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マルクス・アウレリウス名言集④

ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。

(岩波文庫版『自省録』43ページ)

『となりの関くん』と内職論。

私はかつて、大学院で授業中の「内職」論について研究してきた。

読みたい方は『早稲田大学教育学会紀要』2011年版か

https://nomad-edu.net/2010/05/blog-post_31.htmlをご参照いただきたい。

さて、これらの論文の中で私は次の仮設を検討した。

「生徒は、単に授業をうけるのでなく、

内職によって授業を「再構成」し、

自分にとって有用な時間に変化させる」

私にとっては思い入れのある論文である。

最近『となりの関くん』というマンガを読んでいる。

このマンガ、まさに「内職」的に授業を「再構成」する

クラスメイトの物語である。

郵便屋をやったり、ひざの上でネコを飼ったり。

授業中を自己にとっての有用な時間に「再構成」している。

このように本来の時間を別のものに作り変える「再構成」こそ、

人間の創造性の土台である。

会社の会議中に企画書を構想したり、

電車の待ち時間に本を読んだり、

信号待ちの間にメルマガを読んだり。

現代人は時間を別のものに「再構成」する。

この「再構成」する意志をもつ主体としての人間観を持つことが、

現代社会の見方を転換させることにつながるかもしれない。

ヒルティ名言集③

苦しみのときにあっても、少なくとも心の奥底では、つねにできるだけ自信をもち、またいかなる場合にもつねに、大いに勇敢であり給え。そうすれば、経験に照らしても、いつも神の助け給う日がやってくる。しかし、万一、神の助けがまったく現われず、われわれを圧迫し不安にする悪条件がとり除かれなかったとしても(とりわけ苦しい時にはしばしば、ほとんど怪しいばかりの説得力をもってそう思わせられやすいが)、それでもなおわれわれは「気晴らし」の享楽や厭世観や、怒りや無気力におちいるよりも、自分自身の勇気と善良さをもって戦うほうが立派に凌いでゆくことができるであろう。なぜなら、われわれは結局、絶えまなくーーそしておそらく永遠にーー唯自分自身でもって生きなければならないし、他人ではなく、まさしくわれわれ自身がどのような人間であるかというその在り方が、つまるところ、何よりもわれわれの幸福を決定するからである。

ヒルティ『幸福論』第三部156頁。

 

ヒルティ名言集②

ただ苦しみのみが真の意味においてひとを謙遜にする。

 

ヒルティ『幸福論』第三部148頁。

モエレ沼公園と「参加」

モエレ沼公園に一人でいった。

イサムノグチが最後の仕事として手がけた公園。

登れる山を沼に作ってしまうという発想など、純粋に作品としても優れた公園だった。

いずれも何もないゴミの埋立地の再活用として作られたもの。

「地球そのものが彫刻である」

それを実現したのが、「彫刻」としてのモエレ沼公園である。

モエレ沼公園の模型をつくった昭和63年に死没。84歳。

モエレ沼公園は平成10年にオープン。

作品の構想を「引き継ぐ」人がいる点が素晴らしい。

モエレ沼公園内をうろつくと、「冒険」心が湧いてきた。

こういう感覚は久々である。

山に登りたくなり、

芝生を走り回りたくなり、

作品に触れてみたくなる。

このように、登る場所や潜りこむところ、自分で発見するところが多く存在する。

単なる公園ではなく、来る人の主体的行動を要請している点が興味深い。

出来合いに済まし、ただ見せるだけではなく、

見る側・歩く側の主体性を求める公園。

この主体性とは空間への「参加」participationと言い表すことが出来る。

これは公共事業や教育にも成立することだ。

エンターテインメントEntertainmentの動詞entertainは「楽しませる」。

エンターテインメントやショーは単に見せて「楽しませる」だけである。

重要なのは「参加」particiapationだ。

「楽しませ」られる客体から、

「参加して楽しむ」主体への転換が必要である。

参加による教育には「学びの共同体」はじめ、「状況学習」論からの一連の流れが存在する。

言うのは簡単だが、教育実践の場で「参加」を設計するのはなかなか難しい。

だからこそ、やりがいはある。

欲しい物を明確にするということ。

学校の生徒にも言っているのは、

「自分は何をしたいのか」

「自分は何を欲しいのか」

これを明確にすることの大切さ、です。

 

「幸せになりたい」

「もっと成長したい」

こう言う人は多くいます。

 

でも、この願いには具体性がありません。

何をどうしてほしいのか。

何がほしいのか。

はっきりしないことには、力を貸そうにも貸しようがありません。

 

私がこういうことを書くのには、次のような経験があるからです。

それはiPod Touchを欲しくてたまらない時、

出会う人ごとに「私、iPod Touch欲しいんですよ」と言い回った時の経験です。

 

実際、私は出会う人ごとに言い回った結果、

なんとタダでiPod Touchを手に入れることができました。

 

さて、何人目で私は入手できたでしょうか?

なんと

2人目

です!

