『「自由」はいかに可能か』読書会、開催!

本日2/28、『「自由」はいかに可能か』読書会を、読書会@札幌-帯広にて開催しました!

本書『「自由」はいかに可能か』は、私・藤本にとっては大学の学部・大学院の先輩にあたる苫野一徳さんの初の「哲学」著作。

奇しくも誕生日が同じという偶然も有りますが、その日に開催したことに(なんとなく)運命的なものを感じます。

それはさておき。

本書は自由の原理論を説いたもの。
私のような社会学くずれの人間にとって、「自由」や「正義」などはいくらでも/延々に議論できる対象です。

例)「人を殺してはいけないという反-自由権はいかに規定できるか」
例2)「教育によって人間は人間社会という暴力に侵され、それゆえに不自由である」

本書はそんな「不毛」な議論を断ち切ってくれます。

社会構想のための「原理」と認められうるのは、わたしの考えでは次の三点だけである。
①「欲望・関心相関性」の原理
②「人間的欲望の本質は『自由』である」という原理
③各人の「自由」の根本条件としての、「自由の相互承認」という社会原理(150)

 

読書会中、不毛な議論を終わらせるものとして「自由の本質を問うこの本は役立つよね」という意見が出ました。

ただ、「哲学者の引用によって【自由】を規定するのは、理論としてわかるけど、納得するのは難しい」との意見も出ています。

「自由」というのは日常語。
だからこそ哲学で議論する際は厳密さが必要。

カントやヘーゲルの言を引いて説明するのは、日常語としての「自由」と距離があるので、「腑に落ちた感」を出すというのはなかなか難しいなあ、と実感しています。

さて。

本書ではあまり気づかれていないけれどすごく大事なのは後半の「職業集団」に関するところ。

人は、何らかの職業を通して「現実的普遍のなかに位置を占る」、つまり人との関係において自己を自己たらしめる。わたしたちが”Who”(だれ)として現れ出ることを最も可能にするのは、多くの場合、このようなわたしたちの職業世界においてなのだ。
それはつまり、職業世界こそが、わたしたちにとってのより充実した「現われの空間」になる必要があるということだ。(242)

「現われの空間」とは、アーレントが『人間の条件』において示した、パブリック(公共圏)の条件である。

対話的関係性により、自己を認識し、対話により自己を変容する。
その過程の中で「自由」を実感できる場。

読書会の中では、事例として「奨学金制度」をもとに話しています。
奨学金制度。
要は低利子の借金をして大学に通う制度ですが、4年間フルで借りると数百万の借金

それを背負って社会に出ることは本当に「平等」「フェア」といえるのか?

学生個人としてだと、【まあ仕方ない】と思ってしまいます。

でも、学生団体のなかで奨学金制度について議論したり、
世間一般の人の意見を聞くと【これでいいの?】と思える制度です。

個人がいきなり「社会」と接すると、「まあ、仕方ない」「つらいけど、こんなものだろう」と思ってしまう制度も、「職業集団」的な学生の集まりや他の「大人」との議論に加わることで、
「これって、本当に自由の実質化なの?」と問題提起できます。

個人は、ハッキリ言って弱いです。
特に、日本のような「空気」全盛の社会にとっては、なおさらです。

だからこそ、「職業集団」的な対話の場・公共圏を用意していくことは必要なのでしょう。

「読書会@札幌-帯広」も、こうした公共圏を提示する場でありたいものです。

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化石になるのは、どれくらい?

化石。

例えば自然界で動物の骨が化石になって残る割合は、だいたい10億本のうち1本だろうと考えられています。人間のからだの骨は、一人あたり206本。いま日本に生きている全員の骨のうち、化石になれるのは全部で二十数本という計算になります。二十数本というと、一人の人間の骨の一割ほどにしかならない数なのです。(左巻健男『面白くて眠れなくなる地学』61頁)

化石になるのって、すごい確率!

