教育論

異界との出会いとカイヨワ

 異界に出会うことで、生の豊穣さに気づくことができる。映画『となりのトトロ』の面白さは「子どものときにだけ/あなたに訪れる/素敵」な異界(=トトロ、ネコバスetc.)との「出会い」を再度おこなえる点にある。純粋に考えれば、メイ・サツキ姉妹とトトロたちの間に言語的コミュニケーションは成立してはいない(そもそも「トトロ」という名付けはメイによって恣意的になされたものであり、トトロ自体は一度も名乗りをしていない)。言語における相互行為のできない「他者」である。けれど、明らかに人間ではない(=文字通りの「異者」)存在と非言語的コミュニケーションが映画においては成立している様を観客は目にしている(空を飛ぶこと、ネコバスに乗ることを示唆することetc.)。ここから、子どもの自己形成空間(あるいは時間)において異界(あるいは他者との出会い)が重要な意義をもっている点を読み取ることができる。
 異界との出会いは常に日常性を超えた非日常の文脈で語られる。これはハレ―ケ(あるいは聖—俗)の二項図式を超えた、「聖—俗—遊」というR・カイヨワの図式と重なる。子どもが非日常性あふれる異界と出会うのは「遊」の文脈なのである(実際、『となりのトトロ』ではトトロたちと姉妹は何度も遊びを行う)。生産性や効率性を度外視し、遊びたいが故に遊ぶ子どもの姿。ここに神(あるいは仏)を見たのが『梁塵秘抄』の編者や江戸の歌人・良寛であった。「遊」は「聖」に通じるのだ。まさにホモ=ルーデンスたる子どもの面目躍如である。
 カイヨワの図式にある「遊」については、浅田彰などによってスキゾ・キッズ的生を肯定するものとして描かれた。当時、無限に拡散し直線的成長・拡大モデルを拒否するリゾーム構造に基づくスキゾフレニー(元は分裂病との意味)型の生がもてはやされたのだ。これらは80年代の消費社会論やバブルの終焉とともに忘れ去られていった。しかし、現象学的知見にはスキゾ・キッズの生き方を再肯定する可能性が込められているように見える。

映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜

 夏目漱石の『こころ』を同性愛小説として読むよみ方がある。まず「私」と「先生」が出会う場面は鎌倉の海水浴場。「私」は「先生」の泳ぐ姿に着目し、「先生」が着替えるところを絶えず見つめている。個人的に私淑する「私」は「先生」の家に行き、恋愛論等を尋ねていく。始めは戸惑っている「先生」も、ついには自分の生き様を手紙の形で克明に描いて「私」に送り、自殺をするところで本作は終る。矢野智司の『贈与と交換の教育学』にもあるが、「先生」を敬愛する「私」は「先生」の死という贈与を、いわば突然受けたわけだ。「私」は残りの半生において反対給付をする義務を負ってしまう。石原千秋『こころ 大人になれなかった先生』にあるように、「私」は《誰にも見せないでください》「先生」が書き残した手紙の内容を、小説の形で表すことで「先生」を超えること―大人になること―を志向した。これが「私」が「先生」に大して為す反対給付としても見ることができるだろう。

 思わず『こころ』論を書いてしまったが、私が昨日見た『シングルマン』(トム・フォード監督)は『こころ』と同じ構成をとっていることが分かる。『シングルマン』の主人公は大学の文学教授。ゲイのパートナーの突然の事故死から立ち直れない(書きそびれたが、本映画ではこの教授自身がパートナーの死という贈与を受け、その反対給付の仕方に戸惑う姿が描かれている)。ピストルに銃弾を詰め、自殺を志すもいろんな邪魔が入って結局死ねずにいる。ラストの場面で、この教授は教え子である男子学生との束の間の相互作用(これがゲイであることのカミングアウトでもあるが、性行為にいたらないのがミソである)の中で生きる意欲を得る。『こころ』の「先生」は親友Kの自死から立ち直れない(文学論によっては「先生」と「K」との間でも同性愛関係があったのでないか、との指摘もある)。そんな折、自分を私淑する「私」という大学生との出会いが、「先生」の日々に明るさを与える。
 両作で違うのは視点である。『こころ』では教え子(=弟子)の視点(ただし、最終章は「先生」からの視点)で描写されるのに対し『シングルマン』は終止「先生」の側からの描写なのである。
 『シングルマン』のラストは実に切ない。「先生が心配だ」という、自分を心配し必要とする他者の存在に気づいた教授は、家の窓を開ける。フクロウが飛び立つ夜空に満月が浮かぶ。教授の感情描写的に爽快な場面だ。ピストルは引き出しにしまい、硬く鍵をかける。人生の有意味性を教え子から学んだのだ。けれど、突然の心臓発作のせいで教授は死んでしまう。

