エッセイ

「自分に合った仕事」という幻想

 友人が就職活動を行っている。その際、リクナビやマイナビなどに希望する条件を登録し、そこから送られてくる情報をもとに行動を行っている。

 「自分に合った仕事を探そう」と、最近の就職関連の本には登場する。「自己分析」がやたら騒がれ、「一生の大半は仕事をするのだから、自分に最もあったものを選ばないと不幸になる」とすら語るものもある。

 しかし、本当だろうか? 自分という個が先にあって、その個に合う仕事を探す。このプロセスは真理なのだろうか。

 かつて、仕事は「一人前になる」ために行うものだった。「自分に合った仕事を探す」のではなく、仕事を通じて自分を作り上げる、というプロセスをとっていたのだ。
 
 私の家は、代々職人の家系であったらしい。祖父の代までは建具屋さんをしていた。建具屋とはたんすなどの家具を作る人のことをいう。そのため家の納屋にはカンナや金槌などがたくさん散らばっている。
 木にカンナをかける。なかなかうまく出来ない。力を均等にし、慎重にカンナをかけていく。この作業を繰り返し、きれいにカンナがけができるようになったとき、少し「一人前になる」ことが出来たのであろう。仕事を通しての人間成長があったのだ。
 仕事を通じて、かつては人生における真理を学んでもいた。先のカンナがけ。カンナをかけるだけでなく、「ゆっくりと慎重に行うこと」「練習をすれば必ず技術は習得できるようになるということ」すら学ぶことができていた。表面上は単調にカンナがけをしているようでも、作業を通じて人生の真理を学んでいた。

 いまは個があって、「自分に合った仕事を探す」というプロセスをとっているが、かつてはそうではないのが一般的だった。仕事は何でもいい、けれどその仕事を通じて「自分」を作り上げろ、というメッセージが社会に広まっていた。

 就職活動に行き詰っている友人にこの話をすると、非常に喜ばれたのが印象的だ。いまの就職活動は何か誤っている点があるのではないだろうか。

鈴木雅之のCDを聴きながら。

 最近、鈴木雅之のCDをずっと聴いている。「♫もう涙はいらない…」。名曲である(現在のBGM)。

「もう涙はいらない 僕が側にいるから」(「もう涙はいらない」)

 この一節に鳥肌が立ってくる。
 もう一カ所、彼の別の歌から。

「後悔するよ きっと こんなさよならは
 今日までの二人 どこへ 消えてしまうのか
 追うことさえ 出来なかったのは 俺の方で
 泣くことしか 出来なかったのは 君の方で」(「さよならいとしのBaby blues」)

 この歌詞が、いつぞやの苦い記憶を呼び戻す(ような気がしてならない)。

 ブックオフで買ったのは鈴木の「Best Love Song Album」たる、「MEDIUM SLOW」である。流していて、色々気づく。「あれ、どこかで聴いたな?」。思案した結果、もともと父のカーステレオで聴いたことがあることを発見した。

 幼き日、父のワゴン車の助手席で聴いた曲の数々。サザンオールスターズ、TUBE、そして鈴木雅之…。私が、いわゆる「懐メロ」を愛好する理由には父のカーステの存在が大きい(同じ懐メロでも さだまさしが好きなのは母の影響から)。

 そのためか、鈴木雅之にしても何にしても、「全くの未知」の曲よりも「あ、この曲はカーステで聴いた!」と分かるものの方が私の好みである。

 鈴木雅之の存在は、いろいろYOU TUBEを散策するなかで偶然見つけ、「この歌手、すごいじゃないか!」と発見した。いざCDを買ってくると「あ、この曲はカーステで聴いた!」と改めて認識したのである。

 結局、人間は自分の育った環境から離れることができないのではないか、と気づく。意図的に離れようとしても、油断すると気づけばその環境に戻っている。そういうものである。
 一人で生活していると、あんまり両親の存在を意識することはない。月末にキャッシュカードを使う際、「今月も仕送りがしてある」と事実に感謝するときくらいである。けれど、実は自己の内面の「趣味」「興味」という位相には常に両親が存在している。

