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福島から「逃げた」自分と映画の関係性。

映画:鎌仲ひとみ『内部被ばくを生き抜く』(2012)

のほほんと北海道に住んでいると、福島原発事故の話が完全に「風化」しているように感じる。

そのため、PROVOで見た本作は大変衝撃的だった。

福島で生きるため、保育園の屋根を葺き替えたり(放射能がおちないため)、福島県外産の野菜をわざわざ使って弁当を作ったり。

放射性濃度が高い地域に住まざるを得ない人々のことを思うと、大変申し訳なくなる。

その理由は、昨年末に福島のいわき市の私立高校から内定を得ていたのを、「一身上の都合により」辞退したという記憶が呼び起こされるためだ。

私はフリースクールや不登校支援の研究をしていたので、その治験を活かすため札幌の私立通信制高校に来ている。もともと通信制高校が第一志望だったので、もとからいわきの高校は「蹴る」予定だった。

ただ。

こうも福島の実情をドキュメンタリーで観てしまうと、どう考えても「あの場」で働くことの価値を感じてしまう。

 

今更言っても仕方がないことだが、「逃げた」思いは頭の中に残り続ける気がする。

簡単に学校を作るための、ただ1つの方法。④

簡単に学校を作るための、ただ1つの方法、
実践編に移りましょう!

☆実践編☆

①まずは塾なりフリースクールなり、子どもが集まりやすい場を作りましょう。 

この時が、「学校を作りたい!」思いが大いに生かされるタイミングです。

あなたが作りたいのは、どんな「学校」ですか?

子どもたちに、どんな能力を身に着けて欲しいですか?

場所はどこに作りますか? その学校の立地を、どのように活かせますか?(都心部と農村部とでは、活かし方が違うのです)

私の知っている通信制高校サポート校には、次のようなものがあります。

・塾が発展したもの…補習塾の手厚い指導が役に立ちます。

・予備校がはじめたもの…不登校でも「大学くらいは…」層に響きます。

・音楽スクールがやっているもの…音楽好きゆえに高校中退→就職できない、という人は一定数います。

・自動車専門学校が行なっているもの…自動車好き・バイク好きな生徒のニーズに応えます。

・声優・マンガなどの芸術系専門学校が行なっているもの…一芸に秀でる人にとって、この方法は「好き」を伸ばせる方法です。

②自分の実践に合う通信制高校を探しましょう。

①で描いた、「こういう学校にしたい!」という夢。

これを「高卒」という資格付きで提供することが必要です。

そのためには日本に200ほどある通信制高校のなかから、
趣味の合うものを探して行きましょう。

なお、通信制高校といっても全国区は数えるほどしかありません。
地域限定の通信制高校がほとんどです。

「地域限定の通信制高校」と提携する場合、下手するとその「通信制高校」と顧客を食い合う(=ライバル校になってしまう)可能性があります。

一番楽なのは全国区の通信制高校を探し、自分のエリアにその学校が校舎を持っておらず、相対的に自校に強みがもてそうな学校を捜すことです。

理念や教材・サービス・実績は、究極的には「なんとか」できます。
通信制高校サポート校に必要なのは、「高卒」を与えてくれる機関です。
それ以上を求めないほうが、早く「学校」にできます。

どこの通信制高校も、いまは生き残りに必死です。
そのため、提携先獲得に必死であると言ってよいでしょう。

相対的に有利な条件でサポート校になることが出来るはずです。

③あとは目の前の生徒を大切にして、実践あるのみ!

 

☆フリースクール設立のご相談は、こちらまで!