 両作のポイントは、師弟関係にともなう同性愛的気質である。師匠と弟子が親密な関係性を持っているとき、その関係性は容易にプラトニックな愛、あるいは肉体的な愛に転化する可能性がある。そういう「危険性」を意識しても、どうしても師匠から学びたいという切実さが、師弟関係を支える要因なのである。たとえどうなろうとも、この人から学びたいのだ! そんな「熱い」思いを持つ弟子のみが、師匠から多くを学び、師匠から贈与(むろん、師匠の死だけではない)を受けることができる。だいたいにおいて、師匠は弟子より年長であるため、自殺でなくとも弟子は師匠の「死」という贈与をどこかで受けなければならないのだ。その贈与に対し、弟子はかならずその贈与を受けなければならない。その上で、その贈与に対する反対給付を為す必要がある。でなければ師匠の死は無駄な贈与になってしまう(つまり贈与しようとしても誰も贈与を受けてくれなかったわけだ)。
 『シングルマン』の弟子こと男子学生は、映画中では心臓発作で死んだ教授の死の「贈与」をどのように受け止めたか、全く描かれていない。しかし、想像は容易である。ゲイと噂される教授の家で、男子学生が泊まった。その日、教授が心臓発作。タブロイド紙の記者でなくとも、男子学生が教授の新たなパートナーであると噂されるのは必然であろう(もしくは教授は腹上死したのではないかと勝手に思われる)。この際、男子学生は自分の秘密(=ゲイであるということ)を打ち明ける必要性が出てきてしまう。ゲイであることを否定するのか、それともカミングアウトするのか。どうなるかは分からないが、おそらくは後者の選択をするだろう。映画『シングルマン』自体が、監督(トム・フォード)の生き方をさらけ出すと言うカミングアウト映画という側面を持っている。男子学生が教授の死の贈与に反対給付するための第一歩は、ゲイである自分を認め、周囲にもその理解を求める戦いをすることなのだ。教授の授業シーンでも、マイノリティの迫害について教授が「熱く」語るのが印象的だ。

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イリイチ『脱病院化社会』読書メモ

「私の論じたいのは、現在の医原的流行病を阻止するためには、医師ではなく素人が可能なかぎり広い視野と有効な力とを持つべきだということである」(13)

「お互いの自己ケアの能力を回復し、その能力を現代の応用技術の活用と結び合わせることに習熟した人々のみが、他の重要な分野においても、工業的様式の生産に制限を加えることができるだろう」(17)

「独占一般は市場を買いしめるが、根底からの独占は人々が自ら行為し、自らつくる能力を奪ってしまう」(39)

「集約的教育の結果、独学者は雇用されず、集約農業は自作農夫を破壊し、警察の発展は地域社会の自己制御を蝕んでしまう」(40)

「自ら学び、自ら癒し、自分で自分の道を見出すよりは、教えられ、動かされ、治療され、導かれることをわれわれは欲するのである」(168)

「話す自由、学ぶ自由、癒す自由を絶滅する一つの確実な方法は、市民の権利を市民の義務に変えることであり、それを制限することである」(191)

「健康であると証明されるまでは市民は病気であるとみなされる」(93)

「どのような価値の主要領域においても、産業生産の拡大がある点を超えると、限界効用は公正に分配されなくなり、同時に全般的な有効性も下降しはじめることは証明されうる」(214)

「人は他人に対して責任をもつと主観的に感じるときだけ、彼の失敗の結果は批判、中傷、罰というものでなく、遺憾、自責、真の後悔となる」(219)

「医療の介入が最低限しか行われない世界が、健康が最もよい状態で広く行きわたっている世界である。健康な人々とは健康な家に住み、健康な食事を食べる人々である」(220)

*Illich,Ivan(1976):金子嗣郎訳『脱病院化社会』、1998年、晶文社。

『学校の悲しみ』としてのイリイチの教育観

 ダニエル・ぺナックの自伝的小説に『学校の悲しみ』がある。落ちこぼれとして過ごし、学校に対し深い「悲しみ」を持って過ごす主人公の姿が印象的である(しかし彼は結局は教員になり、ずっと学校にとどまり続けることになるのだが)。

 「落ちこぼれ」へのまなざしは、しばしば小説や映画のテーマとなる。映画『大人は判ってくれない』の主人公の少年の姿から、学校に「不適応」とされることの「悲しみ」を感じ取ることが出来る。この悲しみはブルデューのいう「象徴的暴力」である。

 この「落ちこぼれ」へのまなざしであるが、イバン・イリイチの発想の原点にも存在している点に気付くようになった。彼は脱学校論deschoolingで有名だが、それを主張した理由の一つに皆が「学校化schooled」されることで「学校の悲しみ」を経験するようになる、という点がある。

「人の受けた教育化の分量が多ければ、それだけ中途脱落の体験は気持ちを打ちひしぐものとなる。第七学年で落ちこぼれたものは、第三学年で落ちこぼれたもの以上に、自分の劣等性を強く感じるものだ。第三世界の学校は、かつての教会がやっていたよりもさらに効果的に、特製の阿片を投与している。社会の気持ちが次第に学校化されるにつれ、それを構成する個人も、何とか他人に劣らずに暮らしてゆけるかもしれないという意識を段々と失っていく」(『オルターナティブズ 制度変革の提唱』220頁)

