エッセイ

ゴーギャン展に思うこと。

 「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。

 何の問いかけであろうか。これは、ゴーギャンの最高傑作とされる絵画の題名である。ゴーギャン自身も「私は、この作品がこれまで描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同等のものも、決して描くことはできまいと信じている」と述べている。
 友人のOに薦められて、竹橋の東京国立近代美術館のゴーギャン展を昨日見てきた。ぐるぐる館内をめぐった後、冒頭に書いた「我々は・・・」の前で私はノートを広げた。目の前に広がる光景を見つつ、心に浮かぶことを書き綴っていったのだ。
 じーっと見るなかで、生命の持つダイナミズムを感じた。生命はつねに動き続け、静止することがない。生命の「動」についてを実感していった。画中の少女はそのうちリンゴをかじり終えるだろうし、水浴している女性はやがて水浴をやめる。今日赤ん坊であっても、そのうち死を目前にした老人となる。生命は「変化」「動」の連続である。本絵画全体のあいまいさは、人間生命のアナログ(連続)性を示してもいるようだ。
 「美」もやがてうつり変わる。生命の「動」、連続性。それを前に、座り込んで佇むのも必要だが、その時間もやがて移りゆく。
 熱帯にいても文明圏にいても、生老病死からは逃れられない。ゆえに、そのことに絶望するよりは、「変化こそ生命」と見るほうがよいだろう。
 私のまわりで本作を見ている人々は、次々と場所を移動し、次の作品へと移っていく。とどまり続けるものは誰もいない。この「動」こそが生命である。
 ゴーギャンは生命の「動」を、絵画という「静」の技法で示そうとした。そこに無理があるといえばそうだが、いまにも語り出しそうな人物たちの姿を見ていると、やはり「動」がこの絵にあふれているように思う。
 
 変化こそが生命だ。「万物は流転する」のである。ただ、その「流転」もエヴァ(旧約聖書の人物。イヴともいう)が禁断の木の実を取ることから始まった。それがなければ、人間は「静」の世界、無変化の世界しか生きれなかったであろう。
 そういえば、ゴーギャンが来たときのタヒチも、「文明化」の波が始まっていたという。その生々流転する「動」のきっかけは、すべてエヴァの行動からはじまった。本モチーフには、生老病死という「動」の苦しみがもたらす人間の宿命と、それゆえの「ひとときの輝き」「現在の肯定」という二面性が描かれているようだ。
 株仲買人として成功した後に絵を描き始め、35歳で画家になる。収入が著しく減り、妻に逃げられ、絵を描くことだけが彼の生きがいとなる。フランスから出て、南太平洋のタヒチへ。彼の生涯自体、変化の連続。本作は、貧困・健康状態悪化・娘の死という、ゴーギャンのどん底時代に描かれた。
 万物は流転する。変化こそ生命。なら自分も、いまとはちがう何かになれるはずだ。変化を楽しむことが人生を楽しみ、充実させることとなる。
 「変化する主体」としての人間観は、ルーマン以来の教育学のテーマだ。
 オートポイエーシス(自己塑成)という人間像を私は思い出す。勝手に変化するとの動的生命を、私は大事にしたい。よもや教育がこの生命の「動」のダイナミズムを殺してはいないか、と。
 

これからの時代とヴァルネラブル

 『ボランティア もう一つの情報社会』(金子郁容著)という岩波新書がある。結末部分に、ボランティアに関わる人間について、「ヴァルネラブル」という言葉で説明をする箇所がある。

 ヴァルネラブル。英語で書くとvulnerable。「傷つきやすさ」「弱々しさ」を意味する。ボランティアに関わる者は「そんなことをして、一体なんになるの?」「所詮、自分のためでしょ?」という冷たい視線にさらされる。〈にもかかわらず〉、行動し続けられるかどうかが、ボランティアには求められるのだ。周囲から必ずしも評価されるとは限らない。ヴァルネラブルだ。けれど、行動し続けることがボランティアには欠かせない。

