書評

『「自由」はいかに可能か』読書会、開催!

本日2/28、『「自由」はいかに可能か』読書会を、読書会@札幌-帯広にて開催しました!

本書『「自由」はいかに可能か』は、私・藤本にとっては大学の学部・大学院の先輩にあたる苫野一徳さんの初の「哲学」著作。

奇しくも誕生日が同じという偶然も有りますが、その日に開催したことに(なんとなく)運命的なものを感じます。

それはさておき。

本書は自由の原理論を説いたもの。
私のような社会学くずれの人間にとって、「自由」や「正義」などはいくらでも/延々に議論できる対象です。

例)「人を殺してはいけないという反-自由権はいかに規定できるか」
例2)「教育によって人間は人間社会という暴力に侵され、それゆえに不自由である」

本書はそんな「不毛」な議論を断ち切ってくれます。

社会構想のための「原理」と認められうるのは、わたしの考えでは次の三点だけである。
①「欲望・関心相関性」の原理
②「人間的欲望の本質は『自由』である」という原理
③各人の「自由」の根本条件としての、「自由の相互承認」という社会原理(150)

 

読書会中、不毛な議論を終わらせるものとして「自由の本質を問うこの本は役立つよね」という意見が出ました。

ただ、「哲学者の引用によって【自由】を規定するのは、理論としてわかるけど、納得するのは難しい」との意見も出ています。

「自由」というのは日常語。
だからこそ哲学で議論する際は厳密さが必要。

カントやヘーゲルの言を引いて説明するのは、日常語としての「自由」と距離があるので、「腑に落ちた感」を出すというのはなかなか難しいなあ、と実感しています。

さて。

本書ではあまり気づかれていないけれどすごく大事なのは後半の「職業集団」に関するところ。

人は、何らかの職業を通して「現実的普遍のなかに位置を占る」、つまり人との関係において自己を自己たらしめる。わたしたちが”Who”(だれ)として現れ出ることを最も可能にするのは、多くの場合、このようなわたしたちの職業世界においてなのだ。
それはつまり、職業世界こそが、わたしたちにとってのより充実した「現われの空間」になる必要があるということだ。(242)

「現われの空間」とは、アーレントが『人間の条件』において示した、パブリック(公共圏)の条件である。

対話的関係性により、自己を認識し、対話により自己を変容する。
その過程の中で「自由」を実感できる場。

読書会の中では、事例として「奨学金制度」をもとに話しています。
奨学金制度。
要は低利子の借金をして大学に通う制度ですが、4年間フルで借りると数百万の借金

それを背負って社会に出ることは本当に「平等」「フェア」といえるのか?

学生個人としてだと、【まあ仕方ない】と思ってしまいます。

でも、学生団体のなかで奨学金制度について議論したり、
世間一般の人の意見を聞くと【これでいいの?】と思える制度です。

個人がいきなり「社会」と接すると、「まあ、仕方ない」「つらいけど、こんなものだろう」と思ってしまう制度も、「職業集団」的な学生の集まりや他の「大人」との議論に加わることで、
「これって、本当に自由の実質化なの?」と問題提起できます。

個人は、ハッキリ言って弱いです。
特に、日本のような「空気」全盛の社会にとっては、なおさらです。

だからこそ、「職業集団」的な対話の場・公共圏を用意していくことは必要なのでしょう。

「読書会@札幌-帯広」も、こうした公共圏を提示する場でありたいものです。

2Q==

化石になるのは、どれくらい?

化石。

例えば自然界で動物の骨が化石になって残る割合は、だいたい10億本のうち1本だろうと考えられています。人間のからだの骨は、一人あたり206本。いま日本に生きている全員の骨のうち、化石になれるのは全部で二十数本という計算になります。二十数本というと、一人の人間の骨の一割ほどにしかならない数なのです。(左巻健男『面白くて眠れなくなる地学』61頁)

化石になるのって、すごい確率!

9k=

中土井僚, 2014, 『U理論入門ーー人と組織の問題を劇的に改善する』PHP.①

オットー・シャーマー博士が考案したU理論。

PDCAサイクルや各種の文責のように、これまでは「過去」からの学習をメインに、ビジネスや組織改善が行われてきた。

U理論は違う。
「出現する未来」から思考する、という方法論。

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(5頁)

「過去からの学習」の場合、「これから起こる変化」に対応しきれないことがある。

ではU理論とはどのような理論か?