 さて、全く関係ないが昨日「思い」が通じた瞬間があった。「思い」が通じるのは実に嬉しいことだ(恋愛のことのようだが、そうではない、念のため)。

映画 マイケル・ジャクソン『This is it』

 私は今まで色々な映画を見てきたが、観客の拍手で始まり拍手で終る映画は始めてである。まるで昭和の映画館のよう。マイケル・ジャクソン(MJ)のコアなファンの多さを実感した。映画の合間にあがる歓声と拍手。光るブレスを付けた人の多さに驚く。

 映画を見ていて。MJは「変化し続けたかった」のではないか、と思う。顔を白くしたのも整形したのも、すべてその意志の現れではないか。
 「変化する主体」としてのMJ。リハーサルをしながら演出や振り付けを考えていくのも、「変化する主体」ならではではないか。
 変化。人間生命の本質にはこれがあるのではないか。まさに「万物は流転する」。

(・・・)
 映画が終わる瞬間、観客は日常に引き戻される。突然に、それこそ唐突に。新宿バルト9のエスカレーターで新宿の夜景を見るとき、マイケル・ジャクソンの偉大さと共に、自らの日常を思い出すのだ。それは辛い作業だろう。しかし我々は戻らねばならない。MJのいない日常に、そしてありふれた世界へと。
 映画のラスト。「さあ変わろう」。我々もつまらない日常を変えていかなければならない。
 自らが変わることで。

感想『いよいよローカルの時代』(大月書店)

この本に、次のようにあった。

《ぼくは、スローとはなにかと言われたら、「つながり」と答えることにしています。ローカリゼーションというのは、一度断たれた大切なつながりをとりもどすことですよね》(172ページ、辻)

いま私は一人暮らしをしているが、西早稲田の我が家にはいろんな人が出入りしている。

風呂を借りに来るN君、夜話し合いにくるFさん・Oさん、よく「泊めて」とくるS君、「部屋を貸してください」と急にメールするI君…。ひとりも女性はいないが、たくさんの人がうちを使っている。

人はよく「お人好しが過ぎるんじゃないか」と言うが、私にとってはこの「いろんな人が我が家に来る」生活のほうが好きだ。これこそ「つながり」であり、真の豊かさであると言える気がするからである。

一人暮らしの家に1人で住む。けっこうキツいことだ。 必要以上にプライバシーに配慮していても、孤独さが増すばかりである。

昔の下町長屋にはほとんどプライバシーはなかった。けれどそれと引き換えに「つながり」という豊かさがあったのである。

内田樹も、他人と部屋を共有することの意義を語っている。

大学生がよく欝になるのは、部屋の共有をしないためではないだろうか?

カフェスローへの道。

 高尾山に登ろうという話になり、私は中央線に乗った。そのついでに国分寺で降り、カフェスローへ行ってみた。
 イリッチの「脱学校」論の究極は人が会い、ものに触れ、何かを考えることである。そのような場を提供できるのは喫茶店であり、「喫茶店スタイルの
学びこそがイリッチの理想の教育形態ではないか」と私は仮説を立てている。このカフェスローは哲学としての「スローライフ」を掲げ、実際に実践を行っている場所である。イリッチの思想の現れを見る気がする。

 スローライフやナチュラルライフを地でいくメニュー。「フェアトレード」「無農薬」などの言葉が踊っている。部屋の隅には「スローライフ」系イベントの案内が置かれている。
 スローライフを示す本を売っているコーナー。私は3冊購入した。
 購入した『カフェがつなぐ地域と世界 カフェスローへようこそ』(吉岡淳)にはこうある。「カフェとしての形態をとってはいるが、環境・文化運動を目指す拠点としてのカフェスロー」(78頁)というところが印象的であった。
 このカフェには明確な哲学がある。店名にもなった「スローライフ」をメニューや店舗自体、扱う商品や店員の態度を通じて示そうとしているのだ。