 金子郁容のメッセージは、私の生き方にも繋がってくる。来年、大学院に進学する私。研究者を目指している。おそらく、修士課程1年目はフリースクールのボランティアとアルバイトをして生活することとなる。それ以降も、どこかの高校の非常勤講師をしながら自分の研究を進めることとなる。大学に定職を得ても、現場の学校を知るために非常勤講師をやり続けたいと思っている。
 この生き方を選択した場合、私はどこにいっても「はみ出し者」となる。ボランティアでフリースクールへいくと、毎日来ているスタッフと子どもが存在する。そのフリースクールの「常識」を自分だけはいつまでたっても知ることができないかもしれない。ヴァルネラブルだ。
 高校の非常勤講師。クラスを持っていもいなければ、学校集団に馴染みきることもない。ヴァルネラブル。
 大学院に行くということは、まわりのクラスメイトが社会で働いているのを横で眺めつつ、他者には評価されにくい研究をやり続けるということだ。「俺は、一体何をしてるんだろう。社会に出たほうがよっぽどいいんじゃないか」。ヴァルネラブルである。
 私はおそらく、しばらくの間は特定の集団に帰属し、フルタイムで行動するということはないはずだ。曜日ごと、あるいは時間ごとに参加する集団が変わってくる。どこにも落ち着けないということで、弱々しい気持ちになる。「俺はこれでいいのだろうか?」と。
 自分で選んだ道である。この生き方はヴァルネラブルであると自覚して、「わが道を行く」決意で日々進んでいくしかない。支えになるのは自らの哲学と信念である。
 考えれば、共同体が生きていたころは、ヴァルネラブルな生き方をする人間はあまりいなかったであろう。「こう生きればいいんだ」という大きな物語が生きていたために、自らを「弱々しい」立場に落とす必要性は必ずしもなかったのだ。
 今の時代に、特定の集団(会社、公務員など)に属さずに生きる人々は多くいる。その人たちはフリーターと呼ばれたり、ボランティアと呼ばれたり、大学院生と呼ばれたりする。「あえて」特定の集団に属さない生き方をする際は、ヴァルネラブルな存在であることを自覚して、生きることが必要となるような気がしてならない。
追記
●湯川秀樹は、京大のいろんな研究会に参加しまくった、という経歴を持つ。文学など、専門外のところにいき、頓珍漢な発言をするということで有名人だったのだ。ノーベル賞学者の隠された一面である。
 なぜ湯川は自分の専門外の箇所に顔を出しまくったのだろう? ヴァルネラブルな生き方を実践していたのかもしれないと私は思う。
 昨日、フラッと前を通ったことをきっかけに「海洋酸性化」についてのシンポジウムに参加してきた。まわりは理系研究者ばかりのようだ。文系の学部生など、ほとんどいない。発言内容も、化学式が登場しよくわからない。まさにヴァルネラブルな状況だった。けれど、その状況に耐えていると、少しずつだが海洋酸性化という問題について理解できるようになった。
 湯川にとっても、専門外の場所に出るのは私と同じ発想に基づいていたのではないかと思うのである。あえて自分が弱々しくならざるを得ない場所(専門外の研究会)に参加するという態度。ヴァルネラブルを恐れない姿だ。この姿勢を貫いたために、日本人初のノーベル賞受賞に繋がったのではないかと思うのである。
再記
●考えてみれば、不登校という選択もヴァルネラブルな生き方であるように思う。あえてメインストリームを外れるという選択。そしてその選択に伴うデメリットでさえも気にせずに乗り越えていく姿(高検に受かって有名大学に行く人もいる)は、いま私の持っている閉塞感を払拭してくれるのだ。

集団の健全性は、内部批判者への対応によって決まる。

 昨日、サークルの話し合いに参加。議題は、11月8日の早稲田祭企画について。企画の方向性や意義、今後のスケジュール等など。大体2時間半かかった。これから毎週続く。いつ故郷に帰るべきか、毎年タイミングを計るのが難しい。
 本サークルの特徴は、方向性を定める3〜4年生の「首脳」メンバーが、時を追うごとに減っていくという点だ。十数人から始まり、いまはヒトケタ。「次は自分がいなくなるかも…」との不安を、今でも持っているのが私である。

