教育論

教育社会学学習のために。〜読まないで書いた書評つき〜

私は教育社会学の視座からフリースクールを研究していきたいと考えている。

今月28日は早稲田大学教育学部の教育学研究科面接試験の日。いよいよ研究者に仲間入りするための一つ目のハードルが見えてきた。

益々の勉強が必要なのだが、ここで「この本を絶対に読む!」というものを列挙してみる。

「この本も必要だぜ!」というものがある方は、ぜひコメントでお教えください。お願いします。

『教育の社会学』(有斐閣アルマ):教育社会学の入門として。現在二読目。
『教育社会学』(有斐閣ブックス、竹内洋ほか編):入門の次に読む。未読。
『エスノメソドロジー』(新曜社):私はフリースクールについてをエスノメソドロジーの手法で研究していきたく思っている。けれど「エスノメソドロジーって、何?」という状態だ。何となくは分かる。いや、分かってないのかもしれないが、ともかく一度本腰を入れてこの研究法を学んでいこうと思い、読んでみようと思う。未読。
『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会):「メディア」など、現代教育学を考える上で欠かせないキーワードを学ぶため。未読。
『社会学がわかる事典』(日本実業出版社):教職でとった鈴木先生が絶賛していた社会学の入門書。一読。二読目に入りたい。教育社会学は「社会学」でもある。まずは親学問を学ばねば。
『教育学がわかる事典』(日本実業出版社):上の教育版。一読。けれどよんだからといって分かるようにはならない。かえって混乱するだけだ。下手に知識のある分野は学べば学ぶほど自身の無知に気づく。
『フィールドワーク』(新曜社):『エスノメソドロジー』と姉妹本。フリースクール研究のために読む。未読。
『思考のフロンティア 教育』(岩波新書):一年生の頃、わけもわからず一読。教育学の枠組みを学ぶために読む。

エリーズ・ボールディング『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』

 本書の概要は次の文で示すことができる。

 大人同様、子どもにも孤独でいる時間が必要。

 この本は、事実、このことをいうためだけの本とも言える。また孤独に価値を見いだすことを提唱する本でもある。「孤独力」を推進する本である(1988年発行だから、本書の方が圧倒的に先にいってるんだけど)。

 子どもに孤独な時間を与えるべきだ、との主張は人々の〈教育し過ぎ〉の状況を批判する意味がある。

もし人間が、そのための時間をとり、孤独の中に身を置いて、自分の内側で何かが起こることをゆるさなければ、人間は、必ずや精神的に行き詰まってしまうだろう、と。子どもでも、おとなでも、たえまなく刺激に身をさらし、外側の世界に反応することに多大のエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる想像力、あるいは創造性の成長を阻止し、萎縮させることになるだろう、と。(15頁)

 著者のクエーカー信仰の真摯さが伝わる。クエーカーは「沈黙」による神との対話を重視する。この神との対話は孤独でなければ行えない。神からのかすかな声を聞き取るために、あえて孤独になるのだ。

 北杜夫は『どくとるマンボウ青春期』で〈真に成熟した人間には孤独こそ望ましい〉と書いた。齋藤孝も『そんな友だちなら、いなくたっていいじゃないか!』という本を書いている。人間は社会的動物だが、だからといって常に誰かといることは人間には却ってデメリットをもたらす。
 孤独はつらい。けれど内田樹のいうように〈そばにいてくれるありがたさに気づける分、孤独な人間の方が人のありがたさを知ることができる〉のである。孤独に否定的価値ばかり置かずに、孤独に意味を与えていくべきなのだ。
 ここにかいた北杜夫などの作家とボールディングが違う点は、孤独は大人だけでなく、子どもにも必要なのだと言い切ったところだ。子どもに孤独が必要、とは親や教師や友人の目の届かないところでこそ子どもが育つのだということを意味している。

子どもからひとりでいる機会を奪い取ってしまったら子どもたちは、内に秘めている宝や、外で得る経験をどうやって生かすことができるでしょう? また、わたしたちおとなは、どうやってそれを生かせるでしょう?(27頁)

頂いた本と、内田樹。

恩師よりいただいた『居場所のない子どもたち』を読んでいる。著者の鳥山敏子は〈居場所のない子どもたち〉のためにシュタイナー学校・東京賢治の学校を作った。なかなか読み進まないが、必ず次回のゼミまでに読了しよう。ちなみに東京賢治の学校の5月30日の見学日には是非行きたいと考えている。

今日、もう一人の師匠より天文学の本をいただいた。これもありがたいことだ。天文学は門外漢だが、教養をつけるため読ませていただく。

本日、内田樹の『下流思考』読了。「教室は不快と教育サービスの等価交換の場となる」(48頁)という発想にウロコが落ちる。
この感動をお伝えするために、内田の議論をまとめる。

旧来、子どもは「労働主体」であった。
      ↓
そのため家事手伝いを通じ、家計に貢献をし、家族の一員であるとの実感を得た。
      ↓
家電の発展などにより、家事労働の負担は軽減される。
      ↓
子どもはおとなしくすることが要請される。なぜなら邪魔になるからだ。
      ↓
けれど、一方的に家庭内でサービスを受けたままでは居場所が無い(反対給付が必要となる)。
      ↓
自分の父を見ると、帰宅後「不快感」をあらわにする。
      ↓
不快感を示すことが、父の労働の証しになっていると、子どもは考える。つらいお勤めをしてきた、ということを示しているのだ。なぜなら、近代社会では父が労働する姿を子どもが目にすることはほとんどないから。必然的に父の疲れ果て、「不快感」を示している姿から「不快感と引き換えに収入を得ているのだ」との実感を持つ。
      ↓
父と同様に、母も不快感をあらわにしているのを目にする。父の存在に耐えるという形で(つまり「不快感」を示すことで)、母は家庭における自らの存在を位置づけている。
      ↓
子どもも父母の姿をみて、「不快感」を示すことで家庭内における自分の位置をしめそうとする。そのための「努力」をしている。先に書いたように、現代社会では子どもには母のじゃまをしないことが重要であるから。
      ↓
子どもが家庭内では家事の手伝いをするという「労働主体」になれなくなった。
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けれど、子どもは店にいくと立派なお客として扱われる。「消費主体」として扱われる。
      ↓
現代の子どもは「労働主体」として扱われる前に「消費主体」として扱われるようになった。
      ↓
「消費主体」といっても常に貨幣で等価交換するのでなく、学校において(先の説明では家庭においても)「不快感」を貨幣として教師の講義と等価交換することを無自覚のうちにおこなっている。
      ↓
「消費主体」としての精神性で、子どもは行動するようになる。学校においても「消費主体」として行動する。「不快感」を貨幣として。
      ↓
そのために授業中に意図的にだらだら「起立」をし、私語をし、授業を無視する。「不快感」を示すことの代償として、教育サービスを受けているのだ。