 他の個所でも、第三世界(いわゆる途上国)に学校を建設することは、今までに人々が経験しなくてもよかった「落ちこぼれ」る体験を多くの人びとに与えることとなる。学校から落ちこぼれ、ドロップアウトしてしまうと、精神的に自己否定されるだけでなく、学校に残り続けることのできる一部の人間がより多くの公費で高度の教育を受け、社会の上層に到達するのを黙って見つめなければならない。

「プエルトリコでは一〇人の生徒のうち三人が、第六学年も終わらぬうちに学校から落ちこぼれる。このことは、平均以下の所得の家庭からくる児童の場合、二人のうちわずか一人しか初等教育を修了しないことを意味する。こうして、プエルトリコの両親のうち半分は、もし彼らの子供が大学に入るチャンスが見せかけだけでなく本当にあるのだと信じているとすれば、悲しい幻想にとらわれていることになる」(ibid,173頁)

 ブルデュー等の再生産論者の言を用いるなら、高い文化水準のもとに育つ人々(高ハビトゥスをもつ人)は学校においても好成績を修められる「遺産相続者」(『遺産相続者たち』)である。そのため他の人々よりも高等教育進学の可能性が圧倒的に開かれている(『再生産』)。

 学校制度がなければ、学校由来の「悲しみ」を経験しなくても済んだのだ。学校への違和感から自殺をした小学生・杉本治の遺書にも「学校がなければみな自由だった」(『小さなテツガクシャたち』)と書かれていた点は示唆的である。
 学校制度を確立させることは、ユネスコや国連が早急に途上国に求める政策である。実際、途上国に学校を作るプロジェクトは数多い。私たちはその取り組みを手放しで礼賛する。どこかで「学校の悲しみ」に出会った経験があるはずなのに。学校制度が出来ることは、「学校の悲しみ」をその国民全体が経験させられることを意味するのである。

終戦記念日は一体いつか?~「最近の若者は終戦記念日を知らない」言説を破す~

 毎年、8月の半ばになると決まって「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」という「調査」報告がなされる。

 しかし、一般的に「8月15日」が終戦記念日なのだが、歴史学の世界ではそれは説の一つにすぎない。少し見てみるだけでも、①1945年8月14日説(宮中御前会議でポツダム宣言受諾が決定)、②1945年8月15日説(一般的なもの。この日に玉音放送)、③1945年9月2日説(ミズーリ号上での正式な終戦)があげられる。

 もし調査員が②の説のみを知っていた場合、①や③の回答をした人間は「終戦記念日を知らない」人扱いをされることになる。アンケートの調査員はその分野のプロが行うわけではないので(ましてテレビ局の調査では、下請け会社に丸投げされることになる)往々にしてありうることだ。
 また、何を持って第二次世界大戦の終戦(敗戦)とするかも、歴史学的には難しいことである。①や②の後も、北海道ではソ連軍が侵攻を続けており、少なくとも北海道では戦争が続いていたと見た方が適切であろう。
 
 少し考えるだけでも、「いまどきの若者は終戦記念日も知らない」言説の欺瞞性に気付くことが出来る。若者を嘆く人間は、大体②説しか知らずに語っていることが多いはずだ。
 教育学徒として気がかりなのは、大体「終戦記念日を知らない」言説の後、「もっと歴史教育をちゃんとやるべきだ」という安易な教育政策提言がなされることである。おそらく、「ちゃんとした歴史教育」を想定する人の頭の中には、①説や③説の存在はなく、②説の押しつけをすることしか想定されていないのだ。

CAI機器の発展と、対話型の「問題化型教育」の可能性

 学校が、CAIの発展により個別学習が可能になったとき、「預金型教育」(パウロ・フレイレ)はもはや不要となる。歴史的に、教員の講義をノートテイクするという行為は中世の修道院に発端がある。写本を作り、その写本を辞書として学生たちが学ぶようにするためを想定してか、教員の言う語り(ディスクール)を書き取るという行為が要請された。現在にも続くこの教員のモノローグ→学生のノートテイクの流れは、ノートを取らない児童・生徒・学生の登場という「危機」を迎えながらも存続している。
 個別学習の実施可能性は、この人々の受動的な「預金型」図式(この場合ノートテイク)が不要となり、真に「問題化型教育」を行うことが可能となる。
 そうなったとき、教育は「対話」的可能性を人々に提起させるのである。つまり、「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」(Freire 1979:81頁)による、対話形式の授業の可能性である。これはイリイチのいう「相互親和的」制度〈convivial institution〉(Illich 1971:105頁)でもある。自学自習し、決して自身が「客体化」(フレイレ)されえない状態での学習を可能にするためだ。そして、知識習得という純粋に個人的営みはこのCAIで、知識の創造および探求という営みは教員—生徒、あるいは生徒間での対話による学習が可能となる。

Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。

ネクロフィリア・バイオフィリア論の教育学的可能性 —エーリッヒ・フロム『悪について』の解釈から—

1、本稿のねらい

 エーリッヒ・フロムは社会心理学の立場から現代文明批評を行う研究者である。フロムはネクロフィリア・バイオフィリアの観点から『悪について』を考察したが、本稿ではこのネクロフィリア・バイオフィリア概念の教育学的可能性についての考察をおこなう。それはネクロフィリア=「悪」という図式をフロムは描いているが、現代教育学において「悪」は考察の対象となっており 、その「悪」を巡る議論に一つの方向性を示すことになるからである。

2、『悪について』の執筆動機

 『悪について』(原題:THE HEART OF MAN: Its Genius for Good and Evil)は「私の前著作のうちに提示されている思想をとりあげて、更に発展させようとするものである」(Fromm 1964:1頁)観点から執筆された。直接的には『自由からの逃走』(1941年)で描いた「自由の問題、サディズム、マゾヒズムおよび破壊性」(同)のうち、破壊性について考察する観点からまとめられている。「破壊性とはネクロフィリア(necrophilia)であり、生を愛好するバイオフィリア(biophilia)とは逆に、実際に死を愛好するものである」(同)ため、「悪の本性と、善悪を選択する本性とを論じる」(同:1−2頁)のが本書のテーマとなっている。なお、フロムにおいて「悪」はネクロフィリアによって生じるとされている。
 『悪について』で描かれたテーマは、『愛するということ』(1956年)と「一対をな」(同:2頁)している。
 
3、『悪について』諸概念の整理 

 ここでは、『悪について』で提示された概念を整理する。

(1)サディズムの実態について

 フロムは次のように述べている。

サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。

 フロムはネクロフィリアの特徴として「破壊性」(Fromm 1964:1頁)を挙げている。彼はシモーヌ・ウェイユ(本文ママ)の定義をひき、「力とは人間を屍体に変貌させる能力である」(同:41頁)であると述べている。「人間を屍体に変貌させる能力」としての「破壊性」がネクロフィリアの本質なのであるが、先の引用文の「生物を無生物に変える」という「サディズムの目標」はネクロフィリアの衝動なのである。
 ここから考察すると、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる「預金型教育 」は生徒を客体(=モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器になる。その状態からの解放として、フレイレが目指したのが「問題化型教育 」であった。そこでは教師—生徒は教材を通して対等の立場での「対話」によって教育が行われる。

対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師が登場してくる。教師はもはやたんなる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。(Freire 1979:81頁)

 生徒が「客体」でなく、「主体」として立ち現れる教育において「生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師」による対話がなされることになる。逆に、「対話」の成り立たない教育現場は「預金型教育」の行われる現場であり、生徒をモノとするサディズム(=ネクロフィリア)が横行する空間となっているといえる。
 なお、本稿ではフレイレの文脈から生徒を「主体」として扱うと述べたが、「主体化とは、アルチュセールによれば、個々の具体的個人がイデオロギー(=知)のなかで特定の社会的主体として立ち現れるメカニズムのことである」(山本 2003:136頁)ため、手放しに肯定すべき事柄であるとは言いがたい点を付記しておく。アルチュセールは「呼びかけ」によってイデオロギーは個人の中に主体を構築すると述べたが(Althusser 1970:87頁)、この「呼びかけ」に応答する行為自体が「対話」であり、教育現場では「問題化型教育」となる。この場合のイデオロギーとは「国家のイデオロギー装置」(AIE)である学校がもたらすものであり、「学校化」(Illich 1971)を人々に要求する産業社会のイデオロギーであろうと考察される。
 そのため、「問題化型教育」を行うことが生徒の「主体化」をもたらす以上、フレイレが忌避した「学校化」の文脈(これはつまり「預金型教育」により一方的に詰込まれる教育現場)から生徒は外れるように見えて、より巧妙に「学校化」されるという結果をもたらす物となる。この更なる考察は本稿の範囲を超えるので以上で筆を置く。

(2)ネクロフィリアとバイオフィリア

ネクロフィリアとは「死を愛好する」(同:40頁)との意味である。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげている。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。フロムはネクロフィリアに基づく見方をする人間のことを「機械的人間」とも示している。現在の日本社会に広がるオタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。ダイナミックな人間的関係を求めるよりも、関係性が規定されている人間関係(=「機械的人間」)を、ヴァーチャル空間において求める動きがそれにあたる。ルアル空間においても、メイド喫茶や妹喫茶というものが見られるように、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場が広まっている。フレイレを借りるなら、ネクロフィリアは人をモノ化し、「客体化」を施すのである。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチは各種著書の中で人間性の回復を訴える図式として「コンヴィヴィアル」という発想を提唱した(『生きる思想』)が、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。
 なお、フリースクールの創始者であるA・S・ニイルの著書にも、ネクロフィリア/バイオフィリアを連想できる要素が書かれている。