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本田直之, 2009, 『本田式サバイバル・キャリア術』幻冬舎.

今日は勤務校で、高校3年生による高校1〜2年生への進路報告会を行った。

進路を決めた3年生から、後輩に「自分が進路のために取り組んできたこと」「アドバイス」を語ってもらう、という場である。

就職を決めた生徒の口から「会社への貢献ができるようがんばりたい」との発言があったことを、素直に「すごいな」と感じている。

それは、私が高校3年生の頃には考えていなかった視点だったからだ。
私が高校生の頃、「大学」に行くことが当然視されており、高卒就労という道はほとんど考えていなかった。
そのため、「会社への貢献」という発想は出ておらず、社会に出る意識もなかった。

だから、「社会」と向き合う姿勢を既に持っている点で「すごい」と感じたのである。

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さて。

本書は変化しゆく現在においての「キャリア」の捉え方を提示した本である。

現在は給料がだんだん増えていくという時代(「連続性の時代」)では、ない。
給料が減っていったり急に増えたりと言った風に、「非連続の時代」である。

リーマン・ショックの背景には、「連続性の時代」から、未来の予想がまったくつかない「非連続性の時代」への変換という、大きな時代のうねりが存在したのです。(21)

 

この「非連続の時代」において、「サバイバルする」という発想が今まで以上に必要になる。
サバイバル、つまり生ききり、生き抜くには、「マルチ・キャリア」の発想が生きてくる。

「シングルからマルチへ」という思考は、キャリアを考えるうえでも非常に有効です。
私は、サバイバル時代には、シングル・キャリアという思考をいったんリセットしたうえで、マルチ・キャリアをリビルドすることが、すべてのビジネスパーソンの課題だと考|えています。
シングル・キャリアとは、主に会社の内部で通用するスキルをベースにした「コーポレート・キャリア」だけに依存した働き方。マルチ・キャリアとは、それと並行して、会社を離れても通用する個人のスキルをベースにした「パーソナル・キャリア」を築いていく働き方です。(49-50)

☆余談だが、私がかつて学部生時代に書いた「ひとつより、ふたつ」の発想でもある。

パーソナル・ブランドづくりのための情報発信の際に大切なのは、出し惜しみしないことです。たとえば自分が読んで面白かった本、思いついた新しいビジネス、街で見かけたアイデアなど、有料にしてもいいくらいクオリティが高いものを公開していくことが、最|終的には大きなリターンをもたらします。(113-114)

 

かつては、「働き方もライフスタイルも、人並みなコースに乗れればそれで十分。自由よりも安定がほしい」という選択肢が存在しました。しかし今はそれがない。好むと好まざるとにかかわらず、誰もが自由への決断を迫られ、リスクや不安を引き受けなければならないのが、これからの時代の厳しさです。
問われているのは本当の意味での自己責任です。誰もがそこから逃れられないならば、そのなかでハッピーで生きていくために、サバイバビリティを鍛えるしかありません。そのときに強力な武器になるのが、時代はどこへ向かっているのかという「この先のうねり」を見抜く力です。(198)

高校3年生の生徒は、この「非連続の時代」に、社会に出ていく。
その中で、自己のキャリアを築いていく。

卒業してからも、応援をしていきたい。

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中土井僚, 2014, 『U理論入門ーー人と組織の問題を劇的に改善する』PHP.①

オットー・シャーマー博士が考案したU理論。

PDCAサイクルや各種の文責のように、これまでは「過去」からの学習をメインに、ビジネスや組織改善が行われてきた。

U理論は違う。
「出現する未来」から思考する、という方法論。

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(5頁)

「過去からの学習」の場合、「これから起こる変化」に対応しきれないことがある。

ではU理論とはどのような理論か?

