子どもは無根拠に「自己全能感」をもっている。その象徴がドラえもんだ。「自分は何でもできる」、それは「あんなこといいな/できたらいいな」の世界である。子どものような「自己全能感」を捨て(あきらめ)る、つまり「自分は何でも出来る」という思いを失うことが「大人になる」ことではないか。
「あんなこといいな/できたらいいな」。その夢にあきらめを感じる時、そのときこそ我々がドラえもんを卒業する時である。
子どもは無根拠に「自己全能感」をもっている。その象徴がドラえもんだ。「自分は何でもできる」、それは「あんなこといいな/できたらいいな」の世界である。子どものような「自己全能感」を捨て(あきらめ)る、つまり「自分は何でも出来る」という思いを失うことが「大人になる」ことではないか。
「あんなこといいな/できたらいいな」。その夢にあきらめを感じる時、そのときこそ我々がドラえもんを卒業する時である。
村上龍の書いた『「教育の崩壊」という嘘』(NHK出版、2001年)を読んでいる。
そこに心理カウンセラーの三沢直子との対談が掲載されている(厳密には妙木浩之もいるため鼎談である)。次に引用するのは三沢の発言だ。
子供が生まれると必死になって自己犠牲的にやらなければいけないんじゃないかという気持ちにとらわれてしまうのです。(…)「目から鱗」だと思ったのは、いくら献身的に親がやっても、それで鬱々としていたり、つまらなそうな顔をしていたりするのを見せるのは決して子供にとっていいことではない、ということです。自分の人生をもっていて、人生は生きる価値があるんだ、楽しいんだというモデルを示すことこそ大事なんだと言われて、そうなんだよなと、もう一度思い直したんです。(153~154頁)
そのために三沢は「2年ぶりに映画に行き、3年ぶりにコンサートに行き、7年ぶりに海外旅行」に行く。1週間のニューヨーク旅行から帰ってきたとき、子どもは「お母さんはお姉さんのようになって帰ってきた」と言った。生き生きとして、楽しそうな姿から子どもはこのような発言をしたのであろう。旅行で母が不在の間は寂しくても、「お母さんが生き生きとしてくれるならば行ったほうがいい」と子どもが語ってもくれたそうだ。
この部分からは子育てだけではなく、人生の智慧についても読み取ることが出来る。自分が楽しんでいないと、まわりも楽しくなくなる。たとえばレストランのウェイターがすごく不機嫌に働いていると食事も不味くなるが、すごく楽しそうに働いているとき味も良くなるように思える(マクドナルドのハンバーガーがいくら不味くても食べられるのは、店員さんが笑顔だからだろう)。
自分自身が楽しく生きていないと、子どもを育てたり、人を励ましたりすることができない。
「つらいけど、頑張ろう」というのは禁句にして、まず帰り映画館に行って「自分が楽しむ・元気になる」ことを優先すべきではなかろうか。
昨日、友人たちと読書会。自発的な「学びの共同体」の実践は面白い(逆に言えば、制度的な「学びの共同体」は時に地獄となる)。広田照幸の『教育』をもとに話し合った。
第三に、分配に軸足を移した経済システムという前提のもとでは、知識重視型の教育が必要なのではないかということである。(93頁)
その特徴を一言で言えば、文化的な創造を求めてあらゆる努力を惜しまない人々、ということになるだろう。ボボズは「創造としての自由」を人生最大の価値とする。(220頁)
山本哲士の本を読んでいると、生きるのが辛くなる。彼の本を読んでいると、つねに権力関係を自覚してしまうからだ。
子どもは人格の完成者ではない。ゆえに「子どもに合わせた教育」を文字通り実践してしまう事は、「合成の誤謬」となってしまう。個人にとって利益のあること/楽しいことの組合せが結果的にその人を不幸にすることがある。
しかしながら、その結果は冷酷である。教育の成果はいずれ労働市場で厳しい判定を受ける。ごく一部のエリート向けの学校へ行った者を除いて、多くの子供たちは、大人になったときに自分に開かれている職業の選択肢が、さほどよくないものばかりであることを思い知らされることになる。もっと魅力的な選択肢は、別の学校や別のカリキュラムを選んだ誰かにすでに専有されてしまっているからである。(…)つまり、「学校時代は誰もが幸せ/卒業したらほとんどが大変な人生」というシステムになりかねないわけである。(80頁)
友人のNと話す。テーマは「なぜ現在の子ども社会には〈空気を読む〉ことが重視されるのか」。
西武線・東村山駅で騒ぐ老人男性を見た。なぜあれほど、電車の来るのが遅れただけで騒ぐのであろうか。 我々は「叫ぶ」という現象を目にし、「あの老人はバカだ、頭がおかしい」と無意識で排除する(向かいのホームで、女子高校生の集団が老人をチラ見し、笑い合っていた)。
しかし、あの老人がたとえば部落出身で、いままで数限りなく苦悩させられ、その最後の表出(きっかけは電車の遅れだ)が先ほどの「叫び」であったとすれば、どうだろうか? あの老人が在日の人で、やはり差別され続けたゆえの表出が「叫び」であるならばどうか?
