雑念

メディアの重要性

 第三者的メディアによって、人は一対一関係に耐えることが出来る。
 たとえば男女は「性」を媒介にしているからつながっていられるのであり、読書会も家族も、対象とする本や家を媒介にしてつながっているのである。吉本隆明のいう共同幻想である。吉本は一対一関係(特に男女間)は対幻想と説明しているのであるが。
 恋愛が「学校」によってはじまる学園ドラマも、学校空間・学校的時間を媒介(=メディア)としてつながっている。何のメディアもなく、一対一の実存的関わりを持つことは難しい。趣味の話や最近のスポーツをネタに(ワールドカップは格好の会話メディアになる)しなければ、人は一対一の関係に耐えることはできない。齊藤孝は偏愛マップなるものを用意し、各人の好きなものを明らかにしたうえで会話をすると話が盛り上がる、と語っているが(『友だちいないと不安だ症候群につける薬』など)これこそ一対一関係に耐える方法である。
 カー・ドライブを二人で行く時、会話なしで走ることは可能だが、わびしさや居心地の悪さを感じる(映画『レインマン』で、スザンナが恋人チャーリーに「何も話さないなんて、一人で旅行してるみたい」と訴えるシーンがある)。だからドライバーは「地図を読んでもらう」ことやカーステレオをつけて音楽メディアを媒介に助手席にいる人間と空間・時間を共有しようとする。

山本哲士批判

 山本哲士の本を読んでいると、生きるのが辛くなる。彼の本を読んでいると、つねに権力関係を自覚してしまうからだ。

 例えば、会社の上司に「最近、どう?」と聞かれたとする。山本ならば、これも権力関係であると答えるだろう。「この行為は、現在の状況を聞く立場に自分があるという権力関係を自覚させる。部下に〈自分の行動を上司に報告する義務があるのだ〉と感じさせ、自分で自分を縛るように内部権力を持たせているのだ」という説明の仕方をするであろう。
 しかし、たいていの上司はそんなに大げさなことを考えず、ただスキンシップをとろうとしているだけなのだ。
 教育論の「教師―生徒の権力関係」の話でも、こういう図式が成立することがある。「教師がそこまで考えてないだろうな」という指摘をしている。
 小浜逸郎『学校の現象学のために』を読んで、そう感じた。

駅で騒ぐ老人

 西武線・東村山駅で騒ぐ老人男性を見た。なぜあれほど、電車の来るのが遅れただけで騒ぐのであろうか。 我々は「叫ぶ」という現象を目にし、「あの老人はバカだ、頭がおかしい」と無意識で排除する(向かいのホームで、女子高校生の集団が老人をチラ見し、笑い合っていた)。
 しかし、あの老人がたとえば部落出身で、いままで数限りなく苦悩させられ、その最後の表出(きっかけは電車の遅れだ)が先ほどの「叫び」であったとすれば、どうだろうか? あの老人が在日の人で、やはり差別され続けたゆえの表出が「叫び」であるならばどうか? 
 構造的に、あの老人が騒がねばならないような社会に、日本がなってしまっているのではないか。駅で騒ぐという形での表出しか出来ないほど、構造的に差別されているとすればどうか? その老人のことをヒソヒソ話をして笑い合う社会性が、さらに差別を強化しているのではないか?
 さいきん、言い争いをする老人をよく見かける。暇だから言い争うのかもしれないが、彼らなりの表出(によるカタストラフ)の仕方なのだろうか。彼らを「異質な他者」として許容できる自分になりたい。

N先生の思い出。

 高校時代。高三の後半はずっと受験対策に明け暮れていた。数学の時間に日本史をやり、地学の時間に日本史をやり、漢文の時間に日本史をやっていた。私が高校の授業の中で学んだことは、「授業だけ聞いていても、受験には受からない。もし自分の夢があるなら、他者に依存するのでなく、自分から進んで学んでいくことが必要だ」というテーゼである。要は〈内職なくして、主体的な学びなし〉というスローガンを内面化したのが高三の受験生時代だったのだ。