 コーヒーを啜る私の周りには「オバさま」ばかり。自分が「浮く」ことがなければもっと来やすい店になるのに、という点のみが残念であった。

貨幣説

 私は高校途中から、学校の持つ気持ち悪さを感じるようになった。そして、それを突き詰めていきたいと思うようになった。無意識的に大学の教育学部を受験したのも、そのためであろう。もともと私は法学部に行く予定で、教育学部には全く行く気がなかったのだから。
 私は学校に気持ち悪さを感じているが、周りに聞いてみると「学校を楽しいと思っている人もいる」事実に気づいた。この人たちは学校の「気持ち悪さ」「不愉快さ」を貨幣として扱っているのではないだろうか。
 「学校が楽しい」という人も、どこかで学校的あり方に気持ちの悪さを感じているはずだ。けれど、「友人と遊ぶためには、しかたない」と考えているのではないか。学校のもつ楽しさを享受するためには、「気持ちの悪さ」の代償も味わわないといけない。
 私はよくラーメン屋に行く。人気店は何十分と並んで待たないといけない。外は暑いし、腹も減る。でも、その「不愉快さ」を支払うことで、ラーメンの味を楽しめるのだ。「学校が楽しい」という人も、このラーメン屋と同じではないだろうか。

 吉本隆明は山本哲士との対談『教育 学校 思想』(日本エディタースクール出版部)において、次のように語っている。

小学校でも、学校は何が面白かったかといえば、そのなかでクラスメイトと遊ぶ遊び時間が面白かった。友達と遊ぶとか、いたずらするとかいうこと。授業時間はいつだって、きつい、かた苦しい、重苦しいという感じがあって、授業時間以外の休み時間とか、昼休みとか、放課後とかいうことで、友達と遊ぶ。学校で遊び切れないときは、それを家へもって帰って、近所までもち越して遊ぶ、それがぼくの学校のイメージなんです。(5頁)

 社会学者の上野千鶴子は、〈学校化社会は,誰も幸せにしない制度といえます〉(『サヨナラ、学校化社会』)と語る。学校が「楽しい」といっている人間も、結局は何らかの形で「気持ち悪さ」を感じているのではないか。それでは、学校は一体何のために存在していると言えるのであろうか?
 イリッチが数ある文献で訴えていたのは、文明が「制度」に頼ったものになっていく危険性であった。この「制度」は「専門家依存」ということでもある。「学校」も一つの制度であると相対化していく視点が必要であろう。

 1980年代に、数学者・森毅はこんなエッセイを書いていた。それは塾が自らの独自性を訴え、塾が学校と子どもを奪いあうようになる社会が必要だ、という内容のものである。のちに「不登校新聞」のインタビューに出ることになる森は、当時フリースクールの存在を知らなかったからこそ「塾」と書いていたのであろう。ここでいう「塾」を「フリースクール」として見るならば、時代が段々と森の訴えに近づいているように思える。
 教育という存在が、「学校」という制度に押し込まれたあり方を、変えていく必要があると思える。

誰かへの手紙

 西早稲田のアパートに一人暮らしを始めて、もう4年になる。6畳の空間に、私の身体もすっかり適合してきた。すっかり「自分の城だ」といえるようになってきた。

 最近、クローゼット内のスーツを出そうとしていると、天井部分に隙間があることに気づく。携帯電話ディスプレーの明かりで照らしてみると、なにやら天井を構成するパネルが外れるようであった。

 興味を持った私は、引き出しからLED式の懐中電灯を取り出し、パネルをどけ、天井裏を見てみた。埃や昆虫の死骸の間に、1枚の茶封筒がある。

 埃を吹き払いつつ茶封筒の中を見ると、この部屋のかつての住人が書いたのであろうか、数葉の便箋が入っていた。再び封筒に目をやると、9年前の干支がついた「お年玉つき年賀はがき」の景品切手が貼られている。宛名は書かれていない。