うーむ、どうも内田のいいたいことをきれいにはまとめられない。原文を読んでいただくしか無いのだろうか。

他にも示したい箇所がいくつか。

子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません。(…)
 まず、学びがあり、その運動に巻き込まれているうちに、「学びの運動に巻き込まれつつあるものとしての主体」という仕方で事後的に学びの主体は成立してくる。私たちは自らの意思で、自己決定によって学びのうちに進むわけではありません。私たちはそのつどすでに学びに対して遅れています。私たちは「すでに学び始めている」という微妙なタイムラグを感じることなしに、学び始めることができないのです。(64頁)

この文章により、無時間モデルをとる「消費」モデルが教育にはあてはまらないことを説明する。生まれたこどもは「日本語を学ぼう」という「自己決定」によって日本語を学ぶわけではないのだ。だから子どもたちの「それを学ぶのは一体何の役に立つんですか?」との疑問は答えることができないし、そもそもそのような問いかけをすべきものではない、と答えている。「教育権」は「社会権」と同様に〈なぜ必要か〉説明のできないものなのだ。「社会権って、何で必要なんですか?」と聞かれたら、「必要だから、必要なんだ!」としか答えられない。「人を殺しては何故いけないか」同様、問うてはいけない問いなのだと内田は綴る。

また、内田は刈谷剛彦を引いて〈学びから逃走することで、あえて自分の自己肯定感を高めようとする子ども〉の存在を私に教えてくれた。学びの否定は将来でなく現在を充実させようと意図的に働きかけるため、他と違う自分のかけがえの無さを示すことに使われてしまっている、と内田は語る。

もう一つ引用して論を終える。

「多文化共生」といいますけれど、おっしゃる通り、そういうところだって、要するに均質性の高いエスニック・グループが混在しているだけで、グループ内部の均質性は場合によっては(筆者注 アメリカは)日本社会より強かったりするんじゃないかと思うんです。

『小論文を学ぶ』を学ぶ。

私のバイブル『小論文を学ぶ』。長尾達也氏が書いた高校生用の小論文対策本ながら、大学生が知の枠組みを学ぶ際にも絶大な力を発揮する。

このなかの「教育問題」の箇所(188〜202頁)の内容を、自分なりにまとめておきたい。そうすることによって、哲学的視野から教育というものを認識し直すことができるからだ。

頼まれていない原稿を書く。

ブログを書く。定期的に。

このことで私はいろんな発想(それこそブログを書く行為をしなかったら決して出てこなかった発想)を得ることができる。

不思議なことだが、「話さなければならない」「書かなければならない」状況に追い込まれた時、人は何かを語り、何かを書くことができる。平常時なら思いつかなかったことも、何故か出てくる。

 




 

古来、知識人はよく手紙を書いた。ベートーヴェンの書いた手紙も、ネルーが娘に書き送った手紙も、〈名著〉として今も残っている(ちなみに『ベートーヴェンの手紙』と『娘に語る世界史』である)。手紙を書くとき、無意味なことを書けない。ひょっとすると、あえて手紙を書くことで何らかの発想を得ようとしたのではないか。

私は〈知識人とは、出版社の原稿依頼を受け、それから発想する人〉だとイメージしていた。子どもの考える漫画家像そのままである(これに編集者から如何に逃れるかという展開がついてくると、完全に手塚マンガの世界だ)。けれど、おそらくは原稿依頼がなくても何がしかの原稿を書いているのが真の知識人なのではないか。

日々、誰に言われなくてもブログを書くとき、〈頼まれていない原稿〉を書いていることになる。人間は自由すぎると何もしない。だからこそ「毎日、何かをブログに書かないといけない」状況に意図的に自分を追い込んでいれば、日々何かを発想できるのではないだろうか。

 

 

 




追記
思えば私はこうした〈頼まれていない原稿〉を結構書いてきた気がする。小三のときの係決め。黒板に書かれた〈係リスト〉には無かった壁新聞係を発案した。結果、初代新聞係に就任。題字・アンケート企画・記事・四コマ漫画、全て自分一人で書く。好評ではあったが、マンネリのため一学期のみの発行に終った。
高校。寮の中で清掃委員長になる。頼まれてもいない〈清掃委員マニュアル〉を勝手に作り、清掃委員に代々伝わるようにしようと努力。最近寮生に聞いたらまだ私の文章が残っているらしい。赤面。学校で生徒会長をしていた時も、やたら議論を書き残そうと一人パソコンに向かい文章化。「議論の見える生徒会」がテーマだったが、結局パソコンの小さな字を誰も読まなかった(それよりも、生徒会の活動に誰も興味を示さず、読む気もしなかったというのが事実かもしれない)。
大学。サークルの集まりの際、『めもらんだむ』というミニ新聞を作って配っていた。書評や自分のエッセイなどが書かれていた。
別のサークルでは年に2回、講演会を企画。その際に配る言論誌には毎回必ず原稿を書いた(たぶん今年も書く。めざせコンプリート)。昨秋の言論誌作成ではちょっとした波紋を起こす。「書いてくれ」と言われていないけれど、私は原稿を8本書いた。他の人は1本がやっと。とうとう原稿を書かなかった人もいた。結果、採用されたのが3本。クオリティはけっこう良かったのに。それだけで終らず、「お前が原稿を書けるのは分かった。けれど、その分の努力を1年生が書けるよう手助けしてあげるべきではなかったのか」と怒られてしまう始末。「確かにそうなんですけど…」と不満が残った。批判は〈原稿も書かず、1年生の手助けもしなかった上級生〉にこそしてほしかった(それに私は1年生が原稿を書けるようにネタを教えてあげたり、レポートで1年生が書いたものを原稿化できるようアドバイスもしたんですよ)。
O先生のゼミでは毎回書評を書いて持っていった(ほとんどの人は持ってこないのに。私はKYな奴である)。
概観すると、私は書くことが大好きな人間なんだと思う。それも〈誰にも頼まれていない原稿〉を書くことが。結果的に他人に悪く言われることも多い。おお、不運。
教訓。〈誰にも頼まれていない原稿〉は需要がない分、無駄に終るか、他人に評価されないで終るか、キレられてしまうかというマイナスの結果をもたらすことが多い(ますます不運)。
でも、書いてしまうのが俺なんだよな…。ブログがあって、本当に良かった。ブログを書いても、誰からもキレられないで済むからだ。

