抜粋集

内田樹『狼少年のパラドクス』抜粋

人間は(少なくとも主観的には)利益のないことはしない。これがすべての社会問題を考えるときの前提である。(18頁)

古来、胆力のある人間は、危機に臨んだとき、まず「ふだん通りのこと」ができるかどうかを自己点検した。(中略)状況がじたばたしてきたときに、「ふだん通りのこと」をするためには、状況と一緒にじたばたするよりもはるかに多くの配慮と節度と感受性が必要だからである。人間は、そのような能力を点検し、磨き上げるために「危機的な状況」をむしろ積極的に「利用」してきたのである。「きゃー、たいへんよー!」と言ってじたばたしていると人間の能力はどんどん低下する。(84頁)

追記
ひらがなとカタカナ外来語多用が、内田樹の文章の特徴である気がする。

フリースクールの定義

フリー・スクールの定義について、調べてみよう。原点に返って。

古典的なフリー・スクール(自由学校)としては、イギリスのニールが1925年に設立したサマーヒル学園が代表的であるが、1960年代から70年代にかけて数多く設立されたフリー・スクールは、様々な理念をかかげていた。白人中流階級の子弟を中心として、教育の自由、児童の要求を尊重するサマーヒル学園の系統のほかに、ヒッピー的な対抗文化や反戦運動・公民権運動などの政治的色彩を帯びた学校、労働者階級の自覚を求める学校、黒人生徒に学習経験を与える目的で設立されたもの(例えばニューヨーク市のハーレム・プレップ)、黒人に黒人固有の文化と意識を自覚させ、尊重させようとして設立されたもの(例えばミシシッピー・フリーダム・スクール)など多様なものがあり、1970年代半ばには、約2000校に及んでいた。いずれも生徒や父兄を学校運営に大幅に参加させる点で共通していた。しかしその多くは小規模な私立学校であり、父兄や篤志家からの寄付や薄給で働く教師によって支えられている面が強く、経済的に行き詰まるところが多い。平均して一年半しか持続できないといわれるが、既存の学校のあり方を、その原点に立ち帰って考え直させる存在となっている。(小沢周三ほか『新版・現代教育学入門』初版1982、新版1997、pp78~79)

…歴史的文脈の中でのフリースクールはこんな感じです。公民権運動や反戦運動等、アメリカの激動の時代に生まれたのがフリースクールなんですね。ちなみに日本のフリースクールの草分けである東京シューレは1985年にオープンしました。

内田樹『知に働けば蔵が建つ』

 本日読了。相変わらず内田は面白い。 

レヴィナス老師は「時間とは私の他者との関係そのものである」と書いた。
 時間のうちで、私は絶えず私自身ではなくなり、他者も別のものとなってゆく。私は他者といつか出会えるかもしれないし、出会えないかも知らない。私は他者に会ったことがあるのかも知れないけれど、今のところそれを思い出すことができない。時間とは、端的に言えば、この過去と未来に拡がる未決性のことである。私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである。(pp25~26)

問題は「意味」なのである。
「意味がわからないことは、やらない」
 これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の病像である。
 ニートというのは、多くの人が考えているのとは逆に「合理的に(あまりに合理的に)思考する人たち」なのである。(p31)

 

 

O先生からのコメント。フリースクールのあるべき姿。

国民国家なんか永遠に続くわけありません。でも、だからといって、今すぐ廃絶するわけにもゆかない。いずれ終るけれど、今はまだある。社会制度というのは全部そういうものです。だから、どう手直しして、次の制度ができるまで使い延ばすか、どこまで腐ったら「次」と取り替えるか、というふうに議論は進むべきなのです。(内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p209)

