教育論

あえて、宮台批判。

 最近、宮台真司の本にハマっている。彼の本のには「オウム」「サカキバラ」など、私が小学生であったときの各種「事件」がちりばめられている。

 以前、私は「11年目のサカキバラ」という文章を書いた。約4000字。本ブログにも掲載している。「11年目…」は次の文章で終る。

知識人たちは、何かと子どもを悪者や「劣ったもの」と見る傾向があるのではないかと、感じる。少年Aひとりから、今の社会の子どもたちみなを推し量ることはできないはずである。けれど、どうも知識人という人々は直に子どもたちと会って、「酒鬼薔薇って、どう思う?」と聞きに行かないようである。


 この拙文では、〈自称「知識人」は子どもと言う存在を勝手に決めつける。一部にしか当てはまらない内容を《全員に当てはまる》、と決めつける〉ことを主張したのであった。
 宮台の本を読み、「11年目…」で批判したポイントが脳裏に浮かんできた。宮台は佐藤学が嫌いなようだが、その宮台も「11年目…」で私が批判した「子どもを決めつける」という愚を犯している(佐藤が「全員」を主張するのに対し、宮台は“今の子どもの三分の一はサカキバラに惹かれている”と語る。佐藤より頭がいいのである)。

 しかし、宮台は私のこの論の建て方を批判している。
 彼は「僕は常に『実存』の問題と『社会』の問題を分けろと言う」(宮台『野獣系でいこう!』朝日文庫、2001、398頁)と書いている。私が「11年目…」で語ったのは自分の「実存」に基づいての批判であった。「オレはサカキバラに共感したことはない。だから、“現在の子どもはサカキバラに惹かれている”という言説は誤りである」との私の主張も所詮「実存」を基にしている。「実存」によらない理論立てを、自分自身が学んでいくべきであるようだ。

イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』に見る、「価値の制度化」・「脱学校」という言葉の意味合いについての一考察。

*本稿は、大学のゼミで2009年5月21日(つまり今日)に私が発表する予定の原稿です。このブログで書いてきたことを踏まえ、イリッチの「脱学校」や「価値の制度化」を整理しました。

1、はじめに。

 私は2年生の頃からフリースクールについて専門的に研究してきた。卒論もフリースクールを社会学的に考察することで書き上げたい、と考えている。その際、イヴァン・イリッチら脱学校論者の文章を基に、フリースクールなどのオルタナティブスクールの展望をしていきたい。
 それにあたって、フリースクールにつながる発想である「脱学校」について、一度整理しておく必要を感じている。整理することで、新たな視点からフリースクールについて見ていくことが可能であると考えているからだ。そのため今回はイリッチの著作『脱学校の社会』を基に、「脱学校」とはどのようなものかを押さえていきたい。
 そのために本稿では「脱学校」を理解する上で必要な「価値の制度化」という概念を見たあと、改めて「脱学校」について見ていく。

2、「価値の制度化」とは何か。

(1)「価値の制度化」についての自分の考え。

 イリッチの文章をまず見てみる。

多くの生徒たち、とくに貧困な生徒たちは、学校が彼らに対してどういう働きをするかを直感的に見ぬいている。彼らを学校に入れるのは、彼らに目的を実現する過程と目的とを混同させるためである。(中略)「学校化」(schooled)されると、生徒は教授されることと学習することとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたこと、免状をもらえばそれだけ能力があること、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。(13頁)

 ここで語っているのは、「価値の制度化」の話である。「制度化」について脚注では、「共通の価値観が内面化される一方、価値を実現するための制度づくりがなされ、その制度に対する人々の期待が高められていくことかと思われる」(54頁)とある。
 これは何を意味するのであろうか。
 本来目指すべき価値を仮にAとする。本来はAをまっすぐに目指していくべきだが、手短な目標である価値Bを目標とする。このBは「価値A実現のための学校の卒業」とでもしておこうか。学校に通い続け卒業すれば(つまり価値Bを目標としていけば)、自然に価値Aに達することができるというタテマエである。ここにある少年に登場してもらおう。価値A実現のために学校Bに通っているのがこの少年である。通っていればいつか卒業できる時が来る。少年はBを出ることのみが重要だとずっと考えていた。卒業して、「学校を卒業したことを認める(価値Bの実現)」という証書をもらった。少年は「このために勉強してきて良かった!」と大歓喜している。帰り道、少年はふと気づく。「あれ、価値Aを僕は修得できたのだろうか?」と。価値Aを普通自動車運転免許取得、価値Bが自動車教習学校卒業であるとき、少年は不幸である(ときどきいますけどね)。
 これが価値の制度化といえるのではないだろうか。本来、学校は教育をすること/子どもが学ぶことが主たる価値である(価値A)。けれど子どもは放っておいて勝手に学ぶかというと、必ずしもそうではない。そして学校というのは価値Aを実現するための装置、つまり制度にすぎない(価値B)。けれど現代は学校という制度に通うことのみが重視されて、そこで教育が行われるということが忘れ去られている。本来なら学校に行くこと(価値B)が重要なのではなく、子どもが学ぶこと(価値A)が重要なのだ。けれど知らぬ間に価値Bの方が重要と考えられ、価値Aがおざなりにされてしまう。〈子どもが学ぶこと〉という価値A実現のためなら、別に学校(価値B)を用いなくとも、たとえば自宅での学習を行うとか、フリースクールにいくとかする選択肢も存在するべきだ。けれど制度/装置にすぎない「学校」へいくことのみが重視されるようになる。この価値の転倒をイリッチは「価値の制度化」と呼んだのであろう。