 さて、こんな私ではあるが高校の先生方には色々とお世話になった。それは内職をさせていただいたということだけではなく、個人的に会った際に多くのことを教わったということだ。教室での授業では私はほとんど学んでいなかった。
 特に現代文のN先生の話は非常に興味深かった。寡黙で規律正しいN先生のもとに、私は慶応大学法学部の小論文を解く度に添削してもらいに行っていた。デジタル/アナログの二項対立から小論を書いた際、一読して「面白い。」と言ってくださったことが、ものすごく私の支えになった。ブログで雑文を書きなぐるようになったのも、もとを辿るとN先生に褒めていただいたことが一つのきっかけかもしれない。

 N先生が小論文にコメントを下さる際、次の話をされたことを最近思い返している。実はこの指摘、非常に深い意味があったのではないかと考察しているのだ。忘れないために、ここに記すことにする。

「常に人類の社会は〈少数者による多数支配〉の図式で続いてきた。ギリシャの市民政治も多くの奴隷を支配していたし、ローマ帝国も中国の各王朝も日本の大和朝廷・天皇制も常に〈少数による多数支配〉であった。現代の日本においてもそれは続いている」

 高校時代、N先生からお話をうかがえただけでも意味があったように思える。

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』からのアフォリズム その3

イリイチVSフレイレ『対話 教育を超えて』のアフォリズム・シリーズも堂々の完結編。

ラストはウィリアム・B・ケネディーが語った「教育の巡礼者 フレイレとイリイチ」より。
イリイチは、抑圧された人間を消費者とみなしている。消費者は、自分から行動したり生きていこうとはせずに、受動的にやりとりするばかりで、地球の資源を使いつくしてしまうように仕込まれているのである。資本主義諸国も社会主義諸国も、そういったことを人類の目標として永続化させるという点で変わりがないため、かれは双方を批判する。絶えざる成長をその目的とする限り、「発展」はつねに害をもたらすのである。(128頁)
 イリイチは「サービス」というところで権力論を構築する。それがフーコーとの違いのようだ。
 「消費者」は、企業や国家の「サービス」をただ受け止めるだけ。「遊びに行きたいな」「はい、ぜひディズニーランドへお越し下さい」。自分から「何をして遊ぶか」を主体的に選択するのではなく、企業や国家の示す選択肢から選ぶにすぎない存在となってしまう。
 最後に、両者についての説明を引用する。

フレイレがその国情に通じているラテン・アメリカ諸国では、教育にたずさわる人間は、自分たちが行動できる「自由な場」を問題にしている。自由を制限する巨大な力に対抗する上での助けとなる、民衆の生活に根ざした戦略を追求するという点で、フレイレの活動はイリイチと結びつく。その線にそって、かれは、慎重に行動し反省していくことを勧め、現実の中で、ペシミズムや冷笑的な態度におちいったり、オプティミズムや単純な行動主義におちいったりしないようにと忠告している。(140頁)

中谷彰宏(なかたにあきひろ)のDVD

 昔から中谷彰宏の本が好きだった。というよりも、自己啓発本が好きであった。
 初めに自分のお金で買った新書は『知的生産の技術』。次が『超・整理術』。図書館でも、小学生のうちから「効率的なメモの取り方」・「成功する人の仕事術」的本を読み続けていた。私が、なんとか第五志望である早稲田大学教育学部に引っかかったのも、小学生以来の自己啓発本読者であったからだろう。自己啓発本は、「何事にもコツがある」・「勉強にはやり方がある」という認識を持たせてくれるのだ(その弊害は、別のところで語ることにしよう)。

 「自己啓発本」を日本で最も多く出版している人間は、おそらくは中谷彰宏。各種DVDでも「僕は800冊書いてきた」ということをサラッと口にしている。それだけ多く書いたら、どこかでマンネリに陥りそうになるはずだ。けれど、どの本を読んでも新鮮な発見をする私がいる。

 中谷彰宏と、私はずっと「本」で触れてきた。博報堂時代がもとになっているのか、キャッチコピー風の短い文章の集まりを読みつつ、「そんな考え方があるのだな」と学んできた。

 DVDに表れた中谷の姿。非常にインパクトがあった。何と言ったらいいか、「言葉の響き」にすら感動を覚えた。中谷の本に書かれた言葉が、中谷の口を通して語られる。話される内容よりも、話す言葉の「響き」から多くの点が学べたような気がした。