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(7頁)

問題や状況をひたすら観察し、内省によって気づきが得るまで考え、出た仮説を実際に試す、というような形。
「2.プレゼンシング」は「ひたすら待って、経験が何か形になって湧き上がるのに任せるんだ。決定する必要はない。何をすべきかは自ずと明らかになる。あわてる必要はまったくない。自分の源泉はなにか、誰なのか、ということがむしろ重要だ。これは経営においても同じだ。『内面の奥底から浮かび上がってくる自己』が大切だということだ」(99)。

この形が「U」に見えるからU理論というようだ。

これまで、「できる人」の間でなんとなく感じられていた、「これ、こうするとうまくいかない?」というような気付きを、理論としてまとめたもの、というような感じの本。

正直、まだあんまり中身は分からないけれど、これまでと違う発想の方法論のようだ。

オットー博士は、このプロジェクトをはじめ、さまざまな研究の結果、「盲点となっているのは何を(What)どうやるか(How)ではなく、誰(Who)という側面だ。リーダーが何を実行するか、どのように実行するかではなく、個人としても、集団としても、自分は何者なのか、行動を生み出す源(ソース)は何か、にある」という結論にたどり着いています。(49頁)

 

U理論が何かを端的に表現するとすれば、それは、「何か(What)」でも「やり方(How)」でもない領域である「誰(Who)」を転換することで、過去の延長線上にはない変化を創り出す方法である、ということです。そしてこの洞察が、類まれなる影響を周囲に与えてきたリーダーへのインタビューから生まれたことに、U理論の独自性や可能性がうかがえます。(50頁)

☆なんとなく、アレントの「現れの領域」としてのパブリックを思い出す(『人間の条件』)。

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上阪徹, 2013, 『成功者3000人の言葉』飛鳥新社.

昔からだが、「成功者」という言葉はあまり好きではない。

決して自分で「私は成功者だ」と言うことが出来ないにもかかわらず、
他者によって「◯◯さんは成功者だ」と一方的に言われてしまう。

不思議なカテゴリーの言葉である。

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大体、「成功者」というカテゴリーも、すごく曖昧。
「めちゃくちゃ稼いでいる」人も入る。
(イチローは必ず入る)

最近いろいろあった与沢翼氏を「大成功者」と持ち上げたのも自己啓発本であるし、
「拝金主義者」と批判したのも自己啓発本である。

なかなか曖昧な定義。
でも、この『成功者3000人の言葉』は面白かった。
(何をもって「成功者というか」という根本的疑問は棚上げすることとする)

「人間の真価が問われるのは、たったひとりになったときだ」
例えば、何らかの理由で無人島に流されてしまったと想像してください。まわりには誰も人がいない。|(…)人が見ていようが、見ていまいが、関係なく自分がやるべきことをやる。やらなければいけないことをやる。それが問われているのです。(44-45)

 

「受かると思って行かない面接は落ちる」
まさに至言だと思いました。自分は就職のとき、これができていなかったのか、と思い出しました。面接官は多くの場合、誰かを落とさないといけない。そのとき、誰にするか。真っ先に浮かぶのは、自信のない人です。もうこの時点で勝負はついていたということです。
そしてこれはあらゆる場面に当てはまります。うまくいくと思わないと、うまくいくものもうまくいかないと思うのです。(49)

 

自分の幸運の芽を摘んでしまっていたのは、実は自分自身だった。そんなことも起こりえるということです。世界は誰かが作っているのではない。自分の意識が作り出している、ともいえるのです。(105)

 

私は、岐路に立っている友人に、よくこの言葉を贈ります。
「自分の運を信じろ」
一生懸命に生きている人を、神様は悪いようにはしない。私はそう思っています。(125)

 

成功を目指している若い人にメッセージを、という質問に、ある経営者がこう答えたのです。
「自分がヒーローインタビューを受けているところをイメージしてみればいいんじゃないですか。そうすれば、わかると思うんですよ。もし今、インタビューで語るに足る内容がなかったとすれば、まだまだ成功には早い、ということです。いつか成功したいなら、ヒーローインタビューに答えられるような体験を求めればいいと思うんですよ」(194)