 

ほしいものが明確であればあるほど、

入手できる確率が上がったことを実感した機会となったわけです。

 

ほとんどの人は何がほしいかをはっきりさせず、

「なんでもいいからなにか欲しい」

と思っているように感じられます。

 

そうではなく、人になにか聞かれるたびに

「私はこれがほしいです」と瞬間的に言えるようになると、

案外すぐに欲しい物が手に入るはずです。

 

ほとんどの人は自分が何を欲しいのかわかっていません。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

追伸

フリースクールで時々、

「何か本フリースクールに差し入れをしてくださると幸いです」

と書いてあるところがあります。

私がちょっと「いいな」と思う団体は、

「以下のものが必要です。キーボード、PC(Officeが入っているもの)」

などと、具体的に書いている団体です。

藤本研一による、脱学校論を知るための7冊

私が学生時代からずっと興味関心を抱いていたのは、

「脱学校論」というジャンルの学問です。

 

学校がないほうが、人はよっぽど学べる。

学校がないほうが、人は自由になれる。

 

そんなテーマをもったジャンルです。

 

さっそくリストアップしてみましょう。

 

①イバン・イリイチ『脱学校の社会』

言わずと知れた、ザ・脱学校論の本。
山本哲士先生的には〈翻訳は誤訳が多すぎる〉そうですので、
そんな場合は原著をどうぞ。

②江川達也『東京大学に「ダマ」されるな!』

この本、シビレますね。
著者の江川は元数学教員。

…私も縁あって数学教員をやっているため、シンパシーを感じます。

③山本哲士『学校の幻想 幻想の学校』

『脱学校の社会』をもとに、校内暴力や不登校を読み解く内容。
ブルデューを読みたくなる本です。

④イバン・イリイチ『シャドウ・ワーク』

私の修士論文はこの本の「シャドウ・ワーク」概念を生かしてまとめました。
そんなつながりもある、大好きな本。

私達って、資本主義社会を「支える」シャドウ・ワークをしてるんです。
それが携帯やPCを1年毎に買え替えたりするところに現れています。

⑤奥地圭子『不登校という生き方』

東京シューレフリースクール全国ネットワークに関わっていたので、
奥地先生には非常にお世話になっています。

不登校を「選択」の物語にしたという点で、画期的な本です。

⑥上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』

①が硬くて読めない人にオススメ。

「ああ、私って「学校化」されてるのね」という「黄昏」感あふれる本です。

…文庫版もありますが、個人的には太郎次郎社版の「ゆるキャラ」上野先生のイラストが好きです。

⑦吉本隆明・山本哲士『教育 学校 思想』

とってもシブい本。
「吉本隆明」が巨人であるのは、駆け出し時代の山本哲士とこういう対談を行える点にもあるのだなあ、と思います。

 

なかなか、どれも「アツい」本ばかり。

私の教育論の「原点」ともいうべき本ばかりです。

 

…ただ、実践するようになって、「勝手なことばっかり書いてるなあ」とわかるようになった点も多くあります。

そんな意味で、この7冊は私にとっての「レクイエム」でもあります。

教育キラクガタリ@サッポロ、日程変更しました!(汗)

以前、このサイトで告知しました、
「教育キラクガタリ@サッポロ」。

おかげさまで多くの反響を頂いております。

実は日程を6/30から

7/7(土)20:00-22:00

…に変更しました。

それは、

北海道の教員採用試験が7/1にあるため、

です!

教採を受ける人が前日に酒を飲んだりしないものですよね。

…というわけで7/7、

教採を受けた人も、

気晴らしでぜひぜひ、お越しくださいませ☆彡

お申込みは以下のURLより
お願いいたします。

https://kokucheese.com/event/index/39412/

シェアハウス内で授業をしました

私はいまシェアハウスに住んでます。

ここはなかなかいろんなイベントを日常的に行える、
たいへん面白い空間です。

昨日、ふとした思いつきから
「高校でやっている授業を
高校生以外にやると面白いのではないか」
…との思いつきから、
シェアハウス内で社会科の「授業」をやりました。

名付けて、「ジンギスカンからみる北海道の歴史」です!
(別名を「羊をめぐる冒険」としました。分かる人にはわかります)

けっこう、高校生だけを相手に授業していると、
「緊張感」 がなくなってきます。

それはいかに授業が拙くても、
高校生は何も言わないからです。

「相手は教員だから、言っても仕方ない」諦めの思いもありますし、
「別に授業なんてどうでもいいし」という思いもあるでしょう。

どちらにしても、授業の力をあげるには高校生以外の人に
授業をするのが肝要なはずです。

反応はけっこう上々。
「むかし習っていたけど、忘れていた北海道の歴史を学べました」
などなど、ありがたいお言葉を頂戴しました!

「この説明は高校生には難しすぎるのではないでしょうか」など、
たいへん示唆に富む意見ももらえました。

人前で授業を見てもらうことは、
授業の力を上げる上で大切ですね。

あとはいろんな人とつながっていくことも出来ますし。

高校の授業も、きちんとやると社会人をも納得させられるものになる。
そんな知見を学びました。

ともあれ、日曜の夜に時間を割いて下さった
参加者の皆様、ありがとうございました!

ちなみに、参加者の方々と
社会科の授業の後、延々夜中まで
「日本」「近代」「国家」の話で盛り上がりました。
大学院時代に戻ったようで、 個人的にすごく楽しかったです。

【イベント報告】さっぽろ鳥見の会

本日、当初から予定していたとおり、
「さっぽろ鳥見の会」を実施いたしました。

札幌市の円山公園でバードウォッチングをやるイベント。
朝9:00の肌寒い中、集って下さった方々とともに
シジュウカラやゴジュウカラ、コゲラの姿 を見つめました。

ちなみに本州と違い、北海道の小鳥たちは
けっこう近くから観察することが出来ます。

鳥だけではなく、
新緑の森の中を歩くのはいい気分転換になりました。

特に鳥を探しているなか、
野生のシマリスに遭遇したのは、主催者の私自身、感激でした!

講師を努めて下さった佐川さんも
「きょうはいい機会になりました」とのコメントをして下さいました。

「バードウォッチングは、
ゆっくり周りの風景を見ながら
楽しんでやることが大切です」(佐川さん)

少人数で講師と多くコミュニケーションをしながらの
イベントとなりました。

好評だったため、今後の定期開催をぜひやっていきたい、
と考えております。

今回来れなかった方も、ぜひ!