トキワ荘というシェアハウス論。

書評:齋藤孝『天才がどんどん生まれてくる組織』新潮選書(2005)

齋藤孝氏の本は、高校時代から読んできた。

単なる教育学者であることを離れ、ビジネス書や身体論を書ける彼のスキル。大学院で教育学を研究した人間にとって「すごいな」と感嘆をしてしまう。

本書は12章に分けて「天才がどんどん生まれてくる組織」を論じていく。

私にとって「響いた」のは9章「漫画家の青春溶鉱炉」、つまりトキワ荘だ。

元々手塚治虫がいたアパートに、「ドラえもん」の藤子・F・不二雄や「天才バカボン」の赤塚不二夫、「仮面ライダー」の石森章太郎らが集い、日夜語り合っていた。

ストーリーを一緒に考えたり、酒を一箇所に集まって飲んだり。
忙しくなった仲間を手伝ったり、仕事が無い仲間に仕事を与えたり。

相互扶助的で、なおかつ賑やかに仕事を進めるスペースがトキワ荘であった。

「空間的な距離は、当然のことながら関係の濃密さをつくる。その場は、ひとつの志が渦巻くクリエイティブな磁場となる」(187)

トキワ荘を支えていたものは「ミッション」、つまり社会的使命だ。

若者は金より自由より何よりミッションが欲しいのだ。誰かに具体的な指令を出してもらいたい。それを遂行することで充実感を得る。有り余ったエネルギーが目的を持って一点に注がれ、形になっていく。太陽の光を一点に集めて火をおこす、そのレンズの役割が、ミッションなのである。
トキワ荘の住人たちには、漫画雑誌の編集者からのミッションが与えられていた。寝る時間を削ってそれに応え続けた。(…)何月何日までに何ページの原稿を仕上げよ。こうした具体的なミッションこそが、若者を鍛える。甘えは許されない。それだけに仲間同士の結束は強くなる。そのミッションを遂行するために周りが一生懸命手伝うのだ。社会とつながったミッションが、気楽とも言える青春時代の共同生活に張りを与えていたのである。(186-187)

 

皆と困難な課題に挑戦することで、やり甲斐や楽しさが共有される。
そのことで益々関係が深まる。

そんな「ONE PIECE」的関係性が、トキワ荘にあったのだろう。

いま私はシェアハウスに住んでいるが、この空間もトキワ荘的なシェアハウスとしたいと思う。

☆ちなみに、トキワ荘にあやかった「トキワ荘プロジェクト」というのが今あります。下記のように、漫画家志望者専門のシェアハウスとしてトキワ荘を想定しているようです。

本気でプロの漫画家を目指す若者に、都内で低家賃の住宅(シェアハウス)を提供しています。

簡単に学校を作るための、ただ1つの方法。③

散々引っ張ってますが、
「簡単に学校を作るための、ただ1つの方法」とは、

通信制高校のサポート校になる

ということです!

 

通信制高校のサポート校とは、通信制高校の作っている教材・サービスを提供しつつ、自校の教育実践も出来るという学校です。

「高卒」資格も出しつつ、「それ以外」のことも学べるという場所です。

入学時に自校とは別に「通信制高校」にも入学し、二つの学校で学ぶことで「高卒」資格も取れる、という制度です。

たとえば、音楽スクールや専門学校のなかには「高卒資格」のとれることを謳っているものがあります。

これはバンド演奏のスキルやボーカルの練習をしながら、高卒がとれる、ということです。

なぜこういうことが可能かというと、通信制高校は時間と単位取得の決まりが緩いため、「空く」時間が大量に作り出せるからです。

たとえば数学で1単位を取るのは35週の授業をうけることが必要であったりします。
ですが通信制高校の場合、授業に参加するのは、なんと

年1回 1時間

でも構わないのです。
(レポートを6枚提出することが必要ですが)

 

…ということは、他の高校生よりも34時間、別のことに時間が使えるわけです。
その時間に音楽の練習をするほうが、スキルアップにつながります。

あまり知られていないかも知れませんが、「専門学校」はそれ自体としては高校でも短大でもないため、学歴上は「中卒」となることがあります。

日本の教育制度はけっこう良くできていて、「英語」「数学」「国語」から始まって「情報」「保健」「体育」など、全部の科目で所定の単位をとらないと「高卒」は提供されないのです。