 そのサークル内では「来ないメンバーを何とか来れるようにしよう」という声が強い。以前の私はその声に同調する側だった。けれど、最近は疑問を感じている。無理にサークルに来させることに、いかほどの価値があるのか? 周りの「首脳」は来れなくなったメンバーが戻って来て、「僕が悪かった。ごめん」というシナリオを描いているようである。
 
 あれ、こんな構造、何かに似てるぞ? そうだ、学校組織だ。
 『学校が自由になる日』の内藤朝雄の文章を思い出す。日本の学校共同体の中では いじめられた側が「私が悪かった。性格を直すから、仲良くして」とすりよるため、陰惨な いじめが行われることがあるという。
 いじめられているなら、学校という集団に来ないという「不登校」という選択肢もある。けれど、日本の子どもたちは虐められるのが分かっていながら、学校に行ってしまう。「学校に行かないのは悪いことだ」と素直に信じている者も多い。 
 不登校は社会の健全性のバロメーターではないか。そんなふうに思う。いじめという「人権侵害」のある集団に、「NO!」を突きつける個人がいるかどうかが重要なのだ。理不尽な苛めがあっても、誰も不登校という選択肢を選ばない。そんな集団は個人に際限のない人権侵害を行ってしまう、「腐った」組織である。不登校を選んだ子どもがいるという事実が、集団から逃れるという選択肢の存在を、集団内メンバーに自覚させることになる。
 不登校は悪いことではない。不登校の存在が「不登校という道がある」と他の構成員に示すことになるからだ。

 不登校同様に、サークルに来れなくなったメンバーの存在を認められる集団は、「健全である」という評価をすることができるのではないか。皆が一律に同じ行動をする。そんなことは不可能だ。集団の力は個人よりも大きい。故に、しばしば集団は個人に人権侵害を行う。人権侵害が存在していても、「集団に参加し続けないといけない」と思うことが、さらなる侵害を招く。いじめの構造だ。

 集団の力は、個人よりも強い。そんな中、不登校という存在は「集団から出ることは可能なのだ」という、強いメッセージを他の集団内メンバーに示すことができる。

 学問の世界では、論文の評価は〈批判が来るかどうか〉で決まる。よい論文には、必ず反論がある。反論・批判がない論文は最悪の論文だ。同様に、集団に対して構成員から批判がないのは不健全な組織であることが多いのではないか。つまり、通常の認識とは逆に、学校における「問題児」や「不登校」の存在は、学校が「健全」であることの証明であるのだ。逆転の発想である。

《全員が》、《一人も残らず》、《一丸となって》、《団結する》。学校的共同体特有のキーワードである。本当に人々が「心を一つに」することはあるのだろ うか? 幻想である。内田樹は〈幻想であっても、幻想があると考えることに何らかの意味があるならいい〉というだろう。けれど、この問題に関し『サヨ ナラ、学校化社会』で上野千鶴子(内田の「天敵」)が語ったのは、「学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります」(57頁)というメッセージであった。「学校化社会」とは、学校的共同体がもたらす「幻想」の別名である。
 無論、組織によっては本当に皆が「心を一つに」しているところも存在するかもしれない。けれど、それを当然視していると、集団が個人に持つ暴力性に対し、無自覚になってしまう。「心を一つにするのが当然だ」と、集団に批判的な個人を攻撃することとなるからだ。

 まとめをするなら、こうなるだろうか。集団は個人に対し、しばしば人権侵害を行う。そのため、「集団から逃れることができるのだ」という道(不登校など)を示している集団は、個人の人権侵害を極力減らすことができる。それゆえ、「健全である」といえる。逆に集団から逃れることができない組織(あるいは集団から出るということを誰も行っていない組織。不登校のない学校など)は、個人に対し人権侵害を行っていることがある。
 離脱者がいる集団こそ、健全な集団であるといえるのだ。
 

 

早稲田に受かる人はどんな人たちか?

