エッセイ

少年のび太が「ドラえもん」にサヨナラする日

子どもは無根拠に「自己全能感」をもっている。その象徴がドラえもんだ。「自分は何でもできる」、それは「あんなこといいな/できたらいいな」の世界である。子どものような「自己全能感」を捨て(あきらめ)る、つまり「自分は何でも出来る」という思いを失うことが「大人になる」ことではないか。

 

 少年のび太が成長するには、全能感を捨てることが必要だ。そして「にもかかわらず」に生きれるようになったとき、のび太は大人になることができる。
 マンガ『ドラえもん』は、ドラえもん(という「自己全能感」を与える存在)を不要にするプロセスを描いたマンガなのだ。
 内田樹もいうように、「自らの存在を不要にする」行為を続ける人は美しく見える。ドラえもんが少年のび太の成育史において一時の輝きをもつのは、ドラえもんという「全能感」を与える存在がやがてなくなることを、子どもたちが薄々感じているからだろう。
 我々はドラえもんのいない日々を生きざるをえないのだ。自己の万能感を捨て、社会システムの構成員として日々を過ごす。
 宮台真司が言っていたが、キリスト教における「隣人愛」の本当の意味は、〈親を捨て、友も捨て、隣人を捨てて、それでも「他者」を愛する〉潔い魂の姿勢のことである。



 少年のび太が成長するには,やがてジャイアンやスネ夫のいる地域の少年コミュニティや「兄弟」や「全能感」(「兄弟」と「全能感」はドラえもんのもつロールモデルである)を捨てなければならないのだ。
 石原千秋も言っているが、大人になるとは誰かを/何かを精神的意味で殺すことであるのだ。これを無事に行い、大人になったのび太はドラえもんや地域コミュニティでの懐かしき日々を「あんなことも、こんなこともあったな」としみじみ回想することができるのだ。輝かしい日々は一瞬の命を持つ。ドラえもんとの日々に、「止まれ時間よ、お前はあまりに美しい」と叫んだファウストこと少年のび太は、我に返り、いつもと同じ会社勤めを行う。子どものノビスケにドラえもんとの思い出を語るのが趣味となっているのである。

 「あんなこといいな/できたらいいな」。その夢にあきらめを感じる時、そのときこそ我々がドラえもんを卒業する時である。

 ドラえもんの存在は、自らを不要にするためにある。けれどそれをしたくないため、ドラえもんはのび太を甘やかす。「しょうがないなあ」と言いつつ。あるいは無意識に。ドラえもんは矛盾した存在なのである。それはしかし、教育の不可能生の比喩でもある。
 学校の目的は、子どもが一人で学んでいけるようにする、つまり「社会化」のためにある。けれど「学校化」した学校は、本来個人的営みであった「学び」を、他者に依存させるものに変えてしまう。ドラえもんは自らを必要としてくれる年数が長ければ長いほど、長くのび太と過ごすことができる。
 『ドラえもん』の中で時間が動かないのは、ドラえもんが密かに「無限の日々」を過ごさせる道具を使っているためではないか。それこそ、「終わりなき日常」を永遠のものとするために。映画『うる星やつら ビューティフルドリーマー』も、荒廃した社会でそれなりに楽しく過ごすこと、つまり「終わりなき日常」をヒロイン・ラムが願ったことで成立した物語である。
 けれど我々はそれこそどこかで目を覚まし、「ドラえもんは不要だ」と高らかに宣言する日が必要だ。ドラえもんと違い、人間は「時間」というストックを食って生きている生物だからだ。
 少年のび太がドラえもんに「サヨナラ」する日。それは止まっていた時間が動きだし、のび太が急速に成長し(子どもは段階的にでなく、「一気に」成長するものなのだ)、ドラえもんは寂しさを感じるが少し微笑み、涙を流しつつタイムマシンに飛び乗るのである。のび太が「サヨナラ」を告げるまで、『ドラえもん』は終らない。仮にドラえもんに最終回があるのなら、それはのび太が自分の成長のためにドラえもんに「サヨナラ」を告げる場となるはずだ。
 あらゆる創造は、「別れ」からはじまる。