 

不安はなくならない。となれば、不安とは上手に付き合っていく必要がある、ということです。
では、どうやって? 精神科医への取材でズバリそれを答えてくれる話を聞きました。ネガティブな感情というものは、そこから目を背けようとしたり、追いだそうとすればするほど、逆に強固になってしまうのだそうです。
そして不安をもたらしている理由は、それがぼんやりとしているから。ふわふわとしているから、不安になるのです。
だから、真正面から見据えてしまう。自分は何に不安なのか、逃げずに対峙してしまう。ぼんやりさせずに、何が不安なのかをはっきりさせてみる。これだけでも、少なくとも不安に飲み込まれ、自分が蝕まれるようなことは、なくなるはずです。(141)

名言の多い本である。

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鼻血と向き合う。

最近、なぜか急に鼻血がでる。

しかも、大量に。

これまでの人生では鼻血が出て困ったことはほとんどなかった。そのため、いま、困っている。

 

一番困るのは「さあ出勤だ」という時に出る鼻血。

止まるまで、活動が一切できない。

(無理に行うと、「血を流しながら出勤」という笑えない状況になる)

何か問題が起きた時の対処の仕方は、基本的には次の通り。

(1)問題を見つめなおし、「何が問題か」を再度定義する

(2)問題の原因を見つめる

(3)問題に対処する策をいろいろ出し、使えるものを行う

このうち一番大事なのは意外にも(1)である。

ドラッカーの『マネジメント』においても、大事なのは問題を定義すること、とおある。

「何が問題か」を見ずに問題に対応しようとしていることはかなり多い。

例えば、いろんな人がやっているダイエット。

「ちょっと太ったかも」でダイエットを行う場合、「本当に、「ちょっと太っている」のか」「適正体重から見て、どれくらいずれているといえるのか」「何キロぐらい太っているといえるのか」を定義しなければ、不幸が始まる。

「なんとなく太っている気がする」状態が長く続き、その間ずっと「自分は駄目だ」というネガティブ感情が続いていく。

(「地球温暖化」も、ある意味これに入る。本当にCO2が温暖化の原因か、実はハッキリとはわかっていない。その状況でCO2削減を目標とすることは

この鼻血についても、(1)〜(3)を行ってみたい。

(1)問題を見つめなおし、「何が問題か」を再度定義する

・鼻血が急に出てきて、流れている間作業が出来ないのが問題。

・・・鼻血が出ること自体ではなく、「急に」出ること・「長く」出ることにより作業できないことが問題だと分かる。

(「鼻血が出ないようにする」ということが問題解決ではなく、鼻血が出てもすぐ止まることが問題解決である)

(2)問題の原因を見つめる

・空気が乾燥している

・免疫力が低下しており、鼻からの出血がなかなか止まらない

・・・この原因は、厳密にはわからないので保留とする。

(3)問題に対処する策をいろいろ出し、使えるものを行う

・ポケットティッシュを常備する

・鼻血の対応策をネットで調べる

・・・大体この位だろうか。

(1)〜(3)は月並みな発想に見えるが、思わぬ発見があることがある。

さて。

(1)〜(3)の問題解決策だが、一つ抜けがある。

(4)この問題から何か学びや発見はないか

個人的には、この(4)を考える習慣を付けたい、と考えている。

(4)の視点は、ネガティブな問題をポジティブに変えるはたらきがある。

私の鼻血の場合、私は何を学び、何を発見できるのだろうか。

一つには、血に対する慣れがあげられる。

子どもの頃と違い、大人になればあまり出血することは少ない。

特に男性の場合はそうである。

普段からの鼻血により、血を見て動揺することがかなり減った。

二つ目には、「ちょっと野菜を食べよう」などと、自分の健康に対し目を向けるようになったことがある。

いずれにしても、問題をただ「問題だ!どうしよう!」と騒ぐのにはあまり価値がない。

問題を見つめ、問題の原因を探り、対応策を考える。

その上でさらに問題からの学びを考える。

そういった姿勢、もっと学んでいきたいものだ。

久世浩司, 2014,『なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか』SB Creative.①