 以下は便箋の全文である。



前略

 俺はこの手紙を出すのかもしれないし、出さないのかもしれない。まあ、届いたならば気休めに読んでもらいたい。君とは長い付き合いだし。

 俺は最近ずっと、「人間とは分かり合えるものなのだろうか」ということを考え続けている。サークル内での話し合いや人間関係が面倒くさすぎるのだ。何故かまわりと理解しあえない。

 知ってると思うけれど、自分は人間関係を構築するのが得意ではない。周りが笑っていて、自分だけが笑っていないとき、どうしようもなくつらい思いがする。

 他者は常に謎として現れる。どんなに理解したと思っても、他者は謎なままだ。「理解した」といっても程度の問題。

 こんなことを書くと、「あなたは不幸な人ですね」といわれるであろう。けれど、それが私の実感だ。 

 前に無性につらいときがあってね。誰かが自分に言った一言が、心の中で何度も響き続けるんだ。歩いていても、自転車に乗っていても、耳の奥で何度も再生されている。自分が今までやってきたことは、全部ムダだったのかな、って思えてきたのよ。

 急いで家に帰り、思わず流しにあった包丁を手に取ったんだ。そしてその包丁の刃先を左手首に押し当て、手前に引いた。包丁、全然研いでなかったからね、ほら、手に輪ゴムを巻いておくと白い後が残るじゃない? あんな感じに手首に白い筋が残ったんだわ。血も何も出ない代わりにね。じっと見ているとその線はゆっくりと消えていった。それを見ているとね、なんと言うのかな、ものすごく泣き叫びたくなったんだわ。ひざを抱えるようにして、そのままカーペットに横になったよ。泣き叫ぶなんて、どれくらいぶりだろうね。しばらく泣き続けていた。

 こんな日に限って、人と会う約束があったんだ。少し落ち着いた後は椅子に座り、ボーっとしていた。涙も乾いた頃、待ち合わせ場所である早稲田駅に向かう。最悪の状態でも、人と話すのっていいもんだね、自分の実存的な寂しさが、人と話している間は忘れてしまえたよ。

 最近、けっこうバイトやなんかを多く入れている。暇な状態でいるのが怖いんだ。忙しくしている間は、自分のことを考えないですむ。それに、何かやっていると少なくとも世の中の役に立っているような気がしてくる。

 今日ツタヤに行ってきて、さだまさしのCDを借りてきた。さだまさしって、けっこういい歌を歌ってるんだよ。思わず何度も聞いてしまったのは「普通の人々」という歌。多分、知らないだろうけどね。

「退屈と言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆く程 暇もない毎日」

 この歌詞、非常に刺さってくるんだわ。暇がありすぎると、自分の孤独や不幸さと向き合ってしまう。多くの人、つまり「普通の人々」は忙しさを武器にこれらと向き合わないようにしているんじゃないか、と思う。でも、さだはこの歌の中で、こういう「普通の人々」の行動では本質的な解決にはならないことを伝えようとしているんだ。

 いま、「孤独死」が増えているって、知っている? マンションとかで一人で誰にも看取られずに死ぬこと。お年寄りだけが対象だと思っていたけど、そうじゃないみたいだね。ものの本によると、孤独死しているのは45から60くらいの男性が多いみたい。奥さんに離婚された後、生きている気力がなくなり、そんなタイミングで病いにかかってしまう。それくらい、「孤独」ってこわいことみたいだね。

 だから仕事で寂しさを紛らわしていることって、なにかの機会で孤独死してしまう可能性があるよね。

 先日、大学1年生のときの友人と会ったよ。俺の酒の量が増えているといっていた。「昔はビールでも赤くなっていたのに、ウイスキーのロックを普通に飲んでいる」とね。そういえば寂しさに任せて、家でけっこう飲むようになっていたな。なんとかしないと、自分も孤独死することになりそうなんだ。アル中で死ぬ人もいるしね。