 口から発せられた言葉には、必ずその人の「響き」がある。このことを私は忘れていた。中谷が関西弁でしゃべっていたことも、発見の一つであった。

 プラトン以来、「言葉」「ロゴス」のみを人間は追い求めてきた。「言葉」の中でも、「書き言葉」を重視した。「言葉の響き」よりも。その姿勢がデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」につながり、近代が開かれた。その姿勢は「自分で考える」ことを重視する姿勢であった。「自分で考える」ゆえに、「他者」はあまり登場しない。
 夏目漱石の『行人』(こうじん)には、近代理性の権化ともいうべき人物・長野一郎が登場する。彼は理性や学識は非常に高い。けれど、妻や母親、その他の家族と分かり合えることができず、常に孤独に苛まれている。近代的知識人の持つ「孤独さ」を感じた本であった(余談だが、一郎が友人と神について語る際、突然友人を殴るシーンがある。「君、これでも神を信じるかね?」という言葉に、私は笑ってしまった)。

 プラトン以前、「模倣」(ミメーシス)が重視されていたと聞く。踊りを観たり、演じたり。歌を聴いたり、歌ったり。宗教においても然りであった。「自分で考える」というよりも、模倣を通じて瞬時に「神に至る」道が重視されていたのだ(ちなみにプラトン以前を注目し始めたのはニーチェである)。「模倣」は、一人ではできない。常に他者の存在が必要である。必然的に孤独になることはない。
 イリッチはconvivialという言葉(どうもスペイン語らしい)を重視する。訳者によって「相互依存」と訳したり、「相互親和」と訳したりする、日本語化しにくい言葉だ(辻信一は「共に生きる」と説明する)。これは「孤独」と対比的な言葉である。一人でいるのではなく、誰かと話したり・親しく過ごしたり・共に生活をしたりすることを重視している。

 イリッチの『脱学校の社会』のラストも、convivialを社会にもたらそう(「相互親和型社会」ということ)、と呼びかけるものであった。誰かの美しい詩を引用し、イリッチはそこで唄った。「人が薄暗がりに住んでいて、薄暗がりの中で友を得るなら、薄暗がりも面白いじゃないか」(208頁)と。 convivialと語る時、必ずそこには「他者」が存在する。理解出来る/出来ないにかかわらず、「他者」と「共に生き」ようとする。『行人』の長野一郎も、convivialな生き方をもっと志向すればよかったのではないか。そう思われて仕方ない(小説だと、なんだか自殺しちゃいそうだし)。
 現代人の生きづらさは、「言葉」に執着するところにあるのだろう。「自分で考える」のも大事だが、もっと「模倣」のよさに立ち返ってもよいのではないか。それがconvivialということである。

 中谷の「言葉の響き」をめぐって、よくわからない話になってしまった。けれど、ここで書いた内容は私が数多くの「他者」から「模倣」してきたから、まあいいんじゃないかな。

私教育と公教育

 教育には2つある。それが公教育と私教育である。
 本来的な教育は私教育。「学校」ができる数万年以上も前から、私教育は行われていた。集団の中で、地域の中で。
 国家がつくる「学校」は、設立されてたかだか200年だが、私教育は常にあった(人間が生きるために)。
 しかし教育学は「学校」でおこなう公教育しか語ろうとはしない。

 あえて私教育としてのフリースクールを語り、私教育性を担保するのが私の使命だ。

 学校だけが人生でないし、喫茶店だけが人生でもない。
 どんな人生がいいのかも、自分で決めることが大切だ。

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである。

仮説:「脱学校」的学びの究極は喫茶店スタイルである


 前に親友のOと話していたとき、ふと「脱学校的な学びの究極は、喫茶店スタイルではないか」と気づいた。まさに早稲田駅前のシャノワールで話していたためでもある。
 答えにはならなくとも、近い回答にはなるであろう。
 前に「勉強カフェ」という喫茶店に行った。渋谷にあるそのカフェは「勉強する」という意思を持った人が多く集まる場所だ。自習室で集中して学ぶことも、自分と同じ資格取得を目指す人たちと交流することもできる。これ、イリッチの言うラーニングウェッブの「仲間探し」という機能そのままではないか。
 以前、私は「ラーニングウェッブは現在のブログ空間のことでないか」という雑文を書いた。そこには実は大きな限界があった。ブログでは物理的に会って学ぶということが起きにくい。また、検索によってそのブログを知るために《全く興味がない人》が意図せずに見る、ということも起きにくい。内田樹は〈ひとは「これを学びたい」と思わないことを学ぶことがある〉などと書いているが、本来人は「何を学ぶか」を説明することはできないものなのだ。
 