それゆえ、専門学校など専門分野に特化した学校では「高卒」が取れないことがよくあるのです(専門学校によっては「高卒」でなければ入学できない規定をしていることもありますが)。

 

一般人が学校教育法にかなったカタチの「学校」を作るのは、死ぬほど大変です。

ヒマとカネとヒトと土地が湯水のように必要です。

だからこそ、すでに出来てしまっている通信制高校と提携し、
そのノウハウを借りてくるカタチで学校を始めてしまうほうが圧倒的に楽です。

フリースクールと違い、きちんと「資格」が出ます。
学習教材を開発・研究しなくても、先方の通信制高校から勝手に送られてきます(カネはとられます)。

初年度から、提携校の「虎の威」を借りる事で「進学実績」や「指導実績」を入手できます。

情報も手に入ります。

…ある意味、居酒屋のフランチャイズと近いものですが、簡単に学校を作るにはこれしか方法はないのではいか、と考えられます。

☆フリースクール設立のご相談は、こちらまで!

 

 

簡単に学校を作るための、ただ1つの方法。②

昨日、簡単に学校を作るための方法として、

「フリースクール」

をご紹介しました。

高尚な理念があっても、
その場で適当に作ったものでも、
塾に毛が生えたものでも、
すべてが「フリースクール」です。

明確なカタチがないからこそ、
やりたい放題、なわけです。

個人的にはフリースクールを真剣にやっている人って、
大好きです。

彼らは大体「アツい」です。

ただ、だからこそ熱意が空回りしてしまう人も
たくさん見てきました。

そうなる理由はただひとつ。

「子どものために何かしたい」思いがあっても、
それを現実に・適切に・無理なく・ムラなく
実現する「方法論」を持っていないためです。

だいたい、考えてもみて下さい。

日本の高校を卒業するのに必要な単位数って、何単位か知ってますか?

高校設立にあたり、許認可権を誰が持っているか、知っていますか?

学校を作るためには、このような日本の教育法規すべてにクリアする必要があるのです。

「フリースクールで子どものためになる教育の場を作るのだ!」という熱意をカタチにするには、当然「高卒資格」やそれなりの代替物(学位・能力・達成感・経験・想い出・作品など)を提供する必要があるわけです。

喫茶店で1000円のコーヒーを飲んだことがある人ならわかりますが、
120円で変える缶コーヒーとは違う「何か」を求めるからこそ、
10倍の費用を出せるわけです。

公立の学校にいくことは120円の缶コーヒーと同じです。
それなりに安価でそれなりの水準の教育が提供されます。

フリースクールは無料で出来ない以上、120円の缶コーヒーかそれ以上のサービスなり「見返り」 を顧客に提供できなければ見向きもされなくなります。

おまけにフリースクールは作るときにはあまりお金がかかりません。
設立はカンタンです。
でも維持費・管理費・広告費・スタッフの人件費で
かなーり金がかかり続けます。

潰れていくフリースクールもかなりあります。

子どもが好きでたまらず、「持ち出しでもいい!」という人か、
(このタイプの人、本当に私が尊敬しています)
「自分の子どもが不登校になったから、この子のためにふさわしい環境を作りたい!」という親でもないと続かないのです。

リスキーなのがフリースクールです。

では、リスキーでなく、なおかつちゃんとした学校を作り、そして自分のやりたい教育を提供できるような学校を作るにはどうすればいいでしょうか?

その答えは、

2,通信制高校のサポート校になる

ことです!

 

続きはまた明日!

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簡単に学校を作るための、ただ1つの方法。①

みなさんは「学校を作りたい!」という思いになったことはありませんか?