私の周囲では「心が折れる」「つぶれる」「やられる」という言葉をしばしば、聞く。

仕事のなかで、やる気が極度になくなるとき、そういった言葉が出てくる。

かくいう私も、学生時代はあまり心折れない方だった。
しかし、大学院生以降、しばしば心折れることが、ある。

本書は、心折れても、あるいは「心折れそうなとき」、もとに戻す・元気になるための方途を説明している。

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心折れそうになっても「立ち直る」力。
それを本書では「レジリエンス」という。

このレジリエンスは、学習可能なものである。
(そうでなければ、本書を読む必要はなくなってしまう)

レジリエンス。

「変化や危機は避けられないもの」と捉え、「変化に適応できるように自分たちが変わらなくてはいけない」という積極的な姿勢がグローバルな政界・経済界のトップの主流になりつつあります。(4)

時代や状況、職場・人間関係が変化しても、その変化に自分が対応して適応していけることがレジリエンスの基本のようだ。

レジリエンスの高い人の特徴としては、大きく次の3つが挙げられます。
1つめが「回復力」で、逆境や困難に直面しても、心が折れて立ち直れなくなるのではなく、すぐに元の状態に戻ることができる、竹のようなしなやかさをもった心の状態です。
2つめが、「緩衝力」で、ストレスや予想外のショックなどの外的な圧力に対しても耐性がある、テニスボールのような弾力性のある精神、いわゆる打たれ強さを示します。|
3つめが「適応力」で、予期せぬ変化や危機に動揺して抵抗するのではなく、新たな現実を受け入れて合理的に対応する力です。道路の亀裂から芽を出して生存し、花を咲かせて繁栄するタンポポが「変化適応力」のひとつのメタファーとなります。(5-6)

では、具体的にはどのような人がレジリエンスのある人であるか。

ハードに仕事をしながらも、心が疲れにくい人は、レジリエンスを鍛える|習慣をもっていることでした。
その習慣とは、以下の3つです。

①ネガティブ連鎖をその日のうちに断ち切る習慣
②ストレス体験のたびにレジリエンス・マッスルを鍛える習慣
③ときおり立ち止まり、振り返りの時間をもつ習慣(7-8)

具体的には、レジリエンスを身につけるため、散歩などで体を動かすこと、「ありがとう」ということ、などなど、(この手の本としては月並みな)解決策を提示する。

その辺のオチが残念な本ではあるが、心折れずに元気に過ごすことを「レジリエンス」能力として日本語において定義した点において、本書には価値がある(ように感じる)。

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鎌田浩毅, 2008, 『ブリッジマンの技術』講談社現代新書.

別名「科学の伝道師」でもある鎌田浩毅(かまたひろき)

本書は「火山マニア」「科学バカ」だった筆者が、人に物事を伝える、
つまり「コミュニケーションの名人=ブリッジマン」(6)となるに至る努力をまとめた本である。

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コミュニケーションのコツは、相手の考え方・空気、つまり「フレームワーク」を知ること。

学者がよく「専門バカ」と言われるのは、聞き手の考え方・フレームワークを無視して、自分の専門用語で語りまくるからだ。

私も大学院で社会学をやっていた人間だ。
そのため、その頃は「なんでも学術的に、固く言う」のが正しいと思っていた。

例)教育は、社会システムにおいてどのような構造的カップリングの機能を発揮しているのか。また発揮していく必要性があるのか。

いまから思うと「鼻持ちならない奴」だったことだろう(いまはどうか、は問いません)。

実家に帰る度、「大学院に行ってた時より話しやすくなった」と家族にも好評。
ちょっとは「ブリッジマン」に近づけたのかもしれない。

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いい名言を幾つか。

人は本を読むとき、実は自分と同じ考えのところだけ拾い読みするのである。
「読書は既に自分が持っている考えをなぞる行為である」
誰が言ったか忘れてしまったのだが、私の記憶に残り続けている言葉である。(…)読書とは、実は自分のフレームワークを確認する行為なのである。文章を読みながら自分のフレームワークを呼び覚ましていると言ってもよい。(…)
実は、まったく新しい考え方を得る読書というのは、ほとんどありえない。一冊の本|の九割ほどが、既に自分が持っている知識の強化なのであり、そこへ一割だけ新しいことを付け足すのである。(25-26)