構造的に、あの老人が騒がねばならないような社会に、日本がなってしまっているのではないか。駅で騒ぐという形での表出しか出来ないほど、構造的に差別されているとすればどうか? その老人のことをヒソヒソ話をして笑い合う社会性が、さらに差別を強化しているのではないか?
さいきん、言い争いをする老人をよく見かける。暇だから言い争うのかもしれないが、彼らなりの表出(によるカタストラフ)の仕方なのだろうか。彼らを「異質な他者」として許容できる自分になりたい。
吉野源三郎が描いた『君たちはどう生きるか』(岩波文庫、1982)。解説の丸山真男は「まさにその題名が直接示すように、第一義的に人間の生き方を問うた、つまり人生読本です」(310頁)と述べる。舞台としては旧制中学で過ごすコペル君とその「おじさん」(「おじさん」と言っても、帝大の法学部出の、20代の若者)のやり取りを描いた小説だ。
小説自体、非常に面白い。コペル君が友人を助けたり、友人を裏切ったりと多様な経験をして少しずつ成長する様子が読者に伝わってくるからだ。
面白さの半面、コペル君の過ごす世界のハヴィトゥス(心の習慣。その人が無意識に行う思考形態)や文化水準の高さが気になった。戦前の旧制中学に通うのは、せいぜい13%。費用も高く、高所得者しか通うことができなかった(野口英世などを除いて)。後述する「貧しき友」である浦川君でさえ、油揚げばかりの弁当を食べてはいても、実家は一応家業があり、従業員も雇っている。
そのため、生徒たち(コペル君とその友人たち)の認識も相当に文化水準の高いものであった。
同級の生徒は、たいてい、有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供たちでした。その中にまじると、浦川君の育ちは、どうしても争えませんでした。浦川君のように、洗濯屋に出さずにうちで選択したカラーをしていたり、古手拭を半分に切ってハンケチにしている者は、ほかには一人もありませんでした。
神宮球場の話が出ても、浦川君の知っているのは外野席ばかりで、内野席のことは話が出来ません。活動写真(注 映画のこと)だって、浦川君は場末の活動写真館しか知りませんが、同級のみんながゆくところは、市内で一流の映画館ばかりです。銀座などへは、浦川君は二年に一遍もゆくか、ゆかないか、ほとんど何も知っていませんし、まして、避暑地やスキー場や温泉場の話となると、浦川君は、てんで一言だって口をきくことが出来ません。さびしく仲間はずれになっているより仕方がありませんでした。(37~38頁)
水谷君の部屋は、新館と呼ばれている、別棟の中にありました。それは、水谷君のお父さんが、水谷君兄弟のために、新たに建増した、明るい鉄筋コンクリートの建物で、ガラス張りの部屋にでもいるように、どの部屋にも十分に日光がはいるように出来ています。そして、どの部屋からも、眼の下に、ひろびろと品川湾が見おろせるのです。―水谷君のお父さんというのは、実業界で一方の勢力を代表するほどの人でした。方々の大会社や銀行の取締役とか、監査役とか、頭取とか、主な肩書を数えるだけでも、十本の指では足りません。お父さんは、その財力で、水谷君兄弟を、出来るだけ幸福にしてやりたいと考えていました。(146頁)