 喫茶店に、新たな学びの可能性がある。喫茶店のテーブルから周囲を見ると、一人雑誌を読む人・書物と格闘する人・雑談を楽しむ人・目を閉じて瞑想にふける人(単に寝ているだけだが・・・)など、様々な人が眼に入る。「何をしてもいい」「学ばなくてもいい」のが喫茶店なのだ。学校なら「これをしなさい」と言われる。フリースクールは確かに喫茶店に近いが、「ふらっと、全く契約していない人が来る」ことはない。それに来るのは子どもばかりである。
 喫茶店には「アジール」という働きもある。日常に疲れた人々がやってくる「逃れの街」である。よく「子どもの居場所」を自認するフリースクールがあるが、喫茶店は子どもを含めた「現代人の居場所」であるかもしれない。

 脱学校的学びの究極は、喫茶店スタイルかもしれない。
 どうせなら、フリースクール的要素を満載した喫茶店もあってもいいのではないか。
 
 「そんな喫茶店を、自分がやってみたい」という声が、内面から響いてきた。


追記
 喫茶店の名前はどうするか? 色々考えた。そんなとき私の口癖の「フラッと」「サラッと」と言う言葉を思い起こす。
 結果的に「フラット」という名前がいいのではないか、と考える。

追記2
 フリースクール情報のセンターとして、地域の「学び場」「居場所」「フリースクール」「親の会」「フリースペース」をつなぐ存在にしたいとおもう。なかなか、こういった情報は一般から手に入れにくい。
 また、学んでいる子には「学び方のコツ」や各教科の知識を「求められる限りにおいて」、伝える場所にしたい。
 様々な実践ができるよう、体育館のように「ものすごく広い空間」にしたい。

誰かへの手紙

 西早稲田のアパートに一人暮らしを始めて、もう4年になる。6畳の空間に、私の身体もすっかり適合してきた。すっかり「自分の城だ」といえるようになってきた。

 最近、クローゼット内のスーツを出そうとしていると、天井部分に隙間があることに気づく。携帯電話ディスプレーの明かりで照らしてみると、なにやら天井を構成するパネルが外れるようであった。

 興味を持った私は、引き出しからLED式の懐中電灯を取り出し、パネルをどけ、天井裏を見てみた。埃や昆虫の死骸の間に、1枚の茶封筒がある。

 埃を吹き払いつつ茶封筒の中を見ると、この部屋のかつての住人が書いたのであろうか、数葉の便箋が入っていた。再び封筒に目をやると、9年前の干支がついた「お年玉つき年賀はがき」の景品切手が貼られている。宛名は書かれていない。

 以下は便箋の全文である。



前略

 俺はこの手紙を出すのかもしれないし、出さないのかもしれない。まあ、届いたならば気休めに読んでもらいたい。君とは長い付き合いだし。

 俺は最近ずっと、「人間とは分かり合えるものなのだろうか」ということを考え続けている。サークル内での話し合いや人間関係が面倒くさすぎるのだ。何故かまわりと理解しあえない。

 知ってると思うけれど、自分は人間関係を構築するのが得意ではない。周りが笑っていて、自分だけが笑っていないとき、どうしようもなくつらい思いがする。

 他者は常に謎として現れる。どんなに理解したと思っても、他者は謎なままだ。「理解した」といっても程度の問題。

 こんなことを書くと、「あなたは不幸な人ですね」といわれるであろう。けれど、それが私の実感だ。 

 前に無性につらいときがあってね。誰かが自分に言った一言が、心の中で何度も響き続けるんだ。歩いていても、自転車に乗っていても、耳の奥で何度も再生されている。自分が今までやってきたことは、全部ムダだったのかな、って思えてきたのよ。

 急いで家に帰り、思わず流しにあった包丁を手に取ったんだ。そしてその包丁の刃先を左手首に押し当て、手前に引いた。包丁、全然研いでなかったからね、ほら、手に輪ゴムを巻いておくと白い後が残るじゃない? あんな感じに手首に白い筋が残ったんだわ。血も何も出ない代わりにね。じっと見ているとその線はゆっくりと消えていった。それを見ているとね、なんと言うのかな、ものすごく泣き叫びたくなったんだわ。ひざを抱えるようにして、そのままカーペットに横になったよ。泣き叫ぶなんて、どれくらいぶりだろうね。しばらく泣き続けていた。