人間は多くの願望をもっているが、そのなかでも特別に大きな二つの願望がある。つまり生きたいという願望と死にたいという願望である。死にたいという願望は、道徳教育の結果として生まれたものだ。持って生まれた生命力が、生まれたとたんにねじ曲げられたのだ。生命力がフルに表出を許されたことは一度もない。いつでもだれか大人が人差し指を立てて「いけません。行儀が悪い」というのだ。表出を妨げられた愛情は憎しみに変わる。これとまったく同じように、妨げられた生の願望は死の願望へと変容する。私たちは死ぬことに興味をもっている。その証拠は、新聞を見ればいくらでも見つかる。新聞には、殺人、戦争、動物狩り、スキャンダル、そして大事故などにかんする記事であふれている。新聞の発行部数は、その新聞社が死にどれだけ関心をもっているかに比例する。ここでいう死とは、広い意味で否定、破壊、不幸などといった意味を含んでいる。(Neil 1967:26頁)

 ニイルの「生きたいという願望」がバイオフィリアであり、「死にたいという願望」はネクロフィリアを意味すると考察される。バイオフィリアが道徳教育の結果もたらされるというのはニイルの皮肉である。ニイルはフロイトを引き、道徳教育が性的抑圧をもたらすと指摘しているが、この営みが人々にバイオフィリアを習得させる結果となる。

(3)教育における、バイオフィリアの必要性

 フロムは次のように言う。

子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい。(Fromm 1964:58頁)

ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の必要性だ。「人々と共にある」とはイリイチの「コンビビアル 」概念に繋がる。教室が「預金型教育」の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境を、教育の中で増やしていく必要性を読み取れる。「フレイレのように、バンキング(知識の銀行預金型)の非対話的教育への厳しい批判をもって、人を愛する対的教育を考えることだ」(山本 2009:207頁)との指摘も、「人を愛する」(=バイオフィリア)教育を行うために「非対話的教育」である「預金型教育」を排斥する必要性に繋がる。
現在、ニンテンドーDSやi-pod/i-padを活用する学習教材が開発されるなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自学自習で構わないという言説もあるが(OECD教育研究革新センター 2006などはその典型である)、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学習する状況のみを客観的に見れば、美少女ゲームをプレイすることと何ら変わりは無い(そしてこの状況はネクロフィリアである)。
学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(例えば佐藤 2007などに描かれた「学びの共同体」の発想)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。

(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念を用いる教育学的意義

 ここまで、ネクロフィリア・バイオフィリア概念について考察を行ってきた。ここではこの概念の教育学的意義を考察する。
 教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。ニイルもその例外ではなく、彼の著作には「人間性」言説が頻出している。「人間性」という言葉には高尚な響きがある反面、抽象度が高いため何を意味するか不明瞭な議論となってしまう。「人間性」とは何か、具体的にイメージすることができないためである。
 この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描くのに機能するのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いる場合、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに同様の議論を行うことが可能になるという意義がある。

(5)フロムへの批判

(5)—① 教育における「悪」の重要性

 『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語る(Fromm 1964:53頁など)。それはアランの「悲しくなるような考えは、すべて間違った考えである 」(Alain 1928a:198頁)との哲学に通ずる発想である。しかし、この「悲しみ」を悪として排斥することは本当に可能であろうか。また、「悪」自体、教育には不要な側面であるのだろうか。
 人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみなどがその例である。否定的な側面をもつこれらの言葉を、人々はなるべく経験したくはない。しかし、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。そうであるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。
 この考察に当たり、矢野智司は悪を「通常、悪が論じられているように『善』や『正義』の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような至高の体験を指す」(矢野 2009:164頁)と述べている。
 矢野は映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年、アメリカ。監督:ロブ・ライナー)に描かれた、「死体」を探す旅に出た少年たちの姿について論じている(矢野 2009)。旅の後、少年たちに自己変容が生じるのだが、その理由について「この旅が死に触れる悪の体験」(矢野 2009:171頁)であったためだと説明する。
 この「死体」を求める少年たちの衝動は、文字通り「死体愛好」(=ネクロフィリア)の衝動である。しかし、この矢野がいう構図から見えてくるのは、「悪」(=ネクロフィリア)を子ども集団が共有し、完遂するという行為によってしか得られない教育的価値である。「かつてのイニシエーション(通過儀礼)は、子どもにそのような悪の体験を与える出来事であった」(同)と矢野は語るが、悪を単純にバイオフィリアだとして排斥できない理由はこの点にもある。
 無論、こうした「悪」の教育学的意義の考察の持つ危険性にも意識的である必要がある。

悪の体験をこのように「教育的意義」といった視点から捉えてしまうと、悪の体験は子どもが成長するための「手段」のように見なされ、そのあげく成長のためには悪の体験を周到に用意しなければならないと考え、さらには悪の体験自体を教材化するといった転倒した思考に向かう危険性があるからである。(矢野 2009:170頁)