追記
 ドラえもん研究者の間では、ドラえもん―のび太の「契約関係」は2度結び直されている、という通説がとられる。一度目はセワシが〈できの悪いご先祖を改善するため〉にドラえもんをのび太の元につれてきたとき(コミックス1巻「未来の国からはるばると」)に契約される。それはのび太の合意に関係なく、未来の子孫が一方的にドラえもんと言う世話人をのび太に引きつけるという契約であった。
 2度目の契約。それは6巻「ドラえもん、帰る?」において未来に戻ってしまったドラえもん(「どうしても未来に帰らないと行けないんだ」とドラえもんは語る。セワシに何かあったのだろうか)の次の話が舞台である。7巻「帰ってきたドラえもん」において契約が結ばれる。それは「ウソ800」というウソが本当になると言う道具を使い、のび太は「ドラえもんは、もう戻ってこないのだ」という「ウソ」をつぶやく。それにより、ドラえもんは戻ってくるということになるのだ。このとき、ドラえもんーのび太の関係にセワシは介在していない。そのため、「帰ってきたドラえもん」以後のドラえもんはのび太の「兄弟」「友達」として描かれる。それ以前は「世話人」というドラえもん像なのだ(一部例外の箇所もある)。
 よくいわれる点だが、大長編ドラえもん(要は映画のことです)はドラえもんの「全能」を否定する所からはじまる。役立つ道具がなかったり(『大魔境』)、ポケットが無くなったり(『夢幻三剣士』)、ドラえもんが壊れたり(『雲の王国』)様々なことが起こる。ドラえもんの映画を始めるには、全能の神であるドラえもんをどこかで否定しなければならないのだ。
 これはのび太の人生においても同様である。のび太の物語は、『ドラえもん』では無時間モデルで描かれる。のび太はいつまでも小学校4年生のまま(アニメでは5年生のまま)いつまでも成長しない。この物語を再び動かすには、大長編を始めるのと同じプロセスが必要だ。それはドラえもんの「否定」である。
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まず自分が楽しもう、元気になろう。

 村上龍の書いた『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版、2001年)を読んでいる。
 そこに心理カウンセラーの三沢直子との対談が掲載されている(厳密には妙木浩之もいるため鼎談である)。次に引用するのは三沢の発言だ。

子供が生まれると必死になって自己犠牲的にやらなければいけないんじゃないかという気持ちにとらわれてしまうのです。(…)「目から鱗」だと思ったのは、いくら献身的に親がやっても、それで鬱々としていたり、つまらなそうな顔をしていたりするのを見せるのは決して子供にとっていいことではない、ということです。自分の人生をもっていて、人生は生きる価値があるんだ、楽しいんだというモデルを示すことこそ大事なんだと言われて、そうなんだよなと、もう一度思い直したんです。(153~154頁)

 そのために三沢は「2年ぶりに映画に行き、3年ぶりにコンサートに行き、7年ぶりに海外旅行」に行く。1週間のニューヨーク旅行から帰ってきたとき、子どもは「お母さんはお姉さんのようになって帰ってきた」と言った。生き生きとして、楽しそうな姿から子どもはこのような発言をしたのであろう。旅行で母が不在の間は寂しくても、「お母さんが生き生きとしてくれるならば行ったほうがいい」と子どもが語ってもくれたそうだ。
 
 この部分からは子育てだけではなく、人生の智慧についても読み取ることが出来る。自分が楽しんでいないと、まわりも楽しくなくなる。たとえばレストランのウェイターがすごく不機嫌に働いていると食事も不味くなるが、すごく楽しそうに働いているとき味も良くなるように思える(マクドナルドのハンバーガーがいくら不味くても食べられるのは、店員さんが笑顔だからだろう)。

 自分自身が楽しく生きていないと、子どもを育てたり、人を励ましたりすることができない。
 「つらいけど、頑張ろう」というのは禁句にして、まず帰り映画館に行って「自分が楽しむ・元気になる」ことを優先すべきではなかろうか。

これからの時代に必要な知識について。

 昨日、友人たちと読書会。自発的な「学びの共同体」の実践は面白い(逆に言えば、制度的な「学びの共同体」は時に地獄となる)。広田照幸の『教育』をもとに話し合った。

 そのなかに、広田は個人化とグローバル化の教育界の「一つの代案」として、次のように語っている。

第三に、分配に軸足を移した経済システムという前提のもとでは、知識重視型の教育が必要なのではないかということである。(93頁)

