学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えること(teaching)はある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。
ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである。(『脱学校の社会』pp.32-33)