(2)「価値の制度化」からイリッチが言おうとしたことは何か。

 再び、『脱学校の社会』の文章を見てみる。

私は以下の拙論において、人々が価値の制度化をおし進めていけば必ず、物質的な環境汚染、社会の分極化、および人々の心理的不能化をもたらすことを示そうと思う。この三つの現象は、地球の破壊と現代的な意味での不幸をもたらす過程の三本柱なのである。(14頁)

 この文章は(1)で説明した、価値の制度化についてのイリッチの考察である。このなかでイリッチは「物質的な環境汚染、社会の分極化、および人々の心理的不能化」という例を挙げて現代文明に警鐘を鳴らしている。つまり、イリッチは現代の「価値の制度化」という問題を訴えたいのであって、学校は一つの例にすぎない。価値の制度化は、あらゆる分野に起ころうとしているのだ。

 再び本文に戻る。

必要な研究は、人々の人間的、創造的かつ自律的な相互作用を助ける制度で、かつ価値が生み出されるのに役立ち、しかも肝心なところを専門技術者にコントロールされてしまわないような価値を生じさせる制度を創りあげることに、科学技術を利用するにはどうしたらよいかという研究なのである。(14頁)

私は、われわれの世界観や言語を特徴づけている人間の本質と近代的制度の本質とを、相互に関連づけてはっきりさせるためにはどうしたらよいかという一般的な課題を提起したい。そのための理論モデル(パラダイム)をつくる素材として私は学校を選んだ。(15頁)

 つまり、イリッチ自身は「価値の制度化」が起きている近代文明への批判を行うために本書を書いたのであって、〈社会の脱学校を断じてなしとげなければならない〉という主張をするために本書を書いたわけではないのである。「脱学校」は、あくまで2次的な目標である。イリッチ自身が「書きやすい!」と感じた好例だったため、学校をテーマにしているのだろう。先の比喩を使えば、価値Aが「価値の制度化」論、価値Bが「脱学校論」であるといえる。
 「価値の制度化」を行うべき物の例として、イリッチは「家庭生活、政治、国家の安全、信仰およびコミュニケーション」を挙げている。

私は学校の潜在的カリキュラムの分析を通して、社会の脱学校化は公教育にとって
プラスになるということ、そしてそれと同様に、家庭生活、政治、国家の安全、信仰およびコミュニケーションも、同じような過程を経ることから利益を得るであろうことを明らかにしようと思う。(15頁)

 この文が示している通り、価値の制度化を排す手法は「脱学校化」と同じプロセスなのである。
 イリッチは続ける。

その分析(価値の制度化を排すことで利益を得られる、ということの分析)のために、この最初の論文では、学校化されてしまった社会を脱学校化するということはどういうことかを説明しておこう。(15頁)
*(  )は藤本。

 ここから、「学校化」された社会の特徴の記述が始まる。「学校化」の現代的事例は上野千鶴子の『サヨナラ、学校化社会』に詳しい。
 なお上野はこの本の中で次のように「学校化社会」を説明している。

もともとは、イヴァン・イリイチが『脱学校の社会』(1970)で指摘した現代社会の特徴。学校がその本来の役割を超えて、過剰な影響力を持つにいたった社会のこと。しかし現代日本では、学校的価値が社会の全領域に浸透した社会という、宮台真司が広めた定義のほうが有名である。(50 頁)

 イリッチの定義と宮台・上野の定義とは若干ニュアンスが異なっている。けれど、「学校化」の現代的意義を説明していることにかわりはないであろう。

 本章のまとめを行う。イリッチは価値の制度化を批判するために『脱学校の社会』を書いた。脱学校化はあくまで価値の制度化を説明するための題材にすぎないのである。

3、「脱学校」とは何か。

 教育学者は『脱学校の社会』を意図的にか知らぬが誤解している。佐藤学でさえも『脱学校の社会』が〈学校の廃止〉を訴えた本である、と解説しているほどだ(聞き書きなので、出典を探します)。けれど実際にはイリッチは〈全員が学校に行かなければならない〉ことを批判しているのだ。
「解説」の欄を見よう。

イリッチが「脱学校」という場合、すべての学校を廃止したり、あるいは学習のための制度のない社会をめざしているのではなく、むしろ学習や教育を回復するために制度の根本的な再編成を求めているのである。そこでは学校以外に選択の余地がなかったり、全員が就学を義務づけられることがなくなるのである。しかしそれは単に学校をめぐる形式のみの変化にとどまるものではない。もっと深く社会のエートスの変革にかかわることなのである。(221頁)

 脱学校とは、単に学校を廃止することを意図したものではないのである。そもそもイリッチは「学校」の定義として、「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程」(『脱学校の社会』59頁)と書いている。この定義に当てはまる「学校」の批判をイリッチは訴えたのである。『脱学校の社会』でも、大学や技術修得の学校は存続させることが必要であると書かれている。
 イリッチは価値の制度化により〈学習のほとんどが教えられたことの結果だ〉と考える姿勢をこそ批判したのである。

