ペスタロッチは貧しい子どもと共同生活をする中で教育を行ったことがある。そのときに書いた文章は『シュタンツだより』として現在にまで残っている。
「最も憐れな最も見放された子供にも神の与え給う人間性の諸力をわたしは信じているので、この人間性が無教育と粗野とそして混乱の泥土の間にあっても、最も美しい素質と能力とを発展させるということを、ただに今までの経験がすでに久しくわたしに教えていただけではなくて、わたしはわたしの子供の場合にも、無教育ではあるが、この生き生きとした本性の力がいたるところに発露するのをみた」(『隠者の夕暮れ・シュタンツだより』長田新訳・岩波文庫)
味わい深い言葉だ。
興味深いのは、シュタンツにおいてペスタロッチがおこなった「教育」は、いわゆる学校教育とはちがう実践であったという点だ。子どもと生活する中で学んでいくというスタイルだ。よくペスタロッチは「近代教育の父」という呼ばれかたをするが、「近代教育」が「学校」を意味する以上、この呼ばれかたは正しくない。むしろ近代教育のアンチテーゼとして出てきた「フリースクールの父」と言ったほうが良いのではないだろうか。学校では全てを「授業」として教える。けれどイリッチは生活の中で教えた。この差は大きい。
ペスタロッチがシュタンツにいたのは1798年から1799年の間である。52歳から53歳にかけての時期である。ペスタロッチの行った教育を、そのまま実践するのが「近代教育」であったならば、現在のような「学校」教育の弊害も起こらなかったことであろう。残念で仕方ない。
追記
日本の教育思想家・牧口常三郎も、ペスタロッチ同様の発言を行っていた。ここに引用する。
「皆、等しく生徒である。教育の眼から見て、何の違いがあるだろうか。
たまたま、垢や塵に汚れていたとしても、燦然たる生命の光輝が、汚れた着物から発するのを、どうして見ようとしないのか」(『牧口常三郎全集』7)
牧口は学校の教員として、この「垢や塵に汚れて」いるような子どもとも関わり合った。風呂に入れない子どもには学校の風呂を使わせた(しかも牧口自身、児童とともに入浴し、児童の背中を洗ってもいたのである)。この「思いやり」の心が、教育の原点であろう。