北見君のうちでは、お父さんが怒ってしまいました。北見君のお父さんは、予備の陸軍大佐でしたが、話を聞くと、北見君を学校からさげてしまうと言い出しました。(…)もし学校がこのまま上級生をほっておくのなら、息子を学校に預けておくわけにはいかないから、さげてしまう。北見君のお父さんは、そういって、学校にどなりこみました。(264頁)
こういう話を読むと、気持ちが悪くなってくる。うちはどうしようもない下流階級なのだなあ…、という気がしてくるからだ。
さて、 『君たちはどう生きるか』の世界は、中学に行くのが一握りのエリート、という舞台である。戦後は「大衆教育社会」となる。大学全入時代に入り、「希望すれば大学に行ける」世界が広がった。
一握りが大学などの高等教育に行く時代、高等教育を受ける側にはある種の責任感があったのではないか。ノーブリスオブリージ的な。皆が大学に行く時代になっても、社会の指導層のエリートはまぎれもなく存在している。先の引用のように、「有名な実業家や役人や、大学教授、医者、弁護士などの子供」は必ずいる。彼らは大衆教育社会になるほうが気楽である。外から見て、自分の出自がばれないようになってきたのだから(昔は旧制中学の制服はエリートの証であった)。大衆教育社会は、戦前の旧制中学に通えるような階層の人間にとっても気楽な社会なのである。
脱学校論(非学校論)が私の専門。卒論はイリイチの『脱学校の社会』で書いた。最近は脱学校論の理論を音楽の面で表現しているものはないか、と探している。論文やエッセイでは読むのに時間がかかる。けれど音楽ならばすぐに理解が出来る(しかも情動的に)。脱学校的考え方を人々の間に流布させる方法として、現存する音楽を活用する形が最も適しているのではないか。
尾崎豊が一五歳になった一九八〇年といえば、先に触れたように、中学校では校内暴力が急増し、翌年にはそのピークを迎えていた。前年の七九年には、「偏差値教育」の象徴である「共通一次試験」が導入され、中学生の生活は、極度に縛りつけられていた。中学生の「生徒手帳」には、髪型や服装、あるいは先生や他の生徒に対する態度まで、事細かな規律が記されていた。(138〜139頁)
(石田注 「15の夜」について)この一五歳の少年は、バイクを盗んで走り出すことで、自由になったのではなく、「自由になれた気がした」という自覚をもっている。そこには依然として、逃れられない〈学校的なるもの〉(=管理教育)の存在が横たわっている。(138頁)
『キーワード現代の教育学』(東京大学出版会、2009)という本を読んでいる。そこに「悪―悪の体験と自己変容」という章がある。ここでいう悪とは〈通常、悪が論じられているように「善」や「正義」の概念の反対の意味ではなく、理性による計算を破壊することそれ自体が目的であるような思考の体験を指す〉(164頁)。筆者の矢野智司は「悪」を「冒険」や「死」・「性愛」・「快楽」などとして認識している。これらは子どもが親に隠れて触れるものであり、予め教育プログラムに規定できないものだ。偶然性というものがつきまとう。
「教育のための社会」を、「教育的でないもの、反・教育的なものを排除した社会」という認識の仕方は誤りである。「異質・異様な他者」を排斥することにつながるからだ。
ということは、「教育のための社会」とは逆説的ながら、反・教育的なものを包摂した社会ということができる。教育のための社会とは、「いい教育のために~~しなければならない」という言葉が存在しない社会、つまり「異質・異様な他者」や反・教育的なものすら受け入れる社会であるといえるかもしれない。