 このあと暫く説明が続くが、どのような「知識」を重視すべきなのかという言及はないままだった。この部分を読書会では話し合ったのだが、本稿では私の考えを述べよう。
 これからの時代に必要な知識。それは3R’s(読み書き計算)と「学び方を知る」ことだと思う。前に「これからの時代における大学受験の意義」という一文を書いたが、まさに「学び方を知る」ことが必要なのだ。
 時代はどんどん変わる。一之瀬学『誰も教えてくれない[学習塾]の始め方・儲け方』には、自分の指導法に絶大な自信を持つあまり、自分のやり方が時代に合わなくなってもそれに拘泥し、結果どんどん塾が廃れていくという個人塾経営者の話が出てくる。かつて栄光を放った「自分のやり方」に固執する限り、食えない時代になったのだ。「万物は流転する」。ゆえに自分を変革させ続けねばならない。
 変革には何が必要か? それが「学び」である。例えば塾経営者ならばどんな教材を用いえるべきか。どのようなやり方で授業をするか。それらは経営者自身が学ぶことで可能となる(コンサルタントに頼りすぎるのはある意味での「学校化」。自分で何もしなくなり、結局はコンサルタントのサービスを受けることしかできなくなる)。ネットでは情報がある触れている。それらをどう活用して知識を得、生かしていけるか。それらもすべて「学び方を知」っていることによって決まるのである。
 必要なのは学びを実現させる学びの方法論を習得することである。
 注意すべきは、「学び」は強制的に行わせるものではないということだ。イヤな人は別に無理して学ばなくてもいい。けれど、「学ばない」人間が生きにくい世の中になっているため、少なくとも「学び方を知る」ことだけは皆が習得していなければ、路頭に迷う人々が出てくる。
 ボボスという生き方について、橋本努の『自由に生きるとはどういうことか』に描かれている。

その特徴を一言で言えば、文化的な創造を求めてあらゆる努力を惜しまない人々、ということになるだろう。ボボズは「創造としての自由」を人生最大の価値とする。(220頁)

 「創造としての自由」を求める彼らは、常に自分を磨くこと/向上させることに余念がない。フィットネスやスポーツだけでなく、学習もひたすら行う。その結果、ボボスは新たなエリート階級になろうとしているのである。
 
 これからの時代、「学び方を知る」ことの意義が一段と高まっていくことであろう。

山本哲士批判

 山本哲士の本を読んでいると、生きるのが辛くなる。彼の本を読んでいると、つねに権力関係を自覚してしまうからだ。

 例えば、会社の上司に「最近、どう?」と聞かれたとする。山本ならば、これも権力関係であると答えるだろう。「この行為は、現在の状況を聞く立場に自分があるという権力関係を自覚させる。部下に〈自分の行動を上司に報告する義務があるのだ〉と感じさせ、自分で自分を縛るように内部権力を持たせているのだ」という説明の仕方をするであろう。
 しかし、たいていの上司はそんなに大げさなことを考えず、ただスキンシップをとろうとしているだけなのだ。
 教育論の「教師―生徒の権力関係」の話でも、こういう図式が成立することがある。「教師がそこまで考えてないだろうな」という指摘をしている。
 小浜逸郎『学校の現象学のために』を読んで、そう感じた。

「子どもに合わせた教育」論。  

 子どもは人格の完成者ではない。ゆえに「子どもに合わせた教育」を文字通り実践してしまう事は、「合成の誤謬」となってしまう。個人にとって利益のあること/楽しいことの組合せが結果的にその人を不幸にすることがある。

 広田照之『思考のフロンティア 教育』(岩波書店、2004)には、その事例が出ている。教育を自由に選択でき、民族/興味/関心によって違う学校に行く。学校では楽しく/快適に過ごすことができる。

しかしながら、その結果は冷酷である。教育の成果はいずれ労働市場で厳しい判定を受ける。ごく一部のエリート向けの学校へ行った者を除いて、多くの子供たちは、大人になったときに自分に開かれている職業の選択肢が、さほどよくないものばかりであることを思い知らされることになる。もっと魅力的な選択肢は、別の学校や別のカリキュラムを選んだ誰かにすでに専有されてしまっているからである。(…)つまり、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」というシステムになりかねないわけである。(80頁)

