エッセイ

漫才を始める。

最近、本格的に漫才の練習を始めた。
サークルの後輩のS君に誘われ、9月半ばのM−1の予選に出ることになった。

予選150組中、2次予選に出れるのはわずか30組。その組の中に素人(プロでない人)で残るのは1組くらいになっているという。

S君の指示に従い、ひたすらボケの練習をする。

時に「こんな恥ずかしいこと、出来るか!」と思うが、練習を続ける。漫才において、コンビ仲の悪くなることが多いという。その理由が少しわかった気がする。
演劇において、演出家の地位は果てしなく高い。どんな役者も、演出家の指示に従うよう努力をする。
漫才の場合、漫才の進行を考えるのは当事者2人である。けれど、両者の考えのぶつかることがかなりあるだろう。地位が高い側がなく、一見対等であるからだ。ひたすら指示に従って動くことは、漫才において非常に重要な要素である。2人の動きのバランスにおいて、笑いの成立/不成立が決まるためだ。

現在の私はS君の指示のもと、ひたすら平田オリザのいう「考えるコマ」になるべく努力している。変に自分の考えや意見を持って行動しない主義で動いている。
漫才や演劇等で重要なのは、指示におとなしく従うことである。結果的に作品が素晴らしくなるなら、自発的に自らの意志を抑圧するという選択を取るべきなのだ。

いつも「自分で考える」ことの大事さを主張している私が、「意志を抑圧する」ことを主張する。矛盾しているようだが、意志の抑圧を「自分で考え」た結果行うべきタイミングは存在しているのである。

Don’t feel. Think!

 試験会場で、試験官が「どうせ皆読まないだろうから」と試験の規定を棒読みする。それが公平な試験にとって必要なことだと思われている。受験生はボーっと話を聞く。これ、「学校化」された典型的な学校と同じだと思う。

 「どうせ自分では学ばないから、俺が教えてやるしかない」と教員が一方的に話をする。生徒は教科書に載っているような話まで、黙って聞かなければならない。少なくとも、聞いているフリをしないと評価が下がる。
 これでは知識を学んでも、知識にだまされる「考えない」人間になってしまう。
 ブルース・リーは映画で言った。「Don’n think. Feel!」と(『燃えよドラゴン』)。
 いま、学校の中では教員や生徒の出す空気を感じ取ることを重視し、自分の頭で考えることが少なくなっている(O先生の言う「他人の頭に頼る」「自分の頭で考えることに自信を持てない」)。
 いまの時代、ブルース・リーの逆が必要だ。「Don’t feel. Think!」と。

欲しないと水は飲めない。

 イリッチは『脱学校の社会』(山本哲士によれば『学校のない社会』)のなかで、子ども自身/人間個人の「学び」が、「学校」によって失われるということを批判していた。学校により、人々は「学んだことは教えられたことの結果だ」という大いなる勘違いを行ってしまう。「学校化」されてしまうのだ。
 宋文洲『社員のモチベーションは上げるな!』という本がある。その中に、次の話が出てくる。

やる気のない人を放っておこう。
 やる気のない部下を許そう。
 これが本書の“本質”です。
 喉が渇いたら、馬は自ら水を探します。そのときは、馬が真剣に、水の匂いを嗅ぎ分け、道を探すのです。
 水がいらない馬を、川に引っ張っていくことは、ムダなことであり、自己満足にすぎません。
 乾きこそ、モチベーションの源泉です。
 他人に与えられるのではなく、自分で感じ取るものです。
 生きていれば、必ず渇くときがあります。
 他人にモチベーションを上げてもらおうと考えた瞬間に、モチベーションの炎が、あなたの心から消え去ります。(6~7頁)