先日、大学のゼミでO先生にコメントをいただいた。ちなみにその際、私の行った発表はこちら

「フリースクールは制度化された教育からフリーということだ。教育にはいろいろな形態があっていい。日本の学校は水道の数からして全て決まっている」
「日本にはフリースクールといっても、大きく2つの流れがある。東京シューレのようにアメリカ的なフリースクールと、シュタイナーやニイルなどの思想家が考えだしたフリースクールである。多様な選択肢を提示するところに、フリースクールの意義はある」
「いずれ公教育は無くなる。もともと日本の公教育は100年ほどの歴史しかない。国が造ったものは、いずれ壊れる。国家も然りで、200年ももたないのだ。日本はまだだが、アメリカは建国200年以上が過ぎ、だいぶ壊れかかってきている」
「制度を超えるものがないといけない。だから僕はフリースクールは一つの挑戦だと考えている。国や地方公共団体に頼らず、自分たちが賢くなるという動きがフリースクールの発想の中にある」
「選択肢があることが社会の豊かさの証しである。フリースクールもこれを目指していくといい」
「フリースクールが公的支援を使うことよりも、そういったものを一切なしにして、寄付やボランティアでフリースクールが成立することが大切だ。いまフリースクールに関わって社会に出た人がどんどん増えている。そういった人たちが広まったとき、フリースクールへのサポートが大きくなるのではないか」

 やはりO先生は偉大だと実感した。
 最近読んだ内田樹の文章にもあった〈社会制度は永続しない〉という発想。オルタナティブスクールの研究を志すものとしては自覚していかねばならぬ。

内田樹に読んで、読まれて。

「この人しかいない!」
そんな作家に出会ったとき、私はその人の書を貪り読む。自分にとっての「バーチャル師」(内田樹ならこういいますね)を見つけたときである。

見つけたならば、ほぼ毎日のようにその人の本を読みあさる。そのうちに、「同じことを何度も言うのだな」と感じてくる。おそらく、私の脳内に「バーチャル師」が居座り始めるのだろう。

齋藤孝に始まり、野口悠紀夫(以上、大学2年生まで)・灰谷健次郎(大学3年生まで。しかし灰谷の本はかなり読んだものだ)・そして内田樹(現在進行形)に行き着いた。

内田との出会いは『寝ながら学べる構造主義』。あざやかな説明に感銘し、自分も文章を書いた(『高校生と語るポストモダン』)。ほとんど内田の受け売りに終った観もある。

私はさきほど『子どもは判ってくれない』(文集文庫)を読み終えた。いささかの衒学趣味(やたらにカタカナ言葉を使うのは、内田の嫌う石原都知事と同じニオイを感じてしまう)を我慢しながらではあるが。

この本からのメッセージは要言すれば次の二つの命題に帰しうるであろう。
一つは、「話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより『話が早い』(ことがある)」。
いま一つは、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多いい)」。(pp329~330)

ちなみに、私の所蔵する内田作品は下の通りである。市場に出てるくらいは全て読んでしまいたいと思う。内田の文章は彼のブログ『内田樹の研究室』に死ぬほど書かれているのだ。市場に出ていない彼の文章すらある。

『寝ながら学べる構造主義』(三読)
『先生はえらい』(二読)
『街場の教育論』(二読)
『大人は愉しい』(一読)
『子どもは判ってくれない』(一読)
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(一読)
『知に働けば蔵が建つ』(一読)
『私の身体は頭がいい』(挑戦中)
『狼少年のパラドクス』(一読)
『こんな日本でよかったね』(一読)
『下流思考』(一読)

追記
●このブログのようにやたら( )でツッコミを入れるのも、内田樹が書籍でやっていることの受け売りである。
●『街場の教育論』を手に取ったのは『R25』に内田のインタビューが掲載されていたからだ。そこから、次々と内田「先生」の本を読むようになっていたのである。
●そのうち、内田樹論を書こう。「師弟論」の観点から。

刈谷剛彦『学校って何だろう 教育の社会学入門』

 いい学校に入学できたのは、自分が一生懸命受験勉強をしたせいだけではありません。受験勉強が許される境遇にあったことも、学校での勉強で有利になる家庭に育ったことも、見えないところで貢献しているのです。
 ところが、個人の努力が強調される日本の社会では、どんな家庭に生まれたかではなく、自分がどれだけがんばったのかが、成功のもとだと考えられています。それだけ、自分の成功を自分だけのものだと考えやすいのです。しかし、実際には、どんな家庭に生まれたかが、学校での成功にある程度影響しています。(pp218~219)