 新自由主義的な教育選択制度というものが、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」をもたらしかねないことを自覚する必要があるだろう。
*注 このビジョンだが、仮に不登校経験→フリースクールを経験した人たちが特殊な社会を作り出し、そこで生きていくという事も出来るのではないか。フリースクールである東京シューレの出身者などが中心になって、シューレ大学という「学び場」を作った。これをさらに発展させ、不登校経験者のみが入れる社会(コミュニティ)を形成し、そこで生活できるとすればどうだろうか。そのとき、「卒業したらほとんどが大変な人生」の図式を打開できるのではないか。

 むろん、「楽しく」て、「将来役立つ」教育プログラム(あるいはカリキュラム)を作ればよい岳の話だ。けっして両立不可能ではないのだから(森下伸也『社会学がわかる事典』には「学級崩壊をふせぐには、授業に子供が集中できるよう、不必要な身体の拘束を解き、勉強をゲームとして楽しめるような工夫をしてやることが必要である。すべての勉強はもともと遊びから生まれたのだから、それはかならず可能なはずだ」〈174頁〉と、書かれている)。
 しかし、実際にそんな教育プログラムを作るのは難しい。誰にとっても楽しく、将来役立つ単一の学習プログラムを作る事は不可能だ。それは脳科学の発展が教えてくれる。耳から聞いている限り理解できない子どもと、文字では理解できない子ども両方に適合する教育プログラムは存在しないのだ。
 ひとつの方向性としては、個別プログラムによる個別学習があげられる。特別支援学級にそのヒントが求められる。教育実習で私は中学校の特別支援学級の生徒の授業にも参加をしたが、生徒1人と教員とが対面で授業をしていた。ひらがなの読み書き・簡単な英文法についてを個別のカリキュラムで授業していた。このような個別プログラムの設計が、「楽しく」「将来役立つ」学びを実現するのかもしれない。
 前に私の後輩のT君が、〈一人ひとりにあわせた個別教材による通信教育事業〉というアイデアを語ってくれたが、これも一つのモデルとなるだろう。
 しかし、仮に個別学習で教育が可能となったとき、「学校」はもはや必要なのだろうか? そんな疑問が浮かんでくる。社会に「子ども集団」の関わりの場が少ないうちは、その人間関係力・コミュニケーション力をつけるためだけに「学校」があってもよい。無論、「そこにいづらい」子のためのフリースクール的居場所(自宅も含めて)を用意していく意識を持った上で、という話だが。

親の視線

 友人のNと話す。テーマは「なぜ現在の子ども社会には〈空気を読む〉ことが重視されるのか」。

 思想家モンテーニュ。16世紀に生きた彼は、自分に子どもが何人いるか、分からなかったという(アリエス『〈教育〉の誕生』)。その時代、親にとって子どもは「勝手に生まれ、勝手に育ち、勝手にいなくなるもの」であった。
 その後、「教育」が必要とされるにつれ、子どもへの親の視線は強まった。子どもの人数も減り、ついには一人っ子が珍しくなくなった。するとどうなるか? 昔は親の視線は複数の子どもに分散されていた(あるいは親の視線がほとんどなかった)。それが数人、あるいは一人の子どもに集中する。子どもにとって、それは息の詰まる状態。学校でも家でも塾でも、常に親の視線を感じることになる。フーコーも言っているように、「見る―見られる」という関係は権力なのである(生−権力)。
 親の視線を感じる子どもは、つねに「いい子」でいようとする。親に認めてもらうために。この姿勢は、学校でも塾でも子ども社会の中でも内面化される。その内面化された姿の現れが、「空気を読む」という事になったのではないか。
 現在の子どもの生きづらさは、子どもへの親の視線の強化が原因の一つであるように思われる。

駅で騒ぐ老人

 西武線・東村山駅で騒ぐ老人男性を見た。なぜあれほど、電車の来るのが遅れただけで騒ぐのであろうか。 我々は「叫ぶ」という現象を目にし、「あの老人はバカだ、頭がおかしい」と無意識で排除する(向かいのホームで、女子高校生の集団が老人をチラ見し、笑い合っていた)。
 しかし、あの老人がたとえば部落出身で、いままで数限りなく苦悩させられ、その最後の表出(きっかけは電車の遅れだ)が先ほどの「叫び」であったとすれば、どうだろうか? あの老人が在日の人で、やはり差別され続けたゆえの表出が「叫び」であるならばどうか? 
 構造的に、あの老人が騒がねばならないような社会に、日本がなってしまっているのではないか。駅で騒ぐという形での表出しか出来ないほど、構造的に差別されているとすればどうか? その老人のことをヒソヒソ話をして笑い合う社会性が、さらに差別を強化しているのではないか?
 さいきん、言い争いをする老人をよく見かける。暇だから言い争うのかもしれないが、彼らなりの表出(によるカタストラフ)の仕方なのだろうか。彼らを「異質な他者」として許容できる自分になりたい。