 あらゆる「教材化」(フレイレ)する欲望や発想から逃れたところに位置すべきなのが「悪」である。そのため「悪」を忌避する側面のあるバイオフィリアの教育を教育現場で行う必要性は認められるが、教育的文脈を超えた位置にある「悪」ないしネクロフィリアの有用性にも自覚的であらねばならない。
 映画『スタンド・バイ・ミー』は、少年の死体を発見し、街に再び戻る所で舞台は現在に切り替わる。少年たちに探し求められる「死体」となった少年(その限りでは「客体」となっている)は、矢野も指摘する通り、「ブルーベリーを摘みに森に出かけて道を迷」(同)い、「死体」となってしまった。この少年も、いわば「悪」を求めた結果、「死体」となってしまったのである。「悪を十分に体験することはそれほど簡単なことではない」(同)、大変リスキーな側面を持っていると言える。逆に危険性を持つからこそ「悪」は自己変容をもたらす経験として子どもに機能するのである。そのため、「悪」を教材化し、安全なものとしてバイオフィリアあふれる学校において教育することは「悪」の悪たる所以(あるいは悪の「悪」性)を失わせる結果となる。
 教育者ないし教員の意図を超えた位相に「悪」は存在する。容易に認識可能であり、対処可能となってしまった「悪」はもはや「悪」ではない。「悪」の教育的可能性について語ることは出来ても、「悪」を子どもに経験させるようしむけることは「悪」のもつダイナミズムを失わせる結果となってしまう。

(5)—② 構造主義の立場から見た、フロムへの批判

 バタイユの『呪われた部分 有用性の限界』には、フロムのネクロフィリア概念を連想させる内容が書かれている。
 古代アステカ文明において、多くの俘虜の犠牲が要求された。俘虜たちは戦争に行った兵士たちが生きて帰ってきた際に捧げられる犠牲であったが、「もしも戦士が勝利して戻るのではなく、戦で倒れたならば、戦の場での死が、俘虜を犠牲にする儀礼と同じ意味をもつことになる」(Bataille 1976:63頁)。それは「戦士は自分の身体で、貪欲な神々に食べ物を奉じることになる」(同:63−64頁)ためである。この戦士の発想を支えるのが生け贄を要求する神官の「祈り」である。「死を望み、死のうちに魅力と甘さをみいだすようにされたまえ。矢も剣も恐れず、むしろこれを花のごとく、甘き糧のごとく心地好いものと感じさせたまえ」(同:65頁)と祈り続ける。また、母親も子どもの臍の緒を切る場面において一連の台詞をわが子に語りかけたが、その中にも「戦の場で死んで、華々しい死を迎えて命を終えるのにふさわしい者とみられることは、お前にとって幸ある定めです」(同:62頁)とのフレーズが存在した。
 ここをみれば、古代アステカの兵士も神官も母親も、ともにネクロフィリアであったことが読みとれる。フロムはネクロフィリアを悪であると言い切るが、これは近代の構造、ないしは近代のエピステーメー(ミシェル・フーコー)の枠組から言えることであったのではないか、との疑問が浮かんでくる。つまり、フロムのいうネクロフィリアを考察する際、〈かつてはバイオフィリア中心であったが、今はネクロフィリアが横行している〉という発想をすることは誤りである。日本においても、例えば与謝野晶子が『君死にたまふことなかれ』において、「末に生れし君なれば/親のなさけはまさりしも、/親は刃(やいば)をにぎらせて/人を殺せとをしへしや、/人を殺して死ねよとて/二十四までをそだてしや。」と歌ったように、「人を殺して死ねよ」というネクロフィリア言説が横行する時期があったのである。
 無論、「人を殺して死ねよ」という言説の位相と、フロムのいう「死体愛好」との位相には質的な違いがあることは確かであろう。前者は他者を直接に殺すという意味合いのネクロフィリアであり、後者は他者を客体物(=モノ)として扱うネクロフィリアである。しかし、どちらも「生の愛好」であるバイオフィリアの正反対に当てはまる概念であるため、この項目において取り上げている。
 総括すると、教育におけるバイオフィリアの重要性というフロムの発想も、現在という構造内でのエピステーメーが要求する価値観であり、普遍性のある発想であるとは言いがたいのである。現在広まるネクロフィリアの発想も、実は時代がそれを要求する、あるいは次世代のエピステーメーが要求する結果であると考えることも出来る。
 フロムのネクロフィリア・バイオフィリア概念は現在の立場、ないしフロムの執筆した時点でのエピステーメーだったのである。

4、終わりに

 本稿では『悪について』に描かれたネクロフィリア・バイオフィリアの発想と、「悪」の教育的意義について考察する内容となった。
 今後の課題としては、フロムが本書と「一対をなすものである」(Fromm 1964:2頁)『愛するということ』との対照関係を描けなかった点である。また、フロムの著作全体の思想性についても踏まえられていない。教育学における「悪」の意義を考察するためにも、今後『愛するということ』をはじめフロム全著作の検討が課題となるであろう。