 学校の教育は、いわば水を欲しない馬(子ども)にむりやり水を飲ませよう(学ばせようとすること)とするものである。需要がない所に、無理やり供給をもたらそうとしている。ムダである。これが学校化社会の特徴でもある。
 引用文ではモチベーションを謳っているが、学校においては「学ぶモチベーション」と考えることができるだろう。学校は、無理して子どもに「学ぼうよ」「勉強しようよ」と呼びかける。あるいは恫喝的に「勉強しろ!」「宿題忘れるな!」を叫ぶ。
  これだけで済めばいいのだが、子どもたちは次第に「学校化」される。自分の「学ぶ意欲/モチベーション」を他者に上げてもらおうと考えるようになる。小中 高と、他人から「学べ!」と強制され、結果的に自分から学ぼうとしなくなる。「誰かに言われるから」という自主性のない学びのみとなる。
 現在の大学もそうなっている。高校の延長でやってきているため「自分の研究をしなさい」と言われても「何をすればいいんですか?」「やる気が起きません」とシラッと返す。完全に「学校化」された姿だ。自主性をもった「学び」が起きない。

 私は、学問と言うものは「禁止されても、ついついやってしまう」麻薬みたいなものだと思う。「本を読むな!」と仮に言われても、こっそり陰で呼んでしまうだろう。学問に志すと言うことは、ある意味麻薬を始めることに似ている。学ばずにはいられなくなる。
 本来の学びは、これくらい中毒性の強いものなのだ。真に自発的に「学ぶ」意欲が湧いたとき、人間は果てしなく学んでいくものなのだろう。それを無理やり学ばせようとするから、「学べ!」と強制されない限り自分から学ばない「学校化」された個人が誕生してしまう。

子どもの冒険の自由と、教育組織としての安全確保義務の軋轢。

 もうすぐ、私がボランティアをしているもう一つの組織の活動が始まる。中学・高校の寮のボランティアである。夏休みが終わり、新学期が始まるからだ。寮生の安全確保や見回りなどが仕事の内容。後は寮生と語り合って有意義な時間を過ごしている。

 いつも着任のたびに思うのは子ども(寮生)の「冒険」の自由と、教育組織としての安全確保義務との軋轢である。寮生は時々、かなりのムチャをする。行事前の徹夜、いまは減ったが寮の夜間抜け出しなどである。私はボランティアの立場からこういった行為を止めに入る。万が一、事故・怪我があった場合、学校組織としての責任が発生するからだ。けれど、それがときに寮生の「冒険」「挑戦」の自由を阻害しているように思うときもある。
 フリースクールの場合は少し異なるようだ。『フリースクールとはなにか』(NPO法人東京シューレ編、教育資料出版会、2000年)という本がある。フリースクール・東京シューレに通う子ども達の日常を綴った本である。サブタイトルの「子どもが創る・子どもと創る」にあるように、子どもの自発性に任せた活動を行っているのが東京シューレだ。子ども達が「やりたい」という自発性に基づいて、行動を行う。本書に載った内容を見ると、「危険じゃないのか?」と思うものもあった。それでも、「子ども中心の教育」を行うため、大きく抱擁する形で教育活動が日々行われている。
 無論、事故・怪我が起きたときのため、保険をかけたり、スタッフが付き添ったりしているのだろう。けれど、万が一事故が起きたとき、マスコミ沙汰になり「あのフリースクールは何をやっているのだ」という非難にさらされてしまう。
 私のボランティアをしている寮は、安全確保を何度も呼びかけ、事故を未然に防ごうとしている。
 教育において難しいのは、ここに書いた内容であろう。かつて親友のOがゼミにおいて「性教育でも、間違いから学ぶことが重要だ」と発言したところ、顰蹙を買ったと聞いた。「失敗から学ぶ」のは当然重要な考えなのだが、例えば実際に「妊娠中絶」を経験して学ぶというのはいかがなものか、とは思ってしまう。けれど、考え方としえては「失敗から学ぶ」という方向性は成立することであろう。いま参議院議員の「ヤンキー先生」は、公約として「子どもたちが安心して失敗できる社会に」と言っていたことを思い出す。
 教育組織としては子どもが失敗(事故や怪我)しないようにするが求められるが、失敗することから子どもは多くを学ぶ。子どもの冒険の自由とは、この「子どもは失敗からも多くを学ぶ」ということを理論化したものだ。また子どもが自発的に行動を行っていく、ということにもつながる発想である。大人が「安全確保」を行い、失敗をする危険性から子どもの行動を阻害した場合、子どもの成長するチャンスがつぶされてしまうのではないか、と思う。
 私の行っている寮は中学生と高校生の寮だ。ある程度、大人である。安全確保をするのは当然だが、もう少し寮生の自由の幅を広げてあげてもいいのじゃないか、と思うことがある。
 