『君たちはどう生きるか』に描かれたハヴィトゥスの研究

 吉野源三郎が描いた『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982)。解説の丸山真男は「まさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(310頁)と述べる。舞台としては旧制中学で過ごすコペル君とその「おじさん」(「おじさん」と言っても、帝大の法学部出の、20代の若者)のやり取りを描いた小説だ。
 小説自体、非常に面白い。コペル君が友人を助けたり、友人を裏切ったりと多様な経験をして少しずつ成長する様子が読者に伝わってくるからだ。

 面白さの半面、コペル君の過ごす世界のハヴィトゥス(心の習慣。その人が無意識に行う思考形態)や文化水準の高さが気になった。戦前の旧制中学に通うのは、せいぜい13%。費用も高く、高所得者しか通うことができなかった(野口英世などを除いて)。後述する「貧しき友」である浦川君でさえ、油揚げばかりの弁当を食べてはいても、実家は一応家業があり、従業員も雇っている。
 そのため、生徒たち(コペル君とその友人たち)の認識も相当に文化水準の高いものであった。

同級の生徒は、たいてい、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供たちでした。その中にまじると、浦川君の育ちは、どうしても争えませんでした。浦川君のように、洗濯屋に出さずにうちで選択したカラーをしていたり、古手拭を半分に切ってハンケチにしている者は、ほかには一人もありませんでした。
 神宮球場の話が出ても、浦川君の知っているのは外野席ばかりで、内野席のことは話が出来ません。活動写真(注 映画のこと)だって、浦川君は場末の活動写真館しか知りませんが、同級のみんながゆくところは、市内で一流の映画館ばかりです。銀座などへは、浦川君は二年に一遍もゆくか、ゆかないか、ほとんど何も知っていませんし、まして、避暑地やスキー場や温泉場の話となると、浦川君は、てんで一言だって口をきくことが出来ません。さびしく仲間はずれになっているより仕方がありませんでした。(37~38頁)

水谷君の部屋は、新館と呼ばれている、別棟の中にありました。それは、水谷君のお父さんが、水谷君兄弟のために、新たに建増した、明るい鉄筋コンクリートの建物で、ガラス張りの部屋にでもいるように、どの部屋にも十分に日光がはいるように出来ています。そして、どの部屋からも、眼の下に、ひろびろと品川湾が見おろせるのです。―水谷君のお父さんというのは、実業界で一方の勢力を代表するほどの人でした。方々の大会社や銀行の取締役とか、監査役とか、頭取とか、主な肩書を数えるだけでも、十本の指では足りません。お父さんは、その財力で、水谷君兄弟を、出来るだけ幸福にしてやりたいと考えていました。(146頁)

北見君のうちでは、お父さんが怒ってしまいました。北見君のお父さんは、予備の陸軍大佐でしたが、話を聞くと、北見君を学校からさげてしまうと言い出しました。(…)もし学校がこのまま上級生をほっておくのなら、息子を学校に預けておくわけにはいかないから、さげてしまう。北見君のお父さんは、そういって、学校にどなりこみました。(264頁)

 こういう話を読むと、気持ちが悪くなってくる。うちはどうしようもない下流階級なのだなあ…、という気がしてくるからだ。
 さて、 『君たちはどう生きるか』の世界は、中学に行くのが一握りのエリート、という舞台である。戦後は「大衆教育社会」となる。大学全入時代に入り、「希望すれば大学に行ける」世界が広がった。
 一握りが大学などの高等教育に行く時代、高等教育を受ける側にはある種の責任感があったのではないか。ノーブリスオブリージ的な。皆が大学に行く時代になっても、社会の指導層のエリートはまぎれもなく存在している。先の引用のように、「有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供」は必ずいる。彼らは大衆教育社会になるほうが気楽である。外から見て、自分の出自がばれないようになってきたのだから(昔は旧制中学の制服はエリートの証であった)。大衆教育社会は、戦前の旧制中学に通えるような階層の人間にとっても気楽な社会なのである。

