなう、少人数でじっくり進めるイベントとなりました。

参加者の方からは次の感想を頂きました。

「講師の教え方が判りやすかったです」

「コーチングの基本的な考え方を学べました。こういう感じで、
いろんな物事に触れるきっかけをつくっていけるのは素晴らしいと思います」

希望があればまた次回の開催も行いたいと思います!

講師をお引受け下さった八木様、ありがとうございます!

教員の「仕事」論

日曜日。
「部活動」を持っていない教員にとっては
休日である。

休日になると、「教員」の仕事とは何か、
ふと思うことがある。

教員の仕事は何をすることか?

それに対する答えは次の通り。

我々教員は「場」を作り、
「友達」どうしの「つながり」を強化し、
一人ひとりが必要な支援を受けられるよう「環境整備」し、
生徒の「自己学習力」と「コミュニケーション能力」を醸成することが
仕事である。

こう書くと、教員の仕事なんて
「環境整備」くらいしかないことに気づく。

結局は生徒自身が「気づき」、
「学ぶ」ことが教育の本義である。

これは学校のみに逗まらないだろう。
「学校」を超え、セミナーや勉強会でも
この原則は必ず当てはまるはずである。

「同世代」に思うこと。

高木心平さんといい、イケダハヤトさんといい、
最近Web界隈でお話を聞く方は「ほぼ同世代」。

ちなみに私も「ほぼ同世代」(88年2月生まれ)。

なおかつ自分も「早稲田」出身。

…私がほそぼそと講演会企画サークルで「活躍」していたとき、
同じキャンパス内にこういった「すごい」人たちはいた。

考えると面白いことだ。

こういう「偶然」性も、
大学にいくことの「楽しさ」の1つだと思う。

落合博満『コーチング 言葉と信念の魔術』2001年、ダイヤモンド社。

12/16(日)のイベントのため、予習として「コーチング」について勉強中です。

あの落合博満さんは、こんな本を書いていたんですね。

とても参考になります。

以下は、私の抜粋集。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「選手の「うまくなりたい」という向上心を喚起し、美しいハーモニーを奏でていくためには、まずその選手を十分に観察してやることが大切なのである」(24)

「視点をどこへ置くかによって、すべての答えの出し方は変わる。失敗するときは失敗すればいい。失敗することを恐れず、失敗しても、その経験を次への糧にすればいい。失敗したことが自分の教訓として生かされていれば、同じ失敗を繰り返してしまうことも避けられる」(30)

「相手が何を望んでいるのかがわからないうちは、こちらも何を話していいのかがわからない」(40)

「ひとつのことしかできない不器用な人間は、突き詰めて身につけたことを簡単には忘れない」(44)

「コーチングとは、教えられる側を主体に考えなければ進められないのである」(69)

「コーチの仕事とは、選手を叱ることでも同情してやることでもない。選手に気持よく仕事をさせてやることなのだ」(88頁)

「「自分がいなければ…」と考えている人に限って、自分がそこにいたいのだ」(96)

「まずは小さな長所を伸ばしてみる。それで、その長所のほうが目立ってくるのか、それともまだ欠点が目立つのかを見る。欠点が目立つのであれば、お互いに話し合って仕事の進め方などを考えればいい」(103)

「何度もタイトルを獲る人は人は、「獲らなければならない」と考えているのではなく、「自分が獲るものだ」と当然のごとく考えているのだ」(149)

【イベント】「ケアリング」読書会!

本日、19:00-21:00、Coworking Cafe 36で、
ケアリング読書会」を開催しました!

ネル・ノディングズが1984年に書いた『ケアリング』をもとに、
「ケアリング」とは何か、学んで行きました。

ケアリングとは、どこまでも相手の話を聞き、相手を受け入れ、
それによって自分にできるベストをつくしていくということです。

教育をはじめ、医療・介護の世界でも注目されています。

それを原典から学ぶという、非常に「奥深い」会となりました!