学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えること(teaching)はある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。
 ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである―両親が彼らに注意していればより早くはなるであろうが。(32〜33頁)

 先に「価値の制度化」について見てきた。「脱学校」とは〈学習のほとんどが教えられたことの結果だ〉とみる「価値の制度化」の状況を乗り越え、本来的な学びの復権を図ろうとすることをさすのである。
 
4、「脱学校」の現代的意味について。

 〈イリッチがいうほどまで制度を変えなくとも、脱学校は可能だ〉、というのが『脱学校化社会の教育学』のテーマである。本書は2009年の発行。脱学校化というものの現代的意味についてまとめられている。
 タイトルである『脱学校化社会の教育学』は「脱「近代教育」社会の教育学」と理解するほうが、誤解が少ない。つまり、『脱学校化社会の教育学』の著者たちは近代公教育制度批判と「脱学校」を同じものと見ているのだ。

 先に見てきた通り、イリッチは制度による教育ではなく、教育的関係による教育を訴えたのであった。

学校に依存することにとって代わるということは、人々に学習を「させる」新しい考案物をつくるために公共の財源を用いることではない。むしろ、それは人間と環境との間に新しい様式の教育的関係をつくり出すことである。(136頁)

 この文章のあと、イリッチは「新しい様式の教育的関係」として「学習のためのネットワーク(ラーニングウェッブ)」を示している。けれど、ラーニングウェッブ導入をすることだけが、「教育的関係」を創り出すことにはならないと考える。イリッチは「学校による教育の独占を廃止し、またそのことによって偏見と差別を合法的に結びつける制度を廃止しなければならない」(30頁)といっている通りだ。
 PISAショック以来、フィンランドの教育が着目されるようになっている。フィンランドでは少人数による学びが導入されている。また佐藤学は90年代後半から(つまり浜之郷小学校開学から)「学びの共同体」を実践している。両者は子どもの協同な学びによる授業を行っている(『脱学校化社会の教育学』)。
 イリッチは近代社会を支えるために開発された「近代公教育制度」を批判したのであって、学校それ自体の廃止を訴えたわけではない。日本的意味では、文科省支配下にある「学校」(学校教育法でいう1条校)による教育を批判しているのである。イリッチは一方的な教員による教え込みを批判している。であれば、そうでない学校、つまり近代学校らしくない学校の導入をこそ展望していたと言える。
 無論、学びの共同体やフィンランドメソッドでイリッチの主張をすべて実現できるわけではない。けれどイリッチの主張に近いのは確かである。
 まとめを行う。『脱学校化社会の教育学』の中において、近代公教育制度批判と「脱学校」は同義である。これは現代の教育学においてもそうであると言えるのではないだろうか。


「4、脱学校の現代的意義について」の追記。
このあと、友人のOと話し、重要な点に気づいた。

Oは『脱学校の社会』に学校改革を期待することを〈インドカレー屋でカレーうどんの話をすること〉という絶妙な比喩で批判した。

もともと、「脱学校」とは脱構築主義に基づく概念である。脱学校論は「まず学校の解体ありき」の話のため、脱学校論に「学校を解体しないとき、どう改良できるか」を要求するのはお門違いなのだ。

その点『脱学校化時代の教育学』は、根本的に「脱学校」を理解し損ねていることがいえる。「脱学校」とは、イリイチのいう定義(「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程」『脱学校の社会』59頁)に当てはまる「学校」を廃止することを訴えている。そのため、現状の学校内での「教育改革」や「近代公教育批判」をおこなうことは、「脱学校」では語ってはならない事柄なのだ。私もすっかり誤解していた。「近代公教育批判」と「脱学校」は同じではない。本文もそう修正すべきだが、私が騙されたという経験を忘れないためにもそのまま残しておくことにした。

 あれ、でもイリイチのいう「学校」にあてはまらない実践をする学校教育なら、「脱学校論」で語れるんじゃないだろうか? 残念ながら『脱学校化時代の教育学』はフィンランドメソッドや「学びの共同体」など、イリイチのいう「学校」に当てはまる実践くらいしか取り上げていない。もっと言ってしまうと、この本は幼児教育の本なので、そもそも「学校」を語るのは本題ではない。にもかかわらず、イリイチの「脱学校」をタイトルに謡うのは反則ではないか(幼児教育は「幼稚園」でおこなうものであり、「学校」でおこなうものではないからです)。そのため、『脱学校化時代の教育学』はイリイチの「学校」定義を超えた学校の実践を取り上げるべきであったのだ

イリイチの「学校」の定義をこえる教育活動として、一番簡単にイメージできるのは大学であろう。私のいる早稲田大学でも、定年後に入学してきた60歳の学生がちらほらいる(イリイチの学校の定義「特定の年齢層」に当てはまらない)。大学は出席しなくても単位が取れる(イリイチの定義「履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求」に当てはまらない)。イリイチの「学校」に当てはまらないからこそ、彼が〈脱学校化をおこなっても、大学や技術学校は残すべきだ〉と主張しても矛盾は生じないのである。
昨日、偶然に都立新宿山吹高校の存在を本で知った。この学校は無学年・単位制の高校である。宮台真司らの『学校が自由になる日』でも絶賛している学校だ。異年齢集団が通学でも通信でも学ぶことのできる高校。これもイリイチの「学校」定義から外れた学校である。
『脱学校化時代の教育学』とのタイトルを使うなら、イリイチの「学校」から外れた学校をこそ、取り上げるべきであったのだ。