 さだの「普通の人々」は、次の歌詞で締めくくられてるんだ。

「何も気にする事なんかない なのに何か不安で

 No Message

 寂しいと言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆くほど 孤独でもない

 生きる為の方法は 駅の数程あるんだから

 生きる為の方法は 人の数だけあるんだから」

 さだの音楽を聴いていて、自分の「生きる為の方法」を探すしかない、と思うんだよね。なかなか、難しいことだけれど。

 ちょっと前の話だけど、イベントのビラをもらった際、「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」というフレーズが載っていた。俺の実感と非常にあっているような気がした。 

 中世や前期近代と違い、僕らが生きている近代成熟期、いわゆるポストモダンの時代は「こうすれば生きていける」「こうやれば幸せになれる」という図式が完全になくなっている。何をやってもいい、だけれどもそれで自分が幸せかは別問題。それでいて、まだ社会には前期近代の考え方が残っていて、「そんな生き方、許されると思っているのか」といわれることもかなり多い。「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」ことが、まだまだ難しい。でも、将来的にはそういう生き方をするほうが幸せになれる気がする。

 元の話に戻るけれど、どうせ人間は分かり合えない。それは否定しようのない事実だと思うんだ。けれど、そこで諦めるんじゃなくて、それを乗り越える方法が必要なんだろうね。その方法、俺にはあんまりよくわからないけど。

 いまカーテンを空け、空を見上げてる。隣のアパートの上方には相変わらずの、青い空。秋の澄んだ空に小さな雲が浮かんでいるのを見ると、どことなく壮大な思いがしてくる。

 人間なんて小さな存在だ。話して分かり合えるとか、分かり合えないとか、どうでもいいことのように思えてきた。別に分かり合えなくても、人間どうし、共生することは可能なのではないかと思った。

 こんな駄文を最後まで読んでくれて嬉しいよ。ありがとう。特に伝えたいメッセージがあったわけでもないのに、ごめんね。

                           加山

 平成14112




 手紙の全文をノートパソコンで打ち込むのは面倒であったが、ようやく終わった。加山さんは几帳面な小さな文字で、便箋を埋めていた。私には趣旨の理解できないところもあったが(私はさだをほとんど聴かない)、なぜかしら打っているうちに涙が出てきた。

 加山さんという人は、なぜこんな手紙を書いたのだろうか。封筒に宛名を書かなかったところを見ると、本当は誰かに出すためではなく、自分自身のために書いたのではないだろうか。

 書くことは、しばしば人を救済する。自分自身が自分自身の状況を踏まえた文章を書くことで、問題が解決することがある。ゲーテは自殺しそうなくらい、恋愛で思い悩んだ。小説の主人公に自殺させることで、ゲーテ自身は生き残ることができたのだ。きっと加山さんは自分だけのために、自分が自分のことを整理するためだけにこの手紙を書いたのだ。

 レヴィナスは<時間とは、自分が他者になるプロセス>だといった。過去の自分はいまの自分とは違う。時間が経てば経つほど、自分は他人に近づいていく。物を書くという行為は、未来の自分という「他者」に宛てて書く手紙である。

 映画『ライムライト』において、チャップリンは語る。「時間は最高の芸術家だ。いつも完璧な結論を書く」。小学生のとき観た時はわからなかった言葉だが、いまならば意味がよく理解できる。

 早まった行動をするくらいなら(加山さんは手首を切ろうとしている)、「解決は将来に任せた」と判断留保をするという行動が必要なのではないだろうか。

 大家さんに、自分の前にアパートの201号室を使っていた人のことを尋ねてみた。必ず月末に家賃を納めていて、家にいることが多かった人のようだ。なにやら人間関係で苦しんでいたらしい加山さんは、ずいぶんと真面目な人であったのだ。余談だが、この部屋に入りたての頃、日本経済新聞の集金の人がやってきて危うくお金を払わされそうになったことを思い出す。