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(7頁)

問題や状況をひたすら観察し、内省によって気づきが得るまで考え、出た仮説を実際に試す、というような形。
「2.プレゼンシング」は「ひたすら待って、経験が何か形になって湧き上がるのに任せるんだ。決定する必要はない。何をすべきかは自ずと明らかになる。あわてる必要はまったくない。自分の源泉はなにか、誰なのか、ということがむしろ重要だ。これは経営においても同じだ。『内面の奥底から浮かび上がってくる自己』が大切だということだ」(99)。

この形が「U」に見えるからU理論というようだ。

これまで、「できる人」の間でなんとなく感じられていた、「これ、こうするとうまくいかない?」というような気付きを、理論としてまとめたもの、というような感じの本。

正直、まだあんまり中身は分からないけれど、これまでと違う発想の方法論のようだ。

オットー博士は、このプロジェクトをはじめ、さまざまな研究の結果、「盲点となっているのは何を(What)どうやるか(How)ではなく、誰(Who)という側面だ。リーダーが何を実行するか、どのように実行するかではなく、個人としても、集団としても、自分は何者なのか、行動を生み出す源(ソース)は何か、にある」という結論にたどり着いています。(49頁)

 

U理論が何かを端的に表現するとすれば、それは、「何か(What)」でも「やり方(How)」でもない領域である「誰(Who)」を転換することで、過去の延長線上にはない変化を創り出す方法である、ということです。そしてこの洞察が、類まれなる影響を周囲に与えてきたリーダーへのインタビューから生まれたことに、U理論の独自性や可能性がうかがえます。(50頁)

☆なんとなく、アレントの「現れの領域」としてのパブリックを思い出す(『人間の条件』)。

2Q==

上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社.

昔からだが、「成功者」という言葉はあまり好きではない。

決して自分で「私は成功者だ」と言うことが出来ないにもかかわらず、
他者によって「◯◯さんは成功者だ」と一方的に言われてしまう。

不思議なカテゴリーの言葉である。

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大体、「成功者」というカテゴリーも、すごく曖昧。
「めちゃくちゃ稼いでいる」人も入る。
(イチローは必ず入る)

最近いろいろあった与沢翼氏を「大成功者」と持ち上げたのも自己啓発本であるし、
「拝金主義者」と批判したのも自己啓発本である。

なかなか曖昧な定義。
でも、この『成功者3000人の言葉』は面白かった。
(何をもって「成功者というか」という根本的疑問は棚上げすることとする)

「人間の真価が問われるのは、たったひとりになったときだ」
例えば、何らかの理由で無人島に流されてしまったと想像してください。まわりには誰も人がいない。|(…)人が見ていようが、見ていまいが、関係なく自分がやるべきことをやる。やらなければいけないことをやる。それが問われているのです。(44-45)

 

「受かると思って行かない面接は落ちる」
まさに至言だと思いました。自分は就職のとき、これができていなかったのか、と思い出しました。面接官は多くの場合、誰かを落とさないといけない。そのとき、誰にするか。真っ先に浮かぶのは、自信のない人です。もうこの時点で勝負はついていたということです。
そしてこれはあらゆる場面に当てはまります。うまくいくと思わないと、うまくいくものもうまくいかないと思うのです。(49)

 

自分の幸運の芽を摘んでしまっていたのは、実は自分自身だった。そんなことも起こりえるということです。世界は誰かが作っているのではない。自分の意識が作り出している、ともいえるのです。(105)

 

私は、岐路に立っている友人に、よくこの言葉を贈ります。
「自分の運を信じろ」
一生懸命に生きている人を、神様は悪いようにはしない。私はそう思っています。(125)

 

成功を目指している若い人にメッセージを、という質問に、ある経営者がこう答えたのです。
「自分がヒーローインタビューを受けているところをイメージしてみればいいんじゃないですか。そうすれば、わかると思うんですよ。もし今、インタビューで語るに足る内容がなかったとすれば、まだまだ成功には早い、ということです。いつか成功したいなら、ヒーローインタビューに答えられるような体験を求めればいいと思うんですよ」(194)

 

不安はなくならない。となれば、不安とは上手に付き合っていく必要がある、ということです。
では、どうやって? 精神科医への取材でズバリそれを答えてくれる話を聞きました。ネガティブな感情というものは、そこから目を背けようとしたり、追いだそうとすればするほど、逆に強固になってしまうのだそうです。
そして不安をもたらしている理由は、それがぼんやりとしているから。ふわふわとしているから、不安になるのです。
だから、真正面から見据えてしまう。自分は何に不安なのか、逃げずに対峙してしまう。ぼんやりさせずに、何が不安なのかをはっきりさせてみる。これだけでも、少なくとも不安に飲み込まれ、自分が蝕まれるようなことは、なくなるはずです。(141)