 松下幸之助は例外にすぎない。予備校教師で人気の吉野氏も、例外である。ほとんどは①大学に行くのが当然視される環境で、②周囲にも大学にいくことの賛同を受けていて、③塾や予備校・参考書代を捻出する経済的余裕があり、④勉強しやすい環境が整備されている、という条件に適う者のみがいわゆる一流大学に合格するのだ。「自分は実力でいまの立場(一流大学卒の学歴)を手に入れたのだ」と。
 
 「ブスとバカほど東大に行け!」で有名な漫画・『ドラゴン桜』。主人公の高校生男女二人は、いきなり現れた弁護士に「お前を俺が東大に行かせてやる!」と言われその気になった(①の要件)。友人や家族・教員からそれなりに期待されはじめ(②)、「最強」の講師と参考書などは用意され(③)、特進クラスのため少人数授業プラス学習室にもなる教室を整備された(④)。ある意味、「受かりやすい」環境に身を置くところから東大合格の戦いは始まったのである。東大合格を勝ち取ったとき、本人たちの努力もそうだが「環境整備」ということも合格の要因となるであろう。

補足
 ①について。和田秀樹は『受験は要領』のなかで、母校・灘高校の話をする。灘の連中は「ぜったい、無理だろ」というような人も東大を受験する。東大を受けるのが当然の環境にある。だからこそ臆することなく受験し、合格していく、と。

内田樹・鈴木晶『大人は愉しい』

内田
 

インターネットで発信することの余得は、そうでもしなければ誰も聞いてくれないはずのとりとめのない「思い」を受信し、耳を傾けてくれる誰かがいるという期待のせいで、何だか生きている「張りが出て」くるということにある。
 「インターネットは人間を変える」とはこのことである。

 おっしゃる通り、ブログを書きはじめてからこのことを実感している。

内田樹『街場の教育論』抜粋

内田樹
「人間のすべての感情は葛藤を通じて形成される。不思議な話ですけれど、葛藤しているときが人間はいちばん自然で、いちばん安定しているのです。」p255

中井孝章『学校身体の管理技術』

管理システムの浸透は、日常の生活環境だけにとどまらない。山田陽子が指摘するように、「現在の精神医療の現場では薬物療法や生物学主義への変調が色濃く、精神的な苦悩や人生における迷いに診断名をつけ、薬物によって解決する傾向が顕著になっている。(pp7~8)

パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育』より

 未来とは受け取るべく与えられるものではなく、人間によって創造されるべきものである。
 いずれのタイプのセクト主義者も、同じように歴史を独占的にとりあつかい、けっきょくは民衆不在で終ってしまう。(pp7~8)

 銀行型概念では、暗黙裡に人間と世界の二文法が仮定されている。すなわち、人間は世界や他者とともに存在するのではなく、たんに世界のなかにあるにすぎない。人間は再創造者ではなく、傍観者にすぎないのである。(p73)

 要するに、銀行型の理論と実践は静止させ固定化する力であり、人間を歴史的存在として認めることができない。課題提起型教育の理論と実践は、人間の歴史性を出発の原点とする。課題提起教育は、何ものかになりつつある過程の存在として、すなわち、同様に未完成である現実のなかの、現実とともにある未完成で未完了な存在として、人間を肯定する。実際、未完成であるが歴史をもたない他の動物とは対照的に、人間は自分自身が未完成であることを知っている。かれらは自分の不完全さに気づいている。この不完全さとそのことの自覚にこそ、一人人間だけの表現としての教育の根がある。
 この人間の未完成な性質と変化しうるという現実の性質が、教育がたえず進展する活動でなければならないことを不可避的に要求する。
 教育はかくして、実践のなかでたえずつくりかえられる。(pp88~89)