 けれど、さきほどの「妊娠中絶」の話ではないが、「大失敗」的な失敗をしないよう、大人は子どもに接していくべきでもある。子どもの冒険の自由と教育組織の安全確保義務は、単純なゼロサムゲームではないのだ。片方を求めれば、もう片方が立たなくなるものではない。折り合いをつけながら、バランスを取ることこそが必要なのだ。どの程度まで「冒険」を認めるか否か、という点である。
 この問題はもう少し考えていきたい。
追記
 『千と千尋の神隠し』という映画がある。両親を助けるため、千尋は温泉宿で働くなかで、神様やカオナシのおこす問題を解決していく、というストーリーである。千尋の「冒険」が、物語を成立させている。
 重要なのはこの千尋の「冒険」は、両親には一切見えていないということだ。教員や、地域の大人にも見えていない(別の世界の話だから、当たり前といえば当たり前)。子どもの自主的な冒険はそもそも大人には見えないものではないだろうか。同じく宮崎アニメの『となりのトトロ』も、メイとサツキ姉妹の「冒険」はトトロやネコバス同様、大人には見えていない。
 おそらく寮の中でもフリースクールの中でも、大人(教員やボランティアの学生)には見えない「冒険」が繰り広げられていることだろう。表面化に出た「冒険」のみを、大人が認識する。
 本稿の中で「子どもの冒険の自由と、教育組織としての安全確保義務の軋轢」を問題にしたが、そもそも子どもは冒険をどんなに「安全確保のため、禁止!」されたとしても、大人の見えないところで冒険してしまう存在なのではないかと思っている。ちょうど、高校生のときの自分のように。

プロ論

やる気がない時の対象法を私は知りたい。

やる気は無理に出すものではないが、やる気のないものは大体の場合、やる気のあるものに入れ替えられてしまう。

やる気を出す。これは難しい。

プロは最低のコンディションでも、お金をもらえるくらいのパフォーマンスを出来る人のことを言う。どんなときでも要求される水準以上の働きをしなければ、プロではないのだ。

やる気を出すよりも、「プロになる」ことを考え、修行せよ。やる気がなくても、要求する仕事をするのだ。この自覚を忘れてはならない。

幸せになれないのも芸のうち。

 古来より芸術は「ハッピーな人」によって担われてきたわけではない。むしろ逆である。「アヴァンギャルド」とはいい言葉であるが、周囲より「変人」・「風変わり」・「可哀想」と思われてきた側面が強い。今でさえ、アヴァンギャルドつまり前衛芸術家は「アンタたち、そんな変な絵を描いてて何が楽しいの?」という視点に絶えず晒されている。一昔前のアングラ演劇も、全く差別されない芸術だった、といえば嘘になる。
 現代では高い評価を持つ「能」も、然りである。河原者(かわらもの)によって担われてきたのが能である。河原者とは、家がなくて河原に勝手に住まいを作って住んでいる人のことを言う。現代でいえば、そうホームレス。能の演者は被差別民であった。

 ある意味、差別されるという属性を持つからこそ、芸術を行えるように思える。差別され、世間一般的な「幸せ」をつかむことができないからこそ、芸術に打ち込むのだろう。
 幸せになれないのも芸のうち、である。幸せになる道はたくさんある。「にもかかわらず」、幸せになれない芸術の道を行く。だからこそ、いい芸術が生まれるのだろう。幸せすぎる人間は、そもそも芸術に手を出さない。出しても途中で辞めてしまう。
 ゴーギャンは希有な人間だ。人生途中から絵を描きはじめ、生涯を絵に賭けた人物だからだ。ゴーギャンは株仲買人として成功するが、途中から本気で画家を目指す。生計を立てられないから妻子と別居。どんどん貧しくなる。南の島に夢を求めてタヒチに行くが、そこでも自分は異端扱い。絵を描いてパリに戻っても、そこに馴染むことができない。仕方なく、再びタヒチに。最愛の娘の死の知らせは島で聞くことになる。悲嘆するゴーギャン。彼は遺書のつもりで絵筆を握る。最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何物か 我々はどこへいくのか」がこうして生まれるのである。
 ゴーギャンは、絵を描けば描くほど不幸になった。けれど不幸だからこそ、恐ろしいほどの名画を残すことができた。いま竹橋の美術館で観ることが出来るのも、彼が不幸であったためである。ありがとう、ゴーギャン。
 