 

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単に学ぶだけではなく、「ケアリングの発想をいかすにはどうすればいいか」を一緒に考えていきました。

最後は日本ノマド・エジュケーション協会イベントの定番「KJ法」!

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「ヒアリング」「ケアリング」「シェアリング」の3つのキーワードで
意見がまとまりました。

これらを束ねるタイトルとして「リング」という名前も付きました。

相手を受け入れ、自分にできることをしていく。

その大事さを学ぶイベントとなりました!

ご参加いただいた皆さん、ありがとうございます!!!

週2日登校の可能性。

超エリート教育をもしやるとすれば、
いまの勤務校と同じように週1〜2日登校の学校をつくるなあ、と思う。

「学校でたくさん授業をする」と、
「学校にいる間しかたくさん勉強しない」人が生まれてしまう。

ヒマな時間が多いと、主体的意志で
「この時間をどう活用するか」とどこかで考えざるを得ない。

自分の力で考え、時間を使っていく。
「好きなこと」にとことん時間をかけ、
物事を進めていく。
その姿勢こそ、今後必要となる姿勢である。

だからこそ、周囲からは「週2日登校なんて、意味ないじゃないか」といわれようと、
この制度は「なかなか」いいものだと私は思うのである。

【イベント報告】第2回 子ども×教育 タベリバ

本日、第2回の「子ども×教育 タベリバ」、開催しました!

今回のテーマは「いろんな人・団体をつなぐ醍醐味」。

教育における外部団体とのコラボの可能性について、
ざっくばらんに話し合いました!

参加者からは「いろんな立場から教育のお話をお聞きできてとてもためになりました」との声を聞かせていただきました。

ご参加頂いた皆さん、ありがとうございます!

次回は1/27(日)、13:00-15:00、
若者協力事業所Link Nextにて開催します!

ぜひ次回もご参加ください☆彡

『ぼんやりの時間』と『のぼうの城』。

私がいつも「捨てよう」と思う本がある。

しかし捨てようとしてパラパラ見ると「やっぱやめよう」と思う本がある。

 

『ぼんやりの時間』(岩波新書)はそんな本の1つ。

どう考えても、「役に立つかどうか」と考えると「役立たない」本。

でも、読むとホッとする本。

 

筆者は「ぼんやり」を肯定する。

「昼行灯」の大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)も

「3年寝太郎」も、ふだん「ぼんやり」する分、

「ここぞ」の大舞台で活躍する。

 

意味なく「ぼんやり」時を過ごすことが、

人間としてのあり方を回復させる。

 

そんなテーマの新書である。

 

どうしようもなく追い込まれた時や、

「この連休、どう過ごそう」と思う時、

『ぼんやりの時間』をパラパラ見ると、

自分が肯定される(電子データではない生身の本にはこんな効能があるのだ)。

 

映画『のぼうの城』も、「ぼんやり」な主人公が登場する。

普段は農民と田楽踊りに明け暮れ、

武士らしいところが何もない「ぼんやり」な人。

 

だからこそ「(でく)のぼう様」と呼ばれる。

 

通常はぼんやりの「のぼう様」だが、

緊急時に強い。

 

普段の「ぼんやり」や「でくのぼう」性が、

すべて「城を守る」という1点に活かされる。

 

こういう映画を見ると、人生においての「ムダ」は

「いざ」という時に役立つものだ、と分かる。

 

この「ムダ」の根源こそ、「ぼんやり」にあるのだろう。

 

(職業柄、「のぼう様」はADHD傾向があるのではないかと見てしまうが、

それは別の話)。

 

今日私は定山渓温泉に「ふらっと」行った。

雪を見ながらの露天風呂は非常に旅情を誘う。

 

『ぼんやりの時間』にはちゃんと「温泉」に1章割かれている。

温泉につかり、何をするでもなくボーっとする。

それが「ぼんやりの時間」。

日常から離脱して「ぼんやりの時間」を取ることで何故かすごく癒された。

 

「ぼんやりの時間」と「のぼうの城」と「温泉」の三題噺、

以上で幕となります。