再記
頼まれない原稿を書くと、なぜマイナス要素が発生するのだろうか? それはまさに〈頼まれていない〉からだ。
需要の無いところに供給をしても反発をされるだけだ。
ブログは将来の需要を見越して先に供給されている(だってGoogleで検索すればすぐ出るからね)。

さらに追記。
●ルターやホセ=リサールが迫害を受けたのも〈頼まれていない原稿〉を書いたからではないか。往々において、〈頼まれていない原稿〉は現体制に批判的であったりする(だって誰も依頼しないからね)。

アメリカと日本のフリースクール設立の背景についての研究。

テーマ:フリースクール設立の背景である、教育課題について、事例を元に比較する。比較を行うのは、日本とアメリカである。

本稿の構成:下記のとおりとする。

A,フリースクールの定義
B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

参考文献
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A,フリースクールの定義

 本稿では、『教職基本用語辞典』でのフリースクールの定義を用いるものとする。

フリースクールとは、従来の学校にあるような管理と強制から開放されて子どもの自由と自治が尊重される中で教育活動が展開される「自由学校」のことを意味する。(中略)我が国では、1985年(昭和60年)に奥地圭子により不登校の生徒を集めて開かれた「東京シューレ」や1992年(平成4年)に和歌山県に堀慎一郎によって設立された「きのくに子どもの村学園」などがある。

 日米のフリースクールを比較するにあたり、事例を元に見ていく。アメリカはクロンララスクールの事例を参考にし、日本は東京シューレの事例を参考にしていく。両者は、日米それぞれでフリースクール運動で中心的存在であったからだ。
 クロンララスクールは後述するように、アメリカでフリースクール設立が相次いだ1960年代後半に成立したフリースクールである。そして「1978年にクロンララスクールを中心に全米のフリースクールのネットワークを立ち上げ、年に1回、子どもとスタッフ、親が集まる大会の開催、経験の共有、スタッフ養成をはじめとする様々な連携活動をおこなってきている」 。このことから、アメリカのフリースクールのうちで、中心的存在であると考える。
 NPO法人東京シューレを日本のフリースクールの事例として提示するのは、2つの理由からである。1つは、先の『教職基本用語辞典』の「フリースクール」の欄に名前の挙がるほど、知名度の高いフリースクールであるからである。2つ目は、特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークの代表理事を、NPO法人東京シューレ代表の奥地圭子が兼任していることからである。特定非営利活動法人フリースクール全国ネットワークとは、2001年に「日本全国の、子どもの立場に立ち活動するフリースクールをつなぐネットワーク団体」 として設立されたものである。この2点の理由から、東京シューレを日本のフリースクールの中心的存在であると考える。

 参考として、次に両者の基本情報を示す。

 クロンララスクール(Clonlara School)
所在地:アメリカ合衆国
対象年齢:5歳から18歳
学校種:幼稚園~高校
設立:1967年
子どもの人数:50人

 NPO法人東京シューレ
設立:1985年6月24日(1999年11月NPO法人認証)
代表:奥地圭子
フリースクール東京シューレ
会員数:150名
子ども担当スタッフ数(常勤):9名

 東京シューレは、王子スペース、新宿スペース、柏の葉スペースの3つに分かれている。このフリースクールとしての東京シューレとは別に、ホームシューレ事業、シューレ大学事業なども行っている。

B,アメリカにおけるフリースクール設立の背景

 アメリカにおいては、主として第二次世界大戦後の1960年代後半からフリースクールが作られるようになった。

戦後の先進諸国における義務教育年限の延長、発展途上国における義務教育制度の導入等により、公教育制度の整備が一段落した一九五〇年代末から六〇年年代にかけては、科学技術の革新に伴うカリキュラム改革が各国で盛んに行われた。しかし、六〇年代の後半になると、社会制度としての学校のあり方そのものを、根底から考えなおすような動きが現れてきた。

 この一連の流れの中で誕生したのが、公教育の枠外におかれるフリースクールである。「A,フリースクールの定義」で引用した『教職基本用語辞典』の中略箇所を見てみる。

1960年代後半、ヴェトナム反戦運動と結びついてアメリカで活発化した人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革として広がったオルタナティブ・スクール運動の一つとしてフリー・スクールが位置づけられた。その際、モデルとされたのは、1925年にニールが創設した「サマーヒル学園」、フランスのフレネ学校、ドイツのシュタイナー学校などである。

 アメリカにおいては、主として1960年代後半にフリースクールが作られてきた、といえる。この時期にフリースクールの設立は、『教職基本用語辞典』の「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」以外の理由がある。1957年のスプートニクショックを受けてのアメリカ連邦政府の政策も理由の一つである。「科学技術の教育振興法」たる「国家防衛教育法(National Defense Education Act of 1958)の制定」は「アメリカにおける人的資源培養のための法律であ」り、「連邦政府の教育に関する関与が一層強まることとなった」 。この流れも汲んでいる。クロンララスクール設立にあたっての記述を元に、見てみる。

 設立者のパット・モンゴメリーさんは小学校で教師をしていたが、米ソ冷戦下の60年代のアメリカでスプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れが強くなり、そのような学校に自分の子どもを通わせられない、との思いから自ら設立したのがクロンララスクールである。子どもの気持ちを尊重した教育とはどのようなものなのかを改めて考え、自らの教師時代に考えたことのみならず、イギリスのサマーヒル学園を訪ね、設立者のA.S.ニイルの話も聞いて構想した。