 自分に手に入る加山さんの情報はこれが全部だ。アパートの隣の人も、自分が201に入ってから2度代わった。もう誰もアパートのあたりで加山さんを知る人はいない。自分もあと数年後、きっとそうなる。大家さんにも隣の人にも、それほど話をしていない。

 誰も自分の存在を知らなくなった後、将来「ここが自分のアパートだ」と指差したとしても、誰がそれを証明できるのであろう。「私」の絶対性は時の経過とともに薄れていく。いまからそれが怖い。

 人間関係に否定的な加山さんと私とは、かなり価値観が一致している。けれど一つだけ異なる点がある。私は対話による救済を信じているが、加山さんはその道を否定し、自己自らの力だけでの救済を願っているのである。「他人に頼ったら負けだ」との思いが感じられる。

 思うのであるが、加山さんはこの手紙を「君」といっている人に出すべきだったのだ。自己の状況を誰かに伝えた時点で、何らかの解決の糸口が見つかったはずなのだ。それを自分だけで解決しようとしたのが、加山さんの(言いすぎかもしれないが)失敗といえるだろう。

 「どうせ誰もわかってくれない」。そうやって、他者を軽視し、他者へ伝えることを諦めた時点で、加山さんは苦しむ運命にあったのだ。

 以上が私の推理ではあるが、この手紙の主である加山さんと一度会って話をしてみたいと思っている。会ったからどうなるわけでもないが、ひょっとすると加山さんの救いになるかもしれないと思うのである。

 自分が加山さんの状況に陥ったら、どうするであろうか。「君」へ手紙を書き、それを屋根裏に隠すだろうか。書き終えてしまうと、こんな手紙、手元においておくのがつらくなる。茶封筒の色が視野に入るたびに、嫌な記憶が呼び戻される。それに、部屋においておくと誰かが勝手に見てしまうかもしれない。やはり保存するなら屋根裏になってしまう。

 それでも自分なら、「君」に可能性を託して手紙を送るだろう。

不幸と愚行権

 生まれたことを「生の躍動」とみるか、「しかたなく、勝手にこの世に放り出される」とみるか。人生観は違ってくるだろう。
 後者の立場には2つがある。「無意味かも知れぬ生を楽しく生きる」というポジティブ思考もあれば、「生は無意味」で止めるネガティブ思考もある。
 残念ながら私は「しかたなく」派で「そこそこ楽しく過ごそう」という考え方なのだ。
 「不幸」といえば、そんなテーマで昨夜後輩のTと語り合った。「愚行権」はどこまで認められるか、というのがテーマである。
 他人に危害を加えない限り、たとえ愚かといわれるようなことをしても、それは個人の自由という考え。それが愚行権。他者に「ほっといてくれ!」という自由権に付随する考え方だ。あえて不幸になるという選択をすることも、「個人の自由」になるのかどうか。
 Tは「それが次の世代にも影響をもたらすなら、愚行権の範囲内とはいえなくなる」ということを主張。私は「その判断は恣意的なものになりやすい」ということを述べる。続けて「正しい/正しくないという区別は現代において行うことができない。人から不幸といわれるような生き方をするのも個人の自由だ」と語った。
 Tとの結論として<アダルトチルドレンなどは次の世代にも影響するから、「アダルトチルドレンのままで生きる」ということを愚行権の範囲内に入れることはできず、何らかの形で治療が必要だろう>と纏まった。けれど「治療」を行うとき、行政権力が個人の自由を半ば侵害する形で介入してくることになる。行政側が「この人は治療が必要だ」という判断を決めるようになると、無意味な人権侵害が増えることになるのではないか、という問題点も出てきた。
 ともあれ、個人の生き方に他者はなるべく口出しをしないほうがいいというのは事実であろう。個人の選択により「不幸な生き方」「面倒な生き方」「つらい生き方」をするのも、認めていくべきであろう。あくまで「本人が望むなら」という留保がつくのではあるが。
さだまさしの「普通の人々」という曲を思い出す。
退屈と言える程 幸せじゃないけれど
不幸だと嘆く程 暇もない毎日
(・・・)
寂しいと言える程 幸せじゃないけれど
不幸だと嘆く程 孤独でもない
生きる為の方法(やりかた)は 駅の数程あるんだから
生きる為の方法(やりかた)は 人の数だけあるんだから
 「生きる為の方法」は人それぞれ。それがリベラリズムの考え方である。