 早稲田大学で、オープンキャンパスが開かれている。道理で馬場下町の交差点に制服の高校生が多いわけだ。大学の受付で、オープンキャンパス参加者に配っている資料・プレゼントを受け取る。別に「悪いことをしている」実感はない。「ください」と言ったら、役員が渡してくれたんだから…。

 『入学データ集2010』を開く。受験のデータを見ると、いろいろ面白い。一緒にもらえる「早稲田大学案内」は読まないことにしている。読めば読むほど、「へー、早稲田ってこんなにいい大学なんだ。そうは全く見えないんだけど」とツッコミたくなる衝動を押さえにくくなるからだ。

 わが教育学部・教育学科・教育学専修の2009年度入試の倍率は5.8倍。私のとき(2006年度入試)とほぼ同じだ。一応、チェックしておく習慣がある。

 「出身高等学校所在地別状況」という項目に目が行く。早稲田に来る人たちの出身地がほぼ分かる、という便利な資料だ。
 最も数字が多いのが東京都。31.43%もの学生が東京にある高校出身だ。地域としては関東の高校出身者が全体の71.14%を占める。うーむ、早稲田はほとんど「関東人」のための大学といえそうだ。

 わが故郷・兵庫の出身者はわずか1.42%なり。みんな、ワセダになんか来ないんだ、と思うと寂しくなる。近畿地方までみると4.94%。早稲田生100人中、5人ほどが関西の高校出身。関西は少数勢力だなあ、と心もとない。

 リストの一番下に私の目は止まった。「高卒認定等」の欄である。なるほど、「出身高等学校所在地」であるわけだから「高卒認定」試験で入ってきた人は除外されているわけか。「高卒認定等」の受験者は1397名。合格者は134名。2009年度合格者全体に占める割合は0.92%である。
 ちなみに、北海道の高校出身者は0.97%である。「高卒認定等」で早稲田に合格した割合とほぼ同じ。早稲田大学内で北海道の高校出身者に会うのと同じくらいの割合で、「高卒認定等」合格者がいるのである。私のいるゼミに、北海道の高校出身の先輩がいる。この方と遭遇したのだから、案外「高卒認定等」でワセダに来た人はいるのだろう。

 フリースクール→高卒認定→大学進学、というルートが認められることを期待している私にとって、このニュースは非常に嬉しい知らせであった。

早稲田大学教育学部 自己推薦入学の裏側

 わが早稲田大学教育学部には、自己推薦入学試験制度がおかれている。自己推薦入学試験(いわゆるジコスイ)とは、部活の全国大会優勝などの実績をアピールし、受験する試験制度である。早稲田の全学部に自己推薦入試があるわけではない。そのために、「一芸」に秀でた人々は「教育」に興味がなくとも教育学部にやってくることとなる。

 ちなみに「一芸」入試で有名なのは亜細亜大学である。登山家の野口健はこれを使って入学した。彼の著書は『落ちこぼれてエベレスト』。私はそれをもじって『落ちこぼれて亜細亜大』と呼んでいる。
 閑話休題。その早稲田大学教育学部の自己推薦入試であるが、合格してきている人々はどんな「一芸」に秀でているのであろうか? やはり全国大会1位などが多くなるはずだろう。どんな人たちが合格しているのだろうか。
 そう思い、さっそく早稲田大学の教育学部の学部事務所に行った。そして「自己推薦入学のご案内」というパンフをもらった。以下はパンフに載っていた昨年度のデータである。
 なお、下の学芸系とは「全国書道展1位」などの文化系での実績、スポーツ系とは「サッカー全国大会3位」などの体育会系での実績、全校的活動系とは「生徒会長」などの実績で合格した人のことを指す。
 自己推薦試験、志願者は計390名。そして合格者は61名。
 では学芸系での合格者から。志願者128名、合格16名。倍率は約10倍。
 続いてスポーツ系。      志願者175名、合格23名。約8倍。
 最後に全校的活動系。    志願者87名、合格22名。約4倍。
 なんと、最も合格率が高いのは「生徒会長」「生徒会副会長」などの「全校的活動系」の実績で受験した人達なのだ。ときどき生徒会長になることを「大学入試のための点稼ぎ」と悪くいう人もいるが、「確かにそうともいえるよなあ」と思ってしまうデータであった。
 ちなみに、私は高校では生徒会長。ああ、ジコスイを使えば早稲田に簡単に入れていたのか・・・。あんなに苦労しなくても良かったのに・・・。悔やむ心が起きてくる。
 
