我慢しないこと。内田樹とフリースクール。

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内田樹は「ぼく自身はぜんぜん『我慢』というものをしない人間です」(角川文庫『疲れすぎて眠れぬ夜のために』p31)という。そのため高校を中退して家を飛び出し、受験失敗後には再び家で大検の勉強をし、そのまま大学の寮に移り住んだ。

内田同様、フリースクール関係者も「我慢をしないこと」を重視する。

どのような不登校の始まりでも、
「ゆっくり休む」「学校は行こうとしない」
これがあなたを一番楽にします。

これは東京シューレのwebにある言葉である。ちなみにアドレスは、https://www.shure.or.jp/futoko/iroiro/page4.htm

現代人は「我慢をすること」「忍耐すること」を重視する。
内田はそれに対し批判的だ。先の本から引用する。

今の自分の状態が分からなくなって、身体が悲鳴をあげていても、それに耳を傾けずに、わずかばかりの欲望の実現のためには耐えきれないほどの負荷を自分の身体にかけることのできる人間は、「私」が極端に縮んでいるという意味では「むかつく若者」のお仲間です。(p18)

続けて内田は、最近の家庭での教育の仕方が「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」(p18)ものになっていないか、と問題提起をする。結果的に、無条件に自己を肯定するということが置きづらくなる。

引用を続ける。

繰り返し言うように、人間が使える心身の資源は「有限」です。限度を超えて使用すると、必ずシステム全体に影響が出て、一番弱いところから切れてきます。
「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的ダメージの中でももっとも破壊的なものの一つです。できるだけすみやかにそのような関係からは逃れることが必須です。(p24)

よく考えると、いじめられるのが分かっていながら〈がんばって〉登校してしまう小中学生もそうだ。不登校を〈悪いことだ〉と思ってしまい、「不愉快な人間関係に耐え」てしまう。結果、心身の限界が来て引きこもったり、鬱になってしまう。

内田の文章からの2つの引用をした。ここで述べられていることは、不登校の子どものメンタリティーとも符合するのではないか。

追記。
…それにしても、日々思うことや考えたこと・発見したこと・学んでいたことをテーマに分けてブログに書いていく。そうするだけで自然と卒論が完成していくような気がしてきた(そうだといいな、という願望とともに)。

さらに追記(09年7月26日未明)。
 内田樹にハマったころのこの文章。いま私は宮台に夢中である。宮台の著書『14歳からの社会学』にも、本稿にある「承認」論が描かれている。
 内田の文章から「ある条件をクリアーできたら(きちんと排便ができたら、言葉が話せたら、勉強ができたら、**大学に受かったら・・・)、お前を子どもとして承認する、その条件を満たせないようなものは私の子どもとしては承認しない」という部分を本稿で引用していた。内田のいう無条件の承認が行われていた時代は過去のものとなった。それを受ける形で、宮台は〈どうすれば承認されるようになるか〉を示している。
 宮台は『14歳からの〜』中で「試行錯誤」を行うことが必要、と語る。
《他者たちを前にした「試行錯誤」で少しずつ得た「承認」が、「尊厳」つまり「自分はOK」の感覚をあたえてくれる》(32頁)
 これは面倒くさいことだ。けれどこれをせずに歳をとってしまうと、「死んだときに誰も悲しんでくれる人がいない」という悲劇を味わうこととなる。「承認」され「尊厳」を得る努力を怠ると、不幸になってしまうのだ。
 それゆえ宮台は〈幸せになりたいなら、勉強だけしていればいいわけじゃない〉と本書で伝えているのだ。もはや勉強だけ出来れば幸せになれる時代は終わったのだ。
 『14歳からの〜』を読み、私の物の見方が180度変わった。パラダイム転換とでも呼ぶべきか。大学でろくに勉強をしない人間を無意識下でバカにしていた自分の方が、実はバカであったことに気づいたのだ。勉強をしていると、いまの社会では褒められ、評価される。けれど、その評価は未来に渡ってのものではない。現体制で褒められる言動が、これからの社会でも同じ評価を受けるわけではないのだ。いまの社会では勉強だけすることに評価が与えられる。けれど宮台のいう新たな社会では、勉強よりも他者から「承認」される能力・技術が必要となる。「大学でろくに勉強をしない人間」は、実は来るべき社会の「勝者」となる可能性を秘めているかもしれないのだ。「パラダイム転換」と私が言ったのはこの点だ。
 勉強だけやるのはもうやめよう。寺山修司ではないが、『書を捨てよ町へ出よう』だ。

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