かくいう私自身も、

「学校とは全く違う教育機関を作りたい!」との思いに

高校時代から引きずられていた経験があります。

さて、日本においてすごく簡単に学校を作る方法が幾つかあります。

1,フリースクールを作る

自由な学び舎を作る、という方法です。

「不登校の子どもに対し何かをしたい」という人や

「自由な学び」を提供したい、という人にオススメです。

 東京シューレなど、フリースクールの大手はいくつかあります。

ノウハウを学ぶには「フリースクール全国ネットワーク」の合宿などに参加されることが近道であると思います。

具体的なアドバイスには、「登校拒否を考える親の会」など、
学びの場を求めている保護者の集まりに参加し、
要望を聞いていくという方法があげられます。

この方法のメリット・デメリットを見ていきましょう。

メリット 費用が安い/「子どものためになる!」という思いに簡単に浸れる
デメリット 顧客が少なく、経営が安定しない/確固とした経営方針が弱いため、持続性が少ない

この方法、何の方法論的・経営論的裏付けが必要ないため、
ごく安価に始められます。

顧客がいなくても始められます。
私の知っている人で「生徒が一人もいないフリースクール」をやっている人は何人もいます。

やったもんがちなのです。

NPO法人格を持つなら別ですが、
個人でやる場合なんの裏付けもいりません。

そのために子どもにとって不適切なフリースクールが登場することもあるくらいです。

丹波ナチュラルスクールの事件、覚えてますか?)

当然、すごく子ども思いのフリースクールがほとんどです。

ですが、一部には暴力・虐待が横行するところもあります(ないことを祈りたいです)。

もっと問題なのは「学校をやりたい!」「子どものために何かやりたい!」人の「善意」のみが溢れ、結局なんにもならないという事例があまりにも多いのです。

(生徒ゼロのフリースクールってどうよ?、という話です)

それでは子どものためになり、
なおかつちゃんとした「学校」を、
「ちゃんと」作るには、どうしたらいいでしょう?

続きはまた明日!

お楽しみに!

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ノースサファリサッポロと旭山動物園に思うこと。

今日、旭山動物園(旭川市)に行ってきました。

旭山動物園 https://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/

札幌からはバスで2時間半。意外に近いものです。

広い園内に「ペンギン館」など動物ごとに建物が建っています。
円山動物園など同様、北海道の動物園は「寒い」時期対策として
室内展示の出来るような建物が必要なようです。

本州にいた時から、旭山動物園の「空をとぶペンギン」の話は
聞いていましたが、水中トンネルで見るペンギンの姿は
「ああ、行ったかいがあったな」と思うものでした。

 

さて、前のゴールデンウィークに札幌から車ですぐいける
ノースサファリサッポロ(https://www.north-safari.com/ver2/index.html)に行って来ました。

こちらは狭い園内にたくさんの小動物、
ウリは「実際に触れる」点です。

旭山動物園とノースサファリサッポロ。
札幌から行きやすい動物園ですが大きく違っています。

大きな違いは「大規模」な旭山動物園に対する
小規模・体験型のノースサファリサッポロという対比です。

かなり展示に工夫をしていますし、
傷ついた動物の保護という目的が優れているのが
旭山動物園です。

ですが旭山動物園はよくも悪くも、
「昔ながらのテーマパーク」のやり方そのままであるように
思いました。

真新しさで言うと、ノースサファリサッポロの
インパクトには負けてしまうようです。

これからの時代、大きな敷地に真新しい設備で何かをはじめる
という形式はなかなかリスキーなように思います。

だからこそ旭山動物園には長い「冬」の時代があったわけです。

ノースサファリサッポロもそのうち「冬」の時代になるでしょうが、
小規模であればいろいろな微修正や変更もしやすいものです。

今後の自分の実践の仕方も含め、
参考になるのがノースサファリサッポロと旭山動物園の対比でした。

ヒルティ名言集④

人間が神をよろこぶのではなく、神が自分のようなものをよろこばれ、またよろこんでくださることができるということ、これこそ立派に成就された人生の正しい完結である。

(岩波文庫版『幸福論』第3部 357ページ)