 ところで、「いない」とは思いますが、これを読んでいる受験生で、かつ生徒会長の方へ。早稲田大学教育学部への自己推薦試験を受けてみることをお奨めします。「教育」への興味はなくて構いません(私も教育学部は第五志望。まさかここへ通うことになるとは)。だって倍率はたかだか4倍なのですから・・・。

「学校じゃ教えてくれないこと」批判

 よく、「学校じゃ教えてくれないこと」というキャッチ・フレーズを耳にする。先日買った本の帯紙にもそう書かれていた。「学校じゃ教えてくれないこと」というタイトルのテレビ番組もあった。『教科書にない!』という漫画もある。「学校では教えてくれないけど大事なこと」というような本を読んだこともあった。

 「学校じゃ教えてくれないこと」という言葉には、「もっと役立つことを学校では学びたかった」という思いが込められている。そんな思いを哲学的にはルサンチマンという。学校に対する「恨み」ということだ。この「恨み」はしかし、学校それ自体への批判ではない。「学校制度でこんなことを教えてほしかった」「もっと役立つことを教えてほしかった」との、ムシのいい思いが感じられる。学校で「教える」ということ自体には何も批判をしていない。また「教えられる」ことを無条件に「善」としている点も気になる。
 問題なのは「教えてもらいたい」「教えられたい」という受身の感情、「奴隷根性」が見え見えである点だ。自分で学ぶ、という自発性・能動性が感じられない。思想家・イリッチは『シャドウ・ワーク』などの著作を通して、「自分でやること」「自分で作り出すこと」「自分で学ぶこと」の大事さを訴えた。他者を頼りにする姿勢(ここでは「教えられるのを待つようになる」という「学校化」の様子)は本当の人間のあり方ではない。
 「学校じゃ教えてくれないこと」。この言葉、脱学校論者からみれば「当たり前じゃないか」と感じる。学校は何も役立つことを教えてくれはしない。そんな期待をしてもいけない。来年には私は「教員免許」を入手できるが、「先生」といわれるほど人格は高くない。「人生において大事なこと」を教えられる自信は全くない。
 人生で大事なことなんて、学校が教えてくれるわけないのだ。自分で学ぶしかない。そんな当たり前のことを、なぜ今さらキャッチ・コピーに使うのだろう。
 私は高校までは「優等生」であった。早稲田という場所は「優等生」を崩してくれる場所である。だいぶ不真面目になったなあ、とつくづく思う。
 こんな話を、非常勤講師をしたとき、中学・高校でしたいものだ。
追記
 イリッチの話を敷衍するなら、学校の「部活動」というものにも再考が必要だ。
 部活動は「勝利主義」的。勝つこと・プロになることを子ども達に押し付ける。「勝てなくてもいいから楽しくやろうぜ」とは決して言わない。「どうせ甲子園に出れるわけないんだから、紅白戦を毎日やって、楽しくゲームしようよ」という野球部のキャプテンは、おそらく吊るし上げられる。
 日本で健康のためのスポーツが根付かないのは、「部活」による「勝利主義」の存在が大きいのではないか。ゲームそれ自体を楽しむのではなく、「大会に出る」「根性をつける」「努力の大切さを学ぶ」という、汗臭い目標の達成が「部活」の目標になっているからだ。
 イリッチは「レコードよりもギターが、教室よりも図書館が、スーパーマーケットで選んだものよりは裏庭で取れたものの方が価値があるとされる」(『シャドウ・ワーク』52頁)社会の誕生を待ち望んだ。スポーツも同じだ。勝利することなど「結果」として得られるものよりも、過程を大事にする姿勢(「楽しむ」ということ)の重要性をイリッチは教えてくれる。