この、脱学校論の「誤解」を改めるだけでも、卒論になりそうだ。

5、イリッチの脱学校に対する私の批判。
 
 いままでずっとイリッチの脱学校論について考えてきた。そのイリッチは「脱学校」を訴えることで本来的な学びの復権を訴えている。
 けれど、学校という「装置」はなかなかに優れたものであるといえる。まったくやる気のない生徒でも、何かしらかを学ばせ、読み書きやコミュニケーション能力についてを修得できる場所である。また、黙って席に座る能力や、上司の言に従順にしたがう態度を身につけることができる。

たとえ教科の内容はまったく理解できなくても、生徒は学校で勉強することで知らず知らずのうちに、時間の厳守、おとなしく着席している忍耐力、あたえられたノルマをはたそうとする動機づけ、規則や上位者の命令に服する秩序感覚、他人と協調してゆく能力といった、総合的「道徳」能力を学んでいるわけである。(森下伸也『社会学がわかる事典』日本実業出版社、2000、184頁)

 イリッチは学校によって「学び」ができなくなるという、「価値の制度化」を主張した。けれども、私は学校が無くなった社会で、教育クーポンを〈ぽん〉と渡されて「自由に学んでいいよ」といわれたとき(ちょうどイリッチ主張する、ラーニングウェッブの世界だ)、途方に暮れそうな気がしてならない。自由はしんどい。誰かに「何を学ぶのか」決めてもらうほうが簡単だ。イリッチなどの教育学者は「子どもは学びたがっている」という説をよくとるが、私は疑いの目を持っている。強制されない限り、学ぼうとしない子どももいるはずである。
 カトリックとプロテスタントの違いを自殺から考えたのがデュルケームであった。カトリックは教会を通じて神とつながるが、プロテスタントは聖書を通じて各個人が直に神とつながる。プロテスタントはどこまでも個人の問題になる分、しんどくなり、自殺するものがカトリックよりも多くなる(『自殺論』)。これを、学びという側面に応用してみよう。学校のある社会がカトリック、ない社会(イリッチのいう脱学校の社会)がプロテスタントだ。自発的に学ぼうとする人間にとってプロテスタントのほうが気楽でいい。けれど自発性の少ない人間(たとえば私など)にとってはカトリックこそ気楽でいい。確かに教えられる内容に不満はあっても、制度に対し不満をぶつけ、愚痴ることができる。プロテスタントではそうはいかない。学ぶ内容全てが自己決定。「自分が悪かった」という後悔をし、自分を責める方向のみに進んでいく。
 イリッチのいうように、一概に「学校」の廃止を主張は出来ないのではないだろうか。

「5、イリッチの脱学校に対する私の批判」の追記。
発表後、「デュルケームと脱学校は何の関係もないから、例としてはあげないほうがいい」とのアドバイスを頂いた。おっしゃるとおりです。次はもっと適切な比喩を使おうと思う。

6、参考文献

青木久子・磯辺裕子『脱学校化社会の教育学』萌文書林、2009
イヴァン=イリッチ著、東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』東京創元社、1970
上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』太郎次郎社、2002
エヴェレット・ライマー著、松居弘道訳『学校は死んでいる』晶文社、1985
奥地圭子『不登校という生き方』NHKブックス、2005
田中智志『教育学がわかる事典』日本実業出版社、2003
森下伸也『社会学がわかる事典』日本実業出版社、2000

*以下のサイトも参考にした。
小春日ダイアリー https://nak-koharubi.blogspot.com/

高校生畏るべし

 私が母校の寮に学生ボランティアとして関わるようになって、今年で3年になる。関わりはじめた頃の高校1年生が、来年には卒業していく。感慨深い年である。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりもためになる事がけっこうあるのだ。
 昨日は寮生のK君と洗面台のそばで話した。彼は高校1年生である。

K「石田さんは今まで何冊本を読んできたんですか?」
私「大学時代に、ざっと750冊くらいかな」
K「じゃあ、良書は何冊読んできたんですか?」
私「良書? 『カラマーゾフの兄弟』とか『エミール』とかのことだよね。大体50冊くらいかな」
K「あんまり良書は読んでおられないんですね」
私「……。」
K「石田さんは『カラマーゾフの兄弟』を読んでるんですよね。読んでどう変りました?」
私「え、……。でも『モンテクリスト伯』を読んだ時はめちゃくちゃ感動したよ」
K「そんな本も読まれてるんですか。にじみ出ませんね」
私「う……。」(涙)

 大学の友人や先輩/後輩、大学の教授が聞いてくるレベルを遥かに超えた発問であった。グサグサ胸に刺さってくる。K君は決してイヤミで言ってくるのではなく、にこやかに話してくるのだ。この文章を読んでいる方。高校生にこのように言われたら、私同様泣くしかないですよね? 
 よく教育において〈子どもから学ぶ〉姿勢が大切だ、と言われている(灰谷健次郎の十八番である)。タテマエでも何でもなく「まさにその通りだなあ」との思いを新たにした。深夜2時にも関わらず、一気に眠気がひいたのである。