 ゴーギャンの生涯を見てみると、改めて「幸せになれないのも芸のうち」との認識を強くする。
 
 幸せになれないのも芸のうち。
 組織に馴染めないのも一種の才能。

 私がブログを書くのも、幸せだから書くのではない。書くことでつかの間の幸福を感じられるから書くのであって、もとが幸せだから書いているわけではないのだ。「悩み」があるからこそ、ブログを書いているのだろう。

 しかし、何事にも例外がある。ルーベンスがそうである。彼は生涯、ずっと幸せな生活を過ごす。絵も生前から好評価。うらやましい限りだ。

飛べないテントウムシ

 新聞に「世界初 飛べないテントウムシ」を遺伝子操作でつくり出した、というニュースが載っていた。

 テントウムシはアブラムシ等の害虫を食べる「益虫」(えきちゅう)である。遺伝子操作で羽のないテントウムシを畑に蒔けば、勝手に飛んでいかないので効率よく害虫駆除が出来る。農薬で害虫を殺す必要がないため、「環境に優しい『生物農薬』に」と書かれていた。

 よく考えるなら、これって恐ろしいことではないか? 確かに「遺伝子組み換えではなく、子孫は羽のある正常なテントウムシが生まれるため、生態系への影響は少ない」とは言っている。けれど、だからといってこの技術の使用を許可して構わないのだろうか? 

 残念ながら、感情論としてしか私は反対できない。論理面・倫理面から批判を行う頭脳を持っていない。
 科学技術の発展に対し、感情論で反対をしていても何の問題解決にもならない。必要なのは論理的な批判である。
 教育学徒としては、いかにすれば「論理的な批判」を科学技術に対し行える技術を教育できるか、が気にかかる。この場合の教育とは、子どもに行う教育ではなく、自己教育である。自己を教育できないものに、他人を教育することはできないはずだからだ。

参考:https://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKB0139%2020072009&g=K1&d=20090722

決意と持続の関係性。

 サークルで、なかなか青っぽい話をした。いま早稲田にいる意味は何か? 自分は将来、どのように生きていくことが正しいのか? なにを今決意して、社会に出るべきか?

 「青っぽい」というのは、青年っぽい、ということだ。現実を見据えないからこそ、言えることでもある。江川達也のいわく「世の中の人は、これほどまで自分のことしか考えないのかと知った」。しょせん人は、色と欲。言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、「あえて言う」ことに意義がある。あえて、自分の将来についてを話し合うことに意味があるのだ。
 
 一通り話し終わった後、私は発言した。
「いま言った話を、40年経っても自覚できるかどうかが大事なんじゃないか」
 まわりが静まった。「持続」こそが難しいのである。

 決意を持続するのどうやればよいのだろう? そこでは語らなかったが、ここで書いてみることにする。
 
 決意とは、持続しないからこそ決意なのである。三日坊主に終る人間は、「次こそは、絶対挫折しない」といくら強く決意しても、やはりすぐに挫折する。
 挫折するからと言って、「挫折しないように強く強く決意する」ということで対応するのは切りがない。
 学校現場で言われる「心の理解」も同じこと。子どもの行動をわかってあげられなかった、「もっと心を理解しよう」。やっぱり駄目だった、「もっと心を理解しよう」。無限ループである。

 ではどうするか? 「挫折しない」という決意をする前に、「決意は挫折するものだ」との認識から入ればいいのである。それから、「挫折しかけた時に、再び決意する方法」を考えれば良いのだ。その方法は人それぞれ。気のいい仲間から励ましてもらったり(「恋人」だとなおグッド)、毎朝新たに決意したりするのを習慣にしたりしたらいい。

 重要なのは、「そもそも決意は挫折するものだ」と諦めて認識し直すことである。世の中の「無限ループ」を解除する方法は、「そもそも無理なのだ」とあきらめることから始めるべきだ。
 「心の理解」なら、「心の理解なんて、完全に行うことは出来ない」と諦めることだ。「心の理解は出来ないけど、その子どものためになる授業をしたい」などと認識し直すことである。