名言の多い本である。

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久世浩司, 2014,『なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか』SB Creative.①

私の周囲では「心が折れる」「つぶれる」「やられる」という言葉をしばしば、聞く。

仕事のなかで、やる気が極度になくなるとき、そういった言葉が出てくる。

かくいう私も、学生時代はあまり心折れない方だった。
しかし、大学院生以降、しばしば心折れることが、ある。

本書は、心折れても、あるいは「心折れそうなとき」、もとに戻す・元気になるための方途を説明している。

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心折れそうになっても「立ち直る」力。
それを本書では「レジリエンス」という。

このレジリエンスは、学習可能なものである。
(そうでなければ、本書を読む必要はなくなってしまう)

レジリエンス。

「変化や危機は避けられないもの」と捉え、「変化に適応できるように自分たちが変わらなくてはいけない」という積極的な姿勢がグローバルな政界・経済界のトップの主流になりつつあります。(4)

時代や状況、職場・人間関係が変化しても、その変化に自分が対応して適応していけることがレジリエンスの基本のようだ。

レジリエンスの高い人の特徴としては、大きく次の3つが挙げられます。
1つめが「回復力」で、逆境や困難に直面しても、心が折れて立ち直れなくなるのではなく、すぐに元の状態に戻ることができる、竹のようなしなやかさをもった心の状態です。
2つめが、「緩衝力」で、ストレスや予想外のショックなどの外的な圧力に対しても耐性がある、テニスボールのような弾力性のある精神、いわゆる打たれ強さを示します。|
3つめが「適応力」で、予期せぬ変化や危機に動揺して抵抗するのではなく、新たな現実を受け入れて合理的に対応する力です。道路の亀裂から芽を出して生存し、花を咲かせて繁栄するタンポポが「変化適応力」のひとつのメタファーとなります。(5-6)

では、具体的にはどのような人がレジリエンスのある人であるか。

ハードに仕事をしながらも、心が疲れにくい人は、レジリエンスを鍛える|習慣をもっていることでした。
その習慣とは、以下の3つです。

①ネガティブ連鎖をその日のうちに断ち切る習慣
②ストレス体験のたびにレジリエンス・マッスルを鍛える習慣
③ときおり立ち止まり、振り返りの時間をもつ習慣(7-8)

具体的には、レジリエンスを身につけるため、散歩などで体を動かすこと、「ありがとう」ということ、などなど、(この手の本としては月並みな)解決策を提示する。

その辺のオチが残念な本ではあるが、心折れずに元気に過ごすことを「レジリエンス」能力として日本語において定義した点において、本書には価値がある(ように感じる)。

2Q==

鎌田浩毅, 2008, 『ブリッジマンの技術』講談社現代新書.

別名「科学の伝道師」でもある鎌田浩毅(かまたひろき)

本書は「火山マニア」「科学バカ」だった筆者が、人に物事を伝える、
つまり「コミュニケーションの名人=ブリッジマン」(6)となるに至る努力をまとめた本である。

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コミュニケーションのコツは、相手の考え方・空気、つまり「フレームワーク」を知ること。

学者がよく「専門バカ」と言われるのは、聞き手の考え方・フレームワークを無視して、自分の専門用語で語りまくるからだ。

私も大学院で社会学をやっていた人間だ。
そのため、その頃は「なんでも学術的に、固く言う」のが正しいと思っていた。

例)教育は、社会システムにおいてどのような構造的カップリングの機能を発揮しているのか。また発揮していく必要性があるのか。

いまから思うと「鼻持ちならない奴」だったことだろう(いまはどうか、は問いません)。

実家に帰る度、「大学院に行ってた時より話しやすくなった」と家族にも好評。
ちょっとは「ブリッジマン」に近づけたのかもしれない。

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いい名言を幾つか。

人は本を読むとき、実は自分と同じ考えのところだけ拾い読みするのである。
「読書は既に自分が持っている考えをなぞる行為である」
誰が言ったか忘れてしまったのだが、私の記憶に残り続けている言葉である。(…)読書とは、実は自分のフレームワークを確認する行為なのである。文章を読みながら自分のフレームワークを呼び覚ましていると言ってもよい。(…)
実は、まったく新しい考え方を得る読書というのは、ほとんどありえない。一冊の本|の九割ほどが、既に自分が持っている知識の強化なのであり、そこへ一割だけ新しいことを付け足すのである。(25-26)

