『ボランティア もう一つの情報社会』(金子郁容著)という岩波新書がある。結末部分に、ボランティアに関わる人間について、「ヴァルネラブル」という言葉で説明をする箇所がある。
ヴァルネラブル。英語で書くとvulnerable。「傷つきやすさ」「弱々しさ」を意味する。ボランティアに関わる者は「そんなことをして、一体なんになるの?」「所詮、自分のためでしょ?」という冷たい視線にさらされる。〈にもかかわらず〉、行動し続けられるかどうかが、ボランティアには求められるのだ。周囲から必ずしも評価されるとは限らない。ヴァルネラブルだ。けれど、行動し続けることがボランティアには欠かせない。
金子郁容のメッセージは、私の生き方にも繋がってくる。来年、大学院に進学する私。研究者を目指している。おそらく、修士課程1年目はフリースクールのボランティアとアルバイトをして生活することとなる。それ以降も、どこかの高校の非常勤講師をしながら自分の研究を進めることとなる。大学に定職を得ても、現場の学校を知るために非常勤講師をやり続けたいと思っている。
この生き方を選択した場合、私はどこにいっても「はみ出し者」となる。ボランティアでフリースクールへいくと、毎日来ているスタッフと子どもが存在する。そのフリースクールの「常識」を自分だけはいつまでたっても知ることができないかもしれない。ヴァルネラブルだ。
高校の非常勤講師。クラスを持っていもいなければ、学校集団に馴染みきることもない。ヴァルネラブル。
大学院に行くということは、まわりのクラスメイトが社会で働いているのを横で眺めつつ、他者には評価されにくい研究をやり続けるということだ。「俺は、一体何をしてるんだろう。社会に出たほうがよっぽどいいんじゃないか」。ヴァルネラブルである。
私はおそらく、しばらくの間は特定の集団に帰属し、フルタイムで行動するということはないはずだ。曜日ごと、あるいは時間ごとに参加する集団が変わってくる。どこにも落ち着けないということで、弱々しい気持ちになる。「俺はこれでいいのだろうか?」と。
自分で選んだ道である。この生き方はヴァルネラブルであると自覚して、「わが道を行く」決意で日々進んでいくしかない。支えになるのは自らの哲学と信念である。
考えれば、共同体が生きていたころは、ヴァルネラブルな生き方をする人間はあまりいなかったであろう。「こう生きればいいんだ」という大きな物語が生きていたために、自らを「弱々しい」立場に落とす必要性は必ずしもなかったのだ。
今の時代に、特定の集団(会社、公務員など)に属さずに生きる人々は多くいる。その人たちはフリーターと呼ばれたり、ボランティアと呼ばれたり、大学院生と呼ばれたりする。「あえて」特定の集団に属さない生き方をする際は、ヴァルネラブルな存在であることを自覚して、生きることが必要となるような気がしてならない。
追記
●湯川秀樹は、京大のいろんな研究会に参加しまくった、という経歴を持つ。文学など、専門外のところにいき、頓珍漢な発言をするということで有名人だったのだ。ノーベル賞学者の隠された一面である。
なぜ湯川は自分の専門外の箇所に顔を出しまくったのだろう? ヴァルネラブルな生き方を実践していたのかもしれないと私は思う。
昨日、フラッと前を通ったことをきっかけに「海洋酸性化」についてのシンポジウムに参加してきた。まわりは理系研究者ばかりのようだ。文系の学部生など、ほとんどいない。発言内容も、化学式が登場しよくわからない。まさにヴァルネラブルな状況だった。けれど、その状況に耐えていると、少しずつだが海洋酸性化という問題について理解できるようになった。
湯川にとっても、専門外の場所に出るのは私と同じ発想に基づいていたのではないかと思うのである。あえて自分が弱々しくならざるを得ない場所(専門外の研究会)に参加するという態度。ヴァルネラブルを恐れない姿だ。この姿勢を貫いたために、日本人初のノーベル賞受賞に繋がったのではないかと思うのである。
再記
●考えてみれば、不登校という選択もヴァルネラブルな生き方であるように思う。あえてメインストリームを外れるという選択。そしてその選択に伴うデメリットでさえも気にせずに乗り越えていく姿(高検に受かって有名大学に行く人もいる)は、いま私の持っている閉塞感を払拭してくれるのだ。