 無理なことは、無理だと気づくこと。いい意味の「あきらめ」が必要である。
 先週も、バイト先でタイムカードを押し忘れてしまった私。「もう押し忘れない」と決意する前に、手帳に「タイムカード」と書いておくことにしよう。

「学校化」された私。

 何故だろうか。

 どんなに努力をしても、どんなに「考え方を変えよう」と意識しても、自分の学歴主義を打ち消すことができない。

 今日も、本屋で『東大式 絶対情報学』との本を無意識で購入していた。「東大」という言葉に、まだ体が反応してしまう。

 早稲田大学生は、「東大を諦めた」組が多い。「負け組」認識をもっている側面もある。だから無意識のうちに、「東大」の名に反応してしまう。

 フリースクールやオルタナティブスクールに心惹かれながらも、「東大」というブランド・学歴信仰から逃れられていないのが私である。

 社会学者・宮台真司の「学校化」定義。《家や地域までもが学校的価値で一元化されることを私は「学校化」と呼びます》(『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』281頁)。私の頭の中も、「学校化」されてしまっている。

 卒業論文を書く段になって、自分がいかに「学校化」された存在であるか、実感するようになった。
 
 中学では、私は「優等生」であった。優等生特有の「優等生シンドローム」も発症していた。教員の質問に、真っ先に答える能力。言われたことを、疑わずに実行する力。
 高校に入って、状況が変わる。周りは自分以上の優等生ばかり。中学と同じやり方では太刀打ちできない。私は、中学のとき以上に「優等生」になろうと決意した。
 わが母校では勉強ができること以上に、高校の創立の精神を求めていることが重要視されていた。今の時代、珍しい学校である。校歌を歌い、「真の学園生とはどのような生徒か」真剣に語り合う。無理をしてでも、学問と「精神面」を鍛えようと決意した。「俺はすごいんだ!」と言いたくて、生徒会にも入った。翌年には生徒会長に。けれど、母校では生徒会長の権限は行事の実行委員会よりも小さく、意気消沈。「何のために生徒会はあるのだッ!」と、埃っぽい生徒会室で泣き叫んだ日々もあった。 
 生徒会での自己実現を諦め、受験勉強で「俺は勝った!」と言おうと思い立つ。ちょうどその頃、クラスから見放される事件が起こり、ますます受験に専念した。休み時間は耳栓を付けた。昼食は一人で菓子パンをかじった。他者と折り合わないために。けれど、受験は第五志望にしか受からなかった。
 結局、私は「優等生」になることが出来なかった。中学以来の「優等生気質」はありながら、「優等生」にはなれない。悔しさと、惨めさ。高校の卒業文集に映った顔写真。私だけが笑っていない。
 結果的に悟ったのは、人と比べてもどうにもならないということ。けれど、「人と比べる」ことを私の身体に刻み込んだのは、学校ではなかったか。学校のシステム自体が、人と比べることを要求している。私はそのシステムに、すっかり「学校化」されてしまった。今もこの傾向は残っている。「東大」という言葉への、無意識的反応がそれである。

 ひょっとすると、私がフリースクールや脱学校論に関心を持つのも、「学校化」の成せる技ではないだろうか? つまり、東大に行けなかったという私のルサンチマン(恨み)が、学歴主義に反するフリースクールに心惹かれるきっかけとなっているのではないか、と思うのである。

 ただ、自分がいかに「学校化」された存在であるか、気づけたことだけでも、大学に行った意味があったように思う。早稲田の教育学部に行かなければ(もっといえば、脱学校論についてをK先生の授業で聴かなければ)、このことを自己認識することはなかったであろう。
 人生は、誠に奇妙なことである。第一志望に行くことだけが、幸福なのではない。私にとって、早稲田の教育学部は第五志望。夏に諦めた東大を入れるなら、実に第六志望となる。

 …自称「三流エリート」、石田一のモノローグでした。
 

*宮台真司『これが答えだ!新世紀を生きるための108問108答』朝日文庫、2002年。

「にもかかわらず」のボランティア

*本作は私が2年生のときに書いたエッセイである。いまさら見ると、気恥ずかしい。

 ある日のこと。授業が終わり教室をふと見回す。机の上に、誰かの携帯がある。教室にはあなた一人だけだ。このとき、あなたはどうするか?

