モエレ沼公園に一人でいった。
イサムノグチが最後の仕事として手がけた公園。
登れる山を沼に作ってしまうという発想など、純粋に作品としても優れた公園だった。
いずれも何もないゴミの埋立地の再活用として作られたもの。
「地球そのものが彫刻である」
それを実現したのが、「彫刻」としてのモエレ沼公園である。
モエレ沼公園の模型をつくった昭和63年に死没。84歳。
モエレ沼公園は平成10年にオープン。
作品の構想を「引き継ぐ」人がいる点が素晴らしい。
モエレ沼公園内をうろつくと、「冒険」心が湧いてきた。
こういう感覚は久々である。
山に登りたくなり、
芝生を走り回りたくなり、
作品に触れてみたくなる。
このように、登る場所や潜りこむところ、自分で発見するところが多く存在する。
単なる公園ではなく、来る人の主体的行動を要請している点が興味深い。
出来合いに済まし、ただ見せるだけではなく、
見る側・歩く側の主体性を求める公園。
この主体性とは空間への「参加」participationと言い表すことが出来る。
これは公共事業や教育にも成立することだ。
エンターテインメントEntertainmentの動詞entertainは「楽しませる」。
エンターテインメントやショーは単に見せて「楽しませる」だけである。
重要なのは「参加」particiapationだ。
「楽しませ」られる客体から、
「参加して楽しむ」主体への転換が必要である。
参加による教育には「学びの共同体」はじめ、「状況学習」論からの一連の流れが存在する。
言うのは簡単だが、教育実践の場で「参加」を設計するのはなかなか難しい。
だからこそ、やりがいはある。