 こんな日に限って、人と会う約束があったんだ。少し落ち着いた後は椅子に座り、ボーっとしていた。涙も乾いた頃、待ち合わせ場所である早稲田駅に向かう。最悪の状態でも、人と話すのっていいもんだね、自分の実存的な寂しさが、人と話している間は忘れてしまえたよ。

 最近、けっこうバイトやなんかを多く入れている。暇な状態でいるのが怖いんだ。忙しくしている間は、自分のことを考えないですむ。それに、何かやっていると少なくとも世の中の役に立っているような気がしてくる。

 今日ツタヤに行ってきて、さだまさしのCDを借りてきた。さだまさしって、けっこういい歌を歌ってるんだよ。思わず何度も聞いてしまったのは「普通の人々」という歌。多分、知らないだろうけどね。

「退屈と言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆く程 暇もない毎日」

 この歌詞、非常に刺さってくるんだわ。暇がありすぎると、自分の孤独や不幸さと向き合ってしまう。多くの人、つまり「普通の人々」は忙しさを武器にこれらと向き合わないようにしているんじゃないか、と思う。でも、さだはこの歌の中で、こういう「普通の人々」の行動では本質的な解決にはならないことを伝えようとしているんだ。

 いま、「孤独死」が増えているって、知っている? マンションとかで一人で誰にも看取られずに死ぬこと。お年寄りだけが対象だと思っていたけど、そうじゃないみたいだね。ものの本によると、孤独死しているのは45から60くらいの男性が多いみたい。奥さんに離婚された後、生きている気力がなくなり、そんなタイミングで病いにかかってしまう。それくらい、「孤独」ってこわいことみたいだね。

 だから仕事で寂しさを紛らわしていることって、なにかの機会で孤独死してしまう可能性があるよね。

 先日、大学1年生のときの友人と会ったよ。俺の酒の量が増えているといっていた。「昔はビールでも赤くなっていたのに、ウイスキーのロックを普通に飲んでいる」とね。そういえば寂しさに任せて、家でけっこう飲むようになっていたな。なんとかしないと、自分も孤独死することになりそうなんだ。アル中で死ぬ人もいるしね。

 さだの「普通の人々」は、次の歌詞で締めくくられてるんだ。

「何も気にする事なんかない なのに何か不安で

 No Message

 寂しいと言える程 幸せじゃないけれど

 不幸だと嘆くほど 孤独でもない

 生きる為の方法は 駅の数程あるんだから

 生きる為の方法は 人の数だけあるんだから」

 さだの音楽を聴いていて、自分の「生きる為の方法」を探すしかない、と思うんだよね。なかなか、難しいことだけれど。

 ちょっと前の話だけど、イベントのビラをもらった際、「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」というフレーズが載っていた。俺の実感と非常にあっているような気がした。 

 中世や前期近代と違い、僕らが生きている近代成熟期、いわゆるポストモダンの時代は「こうすれば生きていける」「こうやれば幸せになれる」という図式が完全になくなっている。何をやってもいい、だけれどもそれで自分が幸せかは別問題。それでいて、まだ社会には前期近代の考え方が残っていて、「そんな生き方、許されると思っているのか」といわれることもかなり多い。「閉塞感のある世の中で、自由に生きる」ことが、まだまだ難しい。でも、将来的にはそういう生き方をするほうが幸せになれる気がする。

 元の話に戻るけれど、どうせ人間は分かり合えない。それは否定しようのない事実だと思うんだ。けれど、そこで諦めるんじゃなくて、それを乗り越える方法が必要なんだろうね。その方法、俺にはあんまりよくわからないけど。

 いまカーテンを空け、空を見上げてる。隣のアパートの上方には相変わらずの、青い空。秋の澄んだ空に小さな雲が浮かんでいるのを見ると、どことなく壮大な思いがしてくる。

 人間なんて小さな存在だ。話して分かり合えるとか、分かり合えないとか、どうでもいいことのように思えてきた。別に分かり合えなくても、人間どうし、共生することは可能なのではないかと思った。

 こんな駄文を最後まで読んでくれて嬉しいよ。ありがとう。特に伝えたいメッセージがあったわけでもないのに、ごめんね。

                           加山

 平成14112




 手紙の全文をノートパソコンで打ち込むのは面倒であったが、ようやく終わった。加山さんは几帳面な小さな文字で、便箋を埋めていた。私には趣旨の理解できないところもあったが(私はさだをほとんど聴かない)、なぜかしら打っているうちに涙が出てきた。