(1) そのままにしておく。
(2) 学部の事務所にもって行き、「忘れ物です」と伝える。
(3) 中を興味半分に見る。

 先日、私はこの状況に出くわした。授業に行く途中、空き教室に携帯がぽつんとある。授業後に覗くとまだ残っている。その部屋で授業を受けていた人も、確実に視野に入ったはずであるのに、みな携帯をスルーして退出していった。教室の中には私ひとり。時計を見ると、次の授業までもう時間がない。おまけに今日は7限までぶっ通しで授業がある。事務所は19時には閉まってしまう。葛藤が始まった。(3)は論外として、(1)か(2)か。
結果、私は(2)を選んだ。たとえ授業に遅れても、携帯がなくなり、困る人がいるだろうからだ。「勝手に場所を変えたら、かえって見つからなくなる」という人もいるかもしれない。しかし、世の中には(1)してくれる人ばかりではない。時には(3)を選ぶ人がいておかしくないし、場合によっては名簿をどこかの業者に売る輩もいるかもしれない。そう考えて、多少授業に遅れたが事務所に届けたのであった。
 日本におけるボランティア論の先駆に、金子郁容がいる。金子は著書『ボランティア もうひとつの情報社会』において、こう言っている。「『ボランティアとしてのかかわり方』を選択をするということは、(中略)自分自身をひ弱い立場に立たせることを意味する」。ボランティアする者は、ひ弱い立場にある、というのだ。先の例でいえば、確かに授業に遅れ、遅刻扱いされることもある。仮に「携帯を届けにいっていた」と伝えても、遅刻が取り消される保証はない。この決定が、成績に響くこともある。しかし、「にもかかわらず」、リスクを背負ってでも他者のために行動する。これが真のボランティアといえるのではないか。
先に示した引用のあと、金子は次のように書いている。あえて自分を弱い立場に立たせるかわりに、「意外な展開や、不思議な魅力のある関係性がプレゼントされることをボランティア〔する人〕は経験的に知っている」(〔 〕内は藤本)。ここでいう「関係性」とは、他者を思いやれる心であろう。あるいは、相手からの感謝のことであろう。喜ばれるとうれしいから、善意で行動する。誰にも経験があるだろう。
別の例を出そう。あきらかに道に迷っている人がいる。たくさんの荷物を持ち、あたふたしている。自分は授業に遅れそうだ。このとき、あなたはどう反応するか? 授業に遅れそう、でも「にもかかわらず」道を教えられるかどうか。相手からの感謝を期待すること、つまり「意外な展開や、不思議な魅力ある関係性」の「プレゼント」を期待して行動できるか。ボランティアの精神は、「にもかかわらず」動けるか、ということに帰着するのだと思う。
 こちらがまったくの善意で行うのが、一般的なボランティアだ。通常は、感謝されることが多い。が、善意で行ったことはしばしば誤解される。むこうが怒り出すことさえある。席をお年寄りに譲ったとき、「人を年寄り扱いするな」と怒鳴られた、ボランティアに出たとき友人から「点数稼ぎ」といわれた、電車を転がる空き缶を拾ったとき、まわりから変な目で見られた、等など。まったくの善意で行ったことで誤解を受けると、ものすごく身にこたえるものである。私にも経験がある。「何でボランティアなどやったんだろう?」と思ってしまう。金子のいうとおり、ボランティアする者は「ひ弱い立場」に立たされているのだ。
 誤解を受ける。しかし、それにへこたれず、つまり「にもかかわらず」にボランティアの実践を続ける。これが真のボランティアだといえるのではないか。たとえ相手が誤解したとしても、自分の行動自体は善なのである。そこは自信を持っていい。何も動けない人の方が、よっぽど心が貧しいのだ。私はそう考えるようにしている。
 ボランティアの立場はたしかに弱い。しかし、「にもかかわらず」行うのが真のボランティアである。さまざまなつらさを超えてこそ、他者を思いやれる人物になれると感じるからだ。

*金子郁容著『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書)1992年、p112より引用。