 

フレームワークの橋わたしで最も重要な事は、「相手に合わせて自分を一時的に変える」という点にある。ここにブリッジマンの考え方の要諦がある。案件に関するすべてを変更しなければならないのでは決してない。いま問題が発生している具体的な部分にだけ焦点を当てて、そこの解決だけを図るのだ。(…)|では、自分を変えるとは、具体的には何をどのように変えればよいのだろうか。性格の全部を変えるのは不可能であるし、その必要もない。この際に、一点だけ譲歩して変えるというテクニックがある。「一点だけ譲歩法」と呼んでみよう。(98−99)

 

 

映画『シングルマン』(2009)〜『こころ』との対比、あるいは死の贈与論〜

 夏目漱石の『こころ』を同性愛小説として読むよみ方がある。まず「私」と「先生」が出会う場面は鎌倉の海水浴場。「私」は「先生」の泳ぐ姿に着目し、「先生」が着替えるところを絶えず見つめている。個人的に私淑する「私」は「先生」の家に行き、恋愛論等を尋ねていく。始めは戸惑っている「先生」も、ついには自分の生き様を手紙の形で克明に描いて「私」に送り、自殺をするところで本作は終る。矢野智司の『贈与と交換の教育学』にもあるが、「先生」を敬愛する「私」は「先生」の死という贈与を、いわば突然受けたわけだ。「私」は残りの半生において反対給付をする義務を負ってしまう。石原千秋『こころ 大人になれなかった先生』にあるように、「私」は《誰にも見せないでください》「先生」が書き残した手紙の内容を、小説の形で表すことで「先生」を超えること―大人になること―を志向した。これが「私」が「先生」に大して為す反対給付としても見ることができるだろう。

 思わず『こころ』論を書いてしまったが、私が昨日見た『シングルマン』(トム・フォード監督)は『こころ』と同じ構成をとっていることが分かる。『シングルマン』の主人公は大学の文学教授。ゲイのパートナーの突然の事故死から立ち直れない(書きそびれたが、本映画ではこの教授自身がパートナーの死という贈与を受け、その反対給付の仕方に戸惑う姿が描かれている)。ピストルに銃弾を詰め、自殺を志すもいろんな邪魔が入って結局死ねずにいる。ラストの場面で、この教授は教え子である男子学生との束の間の相互作用(これがゲイであることのカミングアウトでもあるが、性行為にいたらないのがミソである)の中で生きる意欲を得る。『こころ』の「先生」は親友Kの自死から立ち直れない(文学論によっては「先生」と「K」との間でも同性愛関係があったのでないか、との指摘もある)。そんな折、自分を私淑する「私」という大学生との出会いが、「先生」の日々に明るさを与える。
 両作で違うのは視点である。『こころ』では教え子(=弟子)の視点(ただし、最終章は「先生」からの視点)で描写されるのに対し『シングルマン』は終止「先生」の側からの描写なのである。
 『シングルマン』のラストは実に切ない。「先生が心配だ」という、自分を心配し必要とする他者の存在に気づいた教授は、家の窓を開ける。フクロウが飛び立つ夜空に満月が浮かぶ。教授の感情描写的に爽快な場面だ。ピストルは引き出しにしまい、硬く鍵をかける。人生の有意味性を教え子から学んだのだ。けれど、突然の心臓発作のせいで教授は死んでしまう。