 加山さんという人は、なぜこんな手紙を書いたのだろうか。封筒に宛名を書かなかったところを見ると、本当は誰かに出すためではなく、自分自身のために書いたのではないだろうか。

 書くことは、しばしば人を救済する。自分自身が自分自身の状況を踏まえた文章を書くことで、問題が解決することがある。ゲーテは自殺しそうなくらい、恋愛で思い悩んだ。小説の主人公に自殺させることで、ゲーテ自身は生き残ることができたのだ。きっと加山さんは自分だけのために、自分が自分のことを整理するためだけにこの手紙を書いたのだ。

 レヴィナスは<時間とは、自分が他者になるプロセス>だといった。過去の自分はいまの自分とは違う。時間が経てば経つほど、自分は他人に近づいていく。物を書くという行為は、未来の自分という「他者」に宛てて書く手紙である。

 映画『ライムライト』において、チャップリンは語る。「時間は最高の芸術家だ。いつも完璧な結論を書く」。小学生のとき観た時はわからなかった言葉だが、いまならば意味がよく理解できる。

 早まった行動をするくらいなら(加山さんは手首を切ろうとしている)、「解決は将来に任せた」と判断留保をするという行動が必要なのではないだろうか。

 大家さんに、自分の前にアパートの201号室を使っていた人のことを尋ねてみた。必ず月末に家賃を納めていて、家にいることが多かった人のようだ。なにやら人間関係で苦しんでいたらしい加山さんは、ずいぶんと真面目な人であったのだ。余談だが、この部屋に入りたての頃、日本経済新聞の集金の人がやってきて危うくお金を払わされそうになったことを思い出す。

 自分に手に入る加山さんの情報はこれが全部だ。アパートの隣の人も、自分が201に入ってから2度代わった。もう誰もアパートのあたりで加山さんを知る人はいない。自分もあと数年後、きっとそうなる。大家さんにも隣の人にも、それほど話をしていない。

 誰も自分の存在を知らなくなった後、将来「ここが自分のアパートだ」と指差したとしても、誰がそれを証明できるのであろう。「私」の絶対性は時の経過とともに薄れていく。いまからそれが怖い。

 人間関係に否定的な加山さんと私とは、かなり価値観が一致している。けれど一つだけ異なる点がある。私は対話による救済を信じているが、加山さんはその道を否定し、自己自らの力だけでの救済を願っているのである。「他人に頼ったら負けだ」との思いが感じられる。

 思うのであるが、加山さんはこの手紙を「君」といっている人に出すべきだったのだ。自己の状況を誰かに伝えた時点で、何らかの解決の糸口が見つかったはずなのだ。それを自分だけで解決しようとしたのが、加山さんの(言いすぎかもしれないが)失敗といえるだろう。

 「どうせ誰もわかってくれない」。そうやって、他者を軽視し、他者へ伝えることを諦めた時点で、加山さんは苦しむ運命にあったのだ。

 以上が私の推理ではあるが、この手紙の主である加山さんと一度会って話をしてみたいと思っている。会ったからどうなるわけでもないが、ひょっとすると加山さんの救いになるかもしれないと思うのである。

 自分が加山さんの状況に陥ったら、どうするであろうか。「君」へ手紙を書き、それを屋根裏に隠すだろうか。書き終えてしまうと、こんな手紙、手元においておくのがつらくなる。茶封筒の色が視野に入るたびに、嫌な記憶が呼び戻される。それに、部屋においておくと誰かが勝手に見てしまうかもしれない。やはり保存するなら屋根裏になってしまう。

 それでも自分なら、「君」に可能性を託して手紙を送るだろう。

ドラえもんとのび太の日常

のび太「ドラえもん、ネッシーが見たいんだよ」

ドラえもん「わかったよ、のび太くん。はい、精神安定剤」
・・・実際、いまの社会では<ヘンなこと>を話すと「あいつ、おかしくないか?」「最近、何かあったのか?」と言われる対象となってしまう。
自分の生きづらさの理由も、「まわりはこう考えているのじゃないか」という想像をし、それに対応した行動をしようと身構えてしまうところにあるのであろう。