何故か知らぬが、映画館で寝るとすごく勿体ない気がする。
金を払っているからか。
最近、よく寝ているのだが…どうすればいいのだろうか?
何故か知らぬが、映画館で寝るとすごく勿体ない気がする。
金を払っているからか。
最近、よく寝ているのだが…どうすればいいのだろうか?
教職を志す以上、自分にもわからないことは教えたくない。俺は社会科の免許を取る以上、いつでも政治や経済の動き、倫理や地理・歴史を生き生きと語れるようになりたい。そして尚且つわからないことはわからないと認め、生徒ともに考えていく。決して、わからないことをわかったかのように教えたくはない。
そのためには常に研鑽だ。学びに学んでやる。
生活綴方という教育実践が、戦前・戦後に流行った。子どもの思うことを積極的に作文や詩で表せようとする取組である。
ある本に、「これは子どもに表現欲を持たせる実践である」とあった。
私はこの「表現欲」との言葉に印象を受けた。私がいまこの文を打っている原動力の、最適な説明であると感じたからだ。
かつての生活綴方は紙とペンであった。現代のそれはblogという形で実現可能かもしれない。
今日、この映画を見た。WW2末期のドイツが舞台の反戦映画である。
従来の構図を覆し、「ナチの幹部にも良心があり、レジスタンスやユダヤ人の中にも悪魔がいる」ことを示している。
保身のため、終戦後すぐ連合軍に部下を売ったナチの大尉。慈悲の心を示すナチの中尉。仲間を売ったレジスタンス。人間の本性を追究する映画だ。
ナチスの幹部といえども、彼等が悪魔のように冷淡な人間であったわけでない。そのことを知った映画だった。
この映画は誰の心にも悪の命があり、同時に善の命のあることを示している。
自己の内面にあるグシャグシャした命を垣間見た気がした。
自作川柳
電車内 横に一列 皆DS
本日の西武新宿線の光景なり。
気付けばいまのいままで寝ていた。虚しい。
寝る時間が少な過ぎても多すぎてもダメだという。
次回のミスを防ぐため、休日には何らかのアポをもって、寝るようにしたい。
ソクラテスの無知の知。
自分も気付けば、かなり無責任によく知ってもいないことを話している。
もっと真理を求めねばならぬ。
今日、気付けばマックで寝ていた。
なんか、凄く虚しい。
教育行政を見張る・監視するNPO法人を作りたい。これが私の目標だ。
善が力を持つとは、悪を監視していくことである。
最近、小学校の学習時間が1割増えた。これには、文科省は何もしていないというようなクレームをそらす働きのある気がする。本当に教育行政は、子どもの幸せのために働いているのか? 感覚の問題ではなく、きちんと実地調査をした上で、見ていく必要がある。教育の専門家の知見のみではなく、専門家以外の意見も取り入れていく。無論、普通ならば気づかない小さなものでも、よい行政政策なら積極的に掘り出し、明らかにしていく。
学部学生中に作りたい。というか、俺が作る。
教育の現場に立つなら、ペスタロッチらの本も大切だが、読むべきは子どもにウケている漫画である。
スラムダンク、ドラゴンボール、バキなど子どもが好きな漫画を読み、子どもと話をする。そこから開けるものもあるのではないか。
教育ボランティアでも大事なことであろう。