 K君の話の中で注目すべき点がある。それは学ぶという事は学ぶ者に〈変化をもたらす〉ものだという認識である。K君の「どう変りました?」「にじみ出ませんね」という言葉に象徴的に現れている。ある教育学者は「学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである」(林竹二『学ぶということ』)という言葉を残している。これは昨年読んだ教育関係の書の中で最も印象深かった言葉である。K君はおそらく直感的に学びの本質を見抜いていたのであろう。後生畏るべし、との思いを強くする(ここでは後生ではなく、「高校生」とすべきであろうか)。相手が子どもというだけで軽く見てはならないのだ。

 この文を、私は寮からの帰りの西武線車内で書いている。もうすぐ〈我らが母校〉の高田馬場に到着する。さて、〈良書〉を久々に買いにいくとするか。

教育的作用について

ある日。

飲み会の後、私は新宿歌舞伎町をうろついていた。2次会にいく金が無く、だからといってまっすぐ家に帰るのも億劫だ。あてもなくうろつく。

まわりには派手な立て看板とそれを飾るランプ。キャッチや集団の騒ぎ声、喧騒。

ふと、私の視線が一カ所に定まる。風俗店の営業時間の表記。12時から24時までとなっている。

常識的に考えて、昼間から風俗店にいく人は少数派だろう。仕事帰りの18時から24時までの営業でもよいはずだ。それにもかかわらず、営業時間が昼間からなのは何故か。

その理由には教育的側面があるのかもしれない。夕方からの営業にしたほうが確かに合理的だ。けれどそうではないのは、入ったばかりの従業員が店に慣れるためではないだろうか。昼間は人が少ない分、新人は客とのやり取りや会話・〈仕事〉を学ぶことができる。夕方以降の繁忙期はベテランに仕事を任せることで売り上げを確保する。店の長期的運営を考えるなら、新人を教育できる時間帯を持っているほうがよいだろう。いまはやりの〈持続可能性〉を高めることになる。

そういえば、落語家が寄席を守ろうとするのは弟子の教育のためだそうだ(今井むつみほか著『人が学ぶということ』)。客商売も長期的スパンでものを考えるなら、一見非合理的に見える側面にも力を入れていかなければならないのだと思う。

ちなみに、ここに書いたものはすべて私の想像です。

自由が苦手な/悲しい人間

いままでずっとイリイチの脱学校論について考えてきた。そのイリイチは本来的な学びの復権を訴えている。

 けれど、学校という「装置」はなかなかに優れたものである。まったくやる気のない生徒でも、何かしらかを学ばせ、読み書きやコミュニケーション能力についてを修得できる場所である。また、黙って席に座る能力や、上司の言に従順にしたがう態度を身につけることができる。
イリイチは学校によって「学び」ができなくなるという、「価値の制度化」を主張した。
けれども。私は学校が無くなった社会で、教育クーポンを〈ぽん〉と渡されて「自由に学んでいいよ」といわれたとき、途方に暮れそうな気がしてならない。自由はしんどい。誰かに「何を学ぶのか」決めてもらうほうが簡単だ。イリイチなどの教育学者は「子どもは学びたがっている」という説をよくとるが、私は疑いの目を持っている。強制されない限り、学ぼうとしない子どももいるはずである。
カトリックとプロテスタントの違いを自殺から考えたのがデュルケームであった。カトリックは教会を通じて神とつながるが、プロテスタントは聖書を通じて各個人が直に神とつながる。プロテスタントはどこまでも個人の問題になる分、しんどくなり、自殺するものがカトリックよりも多くなる、と。学びという側面に応用してみよう。学校のある社会がカトリック、ない社会(イリイチのいう脱学校の社会)がプロテスタントだ。自発的に学ぼうとする人間にとってプロテスタントのほうが気楽でいい。けれど自発性の少ない人間(たとえば私など)にとってはカトリックこそ気楽でいい。確かに教えられる内容に不満はあっても、制度に対し不満をぶつけ、愚痴ることができる。プロテスタントではそうはいかない。学ぶ内容全てが自己決定。「自分が悪かった」という後悔をし、自分を責める方向のみに進んでいく。
 私は自分で自分のことを決めるのがしんどくて仕方ない。進学するかどうか、就職先をどこにするか…。いずれも、中世のように「始めから決まっている」方が悩まなくていいから楽である。

 ラーメンズのネタに「プーチンとマーチン」というものがある。You tubeにもアップされている。これは小林と片桐が腕人形をもって掛け合い漫才や歌を演じるコントである。「♫命令されたい/決められたい/自由が苦手な/切ない人間〜」。軽快に2人が歌う。私はこの歌詞を全面的に肯定する。

森毅『気まぐれのすすめ』ちくま文庫、1993

著者は数学者。数学の専門書とは別に、軽妙なエッセイを多数書いている。氏の文章は高校時代にハマった(無論、エッセイの方)。〈受験当日はマンガを読んで余裕をアピールしろ〉、〈受験とはごまかしの技術。全く勉強していなくても、さも勉強してきたかのように解答すればいい〉。受験についての考え方がラクになった。曲がりなりにも現役で早稲田に合格できた理由の一つに、森氏の本を読んでいたから、という点がある。

