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イリイチ名言集②

私は修得した技能の開放的かつ探求的使用を奨励するような環境の整備を「自由教育」(liberal education)と呼ぶことにする。学校はこの自由教育に関してはさらに効率が悪いのである。その主な理由は学校が義務制であり、学校教育のための学校教育となることである。(…)ちょうど技能を教授することがカリキュラムの束縛から解放されなければならないように、自由教育は学校に通う義務から解放されなければならない。

(『脱学校の社会』)

教育・情報伝達における属人的要素

情報はいくらでもある。

でも、その人独自の語り口・雰囲気はネットでは与えられない。
必要なのは演劇性。
即興性というドラマの可能性。
方言・雰囲気という属人的要素が今後必要になる。

日本ノマド・エジュケーション協会の狙いは、こういった属人的要素の復権にある。

【数学コラム】途中式を省略しないということ

 今年、ある高校で数学の授業を担当しております。回答を見ていると、途中式を書かないで計算している人を多く見ます(途中式とは計算をおこなう際に書く式のことです)。

 例えば2(4x+1)-5(2x-5)を考えてみましょう。そのまま答えを出そうとすると、すごく難しいです。マイナス・プラスの符号を間違えやすいためです。

そのため、一度「=8x+2-10x+25」と書いてから計算すると、スムーズに-2x+27という正解を求めることができます。有名な数学者・科学者のなかにも、わかりきった計算にさえも途中式をすべて書いていく人が多くおります。

これって、数学に限らないことだと思います。

なにか問題に出会った際、途中式を書かないで正解を出すって、すごく難しいことです。どこから手をつけていいかわからない上に、計算上のミスもたくさん起きてしまいます。

ですが、途中式を書くと自分が今やっていることが何か、よくわかります。何を自分がやるべきか、どこまで自分は理解しているか、はっきりと見えるようになります。

「数学なんて、なんの役にも立たないよ」ということを考えている人もいらっしゃるかもしれません。確かに、数学それ自体としては「計算能力」くらいしか役には立ちません。ですが「人生における問題をいかに解くか」を考える際、数学の考え方は役に立つと(少なくとも)私は考えております。

例えば就職試験を受ける際がそうです。就職するのは、はっきりいって楽ではありません。その現実を見た時、途中式を省略していると「ああ、無理だ」と思ってしまいます。ですが途中式を省略せず、少しずつ問題を解こうと紙に書いていくと、あんがい問題を解くヒントが得られるものです。就職という問題を解くために、まずは会社訪問に行くという途中式が必要なこともあります。面接の練習をするという途中式も必要になります。

何か問題を解いていく際、「自分には一体どんな力が必要なのか」、考える習慣を持ちたいですね。それが「途中式を省略しない」ということにつながります。

追記

余談ですが、人間は頭よりも手のほうが発達している生物でもあります。アイデアが出ない時、人生の壁にぶつかった時、手元にノートを用意してみて下さい。自分の思っていること・自分の悩み・自分の困っていることをすべて書いていきます。そうやっている中で、「あ、これってああすれば問題が解決するじゃん」と気づいてしまうことがあります。

悩みの途中の過程を省略せず紙に書いていく。まさに「途中式を省略しない」ということです。

ぜひやってみてくださいね!

ホスピタリティ論。

ノマド・エジュケーションにとって重要な要素について、

これから数日に分けて検討していきたい。

 

ノマド・エジュケーションのキーワードには以下のものがあげられる。

 

①ホスピタリティ

②非日常性

③フロー経験・没我経験

④ネットワーク

 

まずはホスピタリティから検討したい。

 

ホスピタリティについては近年、各分野から考察がなされるようになってきている。

なお、本稿山本哲士の『ホスピタリティ原論』に影響を受けている点を先にことわっておきたい。

 

ホスピタリティとはサービスを超えたサービスである。

サービスは画一性を持っている。

「お客」であればすべての人にもたらされる。

 

ホスピタリティは異なる。

他者に応じて、必要とされるものを提供していく姿勢である。

「もてなし」の姿勢でもある。

 

他者に必要とされることを想像し、

その実現を行なっていく態度である。

 

このホスピタリティは、

人に応じて必要とされる教育サービスを提供する意味で

ノマド・エジュケーションのキーとなる。

 