 

フレームワークの橋わたしで最も重要な事は、「相手に合わせて自分を一時的に変える」という点にある。ここにブリッジマンの考え方の要諦がある。案件に関するすべてを変更しなければならないのでは決してない。いま問題が発生している具体的な部分にだけ焦点を当てて、そこの解決だけを図るのだ。(…)|では、自分を変えるとは、具体的には何をどのように変えればよいのだろうか。性格の全部を変えるのは不可能であるし、その必要もない。この際に、一点だけ譲歩して変えるというテクニックがある。「一点だけ譲歩法」と呼んでみよう。(98−99)

 

 

赤玉ポートワインと「マッサン」。

「マッサン」の北海道編ももうまもなく終わろうとしています。

「マッサン」は若いころ、堤真一の演じる社長のもと、仕事をしていました。

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鴨居欣次郎こと堤真一の働く会社は鴨居商店ですが、このモデルは壽屋(ことぶきや)、つまりいまのサントリーにあたります。

壽屋は、日本初のワインを製造したことで有名です。

それは赤玉ポートワイン

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甘くて、飲みやすい。

そんなわけで私も未だに大好きです。

(けっこう私は原点好き。初の国産ワインの赤玉ポートワインのほか、初の日本産ウイスキー「電気ブラン」も大好きです)

赤玉ポートワインは、実は広告界でも注目されています。

赤玉ポートワイン(当時は「赤玉スイートワイン」とも言われました)の新聞広告は、今から見ても奇抜です。

こんなのです↓

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いかがでしょうか。
赤玉ポートワインの広告は、新聞記事の上に墨で「赤玉ポートワイン」と無骨に書くことで描かれました。

赤玉ポートワインについての新聞記事の上から、ダメ押しのように墨で書く。
新聞広告の初期の事例なのですが、今から見ても斬新さを感じます。

「マッサン」の世界同様、壽屋は「やってみなはれ」のチャレンジ精神で、いまの地歩を築いていったのでしょう。

★なお、この記事は北田暁大『広告の社会学』でも詳しく解説されています。

新聞記事本文にまじりこむ形の「赤玉ポートワイン」の広告は、初期の新聞広告でありながら〈広告と記事が区別できない、広告の記事化としての広告〉でもあります。
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トーベ・ヤンソン展(北海道立帯広美術館)に行く。

みんなが知ってるムーミン。

そのムーミンを作ったのは誰か?
それがトーベ・ヤンソン

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昨年生誕百年を迎えたトーベ・ヤンソンの美術展が、いま帯広で開催されている。

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ムーミンの作品は戦争中に生まれる。
戦争の悲惨さに対し、夢を語るためにムーミンの物語を作っている。

全9作のムーミンの小説をトーベは残しているが、はじめの2作は戦争と関わっている。

現実の悲惨さ・苦悩があるからこそ、ムーミン谷の物語は人をホッとさせてくれる。
それを感じた。

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また、トーベは孤独へのあこがれがあり、
島に「夏の家」を作り、一人こもり仕事に没頭した。

その姿からスナフキンを連想した。

トーベ・ヤンソン展

【場所】北海道立帯広美術館(帯広市緑ヶ丘2番地)

【時間】午前9時30分〜午後5時

【費用】一般1000円・高大生550円・小中生250円

【期間】平成26年12月13日〜平成27年2月15日