Bのまとめ…アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。

C,日本のフリースクール設立の背景

 ここでは、NPO法人東京シューレのケースを元に見ていく。なお、文章中の奥地とは、東京シューレ設立者であり、代表の奥地圭子のことである。

代表者の奥地は、1978年ごろ、わが子の登校拒否を経験したが、それは教育の在り方や、当然と思われている社会通念、親の意識などを問い直される貴重な学びとなった。わが国の不登校は1975年より激増し続けるが、当時、教員であった奥地は、早朝から夜中まで、現在よりはるかに悲惨で苦しい状況にあった親や子どもの相談にのりながら、何ができるかと悩んだ。最も大事なのは、子どもにとっては親の理解だと考え、84年より「登校拒否を考える会」という親の会を始めた。

 東京シューレの設立者・奥地圭子は、東京シューレの設立時の様子を次のように書いている。

 一九八五年三月、私は、二二年間の教員生活に終止符を打ち、東京都北区東十条の駅近くに小さい雑居ビルの一室を借り、六月にやりたいことに踏み出しました。
 やりたいこととは、子ども達が自由に通ってくる学校外の学びと交流の場づくりでした。
 よくある、学校がひけてから行く学習塾ではなく、学校のある時間帯に並行して開室していて、学校に行っていない子が居場所・成長の場として活用できるところ、というイメージです。それを、子どもと共に作り出したい、と思って踏み出したのでした。
 それが「東京シューレ」、今でいうフリースクールです。
 今でこそ、フリースクールは珍しくありませんが、コロンブスの卵であって、当時、学校のある時間に、学校ではないところに勝手に通うなど常識外でした。

 東京シューレ設立当時、日本社会では「教育荒廃」が叫ばれていた。そして現場の学校では様々な問題が起こっていた。

1970年代以降大きな社会問題となっている「教育荒廃」とは何か(中略)。「教育荒廃」という言葉は、1961(昭和36)年の文部省「全国一斉学力テスト」による点数競争主義の広がりの中で使われだしたものである。主に、教育機関としての学校現場に停滞や退廃が生じていると考えられる。(中略)今日の教育の危機は、子どもたちの発達の危機として、不登校・いじめ・自殺・学級崩壊・閉じこもり・高校中退・校内暴力等の非行・少年事件などに顕れている。これは、高度経済成長を通じて進められた大量生産・大量消費・大量放棄を伴う工業化による社会変貌がもたらした「負の遺産」と言いうる。学校は、経済成長を支える機構として、「有能な人材」を競争的に選び出すという側面を強くもたされ、このため、学校は「能力主義の徹底」(1963年経済審議会答申)の名のもとに学力・学歴競争の場となり、多く矛盾を生み出した。

 高度経済成長終焉後、高度成長の招いた問題である「教育荒廃」が教育現場に起こっていた。「不登校・いじめ」、「学級崩壊・閉じこもり・高校中退」という教育問題が発生した。これらの犠牲となった子どもたちはどこへ行けばいいのか。主としては不登校の子どもが対象ではあるが、東京シューレをはじめとするフリースクールはそういった子どもたちを受け入れる場となった。

Cのまとめ…日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。

D,日米のフリースクールの設立の背景にある、教育課題の比較

 アメリカのフリースクールは、主として60年代後半、「人種差別撤廃・公民権運動、校内暴力、登校拒否などに対応する学校改革」として、設立された。他に「スプートニクショック以降子どもを締め付けていく教育の流れ」に対抗するものとして、設立されたという背景もある。
 対して日本のフリースクールは、高度経済成長の負の側面である「教育荒廃」が叫ばれるころ、設立された。「教育荒廃」の犠牲者である「不登校」の子どもなどがを、受け入れる場所として設立された。
 両者はともに、社会のあり方の変化に対応する形で、設立されている。アメリカは1つ目に、スプートニクショック後の、詰め込み教育の強化への対応として設立された、という側面を持っている。2つ目に、60年代のベトナム反戦運動や黒人の公民権運動など、民衆の側の自由を求める動きに呼応して、起こってきている。
 日本の場合は、1970年を境に、再び不登校の数が増えるなどの「教育荒廃」が主要な理由となっている。

E,考察ならびに終わりに

 フリースクールの設立は、社会の変動期に起こっている。社会のあり方が変化すれば、教育のあり方も変えざるをえない、ということであろうか。本稿のフリースクールのような新たな教育運動が起こるときは、社会システムの変動期である、といえるかもしれない。
 今回、フリースクールの事例からの検討が2例のみとなってしまった。また、深く入り込んだ内容でなく、設立に当たっての背景のみの研究となった。次回は、フリースクールの具体的な実践まで、踏み込んだ研究を行いたいと思う。
 なお、筆者は2007年3月に東京シューレの新宿スペースを訪問している。次回、さらに踏み込んだ内容を研究する際、参考になると思われる文章を引用して、本稿を終える。
 これは筆者が東京シューレ見学の印象を書き残したものである。

フリースクールという言葉を、初めて聞いた人もいるかもしれない。フリースクールは一般の「学校」と違い、自由な教育が行われている。好きなときにやって来て、好きなときに帰ることができる。本やマンガが多く置いてあり、自由に読むことができる。フリースクールに来ている、いろんな年齢の子どもと関わることができる。学びたいときは言えば教えてもらえる、などなど。おそらく、一般の「学校」のイメージとは大きく異なる場所である。筆者も、何度か見学に行ったことがある。東京シューレという団体の行っている、新宿シューレである。都営大江戸線・若松河田駅下車後、徒歩10分弱。早稲田大学からなら、早稲田駅前の夏目坂を延々登ると20分で到着する。道路裏にある、閑静な住宅地にそれはある。
入ってみると、そこは「学校」とはまったく違っていた。いろんな年齢の子(スタッフの大人も含む)が混じって会話を楽しんでいる、料理を作っている。TVゲームに興じている。外でもボール遊びをしている。「学校」や塾といった教育機関というよりも、子どもの居場所といったほうがいい場所であった。ふんわりした感覚のある、ゆるやかな空間だ。
慣れてみれば、「学校」というものをまた違った視点で見ることができるようになった。「学校」のもつ気持ち悪さも見えるようになってきた。狙ったように、同級生のみで構成される友人関係、いやでも毎日行かなければならない教室、はじめから決まっている座席。別にこのような学校文化が不要であるというわけではない。子どもの社会化に、必要なルールとの言もうなずける。しかし、それでも「学校」というものには特有の気持ち悪さがある。