ただ単に「学ばないといけないから」やるのではなく、

本当にその内容が必要だとわかり、

あるいはその内容の学習が楽しいというメッセージを伝えていく

教育のあり方である。

 

ホスピタリティということばは元々「ホスピス」から来ている。

死に逝く人の枕元で、最後の願いを叶える、という姿勢である。

 

今にも死にそうな人が「ラム酒を飲みたい」といったら、

たとえ高速道路を使ってでも願いを叶えようとするだろう。

ホスピタリティもこの枕元(=臨床)の場において求められるものを

うまく提供していく姿勢を意味する。

 

ホスピタリティが重視するのは、ホスピタリティを提供する相手は

本質的には「敵」である点だ。

 

そう、お客は「敵」なのだ。

 

「敵」だからこそ、理不尽な要求を行う。

「敵」だからこそ、事を荒立てずにものごとを解決すべきなのだ。

 

戦わずして相手に満足を提供する。

それがホスピタリティの本質である。

 

学校においても「モンスターペアレント」が騒がれている。

現場の教員は「問題だ」という接し方をすることが多い。

 

しかし、ホスピタリティの考え方からすれば、顧客がわがままをいうのは

「当り前」なのである。

なぜなら顧客は「敵」だからである。

 

「敵」だと認識するところから、

「どうすれば表立った対立をせずに解決できるか」

という知恵が導かれるのである。

 

どこまでも個人に立脚し、

個人が求める教育を提供する姿勢。

それこそがノマド・エジュケーションである。

間伐ボランティア・札幌ウッディーズ

From Evernote:

間伐ボランティア・札幌ウッディーズ

ノマド・エジュケーションとは、
学校という空間によらず、
いろいろな人間関係の中で生起する
「学び」「教育作用」を誘発していく教育のことです。

事務局長自身が実行していこうと思っております。
そんなわけで、今日は札幌ウッディーズという団体の
活動に参加いたしました。

間伐ボランティアって、ご存知でしょうか?
山に植林をするボランティアはかなりあります。
ですが、これは植えるだけで終わってしまうことが多いです。

木を沢山植えると、当然ですが木が沢山育ちます。
そうなると木1本あたりの根っこの数が小さくなります。
洪水や地震の際、根っこが少ない分、山が崩れてしまうことになってしまいます。

林業でも間伐が必要なのですが、後継者不足と
海外からの輸入木材に勝てず、植林して放置されてしまっている場所が
多くあるのです。

ちなみに私の実家(兵庫県多可町)でも数年前、
山崩れが起きました。
帰省した時、見事な禿山になっており、驚いたことを覚えています。

私が本日参加した「札幌ウッディーズ」は、
間伐をはじめ山林を元気にする活動を行なっています。

今日は服装を間違え、
革ジャン・革靴という「山をナメた」
格好で参加してしまいましたが、
それはそれで社会勉強でした。

担当して下さった方が語っていたように、
「汗をかき、翌日筋肉痛になる」活動でしたが、
山と触れ合えて充実した休日になりました。

特に面白いのがチェーンソーでの間伐作業。
5メートルほどある木を切り倒します。
なかなか倒れません。
数分後、急にメキメキと音を立て、木が倒れます。
ものすごい音がします。

間伐する木が倒れる時、
近くの木を巻き込んで倒れることがあります。
そのときの様子は迫力があります。

けっこう非日常な体験のできるボランティアでした。

*札幌ウッディーズhttps://sapporo-woodies.org/

活動内容

日本ノマド・エジュケーション協会 活動内容

ノマド・エジュケーション勉強会:イバン・イリイチを始めとして、脱学校的発想の文献を読んでいく勉強会。

家庭教師派遣業務:自由な学びを実現するための家庭教師の派遣。

各種イベント開催:人と人とをつなぐ学びの場の提供。非日常性に基づく学びの場。

物販:自由な学びについての書籍やグッズの物販。「脱学校論」に関する小冊子の販売。

*ノマドとは?

ドゥルーズ/ガタリの『千のプラトー』において提唱された概念。組織・集団・体制に対するアンチテーゼとして、「遊牧民」の自由さを示したもの。