早稲田大学で学べること

早稲田大学にいることで学べることはいくつかある。

1、酔っ払いへの対応の仕方・介抱の仕方が無理なく修得できる。
2、受験秀才というのは大した存在ではないということが自覚できる。
3、相手との話のネタに困ったとき、バイトの話か就活の話を振るという「技術」を身につけることができる。
4、図書館に行くと六法全書を手にした人物が必ず座っており、多くの者はそのまま突っ伏している事実を知ることができる。
5、早稲田出身者は必ずと言っていいほど「授業に出なかった」ことを自慢するということを知ることができる。
6、受験の中で第一志望に受かる人間はほとんどいないのだと気づくことができる。

あえて、宮台批判。

 最近、宮台真司の本にハマっている。彼の本のには「オウム」「サカキバラ」など、私が小学生であったときの各種「事件」がちりばめられている。

 以前、私は「11年目のサカキバラ」という文章を書いた。約4000字。本ブログにも掲載している。「11年目…」は次の文章で終る。

知識人たちは、何かと子どもを悪者や「劣ったもの」と見る傾向があるのではないかと、感じる。少年Aひとりから、今の社会の子どもたちみなを推し量ることはできないはずである。けれど、どうも知識人という人々は直に子どもたちと会って、「酒鬼薔薇って、どう思う?」と聞きに行かないようである。


 この拙文では、〈自称「知識人」は子どもと言う存在を勝手に決めつける。一部にしか当てはまらない内容を《全員に当てはまる》、と決めつける〉ことを主張したのであった。
 宮台の本を読み、「11年目…」で批判したポイントが脳裏に浮かんできた。宮台は佐藤学が嫌いなようだが、その宮台も「11年目…」で私が批判した「子どもを決めつける」という愚を犯している(佐藤が「全員」を主張するのに対し、宮台は“今の子どもの三分の一はサカキバラに惹かれている”と語る。佐藤より頭がいいのである)。

 しかし、宮台は私のこの論の建て方を批判している。
 彼は「僕は常に『実存』の問題と『社会』の問題を分けろと言う」(宮台『野獣系でいこう!』朝日文庫、2001、398頁)と書いている。私が「11年目…」で語ったのは自分の「実存」に基づいての批判であった。「オレはサカキバラに共感したことはない。だから、“現在の子どもはサカキバラに惹かれている”という言説は誤りである」との私の主張も所詮「実存」を基にしている。「実存」によらない理論立てを、自分自身が学んでいくべきであるようだ。

ひとときのうちに

 昨夏の介護体験。新宿にあるデイサービスセンターで1週間ボランティアのようなことをした。1分前に話した内容を再度してくるお爺さんが印象的だった。どうせこの人たちは自分のことを忘れてしまうであろう。なら、介護を行うやり甲斐はどこにあるのか? 疑問に思った。
 介護体験レポートを書く際、疑問は少し晴れた。たとえ忘れたとしても、介護の際の「ありがとう」の言葉は私の心に残っている。さりげない利用者の笑顔が、脳裏から離れない。ああ、介護のやり甲斐はここにあるのか! レポートに私はそう書いたのであった。昔観た映画『博士の愛した数式』の「ルート」の思いがようやく分かった。