F,参考文献

・柴田義松ほか編『教職基本用語辞典』2004年、学文社、73項
・『子ども中心の教育最前線』作成委員会『子ども中心の教育 最前線』2008年、特定非営利活動法人 東京シューレ
・小澤周三ほか『新版・現代教育学入門』1997年、勁草書房
・大淀昇一「国家防衛教育法」、岩内亮一ほか編『教育学用語辞典』第四版、2006年、学文社
・奥地圭子『不登校という生き方』2005年、日本放送出版協会
・仲田陽一「問題56」、柴田義松・斉藤利彦編『教育学のポイントシリーズ 教育史』2005年、学文社
・クロンララスクール公式WEBサイトhttps://www.clonlara.org/vision
・フリースクール全国ネットワークWEBサイトhttps://www.freeschoolnetwork.jp/history/history.htm
・『p’age』第24号、2007年

イリッチのラーニング・ウェッブの研究 ~ブログ空間はラーニング・ウェッブたりうるか~

1、本稿の狙い
 
梅田望夫・齋藤孝著『私塾のすすめ』を読んでいた。この本のテーマは《ブログは、適塾・松下村塾のような私塾になる可能性がある》ということである。非常に興味深い本であったので、書評も書いた。別紙を参照していただきたい。
さて、『私塾のすすめ』を読み進むうち、一冊の書名が私の脳裏に浮かんできた。イヴァン・イリッチ(1926—2002)の著書『脱学校の社会』である。 
『脱学校の社会』は、脱学校論を説いた点で有名な著書である。「就学義務が大多数の人々の学習する権利をかえって制約している」(『脱学校の社会』1項)点から、学校を廃止し、新たな教育空間の樹立を提唱している。
この書の第六章に、「学習のためのネットワーク」という箇所がある。イリッチの〈ラーニング・ウェッブ〉というものを端的に説明したところだ。ここで説明している〈ラーニング・ウェッブ〉は、ブログを活用することで実現可能なのではないか。この仮説を検討することが本稿の狙いである。
本稿での私の主張は、あくまで既存の教育制度を維持し、平行する形でのラーニング・ウェッブの成立の可能性を探るものであり、学校制度廃止までを考察したものでないことを付言しておく。
なお、「学習のためのネットワーク」は、原文では「learning webs」と書かれている。本稿では「学習のためのネットワーク」でなく、ラーニング・ウェッブと表記する。それはlearning websを「学習のためのネットワーク」と表記すると、特定の意味が付与されてしまうことを恐れるためである。 

2、仮説の提示

仮説
《イリッチのいう「ラーニング・ウェッブ」は、ブログで実現可能である》

3、『脱学校の社会』の検討

(a)ラーニング・ウェッブの仕組み

 イリッチのラーニング・ウェッブとは、下のような仕組みで行う。

(1)教えたいことがある人が、コンピュータなどに「これを教えたい」と登録する。どうように、学びたいことのある人が「これを学びたい」と登録する。
(2)登録している人どおしを引き合わせる。
(3)教えた分だけ、「教育クーポン」をもらうことができる。また学ぶにあたっては一定量支給されている教育クーポンを使用する。
(4)学校教育にあたる段階においては、この教育クーポンを消費していくことで、教育課程の達成を目指す。
(『脱学校の社会』より)

 本文中において、イリッチは次のように指摘している。

仲間を選び出すネットワークの運営は、簡単であろう。このネットワークの使用者は、氏名と住所および自分が仲間を見つけたいと思っている活動について記述することである。コンピュータは、彼と同じ記述を打ち込んだあらゆる人々の氏名と住所を彼に知らせるであろう。そのように簡単に役立つものが公的に価値があるとされていた活動(藤本注 公立学校制度のこと)のために大規模に用いられていなかったことは、驚くべきことである。(170項)

 イリッチは、要するに学びたい人と教えたい人とを引き合わせ、その小集団で教育を行うことを提唱している。これがラーニング・ウェッブの発想の根底である。

(b)『私塾のすすめ』において、ラーニング・ウェッブと共通点の多い箇所

 梅田望夫(コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ社長。パシフィカファンド共同代表。(株)はてな取締役。」https://www.mochioumeda.com/より)は『私塾のすすめ』において、次の指摘をしている。ここで語っている「志向性の共同体」は私塾を指し、〈ブログも私塾のようなものにできる可能性がある〉と示している。

梅田:志をもった良き大人、ある志向性を持った大人が、自分はこういう関心をもった人間なんだよ、ということをウェブ上に立ち上げて示していく。科学でも、数学でも、文学でも。そういう「志向性の共同体」がネット上にたくさんできたら、子どもでも、本当に自分の関心のあることをやっている大人たちの集まりに参加することができる。ネットでまずつながり、そしてリアル(藤本注 現実社会のこと)に発展していく。誰もがネット上で、志向性を同じくする若い人を集めて私塾を開くことができるイメージです。それはウェブ時代たる現代ならではのすばらしい可能性だと思うんです。(中略)多くの心ある人が、自分がもっとも大事だと思っている関心事項について、志向性の共同体たる私塾のようなものをネットの上でつくっていくと、さまざまな可能性がひらかれる。
 身近な世界の閉塞感のようなものがあって、時間の使い方もそこで縛られている場合に、良き私塾がもっともっとネットの上にできれば、そこで時間をすごすことができる。ところが、そういうビジョンをネットに関して提示している人が日本にはいない。「ネットというものは怪しげで危ないから子どもを遠ざけよう」という人が圧倒的に多い。今の日本のネットをみて、「怪しげで危ない」と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います。
 現実社会でうまくいっている子は別として、そうでない子どもたちは、家に帰っても親との関係だけ、学校に行ってもせいぜい五十人という範囲のなかで、自分とぴったりあった世界をつくれない。今の日本の教育は、そこでうまくいかないとすべて駄目と言われてしまう感じですが、ネットにはそこをひっくり返せる可能性があると思っています。(44〜46項)