森は京大教授。けれどイバる感じが全くない。少なくとも文章には現れない。

どうも、教育界で「問題解決」と聞くと、ソッポを向きたくなる習性が、ぼくにはある。人生の問題が解決されるなら、それはけっこうに違いないが、たかが教育ごときで、そんなことのできるわけがない。しかし、なにかしら、そうした幻想を与えようとする癖が、学校にはある。「生きる力」とか「生活のために」などと聞かされるときの、イカガワシサに似ている。(31頁)

「たかが教育ごとき」。いい言葉だ。教育学者はあまり口にしない。
 
 私が森に注目する理由に、脱学校論的発想をよく口に出しているという点が上げられる。次の文は「価値の制度化」を語っているところと読むことができる。

一般的にいって、管理主義というもののおそろしいのは、管理者が管理主義的になること以上に、被管理者が管理主義的になるところだ。実際に京都大学でも、さまざまの手続きが管理主義的になるにしたがって、手続きにだけ熱中する学生が増えはじめた。大学でなにかを学ぶことよりも、教室に出席しているという手続きが重視される傾向については、京都大学はまだマシなほうなのだそうだ。もっと「民主主義的」な大学になると、出席やなにかの手続きだけ勤勉にオツトメすると、だれでも「民主主義的」に単位のとれる仕組みになっているらしい。
「みんな平等に抑圧されましょう」「みんな民主的に管理されましょう」というのが、民主管理主義教育のスローガンで、このごろ少し目にあまるものがあるのだが、ぼくはそれほど心配していない。こんなアホラシイ状態が続くはずがないと、人間の英知にいくらか期待しているのだ。(114頁)

以下は、いろんな抜粋。

本来の自由というものは、だれかれなしにウロチョロするから、当然にイヤな奴ともつきあうことになるものだ。ケージのなかで安心しているのは、自由ではなくて自閉である。(121)

人間が成長するというのは、なにかの殻をまとうことではなくて、裸のありのままの自分であることによって、さまざまの人間と影響しあい、結果的に成長してしまうのだと思う。それを恐れて殻をまとったところで成長なんかするまい。(…)教師のほうが成長することなしに、生徒を成長させようと思うなんて、あつかましい。それも、成長した結果ではなくて、成長する過程を見ることによってだけ、生徒に影響しうるのだ。(139頁)

考えてみれば、教育にとって、塾の歴史は二千年以上あるが、学校の歴史は二百年ほどなのだ。むしろ、学校というものも、塾の一つの形態にすぎない。
そして、こうした塾について、学校との連係が強くないかぎり、年齢的な制限はない。べつに「子ども」でなくても、お茶や生花の稽古に行く。(143頁)

なんでも説明したがり、そして説明さえすれば相手は納得するはず、と思いこみがちなのも教師の悪癖だろう。それでたいてい、ふだんでも教師は説明癖にとらえられている。
本当のところは、納得というものは、自分の心のなかでなにかがなじんでいく過程であって、教師なりなんなりの説明がたすけになることはあるものの、説明されたから納得するというものでもあるまい。(146頁)

→〈学んだことは教えたことの結果ではない〉という脱学校論に近い。

現在の塾は、まだ学校に従属し、学校に寄生している。それが将来に、学校とは別個のカリキュラムで、学校と同じ時間帯に、学校と競合しあうことを期待しているのだ。現在は過渡期であって、無力な学校の強力な支配があるために、学校の成績を上げるための塾や、学校へ進学するための塾が繁昌している。そのうちには、学校の成績など問題にせず、学校へ進学などしなくてもよいという、独自の文化的価値を主張する塾が多くなるのではなかろうか。(151頁)

→フリースクールというものを見越しての発言であるようだ。いまのフリースクールは「独自の文化的価値」を主張するようになっている。
 この文には印象に残るパーツが幾つもある。手元の文庫本には「無力な学校の強力な支配」というところに、赤丸が何重にも書かれている。
 ちなみに本文章は1984年のもの。奥地圭子が東京シューレを始める前年だ。

人間は異界なしには薄っぺらな存在になってしまうし、まるごと異界に魅せられっぱなしでは仕方ない。(266頁)

人間が人間にものを教えて、教える側がかしこくなれないようなら、教育なんてしんどいことをしなければよいのだ。自分が数学をよくわかるようになるために、数学を教えるのであって、自分がかしこくなれないような教え方は、相手のためにもならない。(242頁)

→森の『ひとりで渡ればあぶなくない』(ちくま文庫)にも遠山啓のことばとして「子どもという、こんなおもしろい動物をタダで貸してくれるんだから、教師というのはいい商売だ、というのが彼の口癖だった」(176頁)とある。

医師とか教師とかを、一種の芸人であるとぼくは考えている。芸の巧拙を問題にしているのではない。その芸にどんなつらいことがあっても、お客の前では笑顔であらねばならぬから、芸人なのだ。芸の苦労は表に出さずに、さりげなく舞う。苦労がにじみでたりするのは、芸人の恥だ。(243頁)

追記
●森の関西弁あふれる文章を読んでいたら、懐かしくなる。京都や大阪の大学に行けばよかったかな? まあそのときは、教育学者を目指さなかったろうけど。
 ちなみに2時間後に早稲田大学教育学研究科(つまり教育学の大学院です。わかりにくいですね)の推薦試験面接に行ってきます。森氏のいうように、余裕を示しとかないと、ね。