一粒の砂に 一つの世界を見
一輪の野の花に 一つの天国を見 
掌(てのひら)に無限を乗せ 
一時(ひととき)のうちに永遠を感じる

 この映画はウィリアム・ブレイクの詩でしめられる。80分しか記憶を保てない「博士」。「博士」にとって、少年「ルート」との出会いは常に初対面。「博士」の記憶に「ルート」とのやり取りは残ることはない。けれど、「博士」と過ごした時間はまぎれもなく存在している。「ルート」だけでなく、「博士」の中にも(記憶では残らないが、やりとりした事実は残る)。だからこそ「ルート」は、「博士」と過ごす「一時のうちに 永遠を感じる」のであった。

 先週まで続いた教育実習中、社会の授業をしていて私はふと次のことを思った。〈子どもは今日の授業の内容をどうせ忘れてしまう。それなのにいま授業をすることに如何ほどの価値があるのだろう?〉。現に私は中学校時代の授業について覚えていることは少ししかない。それこそ膨大な量の授業時間があったはずだが…。どうせ忘れるのに、なぜ授業をするのか。
 しかし、子どもと関わったプロセスやひとときは間違いなくこの世に存在したのである。未来に覚えていることも大事だが、今というこの瞬間を輝かせていく営みとしての教育も重要なのではないか。ちょうど、昨夏の介護体験や『博士の愛した数式』と同じ図式となる。
 人との出会い。たとえ忘れ去られたとしても、出会い交流したひとときは私の生命の中に残り続けるのだ。
 教育の無意味性にイヤになったときは、このことを思い出そうと思う。別に教育が将来何の役に立たなかったとしても、生徒同士や教師―生徒との出会い、藤原氏のいう「ナナメ関係」を結べたという事実やその交流の中で生じた〈輝き〉を大切にしていきたい。

高校生畏るべし

 私が母校の寮に学生ボランティアとして関わるようになって、今年で3年になる。関わりはじめた頃の高校1年生が、来年には卒業していく。感慨深い年である。高校生と話す方が、早稲田生と話すよりもためになる事がけっこうあるのだ。
 昨日は寮生のK君と洗面台のそばで話した。彼は高校1年生である。

K「石田さんは今まで何冊本を読んできたんですか?」
私「大学時代に、ざっと750冊くらいかな」
K「じゃあ、良書は何冊読んできたんですか?」
私「良書? 『カラマーゾフの兄弟』とか『エミール』とかのことだよね。大体50冊くらいかな」
K「あんまり良書は読んでおられないんですね」
私「……。」
K「石田さんは『カラマーゾフの兄弟』を読んでるんですよね。読んでどう変りました?」
私「え、……。でも『モンテクリスト伯』を読んだ時はめちゃくちゃ感動したよ」
K「そんな本も読まれてるんですか。にじみ出ませんね」
私「う……。」(涙)

 大学の友人や先輩/後輩、大学の教授が聞いてくるレベルを遥かに超えた発問であった。グサグサ胸に刺さってくる。K君は決してイヤミで言ってくるのではなく、にこやかに話してくるのだ。この文章を読んでいる方。高校生にこのように言われたら、私同様泣くしかないですよね? 
 よく教育において〈子どもから学ぶ〉姿勢が大切だ、と言われている(灰谷健次郎の十八番である)。タテマエでも何でもなく「まさにその通りだなあ」との思いを新たにした。深夜2時にも関わらず、一気に眠気がひいたのである。

 K君の話の中で注目すべき点がある。それは学ぶという事は学ぶ者に〈変化をもたらす〉ものだという認識である。K君の「どう変りました?」「にじみ出ませんね」という言葉に象徴的に現れている。ある教育学者は「学んだことの証しは、ただ一つで、何かが変わることである」(林竹二『学ぶということ』)という言葉を残している。これは昨年読んだ教育関係の書の中で最も印象深かった言葉である。K君はおそらく直感的に学びの本質を見抜いていたのであろう。後生畏るべし、との思いを強くする(ここでは後生ではなく、「高校生」とすべきであろうか)。相手が子どもというだけで軽く見てはならないのだ。

 この文を、私は寮からの帰りの西武線車内で書いている。もうすぐ〈我らが母校〉の高田馬場に到着する。さて、〈良書〉を久々に買いにいくとするか。