 この梅田の指摘は、ラーニング・ウェッブと親和性を持っている。梅田のいっていることは、イリッチが『脱学校の社会』で語っていることに共通点をもっているのだ。(c)以降において、それを詳しくみていく。

(c)ラーニング・ウェッブとブログの共通点について

 ここでは3点に分けて、イリッチの主張するラーニング・ウェッブと、梅田の言う〈ブログによる私塾〉との共通点をみていく。

(共通点1)自主的に学習が進む点

 イリッチが『脱学校の社会』において批判したことの一つに、〈学校制度がある限り、生徒が受動的になってしまうこと〉がある。イリッチは自主的な学びが成立する場としてラーニング・ウェッブを考察したのである。

本章で、私は学校についての考え方をひっくり返すことが可能であることを示すつもりである。つまり、次のことを示したいのである。第一には、学生に学ぶための時間や意志をもたせようとして彼らを懐柔したり強制したりする教師を雇う代わりに、学生たちの学習への自主性をあてにすることができることであり、(藤本注 この文の続きは次の引用である)(136項)

 自らの興味がある分野であれば、自主的に学んでいくことができる。ブログにおいても強制されない分、子どもたちは自主的に興味のあるブログを探し出し、学んでいくはずだ。
 
(共通点2)関心の共有が可能である点

 イリッチのラーニング・ウェッブ構想においては、(a)で示したように教えたい者と学びたい者とが小集団で集まることで学習を行っている。この発想を実現させるためには〈何に興味があるか〉という関心事項の共有が行われる必要がある。イリッチは情報センターのようなものを設置することで、実現させようとした。ブログにおいては検索を行うことで可能である。

 さきほどのイリッチの言葉の続きを引用する。

第二は、あらゆる教育の内容を教師を通して学生の頭の中に注入する代わりに、学習者をとりまく世界との新しい結びつきを彼らに与えることができるということである。(136項)

 このイリッチの言葉にあるように、ブログを活用することで「新しい結びつき」を作ることができる。この「新しい結びつき」はブログによって可能である。

(共通点3)比較的、利用が容易である点

 学習するにあたって、教育設備が容易に利用可能であるか否かという点が大きな問題となる。いくらいい教育を行える場所であっても、費用がかさんだり、移動が大変であったりしては、教育を行えないからである。次のイリッチの言葉が示す通りだ。

必要なのは、公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワークである。(143項)

 イリッチのラーニング・ウェッブ構想では、国立の情報センターのようなものを利用することで学習者と被学習者を引き合わせる。ブログにおいてはインターネットを利用できる環境さえあれば学びを行うことができる。検索し、関心のあるブログにアクセスし、そこにある情報を学んでいくのだ。コメントの記入や直接的にブログ関係者と対面することもあるだろうが、基本はパソコンで出会う形をとる。
 イリッチの構想ではあちこちに情報センターを設ける必要があるが、ブログを活用する場合、設備の準備は特に必要でなく、インターネット利用環境さえあれば事足りる。よって、比較的利用が容易である点は解決されている。

(d)ラーニング・ウェッブの悪用についての、イリッチの指摘

 コンピュータを使用し、人を引き合わせる。その弊害は出会い系サイトのような問題が起きる可能性がある。イリッチはそのことにも気づき、以下のように語っている。

もちろんわれわれは、そのような公的な仲間選びの方法が、電話や郵便がそうであったように、搾取的あるいは不道徳な目的のために乱用される可能性のあることを認めなければならない。それらのネットワークの場合と同様に、何らかの防御策が必要である。私は、他の箇所で、尋ねてくる者の氏名と住所のほかには、適切な、印刷された情報だけが利用されるのを認める仲間選びの制度を提案した。そのような制度は、濫用に対して実質的に完全に守られている。他に別の調整をすれば、さらに本、映画、テレビの番組、あるいは特殊なカタログから引用されたほかの項目などを追加することもできよう。そのような制度のもつ危険性に関心をもつあまり、はるかに大きな利益を見失うようであってはならない。(173項)

 着目すべきは、危険性を意識しつつも「危険性に関心をもつあまり、遥かに大きな利益を見失うようであってはならない」との指摘である。先に引用した梅田の言にも、同様のものがある。「今の日本のネットをみて、『怪しげで危ない』と思いたくなるということは僕も否定しないけれど、ネットの可能性を十年、二十年というレンジでみたときに、そうとだけ考えることはマイナスだと思います」。
 そのため、私は単にラーニング・ウェッブの危険性を指摘するだけでなく、その可能性に目を向けていくことが重要であると考える。

4、結論

 イリッチは理想主義者である、ともよく聞く。しかしイリッチに実現可能性がないとされたのは一昔前の話だ。いまはネット空間が存在する。ブログによって個人が情報発信をしていくことができる時代だ。

私がこれから提案しようとしている教育制度は、今日まだ存在していない社会のものである。(137項)

 イリッチが主張した教育社会は、当時の教育制度を超えたところにあった。しかし、ウェブ空間が発達した今、イリッチのラーニング・ウェッブ構想はやり方次第ですでに実現可能であるといえる。
 『私塾のすすめ』は端的に言えば《ブログが私塾となる可能性を秘めている》ことを示した本である。ここでいう私塾とは〈教えたい者のもとに、学びたい者がやってくる〉場所である。ラーニング・ウェッブとはまさしく私塾のような存在だ。ラーニング・ウェッブという形でイリッチが提唱した教育は、ある程度までブログの活用により実現可能である。ラーニング・ウェッブよりむしろ、イリッチの思想を反映できている、ともいえる。
 ブログによる教育の可能性について、本稿では探ることができた。私自身がさらにブログを活用できるようになりたい、と考えている次第である。

5、参考文献
イヴァン・イリッチ著 東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』(1977年、東京創元社)
齋藤孝・梅田望夫著『私塾のすすめ ここから創造が生まれる』(2008年、ちくま新書)