 両作のポイントは、師弟関係にともなう同性愛的気質である。師匠と弟子が親密な関係性を持っているとき、その関係性は容易にプラトニックな愛、あるいは肉体的な愛に転化する可能性がある。そういう「危険性」を意識しても、どうしても師匠から学びたいという切実さが、師弟関係を支える要因なのである。たとえどうなろうとも、この人から学びたいのだ! そんな「熱い」思いを持つ弟子のみが、師匠から多くを学び、師匠から贈与(むろん、師匠の死だけではない)を受けることができる。だいたいにおいて、師匠は弟子より年長であるため、自殺でなくとも弟子は師匠の「死」という贈与をどこかで受けなければならないのだ。その贈与に対し、弟子はかならずその贈与を受けなければならない。その上で、その贈与に対する反対給付を為す必要がある。でなければ師匠の死は無駄な贈与になってしまう(つまり贈与しようとしても誰も贈与を受けてくれなかったわけだ)。
 『シングルマン』の弟子こと男子学生は、映画中では心臓発作で死んだ教授の死の「贈与」をどのように受け止めたか、全く描かれていない。しかし、想像は容易である。ゲイと噂される教授の家で、男子学生が泊まった。その日、教授が心臓発作。タブロイド紙の記者でなくとも、男子学生が教授の新たなパートナーであると噂されるのは必然であろう(もしくは教授は腹上死したのではないかと勝手に思われる)。この際、男子学生は自分の秘密(=ゲイであるということ)を打ち明ける必要性が出てきてしまう。ゲイであることを否定するのか、それともカミングアウトするのか。どうなるかは分からないが、おそらくは後者の選択をするだろう。映画『シングルマン』自体が、監督(トム・フォード)の生き方をさらけ出すと言うカミングアウト映画という側面を持っている。男子学生が教授の死の贈与に反対給付するための第一歩は、ゲイである自分を認め、周囲にもその理解を求める戦いをすることなのだ。教授の授業シーンでも、マイノリティの迫害について教授が「熱く」語るのが印象的だ。

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里見実『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』太郎次郎社エディタス、2010

 この本を私は、長野に向かうバスのなかで読んでいた。高速道路から見える緑の風景。ブラジル生まれの教育学者パウロ・フレイレが活躍したのも、こんな景色の中であろうか。残念ながらブラジルに行ったことがないので詳しくは分からないが。

 本書はフレイレ(1921-1997)の著書『被抑圧者の教育学』の解説書である。フレイレの教育思想は一体何をテーマにしたものであったかを、著者の里見は検討していく。

 フレイレは教員の一方的な教えこみによる教育を「預金型教育」といって批判をする。預金型教育は人を受動的にしていくからだ。タイトルにあるように、「被抑圧者」にさせられるのが「預金型教育」である。

 そうではなく、教員ー生徒、あるいは生徒どうしの対話による「問題化型教育」が必要であるとフレイレは主張した。彼の「識字教育」は「問題化型教育」の実践である。実際にブラジルの農村をまわり、フレイレは「問題化型教育」を行う。それが当局に批判され、ついには亡命を余儀なくされてしまうのであるが。

 フレイレが危険を冒してまで実践したこのねらいは何か? それは抑圧を受けてきたものが、教育を通じ、自分自身の主体者となることである。

「『読み手』として世界に向きあうこと、それをフレイレは『意識化』とも呼んでいます。(…)フレイレにとっては、識字は『意識化』と同義でした」(154頁)。

 つまり、フレイレの識字教育は世界を読み取る主体に人々を変えていく行為であった。これは受動的な存在から、主体的に世界に関わる存在へと転換することを意味する。「被抑圧者」が、教育によって「人間化」するのだ。「人間化、フレイレの教育学の、これが根幹です」(49頁)と里見はまとめる。フレイレにとっては人間化のために教育が重要なのだ。

 興味深いのは、フレイレが書いた次の記述である。「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。階級としての抑圧者は、他者はもちろん、自分をすら、自由にすることができない」(85頁)。被抑圧者が「人間化」され、自由になるとき、はじめて抑圧者自身も自由になる。人が人を抑圧するということも「非人間化」されているのである。

 フレイレの本を読むと、あらためて教育の意義や「輝き」を感じられる気がする。

奥地圭子『学校は必要か』NHK出版、1992

 東京シューレが出来て7年目に出た本。その時点での奥地の著書に『女先生のシンフォニー』(これは教員時代の1982)、『登校拒否は病気じゃない』・『東京シューレ物語』・『さよなら学校信仰』・『お母さんの教育相談』・『登校拒否なんでも相談室』があり、手記収録に『学校に行かないで生きる』・『学校に行かない子どもたち』がある。シューレ発足からわずかの間にかなりの関連書が出されていることがよく分かる。当時、東京シューレという存在は非常にもてはやされた。現在はあちこちに「フリースクール」が出来たため、東京シューレそれ自体への注目度は人々の間で下がったのではないか。
 「不登校」と言わずに「登校拒否」と言っている所に時代を感じる(奥地が後に書いた本は『不登校という生き方』である)。
 本書は「学校離れを起こしている子どもたちを『直そう』とするのではなく、子どもが背を向けていく学校を問い直すことの方が必要である」(222頁)との発想から《「どんな学校なら必要か』を考えてほしいという問題提起》を起こす、という目的のもとで書かれている(あくまで目的の一つであるが)。学校へ行くことで個性が失われたり、子どもが無気力になったり、(いじめなどで)傷ついたりしてしまう。それでも大人(親・教師・一般人)は「それでも学校へ行け」と子どもを責める。重要なのは学校のあり方を考えることであるにもかかわらず、子どもをムリに学校に適合させようとする。これはベッドに合わせて人を引っ張って伸ばしたり、足を切断したりするというプロクルステスのベッドと同じである。
 印象深い点を引用。