【読書会】イリイチ『脱学校の社会』第1章

大学時代、友人と『脱学校の社会』の読書会をやっていました。
めちゃくちゃ面白く、次第に議論が深まっていくことが分かりました。

それが「原点」となって、「教育系のイベントをやりたいなあ」という思いにつながっていきました。

教育現場で働く側になったいま、再び『脱学校の社会』の読書会をスタートしました。
場所はシェアハウスのBUIE。

シェアハウスの友人と一緒に第1回目を本日開催しました。

学校にいくことで人々は、〈学んだことは教えられたことの結果だ〉という転倒した価値を持つようになる。そういったイリイチの発想に「シビれる」場となりました。

ディスカッションになったのは、イリイチの言う「ドリル学習」(反復学習)の意味について、です。ドリル学習を勧めるのは「自由な学び」を求めるイリイチと矛盾するのではないか、と議論しました。

重要なのは『脱学校の社会』1章の始めでイリイチが述べているように、
過程(目的)と手段を混同しないということです。

大学に入るのが教育の目的ではなく、自分として楽しい人生を生きれるようにすることが 教育の目的です。そのあたりを混同すると、「大学に入るための教育」に終始してしまうことになります。

これはちょうど「目的状況相関的方法選択」と近い発想です。
目的に応じてやり方を変える。
だからこそ方法論は多様な方がいい、という考え方です。

詰め込み的な「反復学習」と、人と人とが出会うことによる「学びのためのネットワーク」(learning webs)を同一の本で扱うイリイチの、一見矛盾した態度。それを解決する鍵はここにあります。

要は、一人ひとり、「合う」教育は違う、ということです。
にも関わらず、「学校」は同じやり方で教育を受けることを要求します。
いじめがあっても、クラスが合わなくても、そこで授業を受けなければ成績が悪くなります。

イリイチは、人によって違う教育を提供すべきだ、と考えていたのではないでしょうか。
だからこそ、「ドリル学習」と「学びのためのネットワーク」という矛盾するような教育のアイデアを提唱したのだと思います。

人によって、合う教育は違う。
だからこそ、教育の側が多様であるべきだ。

イリイチの思いが伝わってきます。

(余談ですが、イリイチがメキシコでやっていた教育機関も、資金源としてスペイン語の「ドリル学習」塾をやりつつ、「学びのためのネットワーク」にもとづく「市民大学」「自由大学」とでも呼べる研究所を経営していたことも、この拙文に関係するように思われます)

☆第2回目読書会は『脱学校の社会』のハイライトである6章をやります。
2012年6月30日22:30-23:30、シェアハウスBUIE学園前の2Fワーキングスペースで行う予定です。

参加希望の方は御連絡ください。

映画『外事警察』

組織と個人との関係は、古くからのテーマです。
個人の意図を超え、「組織悪」とでも呼ぶべき状況が発生する。
その難しさが組織と個人との間にあります。

『外事警察』はある意味国家のつくった「魔物」とでも呼ぶ主人公と、
雇い主である上司や彼の部下たちの関係性が描かれています。

渡辺篤郎演じる主人公は、笑顔と脅しを演じ分け、相手をコントロールしつつ目標を達成します。
「相手の「怒り」をうまく利用することが外事警察の基本だ」というセリフがそれを物語っています。

北朝鮮と原子力爆弾の製造、ウランの密輸などがテーマになり、なかなかスリリングな展開が続きます。

ですが、この映画を観ていて腑に落ちないのは、「なんのために主人公が働いているのか」全くわからない点です。

ゴルゴ13的に、自分の感情を出さない人物だからです。
公安は「国益」を守る仕事ですが、何をもって「国益」というか、それが不明確なままです。

抽象的ではっきりしない「国益」とは、一体何か?
一度明確にする必要がありそうです。

なおNHKでやっていたときの作品はこちらです。