5、参考文献

Alain(1928a):齋藤慎子訳『アランの幸福論』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2007。
Alain(1928b):神谷幹夫訳『幸福論』、岩波文庫、1998。
Althusser, Louis(1970):柳内孝訳『アルチュセールの〈イデオロギー〉論』、三交社、1993。
Bataille, Gerorges(1976):中山元訳『呪われた部分 有用性の限界』、ちくま学芸文庫、2003。
Freire, Paulo(1970):小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳『被抑圧者の教育学』、亜紀書房、1979。
Fromm, Erich(1941):日高六郎訳『自由からの逃走』、東京創元社、1951。
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。
Illich, Ivan(1971):東洋・小澤周三訳『脱学校の社会』、東京創元社、1977。
Illich, Ivan(1973):渡辺京二・渡辺梨佐訳『コンヴィヴィアリティのための道具』日本エディタースクール出版部、1989。
Neil, Alexander・S(1967):堀真一郎訳『問題の子ども』ニイル選集①、黎明書房、1995。
OECD教育研究革新センター(2006):岩崎久美子訳『個別化していく教育』明石書店、2007。
里見実(2010):『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』、太郎次郎社。
佐藤学(2007):「学校再生の哲学:「学びの共同体」のヴィジョンと原理と活動システム」、『現代思想』、青土社、2007年4月号。
山本哲士(2009):『新版 教育の政治 子どもの国家』、文化科学高等研究院出版局。
山本雄二(2003):「テクストと主体生成」、森重雄・田中智志編『〈近代教育〉の社会理論』、勁草書房。
矢野智司(2009):「悪:悪の体験と自己変容」、田中智志・今井康雄編『キーワード現代の教育学』、東京大学出版会。 

映画『真夜中のカーボーイ』(1969)からみる、「死」の贈与論。

 文字通り、真夜中に本作を見て書いている。

 ストーリーなどはネットでいくらでもあがっているので、社会学的(ないし教育学的)考察点を中心に描くことにする。

 親には愛されないが、祖母には愛された主人公・ジョー。職場のレストランでも、ニューヨーク行きのバスでも、ジョーは誰とも会話(=対話)が成立しない。話を振るが、相手は会話に乗らず、モノローグに終ってしまう。他者からのすれ違いをさんざん示す本作は、会話の成立しない「孤独さ」を強烈に表現している。
 回想シーンには子ども時代と前の恋人のシーンばかり。ジョーは過去にすがって生きている。それが嫌で大都会へ行くのだが、やはり上手く行かない。そんなこんなでダスティン・ホフマン演じるリッツォと共同生活を送ることとなる。

 はじめ、誰とも会話が成立しないジョーであるが、リッツォと出会ってから会話が成立するようになる。リッツォはいわば潤滑剤である。本作では2回バスに乗ることで場面が転換するが、1回目とちがい、2回目ではリッツォとジョーは楽しげに談笑をするようになっている。しかし、フロリダ行きのバスから降りた後、ジョーは誰かと会話をすることは本当に可能なのか(後述する「贈与」が働いている、とみるならばジョーはバスに乗る前よりも成長できているため会話が成立する可能性が高い)?

 本作を見て疑問に思うのは、何故ジョーは自分を騙した(=男色の斡旋人のもとに送られる)リッツォに友情を覚えるのかという点だ。宿を提供してもらったとは言え、憎しみすら抱いた相手である(内面のシーンでは首を絞めている)。おそらくではあるが、都市の片隅で自分同様「孤独」を感じる点にシンパシーを覚え(人間は間共振的律動系である以上、波長が同調している、ということである)、リッツォの存在自体から救済を得ていたのではないか。「自分は1人じゃない」という認識を得るためにリッツォに友情を抱いていたのであろう。

 こうなると、リッツォの方が逆に「贈与」(マルセル・モース)を受け続けることになる。病人の自分の世話という「シャドウ・ワーク」の受け手に、ジョーが志願して行ってくれている。ジョーの献身(=文字通りの売血も含む)という「贈与」に対し、リッツォは何も「反対給付」することができない。ラストでのリッツォの死は、ジョーの「贈与」に対する「反対給付」としての「贈与」であったとは考えられないであろうか。

 『贈与と交換の教育学』において矢野智司は、時に人は他者から「死」を贈与され、それを背負って生きていくことを余儀なくされる、と述べている。本作がまさにそれである。リッツォの「死」を贈与されたジョーは、何らかの形でその贈与への反対給付の義務を負う。マルセル・モース『贈与論』以来の構図である。
 本作を通してみると、ジョーはこういった「死」の贈与を2回、精神病院に送られた「恋人」もカウントするなら3回、「贈与」を受けている。その度にジョーは生き方を変える決断をする(リッツォへの反対給付の仕方は本作では明らかではない)。「恋人」の別れ(=死に近い)がニューヨークでカウボーイ(=男娼)として生きる決断につながり、祖母との別れが子ども時代の甘い記憶からの「別れ」に繋がった。ジョーは生きるのが下手な人物ではあるが、「死」の贈与への反対給付を絶えず行いつづけている点では評価できるのである。

 月並みな表現を使えば、他者の死と向きあう分(「死ぬのはいつも他人ばかり」とは寺山修司の名言である)、人間は強くなるというテーゼにまとめられる。他者の「死」という「贈与」を受け止められるとき、人間は成長する。あるいは、受け止めようと努力することが自分を成長させる。この場合、他者の「死」という「贈与」に、個人が自分の一生をかけて「反対給付」する義務を負うためである。この「反対給付」が成長である。
 逆に、この「死」の「贈与」から逃避したとき、人間の成長は止まる。個人の成長という「反対給付」から逃れているためである。
 親しい人物からの「死」の「贈与」は重々しく個人の中にのしかかってくる。この「贈与」の重みから逃れず、「反対給付」としての成長を遂げることが、人間の人間たる所以なのである。
 