週刊誌不買と教育社会学

バイト先で『SAPIO』2009年3月11日号を目にする。特集は「渡る世間は偽善ばかり」。表紙を見て教育に関しての記述があることを知り、読んでみた。

久々の週刊誌。何と言うか、ずっと学術系の文章(内田樹くらいしか読んでないが…)しか触れていなかったので「雑だな」と感じた。文章だけでなく、書かせるライターもベスト・セレクションであるとは思えない。教育問題は政治評論家ではなく、教育学者や現役教師に書かせるべきだ。自称〈評論家〉の勝手な文章を雑誌に載せるのなら、それなりの覚悟が必要である。

「もっと学歴差別を推進すべきである」とは評論家・呉智英の記事。首相が漢字を読めない。このことの原因について「そんなの、学歴に決まってるじゃないの」と説明(注 麻生首相の出身は学習院である、念のため)。マスコミ関係者が高学歴であることに触れて、「彼らは皆内心では私と同じことを思っているのに、なんではっきりと言わないんだろう。『学歴差別』と言われるのを避けているんです。偽善的だねえ」と続けている。

この呉氏の文章、非常に面白い。フランスでは政治家になろうとした場合、エリート教育機関であるグランゼコールを出なければならない。麻生首相を「学歴が低いからだめなのだ」と言い切るセンス。思わずニヤッとしてしまう。

けれど、記事の後半部がいけない。呉氏はタイトルにあるように「もっと学歴差別を推進すべきである」との主張を展開する。

学歴は実力を反映していないという批判もあります。しかしそれは学歴主義の不徹底を批判しているのです。だって、実力を正確に反映した学歴社会になればいいわけですから。(中略)学歴差別の歴史的意義、社会的意義を理解せず、因習的な身分差別と同類だとしてしまう。学歴差別はイカンと言えば、良識に合致すると思われているのです。

 この記述はいただけない。少々教育社会学を学んでいればこんな記事は書けるはずがないのだ。
本文の「実力を正確に反映した学歴社会」という言葉。これを社会学者はメリトクラシーと呼ぶ。刈谷剛彦などが編集した『教育の社会学』(有斐閣アルマ)には「より高いメリットを持った人々が、より高い地位につく社会のしくみ」(211頁)と説明されている。なおメリットとはここでは「職業に貢献できるだけの能力や実力」(271頁)を指す。高い能力を持つ者は当然高学歴を持つのだから、学歴をもとに人間の能力を判断すべきだ、という考え方である。

『教育の社会学』の記述を引く。

どれだけがんばろうとするかという意欲や動機づけは、個人がどのような社会環境におかれるかによって違ってくるのではないか。努力し続けようとする性向や、がんばってみようとする動機づけが、どのような家庭環境で育つのかによって違ってくる可能性があるのだ。さらに、努力の習慣ということも、家庭のしつけの問題だとみることができるかもしれない。そうだとすれば、学力の差異には、能力の差異だけではなく、努力の差異を通した出身階層の影響が表れる可能性も否定できない。(pp243~244)

呉氏のいう「実力を正確に反映した学歴社会」メリトクラシーは、東大にいけそうな環境にいる人しか東大には行かないという事実を見過ごしてしまう。前にブログで書いたが(https://nomad-edu.net/?p=520)、〈①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格する〉のである。いくら実力があっても、大学に行かないのが当然とされるような家庭ではまず大学にいくことはない(野口英世は希有な例外だ)。

教育社会学者なら絶対に書かないような文章が載っている週刊誌。今日あらためて週刊誌不買を決意した。

追記
●先の『教育の社会学』には次の記述もある。

学歴社会というと学歴の影響が圧倒的に大きい社会を想像するが、実際には、どのような家庭に生まれるのかも依然として強い影響を残しており、しかも、どのような家庭に生まれるのかが本人の学歴に影響し、それが本人の到達階層に影響するという関係も強化されているのである。(259頁)

やはり学歴は本人の努力のみで決まるものでないことが分かる(その「努力」自体も生まれた環境によってやる/やらないがきまることも本文で述べた)。

フリースクールの定義

フリー・スクールの定義について、調べてみよう。原点に返って。

古典的なフリー・スクール(自由学校)としては、イギリスのニールが1925年に設立したサマーヒル学園が代表的であるが、1960年代から70年代にかけて数多く設立されたフリー・スクールは、様々な理念をかかげていた。白人中流階級の子弟を中心として、教育の自由、児童の要求を尊重するサマーヒル学園の系統のほかに、ヒッピー的な対抗文化や反戦運動・公民権運動などの政治的色彩を帯びた学校、労働者階級の自覚を求める学校、黒人生徒に学習経験を与える目的で設立されたもの(例えばニューヨーク市のハーレム・プレップ)、黒人に黒人固有の文化と意識を自覚させ、尊重させようとして設立されたもの(例えばミシシッピー・フリーダム・スクール)など多様なものがあり、1970年代半ばには、約2000校に及んでいた。いずれも生徒や父兄を学校運営に大幅に参加させる点で共通していた。しかしその多くは小規模な私立学校であり、父兄や篤志家からの寄付や薄給で働く教師によって支えられている面が強く、経済的に行き詰まるところが多い。平均して一年半しか持続できないといわれるが、既存の学校のあり方を、その原点に立ち帰って考え直させる存在となっている。(小沢周三ほか『新版・現代教育学入門』初版1982、新版1997、pp78~79)

…歴史的文脈の中でのフリースクールはこんな感じです。公民権運動や反戦運動等、アメリカの激動の時代に生まれたのがフリースクールなんですね。ちなみに日本のフリースクールの草分けである東京シューレは1985年にオープンしました。

『フリースクールからの政策提言』を読む ゼミ発表版 今後の方針について

本日のゼミで、次の内容のレジュメを元に、話をした。議論に出たことは最後尾を見てほしい。
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1、はじめに

