2009年 4月 の投稿一覧

内田樹『知に働けば蔵が建つ』

 本日読了。相変わらず内田は面白い。 

レヴィナス老師は「時間とは私の他者との関係そのものである」と書いた。
 時間のうちで、私は絶えず私自身ではなくなり、他者も別のものとなってゆく。私は他者といつか出会えるかもしれないし、出会えないかも知らない。私は他者に会ったことがあるのかも知れないけれど、今のところそれを思い出すことができない。時間とは、端的に言えば、この過去と未来に拡がる未決性のことである。私の現在の無能がそのまま底知れない可能性に転じる開放性のことである。(pp25~26)

問題は「意味」なのである。
「意味がわからないことは、やらない」
 これが私たちの時代の「合理的に思考する人」の病像である。
 ニートというのは、多くの人が考えているのとは逆に「合理的に(あまりに合理的に)思考する人たち」なのである。(p31)

 

 

『フリースクールからの政策提言』を読む②

『提言』に挙げられた「すぐにでも実現すべき9つの提言」について列記する。

①フリースクール等の教育環境整備と運営安定化を図るための公的支援の実施
②教育行政・関係機関とフリースクール等との連携体制の促進
③フリースクール的な学校設立の促進
④学校復帰を前提とする政策の見直し
⑤教育行政や学校等の現場の対応改善
⑥在宅不登校に対する公的支援の実施
⑦子どもが相談しやすい環境づくり
⑧当事者の立場に立った医療への転換
⑨国や自治体等で取り組むべき課題

『フリースクールからの政策提言』を読む①

1、はじめに

 フリースクールは近代教育制度に対して懐疑的まなざしを持つ。「画一的・均一・規律的」な近代教育制度に対し、フリースクールは「多様性・自由」を重視する。目指すものが違うため、フリースクールについて調べるうちに、近代教育の〈気持ち悪さ〉が見えてくる。自分が自明視していた近代教育の短所が現れるのだ。
 近代教育制度とフリースクール。両者は違う価値観で動いている。従来、近代教育に慣れ親しんだ人びとがフリースクールについて何かを語ることはあっても、フリースクール関係者が近代教育制度に対して何かを語ることはあまりなかった。あったとしても、それが政策提言としてまとめられることは皆無であった。
 本年1月11日から12日にかけて、第1回 日本フリースクール大会が国立オリンピックセンターで開催された。略称をJDEC(ジェイデック)という。この中で『フリースクールからの政策提言』(以下『提言』)が採択された。偶然ではあるが、私もこの場に参加していた(といっても、採択された12日ではなく、一般公開していた11日のみであった)。
 私はこの『提言』がいかなる理由で採択され、そしてどのような内容を持ち、どのように活用されていくのかについて調べてみようと考え、この研究を行うことにした。

2、提言の目的と背景

A 提言の目的

 まずこの提言は何の為に書かれたものであるのか。「はじめに」を見てみる。

言うまでもなく、子どもの存在は多様である。その多様な子どもたちを受け入れる教育の場が必要であることは論を待たない。子どもは多様であるということを踏まえ、世界的にも、多様な教育の場を社会が認め支えていく流れがある。それでは、私たちの社会ではどのように多様な子どもたちを受入れる場を持っていくべきであるのかを真剣に問わなければならない。また、そのような場を親・市民の努力に頼るだけでなく、社会が支える仕組みを整える必要がある。

 この部分には⑴子どもは多様であるということ、⑵⑴ゆえに多様な教育の場を社会が認めるべきこと、⑶親・市民の努力だけでなく、社会が⑵の多様な教育を支える仕組みを作るべきこと、という3点が書かれている。

B『提言』の出された背景

 『提言』より引用する。

フリースクール等の活動が日本でさらに広がり、 深まるよう、2009 年 1 月、 JDEC( 日本フリースクール大会 ) をはじめて開催することになった。これにあわせて、私たちのフリースクール等での活動から見た教育や子どもの状況を改善すべく、すぐに実現にむけて 取り組むべきことをまとめ採択したものが、この提言である。

 フリースクール等の活動の拡大のために書かれたものである。朝日新聞朝刊2009年1月19日付けには「多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言」と書かれている。

我慢しないこと。内田樹とフリースクール。

内田樹は「ぼく自身はぜんぜん『我慢』というものをしない人間です」(角川文庫『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p31)という。そのため高校を中退して家を飛び出し、受験失敗後には再び家で大検の勉強をし、そのまま大学の寮に移り住んだ。