佐伯『「学ぶ」ということの意味』(1995 岩波書店)

●「他者との学び」が教育である、ということを教育心理学の知見の元にまとめている。
●「人はつねに、他者とともに学ぶ存在である」(44頁)
●66頁からの「学びのドーナッツ論」は未だに理解できていない。再び読む。

O先生のおはなし。

O先生に今後の研究の方針についてのご意見を伺う。以下はその聞き書きだ。自分の考察もついでに書いてあるので、見にくければごめんなさい。
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●下の文献は読んだ方がいい。
『学校をなくせばどうなるか?』:イリッチの『脱学校の社会』に対して出された批判をまとめたもの。私はこの本のイリッチの書いた部分しか読んでいないので、全編を読もうと思う。
『教育と学校を考える』:O先生が編者をつとめて本。「けっこう売れた」とのこと。この中のオルタナティブスクールの箇所を読むことにする。
『アメリカ資本主義と学校教育』:ギンテスとボウルズが書いた本。岩波から翻訳が出ている。『学校をなくせばどうなるか?』の影響を受けている本。
『学校は死んでいる』:ライマーの書いた本。英語名はSchool is dead。イリッチと共同研究をしたことがある人物。けれど小学校の教員をやった経験があるため、理論はイリッチよりも分かりやすくなっている。
●イリッチは脱学校化をいおうとしたが、それは主たる目的ではない。本来は脱制度化と「資本主義と官僚制の批判」を言おうとした。
 イリッチは物心崇拝との言葉で現状の社会を批判した。それは全てが金で換算される社会への批判である(内田樹もフェミニズム批判の文脈の中で同様の発現をしている)。「癒し」ブームも、これが金というモノサシで測られた資本主義社会ゆえのブームである。
●大学院では学部以上に、自らのテーマがないと何の意味もなくなる。受け身になると、何も学べないのだ。教えてくれるのを待つ姿勢であってはならない。自分で集中して研究する姿勢が大切だ。
●研究者になるならば、①自分のやりたいテーマを育て、②語学を1つ極めると、幅が広くなる。
→私は①はフリースクール、②は英語をやっていきたい。①は毎日ブログに書く形で研究している。しかし②はどうやって勉強しようか? i podに英語教材を入れてそれを聞くくらいしかできていないのだ。
●中世から続く「青年団」も、ある意味フリースクールであった。寺子屋もそうであった。自発的に人々が学ぶというサークル活動でもあった。こういう団体ならば世界中にある。
 このような草の根的フリースクール活動は昔からあるが、学校へのカウンターパートとしてのフリースクールは比較的新しい。
●フリースクールの起こりは東京シューレにしてもどこにしても、「自分の子どもをあんな学校に入れたくない」という思いから始まっている。
●現在、学校への不適応はそのまま「社会への不適応」も意味する。
●「学校でなければならない」という思いから外れる人にあわせて創られたのがフリースクールである。
●学校を絶対視してはならない。日本の学校はせいぜい130年くらい。それよりも圧倒的に長い期間(「青年団」などを入れると、ということである)、フリースクール的な学びがあった。
●商人が自分の職業や礼儀を学ぶために創ったのが実学思考の寺子屋である。これはフリースクールであった(本年1月11日のフリースクール全国ネットワークでの汐見先生の講演も、テーマはここにあった)。
●いま、いろんな形でフリースクールはある。それらは何故作られたのであろうか? その背景には受験戦争などの学校の荒廃がある(アメリカではスプートニクショック後の理数重視の教育への反発や公民権運動などで生まれたマイノリティー救済の発想が背景にある)。
 では、何故これらがあったのだろうか? 学校内だけでなく、社会的背景がある。これを踏まえた上でフリースクールを研究するといい。
 その中では、イギリスのサマーヒル、フランスのフレネ、ドイツのシュタイナーについてなど、個々の思想家が考えたフリースクールについても視野に入れていく必要がある。
●デモクラシーには2つの側面がある。①草の根のデモクラシーと、②輸入思想としてのデモクラシーである。
 ①は人々の中でじわじわ育っていった発想である。共同体の中でのルールであるなど、デモクラシーという語が使われないことすらある。②は大正デモクラシー期や戦後民主主義導入期など、外からもたらされた思想である。
 よく②のみがデモクラシーと考えられているが、人々の生活の中にも①的なデモクラシーの発現があった。
 ①と②、両方が必要なのである。
 明治の近代化は②のみで達成されたのでなく、①があったからこそ実現できたところがある。
 識字率の低いところで学校は作れない。日本は①的な価値を実現する寺子屋などにより、識字率が高かった。また知識のある人もそれなりにいた。そのため、近代学校を始める際も人的インフラは整備されていたのだ。
 フリースクールもそうだ。「草の根」的発想も「海外思想」を生かした発想も、両方があいまってフリースクールができている。
●教育は政治そのものである。中教審も政治の問題に基づき、教育の中身を決めている。教育に政治的中立性はない。そして政治は経済(つまり資本主義)につながっている。
●デューイは学校の中だけで教育を考えていた。その点をボウルズやギンテスらが批判している。本来は学校だけでなく、社会全体の変革が必要なのである。
●フリースクールの 歴史についてをまとめた研究はまだない。フリースクールの実践は各自細切れなものしかないからだ。年表をつくるだけでも意味がある。