供儀としての「間引き」

 中世(および近代初期)、密やかに「間引き」・「口減らし」は行われてきた。これは、ある種の「供儀」(=捧げ物)として行われたのではないか。
 「7歳までは神の内」の裏側である、神への返還可能性が「間引き」である。この「返還」の「危うさ」・「うしろめたさ」を「供儀」として「聖化」した営みだった。
 あまり言及されることはないが、障害をもつ子ども達の多くも、こうして「供儀」として「間引」かれてきた。それを「聖化」して誤魔化すのが人間の文明である。

 「ハンデ」のある子どもへの「特別」な「支援」といえば聞こえはいい。しかしこれは無理に「聖化」し「キレイに」見せようとする発想から抜け出ていない態度である。「間引き」を「聖化」してきた歴史から全く抜け出てはいない。現在の特別支援教育の課題は、無理にきれいに見せている点にある。。

フロム『悪について』

フロムの著書『悪について』で提示された概念を整理する。

(1)サディズムの実態について
「サディズムの目標は人間を物体に、生物を無生物に変えることであると言えばよい。なぜなら完全絶対の統御によって、生物は生の本質である自由を失うからである」(Fromm 1964:31頁)。ここから考えると、フレイレの『被抑圧者の教育』に出てくる預金型教育は生徒を客体(つまり、モノ)として扱っているためサディズムに基づく行為といえる。生徒はあくまで知識を入れられる器なのだから。

(2)ネクロフィリアとバイオフィリア
ネクロフィリアとは「死を愛好する」という意味(同:40頁)。ネクロフィリアに基づく人間観について、フロムは次の例をあげる。「スポーツ・カー、テレビ、ラジオのセット、宇宙旅行のほうが、女や恋や自然や食物よりも興味があり、生よりも生のない機械的なものを取扱うことに刺激される男性が、実に多いことは明らかである」・「かれは車を見るような眼で女を見る」(68頁)。オタク系の恋愛ゲームやアダルトソフトを好む衝動は、まさにネクロフィリアな態度である。メイド喫茶や妹喫茶も、きまりきった関係を要求する意味でネクロフィリアな場である。
ネクロフィリアに対立する概念はバイオフィリアである。「生を愛好する」というのが元の意味である。「《バイオフィリアの倫理》は、それ自身善と悪の原理をもつ。善は生に寄与するものすべてであり、悪は死に寄与するものすべてである。善は生を尊ぶことであり、生、生長、展開を促進するすべてのものをいう。悪は生を窒息させ、矮小にし、寸断するすべてである。喜びは美徳であり、悲しみは罪である」(52頁)。イバン・イリイチが人間性の回復を訴えていたととらえているが、この「人間性の回復」という見方は「善」なのである。

(3)教育における、バイオフィリアの必要性
「子供の場合、生の愛好の発達に最も重要な条件は、その子供が生を愛好する人びとと共に在るということである。生を愛好することは、死を愛好することと同じように伝染しやすい」(58頁)
ここから、子どもの教育におけるバイオフィリアの必要性が読み取れる。いきいきとした人間的関係の中での教育こそ必要なのだ。教室が預金型教育の場になっているのであれば、それはネクロフィリアの環境になっている。「生を愛好する」バイオフィリアな環境(ちょうどイリイチのいうconvivialな場でもある)を、教育の中で増やしていく必要がある。
ニンテンドーDSから学習ソフトが出るなど、CAIをめぐる環境は発展を続けている。知識習得型の学びであればCAI機器やテキスト・問題集の自習で構わないという意見もあるが、この学習の仕方はネクロフィリアに基づく教育観である。学校という場は多様な他者と交流をする場であるとの考え方があるが(佐藤学の「学びの共同体」など)、この発想はバイオフィリアの場所としての学校再考の姿勢である。

(4)ネクロフィリア・バイオフィリア概念の意義
 よく教育者は「人間的関係」や「人間性」といった言葉で現状の公教育批判を行う。この場合、抽象度が高い議論となってしまう。「人間性」とは何か、イメージできないからだ。この「人間性」という言葉を、プラス面・マイナス面の二項対立図式から描いてくれるのが、フロムのいうネクロフィリア・バイオフィリアの図式である。この図式を用いれば、教育環境について「人間性」という言葉を使わずに議論をすることが可能になる。

(5)フロムへの疑問
 『悪について』において、悲しみは悪であるとフロムは語るが、人間にはある程度の「悪」が必要な側面がある。絶望や失望、悲しみ。なるべく経験したくはない感情であるが、これらを体験するからこそ人間性が深まるという働きも存在する。であるならば、一方的に「悪」といって済む問題ではなく、もう一歩考察を深め、人間には悪も必要なのだとの結論に持っていくべきであったと言える。

参考文献
Fromm, Erich(1964):鈴木重吉訳『悪について』、紀伊国屋書店、1965。