エスカレーターを下から逆に駆け登る。意外に難しく、怖いことが分かった。本気で、ヒヤッとする。
モアイ
いま丸ビルでモアイ展が行われている。今日友人と行ってきた。
立正安国論に、「誤った思想は国を滅ぼす」とある。イースター島に於いて、モアイは宗教心の発露であった。それが権力誇示の手段になり、モアイ作りが自己目的化した。もともとの宗教性が弱いため、モアイ作りに因る環境破壊が起きた。その後、内乱も、他国の侵略も起きている。
日本によりもイースター島のほうが、御書そのままの結果となったことに驚きを隠せない。
人々の信ずる思想・宗教が正しくない、あるいは哲学性の低いものであるとき、悲劇が起こる。イースター島でも、もっと環境との調和を説く思想がひろまっていれば、と思うのである。
歌と世評
不健全あるいは惰弱な歌が流行るとき、社会も悪くなるのではないか。
いろんな年に流行った歌を調べることが、その年に生きた人間の精神状態をはかることになるのではないか。
カラオケ
人はカラオケにいくと、数限りない歌の中からたった一つを選び、歌う。
このときその歌を選ぶ必然性といえるものがあるのではないか。つまり、Aという歌を選ぶ背景には、歌う人の生命状態とAという歌とのあいだに、何らかの共鳴する点があるのだと考える。
その人が何を歌うか。そこからその人の心理状態をしることが出来るのかも知れない。
たとえばいくら流行っている歌でも、自分に合わないという歌を人はうたわない。
田舎
逆説的だが、田舎にいるより都会のほうがよく運動する。
田舎の移動手段は車。都会は電車。電車は立つが車は座る。意外にも都会のほうがよく体を使う。
同様の理由で、都会人より田舎人のほうがCO2排出量が多い。田舎は自家用車、都会は公共交通機関。以上。
映画
映画から見た、アメリカ社会に思うこと。
アメリカでは窃盗が多そうなのに、当たり前のようにオープンカーに乗っている。普通の車より盗みやすそうなのに。
勉強
強いて勉めるのか勉強。だとすればそもそも勉強とは強制であり、楽しいわけがない。
だから勉強という否定的な語ではなく、もっと積極性溢れる「学び」「学習」の語を使っていくべきだ。
母校の誇り
よく早稲田の人は、自分の母校を誇る。校歌を誇る。であるならば母校である高校も誇りに思っていくべきだ。
自分もワセダを誇るのと同じ、あるいはそれ以上に出身高校を誇っていきたいと考える。
憲法
法律は国民の自由をおさえるためにあり、憲法は国の自由を抑えるためにある。だから国民は憲法を守る義務は全くない。
昨日知って、ウロコがおちた
アイスキュロスのことば
学習は苦悩から生まれる