少年法と、中学時代の私。

 一昔前。少年犯罪の凶悪化が叫ばれたことがあった。私がまだ「少年」の定義に入るころである。周りの大人が〈最近の子どもはキレると何をするか分からない〉と子どもを見つめている時、私は子どもであった。
 少年犯罪の厳罰化も、まさにリアルタイムで経験した。「ひとごと」だと思ってはいたが、それでも気にはなった。
 さてさて。もし仮に私が中学時代、新聞に報道されるほどの悪事を働いたとしよう(仮に、ですよ、ほんとに)。周囲の大人たちが「あんな真面目そうな子が…」というコメントがつく(当時は今よりはるかに真面目でした)。家族に多大な迷惑をかけ、家のガラスは投石で割られてしまう。親戚付き合いはなくなる(当然ながらお年玉もない)。
 時間が経過する。
 どんな重大事件でも、〈ほとぼりが冷める〉時は必ず来る。現にいまの高校生に「サカキバラ事件って、知ってるよね?」と聞いても「どんな事件ですか?」と逆に聞かれる。宮崎勤氏の死刑執行があったニュースを聞いても、今の大学生は「それって、何をやった人ですか?」と聞き返す。
 ほとぼりの冷めた後、私は色々あったけれども21歳の誕生日を迎えた。私は「昔は色々あったな…」と遠い目をしてワイングラスを傾ける。回想される記憶。その中にあの少年犯罪が蘇る。けれど私は疑問に思う。「ああ、昔はあんなことがあったな…。ところで、あの事件って、本当に俺がやったのか? 全然覚えていないんだけど」。
 そうなのだ。意識して思い返さないと中学時代の記憶は戻ってこない。忘れ去られた記憶はたくさんある。少年非行/少年犯罪をしていたとしても、忘却している可能性はある。親から「あなたの中学時代はこんなことがあったわね」という話を聞くとき、その話はほぼ100%私の知らない物語である(それだけ私は記憶力が悪い)。中学時代の私は今の私と本当に同じ人物なのだろうか? 
 2003年7月。長崎県で中学一年生の少年(12歳)が4歳の男の子を立体駐車場(7階建て)の屋上から突き落とす、との事件があった。現在、この子は18歳になっているはずだ。さらに2年経ち、20歳になった時、この少年は事件のことを本当に覚えているだろうか? きっと覚えていないんじゃないかな。
 私は大学に入って、ようやく人を呼び捨てで呼べるようになった(遅いけど)。それまでずっと〈ためらい〉があったのだ。人との接し方という面で、現在の私と中学時代の私は違っている。身長・体格だけでなく、発想の仕方もまったく違っている。中学時代の私と現在の私に連続性・一体性は本当にあるのだろうか?
 内田樹がレヴィナスを引いて語るように、過去の「私」は「他者」である。現在の私にとって、中学時代の私はやはり「他者」である。
 少年法が加害者保護の側面が強いのは何故だろう。サカキバラ事件を例にすると、犯行時の14歳の少年Aと現在26歳の少年Aとは全く同じ人物といえるのだろうか、ということである。現在26歳になった少年Aにとって14歳の時の少年Aは「他者」ともいうべき感覚を抱く対象なのではないだろうか。そのため「この犯罪は昔、お前がやったんだ」と言われても、もう一つピンとこない感覚を、加害者が持つことになる。少年期は人の考え方・性格が大きく変わる時期だ。だからこそ少年法は加害者保護の立場が大きいのかもしれない。

追記
●世の「正論」をいう方々は、人間が常に完璧な形で過去の記憶を保っていると確信をしているようである。けれど、事件の被害者も加害者も案外忘れてしまえるところがあると思う(フラッシュバックやPTSD、トラウマとかはもちろんあるが)。少年犯罪ならばなおさらだ。「そんな昔のことは覚えていない」とカサブランカのリックのように答えることはできないのであろうか? 

●少年院は《刑の執行を受ける者を収容し、矯正教育を授ける法務省の施設》(明石ほか『教育学用語辞典』131頁)である。ここにある矯正教育は《少年院が在院者を社会生活に適応させるために、その自覚に訴え規律ある生活のもとにおこなう、計画的、組織的な教育活動》(同76頁)である。
 昨年春に榛名女子学園という少年院を訪問した。そこでは自らの犯した罪についてを自覚し、「これからどうしていくのか」を問いかける教育がおこなわれていた(無論、それ以外の学習―例えば通信教育で高校卒業資格などを取る―もなされている)。これは下手をすると忘却してしまう自分の犯罪を記憶に叩き込むためにおこなうものではないだろうか。

習慣づけ

 腹が立ったとき、あるいは「キレそう」なとき、その場から逃れるのも一つの道徳である。
 自分の癖を見て、〈不注意〉を起こさないための習慣づけ(腹が立ったらその場から離れるなど)を身につけることが必要だ。

 前にO先生の話として道徳について書いた(https://nomad-edu.net/?p=487)。ここにある〈偽物の不幸〉にあわないように自分の癖を見ながら改めていくべきである。
 重要なのは「正義」を正すことでなく、また「納得する」ことではない(時と場合によるけどね)。それよりも次の行動にプラスになることが大切であるはずだ。