 
 

尾崎豊にいまさらハマる。

 脱学校論(非学校論)が私の専門。卒論はイリイチの『脱学校の社会』で書いた。最近は脱学校論の理論を音楽の面で表現しているものはないか、と探している。論文やエッセイでは読むのに時間がかかる。けれど音楽ならばすぐに理解が出来る(しかも情動的に)。脱学校的考え方を人々の間に流布させる方法として、現存する音楽を活用する形が最も適しているのではないか。

 そんな考えのもと、脱学校論的発想を表現している音楽として「たま」の曲に出会った。彼らの音楽については今までもこのブログで書いてきた。次は誰の曲にしようか。
 カラオケで先輩が「15の夜」を歌うのを聞いたのが、私と尾崎豊との出会いである。聞いたとき、「ああ、ここまで学校への嫌悪感を表した曲があるのか」と感銘を受けた。その記憶を思い出し、尾崎豊の曲をもとに考えていく事にした。
 尾崎は「たま」以上に多くの人々に聞かれてきた。それはよくいわれるように「青春の叫び」を表現した音楽だったから、という理由だけではないように思える。むしろ「学校的なるもの」への人々の不満を、尾崎が代弁したからと言えるのではないだろうか。
 今日読んだ橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、2007)には、「1970−80年代の自由論」の象徴として、尾崎豊の一連の作品が紹介されている。

尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)

 実際、この時代は校内暴力を押さえるための管理教育が多くなった時である。教育学の世界では、80年代が校内暴力→管理教育、90年代がいじめ・学級崩壊が騒がれる時代であったとよく説明されている。つまり、尾崎は学校が最も生徒に対し権力を持った時代(管理教育の時代)に生きていたからこそ、はっきりと「学校的なるもの」への気持ち悪さ/嫌悪感を表現できたのではないだろうか。
 今後、しばらく尾崎の歌を脱学校論的に考察していく。
 
追記
●『自由に生きるとはどういうことか』には、次のような気の利いた話が書かれていた。

(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)

 橋本は「〈学校的なるもの〉(=管理教育)」と書いているが、私は〈学校的なるもの〉を「管理教育」ではなく、「学校化」されたものであると認識したい。

教育における「悪」(ワル)の重要性

 『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会、2009)という本を読んでいる。そこに「悪―悪の体験と自己変容」という章がある。ここでいう悪とは〈通常、悪が論じられているように「善」や「正義」の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような思考の体験を指す〉(164頁)。筆者の矢野智司は「悪」を「冒険」や「死」・「性愛」・「快楽」などとして認識している。これらは子どもが親に隠れて触れるものであり、予め教育プログラムに規定できないものだ。偶然性というものがつきまとう。

 前にわたしは「教育のための社会」とは?という文章を書いた。そこの結論を、次のように私はまとめた。

「教育のための社会」を、「教育的でないもの、反・教育的なものを排除した社会」という認識の仕方は誤りである。「異質・異様な他者」を排斥することにつながるからだ。
 ということは、「教育のための社会」とは逆説的ながら、反・教育的なものを包摂した社会ということができる。教育のための社会とは、「いい教育のために~~しなければならない」という言葉が存在しない社会、つまり「異質・異様な他者」や反・教育的なものすら受け入れる社会であるといえるかもしれない。

 ここに書いた「反・教育的なもの」とはまさに「悪」のことだろう。「悪」が「悪」である由縁は教育プログラムに設定できないところにある。子どもの冒険は、子どもが勝手におこなうから冒険なのであり、親が「冒険してきなさい」といって行わせることができないものなのだ。
 教育における「悪」の存在の重要性とは、教育者が被教育者(=子ども)の全てを担うことができない認識をするということと同義である。いくら親といえども、子どものすべてを知ることは出来ない。他人なのだから。まして教員が子どもの全てを認識することはさらに不可能だ。であるならば、教育者は被教育者の全てを見ることを諦める必要がある。「悪」の存在の重要性は、教育者がある種の「全てを知ることへの〈あきらめ〉」を知らしめてくれるところにあるのではないか。