内田同様、フリースクール関係者も「我慢をしないこと」を重視する。

どのような不登校の始まりでも、
「ゆっくり休む」「学校は行こうとしない」
これがあなたを一番楽にします。

これは東京シューレのwebにある言葉である。ちなみにアドレスは、https://www.shure.or.jp/futoko/iroiro/page4.htm

現代人は「我慢をすること」「忍耐すること」を重視する。
内田はそれに対し批判的だ。先の本から引用する。

今の自分の状態が分からなくなって、身体が悲鳴をあげていても、それに耳を傾けずに、わずかばかりの欲望の実現のためには耐えきれないほどの負荷を自分の身体にかけることのできる人間は、「私」が極端に縮んでいるという意味では「むかつく若者」のお仲間です。(p18)

続けて内田は、最近の家庭での教育の仕方が「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」(p18)ものになっていないか、と問題提起をする。結果的に、無条件に自己を肯定するということが置きづらくなる。

引用を続ける。

繰り返し言うように、人間が使える心身の資源は「有限」です。限度を超えて使用すると、必ずシステム全体に影響が出て、一番弱いところから切れてきます。
「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係からは逃れることが必須です。(p24)

よく考えると、いじめられるのが分かっていながら〈がんばって〉登校してしまう小中学生もそうだ。不登校を〈悪いことだ〉と思ってしまい、「不愉快な人間関係に耐え」てしまう。結果、心身の限界が来て引きこもったり、鬱になってしまう。

内田の文章からの2つの引用をした。ここで述べられていることは、不登校の子どものメンタリティーとも符合するのではないか。

追記。
…それにしても、日々思うことや考えたこと・発見したこと・学んでいたことをテーマに分けてブログに書いていく。そうするだけで自然と卒論が完成していくような気がしてきた(そうだといいな、という願望とともに)。

さらに追記(09年7月26日未明)。
 内田樹にハマったころのこの文章。いま私は宮台に夢中である。宮台の著書『14歳からの社会学』にも、本稿にある「承認」論が描かれている。
 内田の文章から「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」という部分を本稿で引用していた。内田のいう無条件の承認が行われていた時代は過去のものとなった。それを受ける形で、宮台は〈どうすれば承認されるようになるか〉を示している。
 宮台は『14歳からの〜』中で「試行錯誤」を行うことが必要、と語る。
《他者たちを前にした「試行錯誤」で少しずつ得た「承認」が、「尊厳」つまり「自分はOK」の感覚をあたえてくれる》(32頁)
 これは面倒くさいことだ。けれどこれをせずに歳をとってしまうと、「死んだときに誰も悲しんでくれる人がいない」という悲劇を味わうこととなる。「承認」され「尊厳」を得る努力を怠ると、不幸になってしまうのだ。
 それゆえ宮台は〈幸せになりたいなら、勉強だけしていればいいわけじゃない〉と本書で伝えているのだ。もはや勉強だけ出来れば幸せになれる時代は終わったのだ。
 『14歳からの〜』を読み、私の物の見方が180度変わった。パラダイム転換とでも呼ぶべきか。大学でろくに勉強をしない人間を無意識下でバカにしていた自分の方が、実はバカであったことに気づいたのだ。勉強をしていると、いまの社会では褒められ、評価される。けれど、その評価は未来に渡ってのものではない。現体制で褒められる言動が、これからの社会でも同じ評価を受けるわけではないのだ。いまの社会では勉強だけすることに評価が与えられる。けれど宮台のいう新たな社会では、勉強よりも他者から「承認」される能力・技術が必要となる。「大学でろくに勉強をしない人間」は、実は来るべき社会の「勝者」となる可能性を秘めているかもしれないのだ。「パラダイム転換」と私が言ったのはこの点だ。
 勉強だけやるのはもうやめよう。寺山修司ではないが、『書を捨てよ町へ出よう』だ。

フリースクール全国ネットワークの提言。

本年1月12日。フリースクール全国ネットワークが提言を出した。

朝日新聞の記事にはこうある。

各地のフリースクールやフリースペースなど67団体からなるNPO法人「フリースクール全国ネットワーク」は、多様な学びの場を学校と並んで教育制度に位置づけ、公的に支援することを求める政策提言を採択した。

詳しくは下を参照。
https://www.asahi.com/edu/news/TKY200901180174.html
ここも参考になる。https://blogs.yahoo.co.jp/mytown_8/24887111.html

重要なのは、フリースクールの側が「公的に支援を受けること」を要望した、という点だろう。フリースクールの独自性を守るため体制から離れる、というよりも〈支援を受けるが、魂はとられない〉方法をとろうとしている。

なお提言はこちらのフリースクール全国ネットワークwebサイトからpdf版をダウンロードできる。

ところで、来週発表のゼミで何をしたらいいか考えあぐねている。

そのため、この『フリースクールからの政策提言』を検討して見たいと思う。
提言の考察と要約を発表し、「フリースクールの立場から、現存の教育制度への提言を出す意味」を調べるのだ。

歴史的な提言である(と思う)ので、意味のないことはないだろう。