東京シューレをやるようになって、はっきりと見えてきたことだが、教師時代の研究授業や研修の方向は、四十人なら四十人の子ども全員を、一斉に、四十五分間いかにこっちを向かせるかの技術訓練だったのだと思う。(73頁)

子どもは何らかの強制力がないと勉強しないものだ、学ぶはずがない、だから子どものやる気を待っていてはダメで、大人が何かやらせないと、楽なほう(やらないほう)に流れるに決まっている、それでは生きていけるようにならない、と思っている大人は実に多い。「でもそれは違う」という私の考えはまちがっていなかった、と東京シューレ七年の実践で思えるのはうれしいことだ。(89頁)

 奥地が指摘する点、結構多くの人が話す内容である。子どもに自由を与えるのは危険だ、などなど。これ、子どもを不信の目で見る立場である。ニイルほど信用するのも危うい気がするが、それでも現在の日本では子ども(さらに言うなら若者)への根強い不信感が漂っているようである。だから子どもを縛るためにココセコムやら改札を通るたびの「お知らせメール」やらの技術開発が要求されるのだろう。まさに「学校身体の管理技術」が発達し、子どもがどんどん不自由になっているのだ。
 私たちはもっと子ども(や若者)を信頼してもいいのではないだろうか。そう思う。

野村幸正『「教えない」教育』二瓶社、2003年

 本書のサブタイトルは「徒弟教育から学びのあり方を考える」。心理学者の立場と、仏師に弟子入りしている立場両面から「徒弟教育」という「教えない」教育のもつ意義についてを語る。暗黙知・正統的周辺参加などのキーワードを元に説明をする本である。

いま、教育に人の働きが発揮されると、単に教える者から教わる者へと教授すべき内容の情報が移動するだけではない。その情報を取り巻く世界が共有され、それを学ぶ意味あるいは喜びといったものが、教える者と教わる者とが一体化したかかわりのなかで共有されていく。そして、それがそれぞれに分化し対象化されてゆくなかで、情報が情報として伝達されてゆくことになる。それはもはや情報の伝達云々以上のものであり、情報の創造と言ってもよいほどのものであろう。そして、この人の働きをもっとも強調した教育が、すでに言及した徒弟教育である。さらには正統的周辺参加である。(105〜106頁)

 ここにあげた「あえて、教えない教育」を実践するのはいささか難しい。けれどその中に日本の教育(公教育も私教育も入る)の改善点があるのではないか。ちょうど原ひろ子『子どもの文化社会学』にあった「教えられることに忙しい」子どもが日本に多く存在しているのだ。

教師としての職業を遂行してゆくこともまた難しい。ましてや教えることを仕事とする教師が「教えない」とまで言い切ることは、余程の力量と自信があってはじめてできることであろう。そして時には、この教えないことが教えることよりもはるかに重要な意義をもつこともある。過剰教育が問題となるのは、単に知識を与え過ぎる云々を超えて、せっかく子どもが直面した生の体験を自らの言葉で表現してゆく機会をも奪ってしまうからである。教えられるがゆえに、子どもたちは自らの言葉で考えぬくことを放棄してゆくこともあるに違いない。それを放棄した子どもがその後どういう道を辿るかは言うまでもない。(130〜131頁)

 著者の野村は「教えない」教育である徒弟教育に最大限の評価をする。けれど、広田照幸も言っているが、徒弟教育は「あわない」個体(子ども)を排斥するなかに成立した制度であることについてを忘れてはならない。仕事に不適応な子どもが自主的/他律的にいなくなっていくからこそ、効率的ではないが「技」の習得/仕事による自己形成という教育作用が徒弟制度にあったのだろう。
 それゆえ、現在の公教育のように《分からなくても、とりあえず教員が語り続けるのをじっと聞く》ことの意義も、不適応な子どもの排斥が無い分、一定程度評価しなければならないだろう。