 フリースクールは近代教育制度に対して懐疑的まなざしを持つ。「画一的・均一・規律的」な近代教育制度に対し、フリースクールは「多様性・自由」を重視する。目指すものが違うため、フリースクールについて調べるうちに、近代教育の〈気持ち悪さ〉が見えてくる。自分が自明視していた近代教育の短所が現れるのだ。
 近代教育制度とフリースクール。両者は違う価値観で動いている。従来、近代教育に慣れ親しんだ人びとがフリースクールについて何かを語ることはあっても、フリースクール関係者が近代教育制度に対して何かを語ることはあまりなかった。あったとしても、それが政策提言としてまとめられることは皆無であった。
 本年1月11日から12日にかけて、第1回日本フリースクール大会が国立オリンピックセンターで開催された。略称をJDEC(ジェイデック)という。この中で『フリースクールからの政策提言』(以下『提言』)が採択された。偶然ではあるが、私もこの場に参加していた(といっても、採択された12日ではなく、一般公開していた11日のみであった)。
 私はこの『提言』がいかなる理由で採択され、そしてどのような内容を持ち、どのように活用されていくのかについて調べてみようと考え、この研究を行うことにした。

2、提言の目的と背景

A 提言の目的

 まずこの提言は何の為に書かれたものであるのか。「はじめに」を見てみる。

言うまでもなく、子どもの存在は多様である。その多様な子どもたちを受け入れる教育の場が必要であることは論を待たない。子どもは多様であるということを踏まえ、世界的にも、多様な教育の場を社会が認め支えていく流れがある。それでは、私たちの社会ではどのように多様な子どもたちを受入れる場を持っていくべきであるのかを真剣に問わなければならない。また、そのような場を親・市民の努力に頼るだけでなく、社会が支える仕組みを整える必要がある。

 この部分には⑴子どもは多様であるということ、⑵⑴ゆえに多様な教育の場を社会が認めるべきこと、⑶親・市民の努力だけでなく、社会が⑵の多様な教育を支える仕組みを作るべきこと、という3点が書かれている。

B『提言』の出された背景

 『提言』より引用する。

フリースクール等の活動が日本でさらに広がり、 深まるよう、2009 年 1 月、 JDEC( 日本フリースクール大会 ) をはじめて開催することになった。これにあわせて、私たちのフリースクール等での活動から見た教育や子どもの状況を改善すべく、すぐに実現にむけて取り組むべきことをまとめ採択したものが、この提言である。

 フリースクール等の活動の拡大のために書かれたものである。朝日新聞朝刊2009年1月19日付けには「多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言」と書かれている。

3、提言に示された精神性

 続いて、『提言』内に示された精神性についてを見ていく。
 『提言』は〈子どもの意思の尊重〉を重視している。学校があわなければ休むことを選択できるようにする・学校とは違う学びの場である「フリースクール等」(『提言』では「フリースクール、フリースペース、居場所、ホームエジュケーションのネットワークや訪問支援等の活動を含めて、『フリースクール等』と表示しています」とある)にいけるようにする等、さまざまな形態での「学び」重視を行っている。この背景には『子どもの権利条約』等の法規に示された、〈子どもの権利保障〉の実現、という考え方がある。不登校の子どもの意見を反映することなど、『提言』で示した政策提言の根拠を〈子どもの権利保障〉に置いているのである(このケースでは「意見を聞いてもらう権利」)。
 学校教育は教育基本法や学校教育法、文科省の学習指導要領や学校設置基準などに縛られて行われている。これらの法規はいずれも「教育はこうあるべきだ」「教育はこう行わなければならない」というスタンスで書かれたものである。学校教育はともすれば「あるべき教育像」を重視し現実の子どもたちを無視したものになる可能性がある。対して、『子どもの権利条約』等の〈子どもの権利保障〉を謳った法規は「あるべき教育像」より先に「子どもの権利を保障しよう」という立場から始まる。
 全体を重視するか、個を重視するか。学校教育と「フリースクール等」とでは教育に対する立ち位置が違う。日本国の教育の体制を定めているのが学校教育に関する法規である。フリースクールは子どもの人権保障の観点から語られるべきものである。

4、提言の中身

『提言』に挙げられた「すぐにでも実現すべき9つの提言」について列記する。

①フリースクール等の教育環境整備と運営安定化を図るための公的支援の実施
②教育行政・関係機関とフリースクール等との連携体制の促進
③フリースクール的な学校設立の促進
④学校復帰を前提とする政策の見直し
⑤教育行政や学校等の現場の対応改善
⑥在宅不登校に対する公的支援の実施
⑦子どもが相談しやすい環境づくり
⑧当事者の立場に立った医療への転換
⑨国や自治体等で取り組むべき課題

5、まとめ

 フリースクールを始めとしたオルタナティブな教育は、今後の社会において重要な価値をもっている。けれど、今まではあまりフリースクールの視点から教育界への具体的な提言はほとんど出ていなかったように思う。その点で、今回の提言には重要な意義があると考えられる。
 
6、参考文献

フリースクール全国ネットワークWEB(https://www.freeschoolnetwork.jp/)
中野光・小笠毅編著『ハンドブック子どもの権利条約』(岩波ジュニア新書、1996)

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ゼミでのコメント
●この提言では、公的な支援を受けることを説明しているが、公的支援を受ける為には「基礎学力」の担保をフリースクールが行っている必要があるのではないか。確かにフリースクールは「自由」を重視しているが、このフリースクールで過ごすことが、社会に出たときに役立つのかどうか、疑問である。そうであれば、学習指導要領をひとまず守っている学校の方がいいのではないか。
 つまり、社会へ出る橋渡しの役割をフリースクールが果たしているのか、という点を考えていくべきだ。
→次回はここを意識して研究していきたい。そのために進路先の状況等を個人に着目して(『学校に行かなかった私たちのハローワーク』などで)「顔の見える」研究にしていきたい。大体、「子どもの存在は多様」といってる割に、「多様な子ども」という抽象的な存在でしか話をしていなかった。もっとある個人の子どもの生活に着目した研究にしていきたい。
→オランダはフリースクールを公的な支援の上で行っている。そのなかでは監査制度を持っていて、教育の質が確保されているかを確認している。
●フリースクールの研究を通し、いまの日本の教育に光を充てていくと面白いのではないか、とのご指摘。O先生よりいただく。話が壮大で、研究していくやりがいを感じた。