教育とは権力なり。

いま、卒論を執筆中。

教育と権力の関係が、頭に上ってくるようになった。
「教育しよう」という意思には、「他人を意のままにあやつる」という側面がつきまとう。たとえ被教育者である子どものことを考えていたとしても。
『オートポイエーシスの教育』の山下は、教育というものは子どもを社会化させる営みであると語る。多少強制的に教育を行ったとしても、それは絶対に必要なものだ、と考えているためである。私は山下のようには考えない。強制的に教育を行おうとする意思は、やはり権力作用であり、なるべくなくしていくほうがよいのではないか、と思うのである。
カール=べライターは、教員が「こんな風に子どもが成長するようにしよう」と教育することを批判する。ベビーシッターは他人の子どもの教育に口を出さないのに、なぜ教員は他人の子どもの教育、しかも精神面まで口を出せるのか、と。その後、次のように書いている。

信頼に値する公務員(注 教員のこと)は、教育するという権力を、人々を豊かにする権力と同じように重視する者でなければならない。この権力は濫用されてはならず、できるだけ公正、公平、かつ自制して行使されるべきである。(『教育のない学校』18頁)

教育は権力である。その自覚を忘れない教育実践こそが、近代成熟期の日本で必要なのだと思う。

反面教師的リーダー論

 昨日、2泊3日のゼミ合宿が終わった。異なる価値観を持つゼミ生同士で有意義な対話を行うことができたと思う。

 本合宿で私はリーダーシップの持つ矛盾を、若干ではあるが実感した。
 優秀なリーダー(本項ではゼミ長)がいる組織は、時にそのリーダーに「おんぶに抱っこ」状態になる。「リーダーに任せておけば何とかなる」。この状態が続くと、リーダーに従うものは何も考えなくなる。だってリーダーが全部やってくれるのだから。リーダーが優秀だと、他のメンバーの成長がなくなってしまうときがある。
 逆に、リーダーがダメだったときはどうなるだろう。「こいつでは不安だ」と心あるメンバーが自主的に動くようになる。リーダー自身「自分には能力がない」ことを自覚しているとき、自主的に動くメンバーの行動に好意的になり、結果的にリーダー以外のメンバーも成長していく。結果的にではあるが、組織全体が活発になるのである。
 リーダーが優秀で、しかも「自分には統率力がある」ことを自認しているとき、自分以上に優秀な人間に嫉妬を抱き、その人間を邪険に扱う。結局、組織が滅びることになる。
 自分は本当にダメなゼミ長であった。合宿中、毎朝寝坊して食堂スタッフにキレられていた。仕切るべきタイミングで仕切らず、どうでもいいことでリーダーシップを発揮した。けれど、ゼミ合宿は無事に終了。偉大な周囲のメンバーのおかげである。
 無論、自身の責任をリーダーが放棄してはいけない。そのとき組織は完全に崩壊してしまうだろう。けれど「俺には能力がない」、「自分はダメなリーダーだ」ということを自覚し、まわりにも相談していると、助けてくれる協力者がきっと見つかるはずである。その組織を必要とする人がいる限り、協力者はおそらく出てくる。
 結論。リーダーがダメダメな方が組織は発展する。組織のメンバーが危機感を抱くからだ。
注 ダメリーダーに対する危機感の結果、リーダー排斥運動が起きてしまう危険性はゼロではない。