私がいつも「捨てよう」と思う本がある。
しかし捨てようとしてパラパラ見ると「やっぱやめよう」と思う本がある。
『ぼんやりの時間』(岩波新書)はそんな本の1つ。
どう考えても、「役に立つかどうか」と考えると「役立たない」本。
でも、読むとホッとする本。
筆者は「ぼんやり」を肯定する。
「昼行灯」の大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)も
「3年寝太郎」も、ふだん「ぼんやり」する分、
「ここぞ」の大舞台で活躍する。
意味なく「ぼんやり」時を過ごすことが、
人間としてのあり方を回復させる。
そんなテーマの新書である。
どうしようもなく追い込まれた時や、
「この連休、どう過ごそう」と思う時、
『ぼんやりの時間』をパラパラ見ると、
自分が肯定される(電子データではない生身の本にはこんな効能があるのだ)。
映画『のぼうの城』も、「ぼんやり」な主人公が登場する。
普段は農民と田楽踊りに明け暮れ、
武士らしいところが何もない「ぼんやり」な人。
だからこそ「(でく)のぼう様」と呼ばれる。
通常はぼんやりの「のぼう様」だが、
緊急時に強い。
普段の「ぼんやり」や「でくのぼう」性が、
すべて「城を守る」という1点に活かされる。
こういう映画を見ると、人生においての「ムダ」は
「いざ」という時に役立つものだ、と分かる。
この「ムダ」の根源こそ、「ぼんやり」にあるのだろう。
(職業柄、「のぼう様」はADHD傾向があるのではないかと見てしまうが、
それは別の話)。
今日私は定山渓温泉に「ふらっと」行った。
雪を見ながらの露天風呂は非常に旅情を誘う。
『ぼんやりの時間』にはちゃんと「温泉」に1章割かれている。
温泉につかり、何をするでもなくボーっとする。
それが「ぼんやりの時間」。
日常から離脱して「ぼんやりの時間」を取ることで何故かすごく癒された。
「ぼんやりの時間」と「のぼうの城」と「温泉」の三題噺、
以上で幕となります。